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【転載記事】巨大法律事務所に“原子力ムラ化”の影…脱原発貫く弁護士の憂い「優秀な奴らが金脈を見つけた結果だ」

2024-02-29 22:07:22 | 原発問題/一般
当ブログでは、過去にも、大手法律事務所所属の弁護士と電力会社との癒着についての記事を紹介してきたが、以下は「弁護士ドットコム」からの転載である。

最高裁判事には大きく分けて裁判官出身(裁判所内部からの登用)、行政官(官僚)出身、検事出身、弁護士出身がいる。弁護士出身は、以前は「人権の最後の砦」のように見られていた時期もあったが、こと原発訴訟に関する限り、弁護士出身者が最も腐敗している。民間企業であれば利益相反として案件に関われないよう排除されてもおかしくないような状況だが、なぜ裁判所でだけこのような利益相反の不正義がまかり通っているのかは私のような凡人には理解しがたい。

なお、図表・写真などを含めて全体を見たい方は弁護士ドットコムの当該記事に飛んでほしい。

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巨大法律事務所に“原子力ムラ化”の影…脱原発貫く弁護士の憂い「優秀な奴らが金脈を見つけた結果だ」(弁護士ドットコム)

東京電力福島第一原発事故から、まもなく13年。これまで、事故や全国の原発をめぐる多くの訴訟が展開されてきた。

取材するジャーナリスト後藤秀典氏によると、訴訟が増えるのと時を同じくして、4大と言われる法律事務所が台頭。その後、5つ目のローファームとして急速に存在感を増したTMI総合法律事務所を含め3つの事務所が国や東電側の代理人を務める弁護士を多く抱えているという。

後藤氏の調べではTMIには元原子力規制庁職員が入所、西村あさひ法律事務所の共同経営者は東電の社外取締役に、長島・大野・常松法律事務所には退官後の最高裁判事が顧問に就任するなど「国も最高裁もべったり」(後藤氏)という。

1990年代から数々の脱原発訴訟に携わってきた河合弘之弁護士は「電力会社は金に糸目をつけないから受任すれば儲かる。原発訴訟が一つのマーケットになってしまった」と指摘する。

●河合弁護士「『原発訴訟は儲かる』となってしまった」

後藤氏が今年2月11日、東京都内で「大手法律事務所に支配される最高裁!東電刑事裁判で改めて問われる司法の独立」と題して講演し、公正さを求められる最高裁判事も巨大事務所と関係が深いという実情を報告した。

会場で発言した「脱原発弁護団全国連絡会」の共同代表でもある河合弁護士は、大企業の顧問としてビジネスの世界を生き抜いてきた経験の持ち主。「企業法務と人権派、両方のことがわかる」(河合弁護士)立場から見てきて、巨大法律事務所が電力会社などの代理人につくようになったのは3・11以降だという。

「3・11までの電力側の代理人はマニアックで、職人的な界隈だった。しかし、訴訟が増えるにつれ、『原発訴訟は儲かる』マーケットになってしまった。巨大事務所は大量に優秀な若い人を採用する。電力会社の技術者からちょっと教えられればできるんです」

●弁護団ら、公正な裁判を求める署名を展開

後藤氏や弁護団が最も疑問視しているのが、最高裁第二小法廷の草野耕一判事が西村あさひの元代表経営者だということだ。同事務所共同経営者の新川麻氏は現在も東電の社外取締役を務め、顧問の千葉勝美氏は元最高裁判事として、東電側の意見書を提出している。

この第二小法廷が東電旧経営陣3人の刑事裁判を担当している。弁護団らは「裁判官は独立して中立・公正な立場に立つことはもちろん、外見上も中立・公正であることを求められている」として、草野耕一氏に審理から自ら身を引く「回避」を決断するよう要求。1月末には4500筆超の署名を出しており、2月28日までの集計分を3月8日に追加提出する(署名はこちら)。

この刑事裁判は、勝俣恒久元会長らを業務上過失致死傷の罪に問うており、佳境を迎えている。一審・二審では全員無罪、検察官役の指定弁護士が最高裁に上告中だ。高裁判決から1年以上たち、弁護団は「口頭弁論を開き、高裁判決を破棄するよう求める署名」も展開している。

河合弁護士は「最高裁の裁判官は、これまで国に親和的なエリートが選ばれてきた。しかし、原子力ムラにどっぷりの弁護士が登用されるという形に切り替わっている」と指摘し、市民による監視が不可欠だと強調した。

「3・11のような事故はもう絶対に起こさせない。ワーワー言い続け、緊張させること。あの手この手で牽制しなければなりません。(最高裁判事のような)上澄みで生きてきた人は名指しされることに慣れていない。遠慮なく声を上げていくべきです」(河合弁護士)

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ウクライナ・パレスチナに平和を! 2.24札幌集会開催

2024-02-25 00:31:31 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

ウクライナ戦争開始から2年となる24日午前11時から、札幌駅前で「ウクライナ・パレスチナに平和を! 2.24札幌集会」(主催:戦争をさせない北海道委員会)が開かれ約100人が集まった。

主催者あいさつの後、清末愛砂・室蘭工業大学教授(憲法学;「戦争をさせない北海道委員会」呼びかけ人)がスピーチ。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」との日本国憲法前文を引用し「時間が経つほど戦争への関心が薄れていくのを感じる。ガザは平和的生存権の適用除外対象ではない。私たちがジェノサイドを見逃せば見逃すほど、同様の行為が繰り返される。イスラエル軍は、南部ラファに住民を押し込めておいてから攻撃を加えようとしている。こうした卑劣な行為を私たちが見逃さないことが大切だ」と述べた。また、最近も国連安全保障理事会で停戦を求める決議に拒否権を発動した米国を批判した。

事の本質を見極めず、ハマスの攻撃がこのような事態を招いたとする主張が、イスラエル支持の根拠として今も根強くある。清末さんはそのような表面的な見方を否定。長く続いたイスラエルのガザ占領が今日の事態を招いた歴史を正しく理解するよう、市民に訴えた。





集会は30分間で終了し、11時30分からは引き続き「戦争をさせない市民の風・北海道」主催のスタンディングが行われた。動画撮影をしているだけで手がかじかむ氷点下3度の寒風の中だったが、これでも札幌の平年と比べると暖かいほうだ。ウクライナ各地では札幌と同等かそれ以下の寒空の中、市民が死の恐怖に直面している。集会参加者は私語もせずスピーチに聞き入っていた。

ウクライナ戦争開始から2年を迎える中、メディア報道も開戦当初の「ロシアの侵略に負けるな」一色から、一般市民の犠牲の増加を憂えるもの、両国での徴兵拒否の増加を伝えるものが多くなっているのは良い方向への変化といえる。平和と引き替えにウクライナがロシアによる占領地をあきらめなければならない可能性に言及する報道も出てきている。

1967年の第3次中東戦争でシナイ半島はイスラエルに占領されたが、エジプトは1980年代に入り、イスラエルとの交渉で返還を実現させた。武力で奪われた領土を、後日、交渉により平和的に回復した実例は、歴史をひもとけばいくらでもある。罪のない市民の犠牲をこれ以上増やさないため、ウクライナでもガザでも直ちに停戦を実現し、領土の帰属は国際社会を交えた話し合いで決める必要がある。

2024.2.24 ウクライナ・パレスチナに平和を! 2.24札幌集会


(取材・文責:黒鉄好)

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【転載記事】ICJ(国際司法裁判所)によるイスラエルに対する「ジェノサイド防止命令」の日本語訳(その2;判決部分)

2024-02-20 18:47:42 | その他社会・時事
86. 以上を根拠として、当裁判所は、次の各号の仮保全措置を提示する。

(1) 15対2によって、イスラエル国は、ジェノサイド条約に基づく義務に従い、ガザのパレスチナ人との関係において、特に以下の行為を含めこの条約の第2条の範囲内のすべての行為の実行を防止するために、その権限内にあるすべての措置をとるものとする:

(a) 集団構成員を殺すこと;
(b)集団構成員に対して重大な身体的または精神的な危害を加えること;
(c)全部または一部に身体的破壊をもたらすことを意図する生活条件を集団に対して故意に課すること;
および
(d)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。

賛成票:ドナヒュー裁判長、ゲボーギアン副裁判長、トムカ裁判官、アブラハム裁判官、ベニューナ裁判官、ユーセフ裁判官、シュエイ裁判官、バンダーリ裁判官、ロビンソン裁判官、サラーム裁判官、イワサワ裁判官、ノーテ裁判官、チャールスワース裁判官、ブラント裁判官、モセヌケ特任裁判官
反対票: セブティンデー裁判官、バラク特任裁判官

(2) 15対2によって、イスラエル国はその軍隊が上記(1)のいかなる行為も行わないことを直ちに確保するものとする。

賛成票:ドナヒュー裁判長、ゲボーギアン副裁判長、トムカ裁判官、アブラハム裁判官、ベニューナ裁判官、ユーセフ裁判官、シュエイ裁判官、バンダーリ裁判官、ロビンソン裁判官、サラーム裁判官、イワサワ裁判官、ノーテ裁判官、チャールスワース裁判官、ブラント裁判官、モセヌケ特任裁判官
反対票: セブティンデー裁判官、バラク特任裁判官

(3) 16対1によって、イスラエル国は、ガザ地区のパレスチナ人集団のメンバーに関しジェノサイドの実行を直接的かつ公然と扇動する行為を防止および罰するために、その権力の及ぶ限りあらゆる措置をとるものとする。

賛成票:ドナヒュー裁判長、ゲボーギアン副裁判長、トムカ裁判官、アブラハム裁判官、ベニューナ裁判官、ユーセフ裁判官、シュエイ裁判官、バンダーリ裁判官、ロビンソン裁判官、サラーム裁判官、イワサワ裁判官、ノーテ裁判官、チャールスワース裁判官、ブラント裁判官、バラク特任裁判官、モセヌケ特任裁判官
反対票: セブティンデー裁判官

(4) 16対1によって、イスラエル国は、ガザ地区のパレスチナ人が直面する不利な生活状況に対処するため、緊急に必要とされる基本的サービスと人道支援の提供を可能とする即時かつ効果的な措置をとるものとする。

賛成票:ドナヒュー裁判長、ゲボーギアン副裁判長、トムカ裁判官、アブラハム裁判官、ベニューナ裁判官、ユーセフ裁判官、シュエイ裁判官、バンダーリ裁判官、ロビンソン裁判官、サラーム裁判官、イワサワ裁判官、ノーテ裁判官、チャールスワース裁判官、ブラント裁判官、バラク特任裁判官、モセヌケ特任裁判官
反対票: セブティンデー裁判官

(5) 15対2によって、イスラエル国は、ジェノサイド条約第2条および第3条の範囲内の、ガザ地区のパレスチナ人集団の構成員に対する行為について、申し立てに関する証拠の破壊防止と保全確保のための効果的な措置をとるものとする。

賛成票:ドナヒュー裁判長、ゲボーギアン副裁判長、トムカ裁判官、アブラハム裁判官、ベニューナ裁判官、ユーセフ裁判官、シュエイ裁判官、バンダーリ裁判官、ロビンソン裁判官、サラーム裁判官、イワサワ裁判官、ノーテ裁判官、チャールスワース裁判官、ブラント裁判官、モセヌケ特任裁判官
反対票: セブティンデー裁判官、バラク特任裁判官

(6) 15対2によって、イスラエル国は、この決定の日付から1カ月以内に、この決定を実現するためにとられたすべての措置に関する報告書を当裁判所に提出するものとする。

賛成票:ドナヒュー裁判長、ゲボーギアン副裁判長、トムカ裁判官、アブラハム裁判官、ベニューナ裁判官、ユーセフ裁判官、シュエイ裁判官、バンダーリ裁判官、ロビンソン裁判官、サラーム裁判官、イワサワ裁判官、ノーテ裁判官、チャールスワース裁判官、ブラント裁判官、モセヌケ特任裁判官
反対票: セブティンデー裁判官、バラク特任裁判官

ハーグの平和宮において、2024年1月26日に、英語とフランス語で作成され、英語版が権威を持つ。作成された3部のうち1部は当裁判所文書施設に保管され、他の2部はそれぞれ南アフリカ共和国政府とイスラエル国政府とに送付される。

(署名) ジョアン・E・ドナヒュー、裁判長
(署名) フィリップ・ゴティエ、書記官
シュエイ裁判官は当裁判所の決定について宣言書を提出、セブティンデー裁判官は当裁判所の決定について反対意見を提出、バンダーリ裁判官とノーテ裁判官はそれぞれ当裁判所の決定について宣言書を提出、バラク特任裁判官は当裁判所の決定について個別意見書を提出。

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【転載記事】ICJ(国際司法裁判所)によるイスラエルに対する「ジェノサイド防止命令」の日本語訳(その1)

2024-02-20 18:15:15 | その他社会・時事
1月26日、国際司法裁判所(ICJ)は南アフリカ共和国の提訴に基づき、イスラエルに対しジェノサイド(大量虐殺)を防止するために必要な措置を取るよう命令を出した。ICJは警察や軍などの「暴力装置」を持たないため、この判決をイスラエルに対し物理的に強制することはできないものの、国際法としての法的拘束力を持つことになる。

この判決文の日本語訳が待ち望まれていたが、小倉利丸さんによる日本語訳が完成したので、以下、全文をご紹介する。国際社会がイスラエルの行動を「犯罪、蛮行」と認めた画期的な文書を、このまま埋もれさせるわけにいかない。なお、当ブログの文字数制限を超えるため、2回に分けて掲載する。

また、印刷用PDF版も公開されている。

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小倉利丸 : 国際司法裁判所による保全措置命令の日本語訳全文を公開(JCA-NET)

国際司法裁判所

2024年1 月 26 日 付託事件リストNo.192

ガザ地区におけるジェノサイド犯罪の防止と処罰に関する条約適用の申立て

(南アフリカ対イスラエル)

仮保全措置の提示要求

決定

出席者
ドナヒュー裁判長、ゲボーギアン副裁判長、トムカ裁判官、アブラハム裁判官、ベニューナ裁判官、ユーセフ裁判官、シュエイ裁判官、セブティンデー裁判官、バンダーリ裁判官、ロビンソン裁判官、サラーム裁判官、イワサワ裁判官、ノーテ裁判官、チャールスワース裁判官、ブラント裁判官、バラク特任裁判官、モセヌケ特任裁判官
ゴティエ書記官

国際司法裁判所は上記で構成され、審議の結果裁判所規程第41条および第48条、ならびに裁判所規則第73条、第74条および第75条を考慮して、以下に示す通り決定する:

1.南アフリカ共和国(以下「南アフリカ」)は2023年12月29日、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約(以下「ジェノサイド条約」または「条約」)に基づく義務のガザ地区における違反の疑いに関し、イスラエル国(以下「イスラエル」)に対する申立手続を開始するこの申立書を当裁判所書記官に提出した。

2.この申立書の最後で、南アフリカは、以下のように述べた。
「謹んで裁判所に以下の判断を下すとの宣言を求める、すなわち、
(1)南アフリカ共和国およびイスラエル国はそれぞれ、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約に基づく義務に従い、パレスチナ人集団の構成員との関係において、ジェノサイドを防止するために、その力の及ぶ範囲内であらゆる合理的な措置を講じる義務があり、
(2) イスラエル国にあっては、
(a)ジェノサイド条約に基づく義務、特に第1条とともに、第2条、第3条(a)、第3条(b)、第3条(c)、第3条(d)、第3条(e)、第4条、第5条および第6条に定める義務に違反し、かつ、違反し続けており、
(b)ジェノサイド条約、特に第1条、第3条(a)、第3条(b)、第3条(c)、第3条(d)、第3条(e)、第4条、第5条および第6条に定める義務を完全に尊重し、パレスチナ人を殺害しもしくは殺害し続けることができるような行為もしくは措置、パレスチナ人に身体的もしくは精神的に重大な危害を与えもしくは与え続けることができるような行為もしくは措置、またはパレスチナ人の集団に故意に危害を与えるような行為もしくは措置を含めて、これらの義務に違反する行為もしくは措置を直ちに中止しなければならず、
(c)第1条、第3条(a)、第3条(b)、第3条(c)、第3条(d)、第3条(e)に反してジェノサイドを犯した者、ジェノサイドを謀議した者、ジェノサイドを直接かつ公に扇動した者、ジェノサイドを企図した者およびジェノサイドに加担した者が、第1条、第4条、第5条および第6条の要請に従って、権限のある国内審判所または国際審判所によって処罰されることを確保しなければならず、
(d)上記の目的のために、また、第1条、第4条、第5条および第6条に基づく義務を促すために、ガザから避難した集団のメンバーを含め、ガザのパレスチナ人に対して行われたジェノサイド行為の証拠を収集し確保しなければならず、直接的または間接的なその証拠を収集し、保存することを確保することを許可するとともに、これを阻害してはならず、
(e)パレスチナの犠牲者の利益のために、賠償の義務を果たさなければならず、これには、強制的に避難させられたり、拉致されたりしたパレスチナ人の安全で尊厳ある帰還、完全な人権の尊重、さらなる差別や迫害、その他の関連行為からの保護、および第1条のジェノサイド防止義務に合致した、ガザでイスラエルが破壊したものの再建のための提供などが含まれるが、これらに限定されず、
(f)特に第1条、第3条(a)、第3条(b)、第3条(c)、第3条(d)、第3条(e)、第4条、第5条および第6条に規定された義務におけるジェノサイド条約違反が繰り返されないよう保証と確約が提示されければならない。」

3.南アフリカはこの申立書において、裁判所規程第36条第1項およびジェノサイド条約第9条に基づき、当裁判所の管轄権の確認を求めている。

4.この申立書には、規程第41条および裁判所規則第73条、第74条、第75条に基づき提出された仮保全措置の提示を求める請求が含まれていた。

5.南アフリカは申立書の最後で、以下の仮保全措置を提示するよう裁判所に求めた。

(1)イスラエル国は、ガザ内およびガザに対する軍事行動を直ちに停止しなければならないこと。
(2)イスラエル国は、自国の指示、支援または影響を受けている軍隊または非正規武装部隊並びに自国の管理、指示または影響を受ける可能性のあるすべての団体および個人が、上記(1)の軍事作戦を助長するような措置をとらないことを確保すること。
(3)南アフリカ共和国およびイスラエル国は、それぞれ、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約に基づく義務に従い、パレスチナの人々との関係において、ジェノサイドを防止するため、その権限内にあるすべての合理的な措置をとるものとすること。
(4)イスラエル国は、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約により保護される集団としてのパレスチナの人々との関係において、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約に基づく義務に従い、特に同条約第2条の範囲内の下記の一切の行為の遂行をやめるものとする。
(a) 集団構成員を殺害すること、
(b)集団構成員に対して重大な身体的または精神的な危害を加えること、
(c)全部または一部に身体的破壊をもたらすことを意図する生活条件を集団に対して故意に課すること、
(d)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。
(5)イスラエル国は、上記(4)(c)に従い、パレスチナ人との関係において、下記の事項を行うことをやめ、その権限内で下記の事項を防止するために、命令、制限、および/または禁止事項を撤回することを含め、あらゆる手段を講じなくてはならない。
(a) 住居からの追放と強制移住、
(b) 以下の剥奪、
(i) 十分な食料と水へのアクセス、
(ii)十分な燃料、避難所、衣服、衛生、下水設備へのアクセスを含めた、人道支援へのアクセス、
(iii) 医療の供給と医療支援、
(c) ガザのパレスチナ人の生活破壊。
(6)イスラエル国は、パレスチナ人との関係において、その軍隊ならびにその軍隊の指揮、支援またはその他の影響を受ける非正規の武装部隊または個人、およびイスラエルの管理、指示または影響を受ける可能性のある組織および個人が、上記(4)および(5)に掲げる行為を行わないこと、またはジェノサイドを行うことを直接かつ公然と教唆しないこと、ジェノサイドの実行を共謀しないこと、ジェノサイドの実行を企てないこと、ジェノサイドの実行もしくはジェノサイドに加担することに関与しないことを確保するものとし、それらの行為に関与した場合はジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約の第1条、第2条、第3条および第4条に従ってその処罰に向けた措置がとられることを確保する。
(7)イスラエル国は、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約第2条の範囲内の行為の申立てに関連する証拠の破壊を防止し、その保全を確保するための効果的な措置をとるものとする。そのため、イスラエル国は、当該証拠の保全とその継続を確保することを支援する事実調査団、国際委任団、その他の機関によるガザへのアクセスを拒否または制限するような行為を行ってはならない。
(8)イスラエル国は、この決定を実現するためにとられたすべての措置に関する報告を、この決定の日から1週間以内に裁判所に提出するものとし、その後、裁判所がこの事件に関する最終決定を下すまで、裁判所が命じる定期的な間隔で報告書を提出するものとする。
(9)イスラエル国は、裁判所に提起されている紛争の悪化または拡大、あるいはその解決を困難にするようないかなる行動も慎み、かつ、当該行為が行われないことを確保するものとする。」
6.副書記官は、裁判所規程第40条第2項および裁判所規則第73条第2項に従い、仮保全措置の提示の請求が含まれる本申立書をイスラエル政府に直ちに通告した。同書記官はまた、南アフリカがこの申立ておよび仮保全措置の提示を求める要請を提出したことを国際連合事務総長にも通知した。

7.裁判所規程第40条第3項により規定された通知期間内に、副書記官は2024年1月3日付の書簡により、当裁判所に出廷する権利を有するすべての国に対し、この申立ておよび仮保全措置の提示が請求されたことを通知した。

8.同裁判所は、裁判席にいずれの当事国の国籍を有する裁判官も含んでいなかったため、各当事国は、裁判所規程第31条によって与えられている、この裁判に特任裁判官を選任する権利を行使した。南アフリカはディカン・アーネスト・モセヌケ氏を、イスラエルはアーロン・バラク氏を選択した。

9.2023年12月29日付の書簡により、副書記官は裁判所規則第74条第3項に従い、裁判所が仮保全措置の提示請求に関する口頭手続の期日として2024年1月11日と12日を定めたことを当事国に通知した。

10.公聴会では、仮保全措置の提示に関する口頭陳述が次の各人により行われた:

南アフリカを代表して ヴシムジ・マドンセラ氏、ロナルド・ラモーラ氏、アディラ・ハシーム氏、テンベカ・ンガトゥビ氏、ジョン・デュガート氏、マックス・デュ・プレシー氏、ブリン・ニ・グラーレー氏、ヴォーン・ロウ氏
イスラエルを代表して タル・ベッカー氏、マルコム・ショー氏、ガリット・ラジュアン氏、オムリ・センダー氏、クリストファー・ステイカー氏、ギラト・ノーアム氏

11.南アフリカは口頭意見陳述の最後に、以下の仮保全措置を提示するよう裁判所に求めた。

「 (1)イスラエル国は、ガザ内およびガザに対する軍事行動を直ちに停止しなければならないこと。
(2)イスラエル国は、自国の指示、支援または影響を受けている軍隊または非正規武装部隊並びに自国の管理、指示または影響を受ける可能性のあるすべての団体および個人が、上記(1)の軍事作戦を助長するような措置をとらないことを確保すること。
(3)南アフリカ共和国およびイスラエル国は、それぞれ、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約に基づく義務に従い、パレスチナの人々との関係において、ジェノサイドを防止するため、その権限内にあるすべての合理的な措置をとるものとすること。
(4)イスラエル国は、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約により保護される集団としてのパレスチナの人々との関係において、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約に基づく義務に従い、特に同条約第2条の範囲内の下記の一切の行為の遂行をやめるものとする。
(a) 集団構成員を殺害すること、
(b)集団構成員に対して重大な身体的または精神的な危害を加えること、
(c)全部または一部に身体的破壊をもたらすことを意図する生活条件を集団に対して故意に課すること、
(d)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。
(5)イスラエル国は、上記(4)(c)に従い、パレスチナ人との関係において、下記の事項を行うことをやめ、その権限内で下記の事項を防止するために、命令、制限、および/または禁止事項を撤回することを含め、あらゆる手段を講じなくてはならない。
(a) 住居からの追放と強制移住、
(b) 以下の剥奪、
(i) 十分な食料と水へのアクセス、
(ii)十分な燃料、避難所、衣服、衛生、下水設備へのアクセスを含めた、人道支援へのアクセス、
(iii) 医療の供給と医療支援、
(c) ガザのパレスチナ人の生活破壊。
(6)イスラエル国は、パレスチナ人との関係において、その軍隊ならびにその軍隊の指揮、支援またはその他の影響を受ける非正規の武装部隊または個人、およびイスラエルの管理、指示または影響を受ける可能性のある組織および個人が、上記(4)および(5)に掲げる行為を行わないこと、またはジェノサイドを行うことを直接かつ公然と教唆しないこと、ジェノサイドの実行を共謀しないこと、ジェノサイドの実行を企てないこと、ジェノサイドの実行もしくはジェノサイドに加担することに関与しないことを確保するものとし、それらの行為に関与した場合はジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約の第1条、第2条、第3条および第4条に従ってその処罰に向けた措置がとられることを確保する。
(7)イスラエル国は、ジェノサイド罪の防止および処罰に関する条約第2条の範囲内の行為の申立てに関連する証拠の破壊を防止し、その保全を確保するための効果的な措置をとるものとする。そのため、イスラエル国は、当該証拠の保全とその継続を確保することを支援する事実調査団、国際委任団、その他の機関によるガザへのアクセスを拒否または制限するような行為を行ってはならない。
(8)イスラエル国は、この決定を実現するためにとられたすべての措置に関する報告を、この決定の日から1週間以内に裁判所に提出するものとし、その後、裁判所がこの事件に関する最終決定を下すまで、裁判所が命じる定期的な間隔で報告を提出し、裁判所はそれを公表するものとする。
(9)イスラエル国は、裁判所に提起されている紛争の悪化または拡大、あるいはその解決を困難にするようないかなる行動も慎み、かつ、当該行為が行われないことを確保するものとする。」

12.イスラエルは口頭意見陳述の最後に、当裁判所に対し次のように要請した。

「 (1) 南アフリカが提出した仮保全措置の提示要求を却下すること。
(2) 本案件を付託事件リストから削除すること」。

I. 緒言
13.当裁判所はまず、本件が提起された直接的な背景を想起することから始める。2023年10月7日、ハマースをはじめとするガザ地区に存在する武装集団がイスラエルで攻撃を行い、1,200人以上が死亡、数千人が負傷、約240人が拉致され、その多くが人質として拘束され続けている。この攻撃の後、イスラエルは陸・空・海による大規模な軍事行動をガザで開始し、大規模な民間人の死傷者、民間インフラの大規模な破壊、ガザの圧倒的多数の民間人の避難を引き起こしている(下記のパラ46を参照)。当裁判所は、この地域で生じている人間の惨事の大きさを痛感し、人命の損失と人的被害が続いていることに深い懸念を抱いている。

14.ガザで進行中の紛争は、国際連合の複数の機関や専門機関の枠組みで扱われてきた。特に、国際連合総会(2023年10月27日に採択された決議A/RES/ES-10/21および2023年12月12日に採択された決議A/RES/ES-10/22を参照)および安全保障理事会(2023年11月15日に採択された決議S/RES/2712(2023)および2023年12月22日に採択された決議S/RES/2720(2023)を参照)では、紛争の多くの側面に言及する決議が採択されている。しかし、南アフリカはジェノサイド条約に基づき本手続を提起したため、当裁判所に提出されている本件の範囲は限定的である。

II. 一応の管轄権

1. 予備的所見

15.当裁判所は、その管轄権を基礎づける根拠が申請者の依拠した規定により一応のところ与えられると見られる場合に限り仮保全措置を提示することができるが、本件の本案に関して管轄権を有することを確定的に満足させる必要はない(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)、仮保全措置、2022年3月16日の決定、I.C.J.Reports 2022 (I), pp.217-218,パラ24参照)。

16.本件において南アフリカは、裁判所規程第36条第1項およびジェノサイド条約第9条(上記パラ3参照)に基づき、当裁判所の管轄権の確認を求めている。従って、当裁判所は、これらの規定が本件の本案に関する管轄権を当裁判所に一応のところ付与し、他の必要条件が満たされた場合には仮保全措置を提示することを可能にするものであるかをまず判断しなければならない。

17. ジェノサイド条約第9条は次のように規定する:

「本条約の解釈、適用または履行に関する締約国間の紛争は、ジェノサイドまたは他の第3条に列挙された行為のいずれかに対する国の責任に関するものを含め、紛争当事国のいずれかの要求により国際司法裁判所に付託する。」

18.南アフリカとイスラエルはジェノサイド条約の締約国である。イスラエルは1950年3月9日に批准書を寄託し、南アフリカは1998年12月10日に加盟書を寄託した。いずれの締約国も、条約第9条またはその他の規定に対して留保を付していない。

2. ジェノサイド条約の解釈、適用、履行に関する紛争の存在

19.ジェノサイド条約第9条は、条約の解釈、適用、履行に関する紛争が存在することを当裁判所の管轄権の条件としている。紛争とは、当事者間の「法律上または事実上の見解の相違、法的見解の対立または利害の対立」である(マブロマチス特許事件、決定No.2, 1924, 常設国際司法裁判裁判所P.C.I.J., Series A, No.2, p.11)。紛争が存在するためには、「一方の当事者の主張が他方の当事者によって積極的に反対されていることが示されなければならない」(南西アフリカ(エチオピア対南アフリカ、リベリア対南アフリカ),暫定抗議,決定, I.C.J. Reports 1962, p.328)。両当事国は「特定の」国際的義務の履行または不履行の疑問に関して、明らかに反対の見解を持っていなければならない(カリブ海の海域における主権侵害の申立て(ニカラグア対コロンビア),暫定抗議, 決定, I.C.J. Reports 2016(I)、p.26,パラ50、これはブルガリア・ハンガリー・ルーマニア和平条約の解釈,第1段階、助言的意見,I.C.J. Reports 1950, p.74を引用する)。本件において紛争の存否を判断するために、当裁判所は、締約国の一方が条約の適用を主張し、他方がそれを否定していることを指摘することのみに制約されない(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定,I.C.J. Reports 2022 (I), pp. 218-219,パラ 28参照)。

20.南アフリカは当裁判所の管轄権の根拠としてジェノサイド条約の仲裁手続条項を訴求しているため、手続の現段階において当裁判所はまた申立国が訴えている作為ないし不作為が事項的管轄としてその条約の範囲に含まれ得ると見られるものかを確認しなければならない。(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定,I.C.J. Reports 2022 (I)、p.219、パラ29)。

21.南アフリカは、ジェノサイド条約の解釈、適用、履行に関してイスラエルとの間に紛争が存在すると主張する。この申立ての提出に先立ち、南アフリカは、イスラエルによるガザでの行為がパレスチナ人に対するジェノサイドに相当するとの懸念を、公式声明や国連安全保障理事会および総会を含むさまざまな多国間の場で繰り返しかつ緊急に表明したと主張する。特に、南アフリカ国際関係協力省が2023年11月10日に発表したメディア向け声明に示されているように、同省の長官は2023年11月9日に駐南アフリカ・イスラエル大使と会談し、南アフリカは「ハマースによる民間人の攻撃を非難」する一方、10月7日の攻撃に対するイスラエルの対応を違法とみなし、パレスチナ情勢を国際刑事裁判所に付託し、イスラエルの指導者層を戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイドの容疑で調査を要請する意向であることを伝えた。さらに、2023年12月12日に再開されイスラエルが代表出席した第10回国連総会緊急特別会議では、南アフリカ国連代表が「ガザにおける過去6週間の出来事は、イスラエルがジェノサイド条約の観点からその義務に反して行動していることを物語っている」と具体的に述べた。申立国は、両当事国間の紛争がその時点ですでに具体化していたと考えている。南アフリカによると、[イスラエルの]外務省が2023年12月6日に発表し12月8日に更新した「ハマースとイスラエルの紛争2023:FAQ」と題する文書において、イスラエルはジェノサイドの非難を否定した。その中で特に、「イスラエルに対するジェノサイドの非難は、事実と法律の問題としてまったく根拠がないだけでなく、道徳的に嫌悪すべきものである」と述べている。申立国はまた、2023年12月21日に南アフリカ共和国の国際関係協力省がプレトリアのイスラエル大使館に公式書簡を送ったことにも触れている。この公式書簡の中で、ガザにおけるイスラエルの行為はジェノサイドに相当し、南アフリカはジェノサイドが行われるのを防ぐ義務があるという見解を繰り返したと主張している。申立国はイスラエルが2023年12月27日付の公式書簡で回答したと主張する。南アフリカはしかし、イスラエルがその公式書簡において南アフリカの提起した問題に対処できなかったと申立てた。

22.申立国はさらに、2023年10月7日の攻撃をきっかけにイスラエルがガザで行った行為は、すべてではないにせよ少なくとも一部がジェノサイド条約の規定に該当するという意見を述べている。申立国は、同条約第1条に反してイスラエルは「同条約第2条で特定されたジェノサイド行為を実行し、実行中」であり、「イスラエル、その当局者および/または代理人は、ジェノサイド条約で保護される集団の一部であるガザのパレスチナ人を意図的に破壊する行動に及んだ」と主張している。南アフリカによれば、問題となっているこれらの行為には、ガザのパレスチナ人を殺害し、身体的・精神的に深刻な危害を加え、身体的破壊をもたらすような生活条件を与え、ガザの人々を強制移住させる行為が含まれる。南アフリカはさらに、イスラエルが「ジェノサイド条約第3条および第4条に反して、ジェノサイド、ジェノサイドの謀議、ジェノサイドの直接的および公然の扇動、ジェノサイド未遂、ジェノサイドへの加担、の、いずれをも防止ないし処罰をしなかった」と主張している。

23.イスラエルは、南アフリカがジェノサイド条約第9条に基づく当裁判所の一応の管轄権を証明していないと主張する。まず、イスラエルは、南アフリカがこの申立てを行う前に、ジェノサイドの申立てに応答する合理的な機会をイスラエルに与えなかったため、当事国間に紛争は存在しないと主張する。イスラエルは、一方では、南アフリカがイスラエルをジェノサイドで公然と非難し、パレスチナ情勢を国際刑事裁判所に付託すると公言したこと、他方では、イスラエル外務省が公表した文書は、直接、あるいは間接的にも南アフリカに宛てたものではなく、当裁判所の判例が要求する見解の「積極的対立」の存在を証明するには不十分であると述べる。2023年12月21日付の南アフリカ共和国の公式書簡に応答する2023年12月27日付の在プレトリア・イスラエル大使館から南アフリカ共和国国際関係協力省への公式書簡において、南アフリカ共和国が提起した問題を協議するための両当事国間の会合をイスラエルが提案していたこと、この対話の試みは南アフリカ共和国によって相当時間無視されたと被申立国は強調する。イスラエルは、この申立ての提起前に両国の間で二国間交流がなかったにもかかわらず、南アフリカがイスラエルに対して一方的に主張したことは、紛争の存在をジェノサイド条約第9条に従って立証するには不十分であると考えている。

24.イスラエルはさらに、パレスチナ人の全部または一部を破壊する必要かつ特定の意図が一応の根拠に基づいても証明されていないため、南アフリカが指摘した行為がジェノサイド条約の規定には当てはまらないと主張する。イスラエルによれば、2023年10月7日の残虐行為の後、ハマースによるイスラエルへの無差別ロケット攻撃に直面したイスラエルは、自国を防衛し、自国に対する脅威を終結させ、人質を救出する意図を持って行動した。さらにイスラエルは、民間人の危害を軽減し人道支援を促進する施策の実施によってジェノサイドの意図がないことが示されていると付け加えた。イスラエルは、本戦争の勃発以来、イスラエルの関係当局が行ったガザ紛争に関する公式決定、特に国家安全保障問題閣僚委員会および戦時内閣、ならびにイスラエル国防軍の作戦本部が行った決定を注意深く検討すれば、民間人への危害を回避し、人道支援を促進する必要性に重点が置かれていることがわかると主張する。そのためこれらの決定にはジェノサイドの意図がなかったことが明確に示されているとの見解を有する。

25.
当裁判所は、この申立ての提起時に両当事国間の紛争の存否を判断する目的で、両当事国間で交換された声明または文書、および多国間でのそのような交換を特に考慮することを想起する。その際、声明または文書の作成者、意図された宛先または実際の宛先、およびその内容に特に注意を払う。紛争の存否は当裁判所が客観的に判断する問題である。すなわち、実質を問題にするのであり、形式や手続の問題ではない(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定,I.C.J. Reports 2022 (I), pp. 220-221,パラ 35 参照)。

26.当裁判所は、この申立ての提起時に両当事国間の紛争の存否を判断する目的で、特に南アフリカが多国間および二国間のさまざまな場で公式声明を発表し、その中でガザにおけるイスラエルの軍事行動の性質・範囲・程度に照らして、イスラエルの行動はジェノサイド条約の下での義務違反に相当するとの見解を表明したことに留意する。例えば、イスラエルが代表として出席して2023年12月12日に再開された第10回国連総会緊急特別会期では、南アフリカ国連代表は、「ガザにおける過去6週間の出来事は、イスラエルがジェノサイド条約の観点からの義務に反して行動していることを物語っている」と述べた。南アフリカは、プレトリアのイスラエル大使館に宛てた2023年12月21日付の通知で、この声明を想起した。

27.当裁判所は、この申立ての提起時に両当事国間の紛争の存否を判断する目的で、特に、イスラエルが、イスラエル外務省による2023年12月6日発表の文書で、ガザ紛争に関連するジェノサイドの非難を退けていることに留意する。この文書はその後更新され、2023年12月15日にイスラエル国防軍のウェブサイトに「ハマースとの戦争、あなたの最も切実な疑問に答える」というタイトルで掲載され、そのなかで、「イスラエルに対するジェノサイドの非難は、事実と法律の問題としてまったく根拠がないだけでなく、道徳的に極めて不快なものだ」と述べている。この文書でイスラエルはまた、「ジェノサイドという非難は、...法的にも事実的においても支離滅裂であるだけでなく、非常識である」とし、「ジェノサイドというとんでもない非難には、事実上も法律上も正当な根拠がない」と述べている。

28.以上のことから、当裁判所は、イスラエルがガザで行ったとされる特定の作為または不作為が、イスラエルのジェノサイド条約に基づく義務に対する違反に相当するか否かについて、両当事国が明らかに正反対の見解を持っているように見えると考える。当裁判所は、ジェノサイド条約の解釈、適用、履行に関する両当事国間の紛争の存在を一応確立するには、現段階では上記の要素で十分であると判断する。

29.申立国が主張する作為または不作為がジェノサイド条約の規定に該当する可能性の有無に関して、当裁判所は、南アフリカが、イスラエルはガザでのジェノサイドの実行、およびジェノサイド行為の防止と処罰を怠った責任を負うと考えていることを想起する。南アフリカは、イスラエルがジェノサイド条約の下で、「ジェノサイドを犯すための共同謀議、ジェノサイドへの直接かつ公然の教唆、ジェノサイドの未遂、ジェノサイドの共犯」に関する義務を含む他の義務にも違反していると主張している。

30.本手続の現段階では、ジェノサイド条約に基づくイスラエルの義務違反の有無を確認する必要はない。かかる確認は、本件の本案審査の段階においてのみ、当裁判所が行うことができる。すでに示しているように(上記パラ20参照)、仮保全措置の提示請求に対する決定を発する段階で当裁判所の任務は、申立国によって提起された行為および不作為がジェノサイド条約の規定に該当する可能性の存否を確認することである(cf.ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定,I.C.J. Reports 2022 (I), p. 222,パラ43)。当裁判所の見解では、イスラエルがガザで行ったと南アフリカが主張する行為および不作為の少なくとも一部は、条約の規定に該当する余地があると思料する。

3. 一応の管轄権に関する結論

31.以上のことから、当裁判所は、ジェノサイド条約第9条に基づき、本件を受理し管轄権を有する裁判所であると一応の結論を得た。

32.以上の結論から、当裁判所は、本件を付託事件リストから削除するというイスラエルの要請に応じることができないと思料する。

III. 南アフリカの原告適格

33.当裁判所は、被申立人が本件手続において申立人の原告適格を否認していないことに留意する。当裁判所は、ジェノサイド条約の申立て(ガンビア対ミャンマー)に関してジェノサイド条約第9条が同じく提起されていた事件について、同条約のすべての締約国が、同条約に含まれる義務を履行するよう努めることによって、ジェノサイドの防止、抑制および処罰を確保する共通の利益を有することを認めたことを想起する。このような共通の利益が意味するところは、当該義務が当該条約のいかなる当事国もその他すべての当事国に対して負うのであって、各当事国がいかなる事件においても義務を遵守するに当たって利害を有するという意味において、あらゆる当事国を拘束する義務であるということである。ジェノサイド条約における当該義務を遵守することにあたって共通の利害は必然的に、いかなる当事国も、区別なく、あらゆる当事国を拘束するその義務の違反があると主張して、他の当事国に責任があると訴える権限があることを意味する。したがって、当裁判所は、ジェノサイド条約のいかなる当事国も、同条約に基づくすべての当事国を拘束する義務を履行することを怠ったと主張して、その有無を決定し、かつ、そのような懈怠を解消することを目的として、当裁判所に訴えを提起することを含めて、他の当事国に責任があると訴えることが許されることを認めている(ジェノサイド条約の適用申立て(ガンビア対ミャンマー)予備的異議申立て、判決、I.C.J.Reports 2022 (II), pp. 516-517,パラ 107-108 and 112)。

34.当裁判所は、一応のところ、南アフリカがイスラエルに対して、ジェノサイド条約に基づく義務違反があると主張することについて原告適格があると結論する。

IV. 保護が求められている人の権利および当該権利と請求される措置との関係

35.当裁判所が規程第41条に基づいて仮保全措置を提示する権限の対象は、ある事件において当事者の主張するそれぞれの権利の功罪を判断するまでの間、その権利を保全することである。したがって、当裁判所が関与するのは、そのような措置によって、いずれかの当事者に属するとされる権利の保全に関わるものに限られる。それゆえ、当裁判所によるこの権限の行使が許されるのは、そのような措置を求める当事者が主張する権利が少なくとも存在の可能性がある場合に限られる(たとえば、ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定、I.C.J.Reports 2022 (1), p. 224,パラ 51)。

36.しかしながら、この段階において、当裁判所に求められていることは、南アフリカが保護されることを希望する権利が存在するかどうかについて最終的に決定することではない。当裁判所が求められているのは、南アフリカがその存在を主張し保護を求めている権利が一応確かに存在するかどうかを決定することだけである。さらに、保護を求めれている権利と請求されている仮保全措置との相関関係がなければならない(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定、I.C.J.Reports 2022 (1), p. 224,パラ 51)。

37.南アフリカが主張していることは、ガザのパレスチナ人の権利およびジェノサイド条約に基づくその固有の権利を保護することである。南アフリカの主張は、ガザ地区におけるパレスチナ人の権利が、ジェノサイド、ジェノサイドの未遂、ジェノサイドの直接かつ公然の扇動、ジェノサイドの共犯およびジェノサイドの共謀などの行為から保護されることに及ぶというものである。本件申立ては、ジェノサイド条約がある集団またはその一部の破壊を禁止していると主張し、ガザ地区のパレスチナ人が、「ある集団に属するがゆえに、ジェノサイド条約によって保護される」と述べている。南アフリカはまた、ジェノサイド条約の遵守を保証する権利があり、その権利の保護を求めるという主張もしている。南アフリカは、当該権利が、ジェノサイド条約の「可能な解釈に基づく」ものであるから、「少なくとも一応存在する」と主張している。

38.南アフリカは、当裁判所に提示した証拠が「ジェノサイドの行為の相応な程度の主張を正当とする行為および関連する故意の一連のパターンを議論の余地なく示すものである」と主張している。その主張によれば、とりわけ、ジェノサイドの故意をもって次の行為が実行されているとし、すなわち、殺害、重大な肉体および精神的な傷害を生じさせること、集団の全部もしくは一部の身体的な損傷を生じさせることを意図した生活状態を集団に課すこと、および集団内における出生を妨げる意図をもった措置を課す行為がこれである。南アフリカによれば、ジェノサイドの故意は、イスラエルの軍事攻撃を行うやり方、イスラエルのガザにおける行動の明白なパターンおよびガザ地区における軍事作戦行動に関するイスラエル将校が行った発言から判断して明白である。本件申立てはまた、「イスラエル政府がこのようなジェノサイドの扇動を断罪したり、防止したり、処罰したりすることを意図的に怠っていること自体が、ジェノサイド条約の重大な違反に当たる」と主張する。南アフリカが強調するのは、被申立人がハマースを破壊するという発言をしたことは、その意図にかかわらず、ガザにおけるパレスチナ住民の全部または一部に対するジェノサイドの故意を没却するものではないことである。

39.イスラエルの主張は、この仮保全措置の段階では、当裁判所はある事件において当事国が主張する権利が一応確かに存在することを証明しなければならず、「単に主張された権利が一応確かに存在すると宣言するだけでは不十分である」という点にある。被告によれば、当裁判所はまた、相当する文脈において事実の主張を考慮し、主張される権利の侵害の可能性の問題も含めて考慮しなければならないことになる。

40.イスラエルは、ガザにおける紛争のための適切な法的な枠組みは国際人道法の枠組みであって、ジェノサイド条約の枠組みではないと主張する。都市における戦闘では、民間人の死傷は軍事目標に対する適法な武力の行使から生じた意図せざる結果である可能性があり、ジェノサイド行為に当たらないと主張する。イスラエルは、南アフリカが根拠において事実を誤って表現していると思料して、作戦行動を取る場合にガザにおける人道的な活動を通じて被害や苦痛を軽減するように努めていることが、ジェノサイドの意図があるといういかなる主張をも退ける――少なくとも、これを否定する方向で作用する――と述べている。被申立人によれば、南アフリカが提示するイスラエル士官の発言は、「せいぜいのところ誤解を生む程度のもの」であって、「政府の政策に合致するもの」ではない。イスラエルはまた、「とりわけ、民間人に対する意図的な危害を呼びかけるいかなる発言も、……教唆罪を含む犯罪行為に当たる」ものであって、かつ、「現在のところ、いくつかのそのような案件は、イスラエルの法執行当局によって審査されている」という司法長官の最近の発言に留意するよう求めた。イスラエルの見解においては、ガザ地区におけるこれらの発言も行動パターンも、ジェノサイドの故意の「想定される推定」を生じさせるものではない。いずれにせよ、イスラエルは、仮保全措置の目的が両当事国の権利を保全することにあるから、当裁判所は本件において南アフリカおよびイスラエルのそれぞれの権利を考慮し、バランスを取らねばならないと主張する。被申立人は、2023年10月7日に発生した攻撃の結果として捉えられ拘束されている人質を含むイスラエルの市民を保護する責任を負っていることを強調している。したがって、イスラエルは、その自衛の権利が本状況のいかなる評価にとっても必至であると主張する。

41.当裁判所は、条約第1条に従って、その締約国はすべて、ジェノサイド犯罪を「防止し、かつ、処罰する」ことを取り組んできたことを想起する。第2条は次のとおり規定する。

「ジェノサイドとは、民族的、人種的、種族的または宗教的な集団を全部または一部破壊する意図をもって行われた次の行為のいずれをも意味する。
(a) 集団の構成員を殺すこと、
(b)集団の構成員に対して重大な身体的または精神的な危害を加えること、
(c)全部または一部に身体的破壊をもたらすことを意図した生活条件を集団に対して課すること、
(d)集団内における出生を妨げることを意図する措置を課すること、
(e) 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。」

42.ジェノサイド条約第3条に従い、次の行為もまた同条約によって禁止される:ジェノサイドの共謀(第3条(b))、ジェノサイドの直接かつ公然の扇動(第3条(c))、ジェノサイドの未遂(第3条(d))およびジェノサイドの共犯(第3条(e))。

43.ジェノサイド条約の規定は、民族的、種族的、人種的または宗教的な集団を第3条に列挙するジェノサイドまたはその他いかなる可罰的な行為から保護することを目的としている。当裁判所は、ジェノサイド条約の下において保護される集団の構成員の権利とこの条約の締約国に課される義務およびいかなる締約国の他の締約国によってこれらの義務を遵守することを求める権利との間には相関関係があると思料する(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ガンビア対ミャンマー)仮保全措置、2020年1月23日の決定、I.C.J.Reports 2020, p. 20,パラ 52)。

44.当裁判所は、行為がジェノサイド条約第2条に当たるためには、

「特定の集団のすくとなくとも相当な部分を破壊することを意図したものでなければならない。このことは、ジェノサイド犯罪の本質そのものによって必要とされる。というのも、この条約の目標かつ目的は、全体として、集団の意図的な破壊を防止することになるので、目標となる部分は、全体としてその集団に衝撃を与えるのに十分な程度に意味あるものでなければならない(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ボスニア・ヘルツェゴビナ対モンテネグロ)判決、I.C.J.Reports 2007(1), p. 126,パラ 198)。」

45.パレスチナ人は、はっきりとした「民族的、人種的、種族的または宗教的な集団」を構成するように思われ、したがってジェノサイド条約第2条の意味における保護される集団を構成するように思われる。当裁判所は、国際連合の情報源に従って、ガザ地区のパレスチナ住民が200万人を超えるものであることを認める。ガザ地区のパレスチナ人は、保護される集団の実質的な部分を構成する。

46.当裁判所は、2023年10月7日の襲撃に続いてイスラエルによって実行された軍事作戦行動が、大量の死傷者、並びにホームの大規模な破壊、住民の大多数の強制移住、民間施設の広範な損害をもたらしたことに注目する。ガザ地区に関する被害数を独立して検証することはできないが、最近の情報によれば、2万5700人のパレスチナ人が殺害され、6万3000人を超える人が負傷したと報道されており、36万の住居が破壊もしくは部分的に損壊され、ほぼ170万人が地域内で移住させられた(国連人道問題調整部(OCHA)、ガザ地区およびイスラエルにおける敵対行為――伝えられる衝撃、109日間(2024年1月24日)参照)。

47.当裁判所は、この点に関して、人道問題担当国連事務局次長兼緊急救助調整官マーティン・グリフィス氏による2024年1月5日になされた声明に留意する。

「ガザは死と絶望の場所となった。
……気温が急激に下がる中、複数の家族が露天で寝ている。民間人が安全のために移動するよう命じられた区域は、爆撃にさらされている。医療施設は容赦ない攻撃にさらされている。部分的に機能しているわずかばかりの病院も、外傷を受けた人々の対応に忙殺され、あらゆる物資が欠乏して危機的な状態にあり、安全を求めてやってきた死に物狂いの人々であふれかえっている。
公衆衛生の大惨事が広がっている。下水溝があふれかえっているので、超満員のシェルターの中では感染症が広がっている。このような混乱した最中でも、180人ほどのパレスチナ女性が毎日出産している。人びとは、これまで記録した中で最も高いレベルでの食糧危機に直面している。飢餓が差し迫っている。
とりわけ子どもたちにとって、これまでの12週間は衝撃的な経験であった。すなわち、食料はなく、水もなく、学校もなく、来る日も来る日も、恐ろしい戦争の足音だけしかない状態である。
ガザはまさに人が住めない状態にある。人びとは毎日、生存すらも脅かされる脅威に直面している。世界が見守っている中で。(OCHA「国連救援責任者:ガザでの戦争は終止すべきだ」マーティン・グリフィス氏による声明、人道問題担当国連事務局次長兼緊急救援調整官、2024年1月5日)」

48.ガザ北部への派遣の後、WHOは、2023年12月21日現在、次のように報告している。

「例を見ない数であるが、ガザにおける住民の93%が危機的なレベルでの飢餓に直面しており、食料が不足し、栄養不良が高いレベルで存在している。少なくとも4世帯に1世帯が『破滅的な状態』に直面しており、食料の極度の欠乏と飢えを経験しつつ、食べ物を得るためだけに身の回りのものを売却し、その他非常手段に頼らざるを得ない状態にある。明らかに飢餓、貧困、死がそこにある。」(WHO「飢えと疾病の致死的な組み合わせによってガザではさらに死者が増える状態になっている」2023年12月21日。また世界食糧計画「4人に1人が極度の飢餓状態にあってガザは崖っぷちにある」2023年12月20日も参照)。

49.当裁判所はさらに、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のフィリップ・ラザリーニ氏によって2024年1月13日に発せられた声明に留意する。

 「この荒廃をもたらしている壊滅的な戦争が始まってから100日になる。イスラエルの人々に対してハマースおよびその他の集団が実行した恐ろしい襲撃に続いて、この戦争はガザの人々を殺害し、移住させている。捕虜になった人々とその家族にとって、試練と不安の100日であった。
 これまでの100日間において、ガザ地区を縦断して休みなく続く爆撃は、住民の大量移住を引き起こし、その住民たちは、絶え間ない流れの中にあって、絶えず土地・建物を失わされ、夜通し退去を強制され、移動してもそこも安全ではないという状態にある。これは、1948年以来、パレスチナ住民の最も大規模な移住である。
 この戦争によって影響を受けた人は200万人を超える。つまりガザの全住民が影響を被っている。多くの人は、一生残る傷を、身体的にも精神的にも、負うことになる。その大部分の人たちは、子どもも含めて、深く傷ついている。
 UNRWAの超満員で不衛生なシェルターは、今や、140万人の人々の「ホーム」となっている。彼らは、あらゆるものが不足しており、食料から衛生やプライバシーに至るまでないものばかりである。人びとは非人間的な状態で生活しており、そこでは、子どもも含めて、病気がまん延している。彼らは、生活できない状態で生活しており、時計は急速に飢餓に向かって時を刻んでいる。
ガザにおける子どもの窮状は、とりわけ心が痛む。子どものあらゆる世代は、心に傷を負い、治癒するには何年もかかる状態にある。数千人の子どもが殺され、障害が残るほどの重傷を負い、孤児になった。数十万人の子どもが、教育を受けられないでいる。彼らの将来は危ういものであり、どこまでも続き、かつ、いつまでも続く悪い結果が予想される(「ガザ地区:死と破壊と移住の100日間」UNRWAフィリップ・ラザリーニ事務局長声明2024年1月13日)。」

50.UNRWAの事務局長はまた、ガザにおける危機は「人間性を奪う言葉によっていっそうひどくなっている」と述べている(「ガザ地区:死と破壊と移住の100日間」UNRWAフィリップ・ラザリーニ事務局長声明2024年1月13日)。

51.この点について、当裁判所は、イスラエルの高官らが発出した多数の声明に留意する。当裁判所はとりわけ、次の例に注意を喚起する。

52.2023年10月9日、イスラエルのヨアフ・ガラント国防大臣は、「ガザ市」の完全な包囲を命じたこと、またそこでは「電気もなくなり、食料もなくなり、燃料もなくなる」こと、並びに「すべてが封鎖(された)」ことを発表している。翌日、ガラント大臣は、ガザとの境界地帯にいるイスラエルの軍隊に向かって次のように述べた。

「私はあらゆる制限を解除した…。諸君は、我々が誰と戦っているのかを見た。我々は人間の顔をした動物と戦っているのである。これはガザのイスラム国である。これが、我々が戦っている相手である…。ガザは以前のような状態には戻ることはない。ハマースはなくなるであろう。我々はすべてせん滅するであろう。1日で成し遂げられないなら、1週間かかるであろうし、数週間あるいは数カ月かかるかもしれないが、我々はあらゆる場所に行くであろう。」
2023年10月12日、イスラエル大統領イツハク・ヘルツォグ氏は、ガザに触れて、次のように述べた。

「我々は国際法のルールに従って動いており、軍事作戦行動を行っている。一点の疑いもない。あそこにいる全民族こそが責任を負う。民間人は何も知らないとか、関わり合いがないというレトリックは真実ではない。これはまったく真実ではない。彼らは蜂起したのだ。彼らは、クーデタでガザを占拠した邪まな政権に立ち向かって戦うこともできたのだ。しかし、我々は戦争の最中にある。我々は戦争の最中にある。我々は戦争の最中にある。我々は我々の故国を防衛しているのだ。我々は我々のホームを防御しているのだ。これが真実だ。そして、民族がそのホームを保護するときは、民族は戦う。そして我々はやつらの背骨をへし折るまで戦う。」
2023年10月13日、イスラエルのエネルギーおよび社会基盤担当大臣(当時)であったイスラエル・カッツ氏は、X(以前のツイッター)で次のように述べた。

「我々はテロリスト組織ハマースと戦うことになり、これを破壊することになる。ガザにおけるあらゆる民間人は直ちに退去するよう命じる。我々は勝利するであろう。彼らは、この世から去るまで、一滴の水も一個の電池も受け取ることはないであろう。」

53.当裁判所はまた、37名の特別報告者、独立専門家、国際連合人権理事会作業部会のメンバーによる2023年11月16日の記者発表に留意し、そこにおいて「イスラエルの高官らが発した明白にジェノサイド的で人間性を否定する修辞発言」について警告を発していることを留意する。加えて、2023年10月27日、国際連合人種差別撤廃委員会は、「10月7日以降、パレスチナ人に対して向けられた人種的なヘイトスピーチや人間性を否定する発言が著しく増加していることに高い懸念を持つ」という意見を述べた。

54.当裁判所の見解において、上記の事実および事情は、南アフリカによって主張され、かつ、保護を求めている権利の少なくともいくつかが一応存在が推定されると結論付けるのに十分である。これは、ガザにおけるパレスチナ人のジェノサイドの行為および第3条に定める関連する禁止される行為から保護される権利に関する案件であり、この条約に基づくイスラエルの義務の遵守を求める南アフリカの権利に関する案件である。

55.当裁判所は今や、南アフリカによって主張されている一応存在が推定される権利と求められている仮保全措置との相関関係の要件について検討することにする。

56.南アフリカは、保護を求めている権利と南アフリカが請求している仮保全措置との間に相関関係が存在すると思料する。南アフリカは、とりわけ、ジェノサイド条約に基づくイスラエルの義務についてイスラエルが遵守することを確保するために、最初の6項目の仮保全措置を請求したのであり、最後の3項目は当裁判所における手続の完全性を保護し、その主張が公正に裁定される南アフリカの権利を保護することを目的とするものであると主張する。

57.イスラエルは、請求されている措置は、暫定的な根拠に基づいて権利を保護するのに必要とされるものを超えるものであると主張し、したがって保護を求めている権利との相関関係はないと主張する。被告は、とりわけ、南アフリカが求める第1条および第2条の措置(上記パラ11を参照)を認めることが、これらの措置が「ジェノサイド条約に基づく裁判権の行使の根拠となりえない権利の保護のためである」となるので、当裁判所の先例法を覆すものであると主張している。

58.当裁判所は、すでに(前記パラ54を見よ)、少なくともジェノサイド条約に基づいて南アフリカによって主張された権利のいくつかは一応存在が想定されると判断している。

59.当裁判所は、まさにその性質上、南アフリカが求めている仮保全措置のうち少なくともいくつかは、本件においてジェノサイド条約を根拠として南アフリカが主張する存在が推定される権利の保全を目的とするもの、すなわちガザにおいてパレスチナ人が第3条に規定するジェノサイドおよび関連する禁止された行為から保護される権利および条約に基づいたイスラエルの義務をイスラエルが履行することを遵守することを求める南アフリカの権利の保全を目的とするものである。それゆえ、南アフリカが主張する権利で、当裁判所が存在が推定されると判断した権利と請求された仮保全措置の少なくともいくつかとの間には相関関係がある。

V. 回復不能な損害のリスクと緊急性

60.当裁判所は、裁判所規程第41条に従って、裁判手続の主題である権利に対して回復不能な損害が生じうる場合またはそのような権利が軽視されていると主張され、その軽視によって回復不能な結果が生じる可能性がある場合において、仮保全措置を提示する権限を有する(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定、I.C.J.Reports 2022 (1), p. 226,パラ 65)。

61.しかしながら、当裁判所のこの仮保全措置を提示する権限が行使されるのは、当裁判所が最終的決定を下す前に、主張されている権利に対して回復不能な損害が生じる現実かつ差し迫ったリスクが存在するという意味において、緊急性が存在する場合に限られる。当裁判所が本件において最終決定を下す前に、回復不能な損害を生じさせる可能性がある行為が「いかなる時にも行われる」可能性が存在する場合に、緊急性の要件が充足される(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定、I.C.J.Reports 2022 (1), p. 227,パラ66)。当裁判所は、それゆえ、本件手続のこの段階において、そのようなリスクが存在するかどうかについて考慮しなければならない。

62.当裁判所が求められていることは、仮保全措置の提示を求める請求についてその決定をするために、ジェノサイド条約に基づく義務の違反が存在することを立証することではなく、条約に基づく権利の保護のために仮保全措置の提示を必要とする事情が存在するかどうかを決定することである。すでに指摘したように、当裁判所は、この段階において、事実の最終的な認定を行うことはできず(上記パラ30参照)、その功罪に関して各当事国が議論を提出する権利は、仮保全措置の提示に関する当裁判所の決定によって左右されることはない。

63.南アフリカは、ガザにおけるパレスチナ人の権利に対する回復不能な損害の明白なリスクが存在すると述べている。その主張するところは、人間の生命またはその他の基本権に対して重大なリスクが生じている場合には回復不能の損害という要件が充足されていると当裁判所が繰り返し認定しているという点にある。申立人に従えば、平均して一日に247人のパレスチナ人が殺害され、629人が傷害を負い、3900のパレスチナのホームが損壊または破壊されているのであって、この毎日の統計は緊急性と回復不能な損害の明白な証拠である。さらに、ガザ地区のパレスチナ人は、南アフリカの見解においては、

「イスラエルによって継続されている包囲、パレスチナ人の街の破壊、パレスチナ住民に通過することが許された不十分な支援および爆弾が投下される最中においてこの限られた援助を配給することができないことの結果として、飢餓、脱水症状および疾病による死の差し迫ったリスクの状態にある。」
申立人はさらに、ガザに向けた人道的救済のアクセスをイスラエルがいかに拡大したとしても、仮保全措置の請求に対する回答にはまったくならないと主張する。南アフリカはさらに付言して、「(イスラエルによる)ジェノサイド条約違反がチェックされないままでいるなら」、本件手続の功罪の段階についての証拠を収集し保全する機会は、まったく失われるわけではないとしても、深刻な程度において損なわれるであろうと述べている。

64.イスラエルは、本件において、回復不能な損害の現実かつ差し迫ったリスクが存在することを否認する。その主張するところによれば、ガザにおけるパレスチナ人の生存する権利を認知し、かつ、確保することに特別に目的とする具体的な措置はすでにとられており――継続してとられており――、ガザ地区全体を通して人道的支援の提供が促進されてきている。この点に関して、被申立人が認めるところでは、世界食糧計画WFPの援助によって、10余りのパン屋が1日に200万個以上のパンを製造する能力をもって最近において再開された。イスラエルはさらに、2つのパイプラインによってガザへ自分たち自身の水を提供し続けていると述べ、大量の瓶に詰められた水の配給が容易になったと言い、イスラエルが給水のインフラストラクチャーを修繕し広げていると言う。イスラエルはさらに、医療品や医療サービスへのアクセスが増加したと述べ、とりわけ、6つの野戦病院と2つの水上病院の設立を容易にし、さらにもう2つの病院が建設されつつあると述べた。またイスラエルは、医療チームのガザへの入域が容易になっており、病人や負傷者がラファの境界検問所を通じて退避されていると述べた。イスラエルによれば、テントや避寒用具も配給されており、燃料や調理用ガスの配達が容易になってきている。イスラエルはさらに、2024年1月7日の防衛大臣の声明によれば、敵対行動の範囲や強度は低下していると述べた。

65. 当裁判所は、1946年12月11日の国連総会決議96(I)において強調されているように、

「殺人が個としての人間の生きる権利の否定であるように、ジェノサイドは、人間集団全体の人の生存の権利の否定である。このような生存の権利の否定は、人類の良心を震撼させ、これらの人間の集団によって表現されている文化やその他の貢献の形での人間性に対する重大な喪失という結果を生み出し、かつ、それは道徳の法および国際連合の精神と目的に反するものである。」
当裁判所は、とりわけ、ジェノサイド条約が、「一方におけるその目的が一定の人間集団の正に生存を保護することにあり、かつ、他方におけるその目的が道徳の最も基本的な原理を確認し、裏書きすることにある」ので、「純粋に人道的かつ文明化する目的のために明らかに採択された」ことを認める(ジェノサイド条約に対する留保、勧告的意見、I.C.J.Reports 1951, p.23)。

66.ジェノサイド条約によって保護される根本的価値の点からみると、当裁判所は、本件においてもっともと思われる権利、すなわちガザ地区におけるパレスチナ人のジェノサイドの行為およびジェノサイド条約第3条に同定される関連する禁止される行為から保護される権利並びにこの条約に基づくイスラエルの義務をイスラエルが遵守することを求める南アフリカの権利が、これらの権利に対する侵害が回復不能な害悪を生じさせ得るような性質であると思料する(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ガンビア対ミャンマー)仮保全措置、2020年1月23日の決定、I.C.J.Reports 2020, p. 26,パラ70)。

67.継続している紛争の間において、国際連合の高官は、ガザ地区における状態の更なる悪化のリスクに対して繰り返し注意を喚起してきた。当裁判所は、たとえば、2023年12月6日付の書簡に留意し、その中で国際連合事務総長が次の情報について安全保障理事会の注意を喚起したことに留意する。すわなち、

「ガザにおける健康管理システムは破綻している…… ガザにおいて安全な場所はどこにもない。
イスラエル防衛軍による絶え間ない爆撃の最中において、しかも生き残るためのシェルターまたは必需品もなく、私は、絶望的な状態のゆえに公秩序が完全に破綻することを予期し、限られた人道的支援さえ不可能になっていると思う。さらに悪い状況が生じる可能性があり、これには、疫病および近隣諸国への大量移動に向けた圧力の増加という事態が含まれていた。
私たちは、人道的なシステムの崩壊の重大なリスクに直面している。状況は、急速に悪化しており、パレスチナ人全体にとって、またこの地域における平和と安全にとって、潜在的に不可逆的な意味を持った破局に向かっている。このような結果は、いかなる代価を払っても、避けなければならない(国連安全保障理事会,doc. S/2023/962, 2023年12月6日)。

68.2024年1月5日、国連事務総長は再び安全保障理事会に向けて書簡を書いて、ガザ地区における最新の情報を提供し、「悲しいことに、破滅的なレベルで死と破壊が継続している」と述べた(安全保障理事会議長に宛てた事務総長の2024年1月5日付の書簡、doc.S/2024/26, 2024年1月8日)。

69.当裁判所はまた、ガザにおける現在の紛争の開始以来4度目の訪問から帰ったUNRWA事務局長によって発出された2024年1月17日付の声明に留意する。すなわち、「私がガザを訪れるたび、私が目撃するのは、人びとがさらに絶望の淵に埋没し、毎時間を費やして毎日生存のための闘争の状態にあることである」(「ガザ地区:死と極度の疲労および絶望の最中における毎日の生存のための闘争」UNRWAフィリップ・ラザリーニ事務局長声明2024年1月17日)。

70.当裁判所は、ガザ地区における民間人が極度に脆弱な状態にあると思料している。当裁判所が想起するのは、2023年10月7日以降におけるイスラエルによる軍事作戦行動がもたらしたものが、とりわけ、数十万人に及ぶ死傷者と家庭、学校、医療施設およびその他の生存に必要不可欠な社会インフラの破壊であり、並びに大量な規模での移動・移住であるという点である(上記パラ46参照)。当裁判所が留意していることは、この軍事行動が継続していること、およびイスラエルの首相が2024年1月18日にこの戦争が「もっと長く数カ月かかるであろう」と発言したことである。現在、ガザ地区における多くのパレスチナ人は、最も基本的な食料、飲料水、電気、必要不可欠な医薬品または暖房へのアクセスがない。

71.世界保健機構WHOは、ガザ地区において出産した女性のうち15%が合併症を起こしていると推計しており、母体および新生児の死亡率が医療ケアにアクセスすることができないことによって増加することが見込まれていると指摘している。

72.これらの状況において、当裁判所は、ガザ地区における破局的な人道的状況が、当裁判所が最終判決を下す前に、さらに悪化することの重大なリスクにあると思料する。

73.当裁判所は、イスラエルがガザ地区における住民が直面する状況に向けて、これを軽減するいくらかの措置を執ったというイスラエルの声明があることを想起する。当裁判所はさらに、イスラエルの法務長官による最近の、民間人に対する意図的な害悪を呼びかけるのは、扇動の罪を含む犯罪に当たる可能性があり、このような事件のいくつかはイスラエル法執行機関によって吟味されているという声明に注意を払う。これらのような手段が奨励されるべきである一方で、これらは、当裁判所が本件において最終判決を下す前に回復不能な損害が生じるリスクを取り除くには不十分である。

74.以上述べた考察に照らして、当裁判所は、当裁判所が最終判決を下す前に、存在することが推定されると当裁判所が認定した権利に対する回復不能な損害が生じる実体的かつ差し迫ったリスクがあるという意味において、緊急性があると判断する。

VI. 結論および採択すべき措置

75.前述の検討に基づき当裁判所は裁判所規程が仮保全措置の提示に要請する条件は満たされたと判断した。従って、最終判断の決定前に、南アフリカが指摘し存在することが推定されると当裁判所が認定した権利を保護するために当裁判所は特定の仮保全措置を提示する必然性がある(上記パラ54を参照)。

76.裁判所規程に基づき、仮保全措置の要請がなされたとき当裁判所が全部または一部に要請とは異なる措置を提示する権限をもつことを当裁判所は想起する。裁判所規則の第75条第2項は当裁判所のこの権限を特段に明示するものである。当裁判所はこれまでにもこの権限を複数の事件において行使してきた(例えばジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ガンビア対ミャンマー)仮保全措置、2020年1月23日の決定、I.C.J.Reports 2020, 28ページ、パラ77を参照)。

77.本申立においては、南アフリカが請求した仮保全措置の内容および本件の状況を考慮し、当裁判所は提示することとなる仮保全措置は請求されたそれらと同一である必要はないと判断した。

78.
当裁判所は、上記の状況に鑑み、イスラエルはジェノサイド条約の示す義務に従い、ガザ地区のパレスチナ人に関して、条約第2条の特に、
(a) 集団構成員を殺すこと、
(b)集団構成員に対して重大な身体的または精神的な危害を加えること、
(c)全部または一部に身体的破壊をもたらすことを意図する生活条件を集団に対して故意に課すること、
および
(d)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること、
の各号で規定するすべての行為を防止するすべての措置を講ずるべきであると思料する。当裁判所は、これらの行為が当該集団の全部または一部を破壊する意図から発した場合は条約第2条の規定範囲に含まれることを想起する(上記パラ44を参照)。当裁判所はさらに、イスラエル各軍がここに示したいかなる行為をも行わないことをイスラエルは直ちに措置するべきであると思料する。

79.当裁判所はまた、ガザ地区のパレスチナ人の集団構成員に関して直接的かつ公然のジェノサイド扇動行為を防止しまた処罰するためイスラエルがその権限内であらゆる措置を講じるべきであるとの見解を有する。

80.当裁判所はさらに、イスラエルはガザ地区のパレスチナ人が置かれている不利益な生活条件に対処するため緊急の必要性をもつ基本的サービスおよび人道支援の到達を可能とする迅速かつ有効な措置を講じるべきであると思料する。

81.イスラエルは、ガザ地区のパレスチナ人集団に向けられているジェノサイド条約第2条および第3条で規定された行為の疑いに関する証拠の破壊防止と保全確保をなす有効な措置を講じなければならない。

82.当裁判所による決定の実効性を担保するためにイスラエルが講じたすべての措置について当裁判所へ報告を提出するとの南アフリカによる仮保全措置請求に関して、当裁判所は、裁判所規則第78条によって、裁判所が提示したあらゆる仮保全措置の履行に関連する一切の事項について当事者から情報を求める権限を有していることを想起する。当裁判所が提示を決定した本件仮保全措置について、当裁判所は、決定の実効性を担保するためイスラエルは講じたすべての措置について発令日から1か月以内に報告を提出するべきであると思料する。かかる報告は南アフリカへ通知され、よって南アフリカは当裁判所へかかる報告への意見を提出する機会が与えられる。

83.当裁判所は裁判所規定第41条による仮保全措置決定は拘束力があること、したがって仮保全措置の対象となるいかなる当事者も服するべき国際法上の義務が生じることを想起する(ジェノサイド条約に基づくジェノサイドの申立て(ウクライナ対ロシア連邦)仮保全措置、2022年3月16日の決定、I.C.J.Reports 2022 (I), 230ページ, パラ84)。

84.当裁判所は、本手続での決定事項が本案における当裁判所の管轄権に関するいかなる疑義についても予断するものでなく、また本申立ての有効性あるいは本案についての疑義についても予断するものでないことを再確認する。それら疑義について南アフリカ共和国政府の、およびイスラエル国政府の、主張を陳述する権利は影響されない。

85.当裁判所は、ガザ地区における衝突に関与するすべての当事者は国際人道法に拘束されることを強調しておく必要があると見なしている。当裁判所は、2023年10月7日の対イスラエル攻撃の際に拉致されそれ以後ハマースおよび他の集団らによって拘束されている人質らの命運に重大な懸念を持ち、人質らを直ちに無条件で解放することを要請する。

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【羽田空港衝突事故 第5弾】国交官僚の人生から透けて見える新自由主義的交通行政の半世紀/安全問題研究会

2024-02-18 16:42:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 元日を襲った能登半島地震とともに全国の正月気分を引き裂いた「1・2羽田事故」。安全問題研究会は、過去4回にわたって本欄で報じてきた。今回は、前回報じた、空港施設の幹部人事に介入した元国交省官僚の姿を通して、過去半世紀間続いてきた交通行政の本質を読み解く。なぜなら彼の人生にこそ、旧運輸省から国土交通省に変わっても連綿と続いてきた「新自由主義的国交行政」が凝縮されていると考えるからだ。(以下、役職はすべて当時)


<写真=JR新会社へのメッセージを運ぶ「旅立ちJR北海道号」「同東日本号」の出発式で、メッセンジャーを前にメッセージを読み上げる杉浦喬也国鉄総裁(中央)=上野駅で(毎日新聞より)>

<シリーズ過去記事>
第1回「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)

第2回「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)

第3回「過密化の裏にある「羽田新ルート」問題を追う」(1月29日付け)

第4回「羽田新ルートを強行した「黒幕」と国交省、JAL、ANAの果てしない腐敗」(2月6日付け)

 ●国鉄分割民営化にも大きく関与

 空港施設に「別の有力国交省OBの名代」を名乗って乗り込み、乗田俊明社長に面会してまでポストを要求した本田勝・元国交省事務次官は1953年生まれ。76年、東大法学部卒業後、旧運輸省に入る。大臣官房文書課で運輸省が国会提出する法案などを担当後、1985年2月、大臣官房国有鉄道部財政課国有鉄道再建実施対策準備室に配属される。85年4月、準備室が正式に対策室(国鉄再建実施対策室)となるのに合わせ、本田氏は補佐官に就任した。

 当時の運輸省は、鉄道監督局に国有鉄道部(国鉄部)が置かれていた。1984年から国鉄部は大臣官房に移されるが、それは国鉄「再建」を求める首相官邸の意向に国鉄部を従属させることを目的とするものだった(国鉄以外は鉄道監督局がその後も担当。後に鉄道監督局は鉄道局となる)。

 国鉄分割民営化を答申した「第2臨調」基本答申原案では、総理府(現在の内閣府に相当)に国鉄再建監理委員会を置くこと、再建監理委を国家行政組織法第3条に基づき、強い独立性を持つ「3条委員会」とすることを求めていた。3条委員会は、当時としては公正取引委員会、中央労働委員会、公安審査委員会(公安調査庁の求めに応じて団体への破防法適用を審査する)などわずかな実例しかなかった。当時の運輸省大臣官房国鉄部はこれに強く抵抗したが、結局、1983年に再建監理委は当初の構想通り発足していた。

 こんなエピソードがある。角田達郎大臣官房長、吉田耕三鉄道監督局財政課長の2人が橋本龍太郎運輸相を尋ね、「(再建監理委を)3条機関とすることは運輸省国鉄部を解体し、消滅させるに等しい。それだけはやめてほしい」として国会行政組織法第8条に基づく「諮問委員会」とするよう求めたという。橋本運輸相が「国鉄改革に後ろ向きだからこういうことになるのだ」と言うと、角田官房長は「これからは心を入れ替えて全力で取り組みます。その証に私自身が出向します」と答え、林淳司国鉄部長とともにみずから再建監理委へ出向した(「国鉄改革の真実」葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)。

 一方、本田氏は再建監理委には異動せず、運輸省側で国鉄分割民営化を推進。JRグループ各社が発足した1987年4月には大臣官房国有鉄道改革推進部監理課補佐官となる。国有鉄道再建実施対策室補佐官からの肩書きの変遷からわかるように、本田氏の役割は「発足直後のJRグループを軌道に乗せること」に変わった。

 再建監理委に出向した角田、林両氏と本田氏との関係がどのようなものであったかに関する資料は得られなかった。だが、双方が気脈を通じながら、車の両輪として動かなければ分割民営化はあり得なかっただろう。「官邸」側で動いたのが角田、林両氏、運輸省側で国鉄部解体に抵抗する「守旧派」を抑え込むのが本田氏。そのような役割分担だったというのが当研究会の見立てである。角田氏はその後JR西日本の初代社長となった(実権を握っていたのは井手正敬副社長だった)。

 JR北海道の経営が厳しさを増していた2016年11月12日、事務次官を退任していた本田氏は「日本経済新聞電子版」でこう語っている。「(JR北海道は)『国策会社だ』と誤解しないでほしい。この誤解は国鉄を破綻(はたん)させた要因の一つだ。なるべく早く株主を全員民間にし、規律ある経営をする。それが自分たちの任務だという意識を経営者と社員に持ってもらいたい」。ここに至っても分割民営化は正しいという主張だった。

 JR北海道が「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表したのは、わずかその6日後(2016年11月18日)のことだ。このとき「バス転換すべき5線区」(赤路線)に指定された根室本線・富良野~新得間がこの3月限りで廃止となる。この区間は、1981年に石勝線(南千歳~新得)が全通するまでは、札幌と釧路・根室をむすぶ大動脈として特急列車や貨物列車が頻繁に往来した重要区間だ。2016年の大雨災害で東鹿越~新得間が流出し、復旧さえ行われないままだった。赤字が最も酷い区間だからという理由で、つながっている路線の途中区間を災害から復旧もさせず、わざわざ断ち切る。世界鉄道史に残る愚策であることは指摘するまでもなかろう。

 ●航空部門の要職へ

 1987年10月、本田氏は航空局監理部航空事業課補佐官となる。国鉄改革推進部監理課補佐官の肩書きはわずか半年だったが、ここは国鉄部財政課国鉄再建実施対策準備室から部署名が変わっただけで事実上連続した組織なので、国鉄分割民営化関連業務を2年半担当したことになる。この2年半は国労の分裂と少数派への転落、国鉄改革関連8法案の成立(1986年11月)から新会社発足、採用差別事件の発生という最も重大な時期と重なる。本田氏が運輸省側の担当者として責任の一端を負っていることは言うまでもない。

 初めて航空部門に配属された本田氏は、1989年6月、いったん国会提出法案を担当する大臣官房文書課に戻るが、1994年に再び航空局に配属。航空事業課長を務める。この間、旧建設省と統合し、国土交通省に名称を変えた新組織で、航空局飛行場部長、航空局次長などの要職を歴任し、2009年7月に鉄道局長、2010年8月には航空局長を務めた。本連載第3回でお伝えしたとおり、国交省所管の財団法人「運輸政策研究機構」研究者らが羽田新ルート原案を公表したのもこの時期(2009年)のことだが、本田氏を初め省内の誰もこの案が実現可能とは信じていなかった。2014年に新ルートが「官邸案件」となった結果、強引な新ルート推進が始まるが、これと時期を同じくして2014年7月に国土交通省の事務方トップ・事務次官に就いたのが本田氏であったこともすでに明らかにしている。

 ●東京メトロの完全民営化にも

 事務次官を最後に国交省を退官した本田氏は、いったん損害保険会社顧問などを務める(前述のJR北海道をめぐる発言はこの時期のこと)。2019年、事務次官経験者の天下り先としてはJAL、ANAの役員と並んで最上級ポストである東京メトロ会長に就いた。東京メトロの株式は民営化後も国が53・4%、都が46.6%を持つ。国は東京メトロの早期完全民営化を図るため、株式売却を目指してきたが、なかなか進まなかった。

 その背景には、旧営団地下鉄時代から、東京都営地下鉄との一元化を目指したい都の思惑があった。旧営団が持つ路線は、丸ノ内線のように戦前から民間地下鉄会社の手によって建設開業した古い路線を買収したものもある。古くから開発が始まった路線ほど都心に近いため営業成績が良い一方、戦後になって計画が具体化した都営地下鉄の多くは現在も赤字である。東京都民ならずとも、旧営団(現メトロ)と都営の両方に乗車したことがある人なら、その混雑度に歴然とした差があることは「肌感覚」で理解できるだろう。ほとんどの路線が赤字である東京都は、黒字基調であるメトロとの一元化が完全民営化すると不可能になると考え、株式売却に抵抗してきた。

 当初計画では、株式売却期限は2022年度と定められていたが、国と都の交渉が難航して頓挫した。2020年には、売却期限を当初計画から5年先延ばしすることが決まっていた。だが2021年になって事態は動く。東京メトロに対する国・都の関与を残しつつ、売却益を有効活用するため、国・都が保有する株式のうち当面は半分の売却を適当とする国交省審議会の答申を受け、財務省が売却の方針を決めたのだ。2019年に就任した本田会長時代の出来事である。

 2023年6月、本田氏は任期満了に伴い東京メトロ会長を退任する。空港施設への人事介入問題の発覚がなければ続投の意思もあったようだが、かなわなかった。空港施設の株主総会で乗田社長の再任人事がJAL、ANAHDの大手航空2社の造反により否決されたのも6月のことで、ほぼ同時期だった。

 ●新自由主義的交通行政の「象徴」

 ここまで、本田氏の軌跡を旧運輸省入省時に遡って見てきた。その官僚人生の前半は国鉄分割民営化、後半は航空自由化・羽田新ルートの強行とともにあった。退官後は東京メトロ会長としてその完全民営化へ道筋をつけた。いわば、陸と空のあらゆる公共交通、公共財であるはずの鉄道と航空機、すべてを市場原理の下に売り飛ばしてきた官僚人生だった。彼の官僚人生の中間点で、運輸省は建設省と統合し国土交通省となったが、旧運輸省から引き継いだ新自由主義的交通行政のすべてを体現した存在だったと指摘しても決して過言でないだろう。

 本田氏が進めてきた「ニセ改革」によって、いま日本の公共交通は瀕死の状況に追い込まれている。廃止が相次ぐ北海道のローカル線やトラック・バス輸送などはすでに瀕死の状態にある。本田氏、そしてその官僚人生が「象徴的に体現」してきた国土交通省はこの事態に対しどう責任をとるのか。もし国交省が当連載に対し弁明する気があるなら、いつでも当研究会に連絡してきてほしい。

   ◇   ◇   ◇

 1月2日に起きた羽田空港での衝撃的衝突事故から5回にわたってお送りしてきた当連載は、いよいよ次回で最終回となる。今回の事故直後から、有識者や国土交通労働組合の声明などで何度も指摘された事故調査のあり方を問う。警察の捜査が運輸安全委員会の事故調査に優先する現状とその改善策を示して、本連載を終えたい。

<参考文献・記事>

「東京メトロ・本田会長が退任へ 人事介入問題の元国土交通事務次官」(2023年5月23日付け「朝日新聞」) 

「ピラミッドを上り詰め、東京メトロに 人事介入した元次官が歩んだ道」(2023年7月8日付け「朝日新聞」)

・「国鉄改革の真実」(葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)

・「帝都高速度交通営団の経営形態について」(佐藤信之、月刊「鉄道ジャーナル」2000年1月号)

(取材・文責:黒鉄好/安全問題研究会)

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【転載記事】東電刑事裁判高裁判決は次の原発事故を準備する危険な判決だ 海渡雄一弁護士インタビュー

2024-02-16 19:09:47 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
東電刑事裁判における1審、2審判決、そして2022年6月17日の原発賠償関係4訴訟の最高裁判決。いずれも不当判決だったが、そのすべてに関わっている海渡雄一弁護士のインタビュー記事が、「週刊読書人」2月2日号に掲載された。ただ、全文は紙面には載っておらず、WEB版のみとなる。無料記事なので全文を以下、ご紹介する。

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東電刑事裁判高裁判決は次の原発事故を準備する危険な判決だ 海渡雄一・大河陽子編『東電刑事裁判——問われない責任と原発回帰』をめぐって 海渡雄一弁護士インタビュー

 二〇二三年一〇月、海渡雄一・大河陽子両弁護士が『東電刑事裁判——問われない責任と原発回帰』(彩流社)を上梓した。本書刊行を機に、二〇二三年一月一八日に出された、東電旧経営陣三人を無罪とした東電刑事裁判高裁判決の問題点について、また今後開かれる最高裁判所での審理について、海渡氏にお話を伺った。聞き手は筑波大学准教授の佐藤嘉幸氏にお願いした(編集部)

「現実的な可能性」とは

 佐藤 『東電刑事裁判』、そして高裁判決(判決要旨)を一読して大変不思議に思ったことがあります。判決は、地震調査推進本部(以下「推本」と略)が発表した長期評価や、東電がそれを元に試算した数値について、「発電所の一〇メートル盤を超える津波の襲来について現実的な可能性を認識させるような数値であったとは認められない」として、東電旧経営陣三人を無罪としています。この「現実的な可能性」という言葉についてどう考えればいいのか。長期評価にある「三〇年以内に二〇%」という津波地震襲来可能性は、十分に「現実的な可能性」を示すものではないか。なぜ判決がこのような言葉を使っているのか、理解に苦しみます。

 海渡 そこは一番難しいところなので、読者のために、前提となる話から申し上げます。今紹介してくださったように、判決は、長期評価や東電が試算した数値に関して、「一〇メートル盤を超える津波の襲来についての現実的な可能性を認識させるようなものではない」、だから、それに対する対策は「必要なかった」と言っています。明日にも津波が発生するという科学的な知見がなければ、対策をしなくてもいい、裁判所は、そういう考えに立っていると思われます。ならば、これからの原発事故は一切防げなくなります。今まで政府および電力会社は、一万年に一度起きるかもしれない災害にも備えておくことが求められると説明していました。それ故、万が一にも、原発には重大な事故は起きないと住民に説明してきたのです。その考え方が、判決ではまったく変わってしまっている。ここが大事な部分です。

 元々、原発がどういう科学的知見に対応しなければいけないか。これについては、ちゃんとした指針があります。二〇〇六年に作られた新しい「耐震設計審査指針」に、はっきり書かれている。「施設の供用期間中に極めて稀ではあるが発生する可能性があると想定することが可能な津波」にも備える必要がある、と。東北地震に伴う津波が、これに当たることは明らかです。推本の長期評価は、たとえ津波が起きたとしても、事故にならないよう対策をしなさいと言っている。そう政府が命じているんですね。にもかかわらず、判決はこれとは違う概念を立てている。津波が襲来する「現実的な可能性」が必要だと言っているわけです。

 自然現象、特に地震や津波は、いつどこで起きるかわかりません。たとえば東海地震にしても、「間もなく起きる」と言われてから五〇年ぐらい経ちますが、今のところ起きていない。だからと言って、その予測がはずれたとは言えない。可能性が高まっていると見るのが、科学的な知見だと思います。今回問題となっている福島沖の津波も、三〇年以内に二〇%の確率で襲来の可能性があると、はっきり言われていたわけです。それに対して「現実的な可能性」ではないと言っている。およそ考えがたい判決です。

 実を言うと、三陸沖北部から房総沖の日本海溝沿いで、マグニチュード八クラスの津波地震が起きるとの長期評価が、二〇〇二年七月に推本から出されていました。実際この地域には、大きな地震が四〇〇年の間に三回起きています。古い順に、慶長三陸地震(一六一一年)、延宝房総沖地震(一六七七年)、明治三陸地震(一八九六年)です。確かに福島県沖合の部分だけ、地震は起こっていないんですが、プレートは常に動いていますから、福島沖だけ起きないということは考えにくい。何よりも、この地域に、大きな地震が四〇〇年に三回起きていることが重要なんですね。

 アメリカの地震学会の会長を務められた、金森博雄カリフォルニア工科大学名誉教授が、二〇〇四年のスマトラ地震の後、二〇〇六年に、講演でこんな指摘をしています。「福島あたりはカップリングが固着している〔プレートとプレートが固着していること。これがずれることにより地震が生じる〕。にもかかわらず一四〇〇年間大きな地震がない。スマトラ地震に匹敵するような地震が起こる可能性はあるし、ゆっくりここで貯まっている歪みが解放される可能性もある。福島県沖の海溝寄りで津波地震が発生する可能性はある」。二〇〇六年の段階で、福島沖の津波地震は「現実的な可能性がある」と予測されていたと考えていいと思います。刑事裁判では、僕らはそこまで立証しています。だから、さらに「現実的な可能性」を今更要求すること自体がおかしいんですね。

隠蔽された“原案”

 海度 もう一つ重要なことがあります。推本で長期評価部会長を務めた島崎邦彦さんの『3.11大津波の対策を邪魔した男たち』(青志社、二〇二三年)に、驚くべきことが書いてあるんです。三・一一の大津波のほぼ一ヵ月前に、長期評価の第二版を決めるための会議が行われています。そこに示された原案は、二〇一一年一月二六日に提出された「長期評価」第二版案で、次のように書かれている。「巨大津波による津波堆積物が約四五〇年~八〇〇年程度の間隔で堆積しており、そのうちの一つが八六九年の地震(貞観地震)によるものとして確認された。貞観地震以後の津波堆積物も発見されており、西暦一五〇〇年頃と推定される津波堆積物が貞観地震のものと同様に広い範囲で分布していることが確認された。したがって、貞観地震以外の震源域は不明であるものの、八六九年貞観地震から現在まで一〇〇〇年以上、西暦一五〇〇年頃から現在まで五〇〇年を経ており、巨大津波を伴う地震がいつ発生してもおかしくない」。長期評価とはレベルが違う、すさまじい危険性があることが指摘されている。これが二〇一一年三月九日に公表される予定だった。しかし電力会社と推本の事務局が、島崎さんに圧力をかけて発表させなかった。それだけではなく、このような長期評価原案そのものの存在まで隠蔽してしまった。

 そうした前提をまずは知っていただいた上で、佐藤さんの質問にお答えします。津波襲来の「現実的な可能性」があることは、少なくとも二〇一一年の段階では政府の見解になっていた。だから、繰り返しになりますが、「現実的な可能性」を求めること自身がナンセンスである。そして二〇〇二年の長期評価でも、津波への対策を取ることは当然必要とされていた。それ故、高裁の判決は、非常におかしいものになっている。つまり長期評価は「国として一線の専門家が議論して定めたものであり、見過ごすことのできない重みがある」と高裁判決にもしっかり書いてあるんです。ならば、それに基づく対策をするのは当然です。それなのに、長期評価には「現実的な可能性」がないと言っている。なおかつ二〇一一年三月九日には、巨大地震を伴う地震がいつ発生してもおかしくはないという意見が出されるはずだったのであり、危険度がグレードアップしている。高裁は、それに対する東電と国の責務を否定してしまった。いかに罪深いかがわかります。逆に言うと、こういう司法の判断を見過ごしてしまえば、今後いかなる地震・津波が起きたとしても、「予知できなかった」として、何もしなくてよいことになってしまう。必要な事故対策をしないことを免罪し、次の原発事故を準備する危険な論理になっているということです。

 佐藤 判決が、東電旧経営陣三人を最初から無罪とするために、こうした奇妙な論理を出しているとしか思えないですね。

 海渡 「現実的な可能性」という論理自体、法的にどこから出てきたものかがわかりません。原発が対策を取らなければならない災害・事故は極めて稀ではある。けれども、たとえば発生する可能性のある津波には対策をしなさいと、国が定めた指針にきちんと書いてある。それに従う義務が事業者にはあります。そのことを完全に忘れている。驚くべき判決としか言いようがないということです。
地震の予測については、地震学者の纐纈一起教授が、雑誌『科学』(二〇一二年六月号)で、非常に的確な言葉で語っています。「地震という自然現象は本質的に複雑系の問題で、理論的に完全な予測をすることは原理的に不可能なところがあります。また、実験ができないので、過去の事象に学ぶしかない。ところが地震は低頻度の現象で、学ぶべき過去のデータが少ない。私はこれらを三重苦と言っていますが、そのために地震の科学は十分な予測の力はなかったと思いますし、東北地方大地震ではまさにこの科学の限界が現れてしまった」。

 彼は国の原子力規制の現場にいた人ですが、事故を防げなかったことを深く悔やんで、正直にいろんなことを語ってくれるようになりました。

 伊方原発訴訟(伊方発電所原子炉設置許可処分取消を求める訴訟)の最高裁判決は、深刻な災害が「万が一にも起こらないようにする」ことを求めました。原子力安全委員会も、一〇万年に一度の可能性があれば対策を講ずることを求めていた。二〇〇六年の耐震設計審査指針で、「極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波」への対応が求められていたわけです。東電刑事裁判の上告趣意書はこれらの点を重視しています。

 最高裁の第二小法廷には、四人の裁判官がいます。戸倉三郎最高裁長官を除いて、菅野博之、三浦守、草野耕一、岡村和美の四人の判事が、原発賠償事件四件を担当していて、二〇二二年六月一七日の国家賠償訴訟最高裁判決では菅野、草野、岡村の三人が国の責任を否定する多数意見を構成しました。他方、前大阪高検検事長の三浦守判事は「国に責任がある」と反対意見を述べた。この判決文は一読して非常に違和感があるんです。どういうことか。多数意見の方が極めて簡略で、論理的に粗雑なんです。まともな法律家が書いたとは思えない判決になっている。それに比較して三浦少数意見は、事実の認定も適用法令もきっちり整理した上で、判決の体裁として完璧なものなのです。裁判官個人が自分の意見を述べたという通常の少数意見の体裁にはなっていない。しかも、全体の大半のページが三浦意見で構成されている。この判決は、多数意見も少数意見も非常に異例なものだったといえます。

事実認定を曲げた最高裁

 海度 実はこの最高裁判決は、多数意見で、原判決が適法に確定していた事実認定から逸脱してしまっているという問題点もあります。これについては、民事訴訟法学者の長島浩一さんが、最高裁が事実認定を曲げてしまっていると強く批判した長い論文を書かれています。防潮堤等の設置を対策の基本として多重防護を否定した誤り、明治三陸計算結果についての認識の誤り、東側の防潮堤の要否を曖昧にした誤りがあるということです。重要なのは、この酷い多数意見ですら、長期評価の信頼性を前提にしているということです。東京電力が計算した一五・七メートルの津波計算は合理的なものであり、これに対して対策する必要があったと言っている。東京高裁の刑事判決も最高裁の多数意見も、一見してどちらも酷いと皆さん思われるでしょうけれど、中身が全然違うのです。最高裁の多数意見は、長期評価の信頼性を否定できなかった。そこがすごく大事な点です。だから、津波が大き過ぎて、どんな対策をしていたとしても無駄だと、そういう理屈になってしまっている。

 では、三浦さんが書いた意見はどんなものだったのか。長期評価の信頼性を非常に詳細に論じた上で正確に認めています。また国側は、南東側からの津波を想定していて、その計算に基づいて、そちらにだけ防潮堤を作る方向で考えていた。しかし、津波は東側からも遡上する可能性を想定することは当然であるとした。そして防潮堤以外にも水密化等の多重的防護が必要であって、それをやった例もあることを認定してくれています。そうやって三浦さんは、多数意見を痛烈に批判した。この判断は、実は二〇二二年七月一三日に出た株主代表訴訟の朝倉判決と全く同じなんです。三浦意見と朝倉判決は相似形と言ってもいい。そして、私は、それが正しい司法の判断であるべきだと思っています。

 佐藤 「現実的な可能性」という概念は非常に奇妙で、長期評価が「三〇年以内に二〇%」という津波地震襲来可能性を予測していたにもかかわらず、判決はそれを「現実的な可能性がない」としている。原発防護上は異様に高い数値であるのに、その事実自体を否認しています。「三〇年以内に二〇%」というのは、「一五〇年以内に一〇〇%」起こるという意味である、と島崎さんはおっしゃっていました。まさに現実的な可能性です。

 海渡 長期評価には非常に重みがあることを高裁判決は認めた。しかし、それが予測した事象に原発が対応しなくていいと、判決は述べている。大災害の確率が一〇万年に一度でも対応するというのが、IAEAでも定められている原子力の約束事です。

 佐藤 IAEAの指針に照らしても、推本の長期評価に照らしても、さらには二〇〇六年の耐震設計審査指針に照らしてもおかしい。あらゆる意味で、非常にねじ曲がった判決です。

 海渡 それに関わることですが、二〇〇八年六月一〇日に、東電の現場の土木調査グループのメンバーが資料を作って、武藤栄氏(当時:常務取締役原子力・立地本部副本部長)に見せた。そこに何が書かれていたのか。「基準地震動Ssの策定過程に伴う不確かさについては、適正な手法を用いて考慮する」。そして「東通申請書では推本の知見(三陸沖北部から房総沖の領域内でどこでも発生)を参照し、三陸沖に地震を想定している」。地震の想定については、東京電力自身が、推本の長期評価を取り入れているということです。それなのに、津波については取り入れなくていいという理由はあり得ない。あるいは東北大の今村教授も、この時点では「福島沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できず、波源として考慮するべきである」との見解を出している。そういう意見もあって、他の会社はきちんと対応しようとしています。日本原電の東海では防潮壁の設置、建屋扉の水密性等の対策を検討中だった。再処理工場JAEA東海でも、重要施設への浸水防止対策を、同じく検討中だった。土木調査グループがそうした資料を見せながら、「うちも当然やらなければなりません」と進言する。それに対して武藤さんが、「金のことはなんとかするから、やってくれ」と言えばよかっただけの話なんです。けれども、東電上層部は土木学会にさらなる調査を依頼し、調査の間は何もしなくてよいとした。だから、この時点で何も対策しないことにしたのは正しかった。これが今回の東京高裁の判決ということになります。

先送りされた対策

 佐藤 この間の経緯をまとめると、東京電力の土木調査グループは、一五・七メートルの津波予測に基づいて対策しなければいけないと、既に経営陣に提案していたわけですね。しかし、それ以前には、七メートル強という津波予測もありました。

 海渡 そこも少し細かく説明します。東電内で二〇〇八年二月一六日、いわゆる「御前会議」が開かれました。この時点では、東電設計の概略計算だけが出ています。それによると、津波予測は「七・七メートル+α」だった。その数字は詳細に計算していけば当然上がって、一・五倍ぐらいの一〇メートルを超えることは、現場の人は分かっていました。しかし「+α」の部分がどれぐらいになるかまで深く説明をしなかった。ここでは「七・七メートル」の津波について対策を取ることだけが決められている。その後、詳細計算が上がってくると、「一五・七メートル」になっていた。それで東電の幹部連中はみんな仰天した。つまり七・七メートルの対策工事であれば数十億円で済む。ところが一五・七メートルに対応しようとすれば、二〇〇~三〇〇億円はかかります。言葉は悪いけれど、それを東電幹部はけちった。柏崎原発が止まっている中で、津波対策の工事を始めれば、しばらく原発を止めなければならないかもしれない。その間、電気を売ることもできない。そうしたことを考慮して、対策工事をやめてしまったんだと思います。

 佐藤 要するに、東電としては津波高も予測していたし、対策についても現場側が提示していたにもかかわらず、経営陣がコストを考えてそれを実現しなかった。

 海渡 先送りしたんですね。対策を講じなくて済むとは思っていなかったでしょうけれども、柏崎原発が止まっている状況で福島も止めるのは、どうしても避けたいと思ったのでしょう。

 佐藤 そうした構図が真実だったと思います。しかし判決はそのことにフォーカスせず、「現実的な可能性」という奇妙な概念を持ってきて、問題をすり替えてしまったということですね。

 海渡 そうです。ただ、重要なのは、刑事裁判の地裁と高裁判決が、推本の長期評価の信頼性そのものを否定してしまっているということです。民事で出ている高裁判決の四つのうち三つまでは、長期評価の信頼性を肯定している。最高裁の多数意見ですら、少なくとも長期評価の信頼性は否定できなかった。けれども、奇妙なことに、実際に起きた津波が大きすぎたので、どんな対策を取っていても成功せず、事故は回避できなかっただろうという論理になっている。実は、それも嘘なんですよ。対策をしていれば、原発事故は防げたと思います。それについては三浦少数意見と、株主代表訴訟の判決で詳細に論じられています。だから、去年の最高裁の判決における多数意見と少数意見の対立点と、刑事裁判の高裁判決とでは判断事項が違います。それよりもっと前の段階で、検察官役の指定弁護士の主張を切り捨ててしまったのが高裁判決です。そういう意味では、刑事と民事でも、判決の判示が食い違っていれば、判決違反として破棄理由になりますから、推本の長期評価の部分について、少なくとも相反する意見になっているので、見直すことは絶対に必要なんじゃないかと思います。

官僚化した地震調査委員会

 佐藤 先ほどの一五・七メートルの津波高の計算結果についてお伺いします。土木学会で検討することにして、対策を先送りしたわけですが、土木学会が計算しても、結果は一三・六メートルに下がっただけだった。これが二〇一〇年末のことです。

 海渡 非常に単純な話で、明治三陸沖地震の波源を福島沖に持ってきて計算すると一五・七メートルになるんですね。延宝房総沖地震の波源を移動させて計算すると、一三・六メートルです。土木学会内では、北と南で地震の大きさが少し異なる、宮城と福島の間に何かしらの境界線があるのではないかと言われていました。でも実際に起こった現象から見ると、的外れの意見だったと思います。いずれにせよ、地震が起きないことはあり得ない。マグニチュードが若干小さくなるかどうかの違いだけです。原発事故は避けられなかった。しかも、この数字は二〇〇八年八月に既に出されている。その数字の妥当性について、その後二年かけて土木学会で検討していただけです。ただの時間稼ぎであることははっきりしている。そして推本の長期評価そのものも見直されて、より大きな地震が起きるとの予測が出された。そうなると当然一三・六メートルの数字が吹き飛んで、一五・七メートル以上の津波高の計算に基づいた対策が不可避な状態になった。

 だから島崎さんは、二〇一一年三月九日に既に出来上がっていた書面を公表できなかったことを非常に悔やんでいる。それが公表できていれば、多くの人が、当日夜のニュースか翌一〇日朝の新聞で知ることとなった。結果として、三月一一日の地震後に福島や宮城の人も山側に逃げたはずです。今回の津波による死者は、岩手はわりに少ないんですね。岩手の人たちは津波が来るとよく知っていたからです。福島・宮城の人たちに対しては、大津波が来ることをずっと隠してきたから逃げなかった。そういう意味でも、推本の長期評価第二版が二〇一一年三月九日に発表できなかったことを、島崎さんはものすごく気に病んで、この本を書かれたんですね。

 佐藤 島崎さんの『3・11 大津波の対策を邪魔した男たち』を読んで驚いたのは、今言われたように、東電が三・一一直前に、長期評価第二版の発表を妨害していた、ということです。東電が自分たちとはまったく関係ない組織に介入し、長期評価改訂版の発表を遅らせていた。非常に悪質です。

 海渡 長期評価を最初に出した段階では、地震調査委員会はまともな組織だったと思います。しかし官僚化が進んでいって、二〇一一年頃になると、電力会社の意向を伺わなければ、何も身動きが取れない組織になってしまっていた。島崎さんが非常に驚いているのは、表の会議と別に、自分にも知らされていなかった裏の会議があったということです。そこで推本の事務局と電事連の人間が秘密会をやっている。島崎さんの絶望感は、そこから生じるものです。自分が普通に一緒に仕事をしていると思っていた人物が、裏で電力会社と秘密会を開いていたことを知って、本当に裏切られたと思って、この本を書かれた。島崎さんの本と我々の本を裁判資料として提出しましたから、最高裁の中でも現在議論されていると思います。

 佐藤 今言われたことも含めて、原発震災から一二年経ち、驚愕するような事実が次々に明らかになっています。たとえば原子力部門のナンバー二の山下和彦中越沖地震対策センター長の検察官調書(https://shien-dan.org/yamashita-201809/)は、対策先送りの決定的な証拠ではないかと思います。この調書には非常に生々しい証言が記されており、津波高予測が一五・七メートルに変わったとき「強い違和感があった」と繰り返し述べられている。しかし、違和感があったというのは、その数字を単に認めたくないということでもあります。対策コストや運転停止リスクへの顧慮から津波の可能性を否認したことがわかります。

 海渡 そこははっきり認めていますね。七・七メートルのままならば、きちんと対策が講じられていた。しかし一五・七メートルになって、結局は経営的な観点から、それをやめさせる側に回ってしまう。吉田さんもそうです。それに武藤さんも影響される形で、土木グループの提案は蹴られてしまう。その経過を、検察官の取り調べで、山下さんは正直に述べている。彼にとって不利になることも認めているわけです。なおかつ他の人が知り得ない事実を含んでいる。どう見ても真実のはずなんですが、刑事裁判では、一審判決・高裁判決を通して、山下調書は信用できないとされている。

 佐藤 なぜ信用できないと判断されたのですか。

 海渡 経過を追って、順に説明します。まずは二〇〇七年一一月頃から、津波対策に関する会議開催に向けての動きがはじまります。高尾課長が、それで酒井GM(副部長)に了解を取ります。ここで東電の原子力技術管理部として津波対策を取る方針が確定する。これを吉田さんも了承する。この段階で、耐震バックチェックのために五千万円で津波高さの計算を正式委託すると、承認書にはっきり書いてあります。酒井さん自身も「中間報告に含む含まないにかかわらず、津波対策は開始する必要がある」とメールで書いていて、津波対策を覚悟していたことがわかります。これが二〇〇八年一月頃のことです。二月四日には、やはり津波対策について、酒井さんがメールで書いて送っている。さらに翌五日に東京電力の長澤和幸氏から酒井さん宛に送ったメールには、次のようにあります。「武藤副本部長のお話として、山下所長経由でおうかがいした話ですと、海水ポンプを建屋で囲うなどの対策が良いのではないか」。四メートル盤の上で、そういう対策をとる方向で論議していたことがわかるわけです。そして二月一六日の中越沖地震対策センター会議(御前会議)で対策方針が決まる。こうした経緯があったことが、山下さんの説明からはわかります。それに対して、判決では、「山下供述に関しては、機器耐震技術グループの山崎英一が後日作成した電子メールやメモに津波対応を社長会議で説明済みとの記載があるなど、山下供述の裏付けとなり得る証拠も存在する」と認めながらも、最終的には、「参加者として山崎の氏名が記載されておらず、同人が実際に打ち合わせに参加していたのかも定かではない」としている。すごく変な判決になっているんですね。

 佐藤 検察官聴取書の内容についても、詳しくお話しいただけますか。

 海渡 まず二〇〇八年二月一六日の「御前会議」で、山下氏は、原子力整備管理部として、自ら勝俣社長らのいる場で推本の長期評価を福島原発のバックチェックに取り入れるという方針を説明し、この方針が異議なく了承された。しかし、被告武藤・被告武黒らは、この事実を否定している。しかし、当日配布された資料には津波対策の必要性と対策の概略が明記されており、他のメール等とも符合する山下さんの説明は合理的なものです。また、この当時は、津波の評価が高くなっても一〇メートル盤を超えることはなく、四メートル盤上の海水ポンプの機能を維持すれば良く、ポンプの水密化やポンプを建屋で囲う程度の改造ならば、二〇〇九年六月のバックチェック最終報告に間に合うと考えていた。しかし二〇〇八年五月下旬あるいは六月上旬に、山下さんが、酒井氏と高尾氏から、福島第一の津波評価が一五・七メートルとなっているとの説明を受けて、大変驚いた。こういう流れです。元々山下さんは二月一六日の会議で、津波高を「+七・七メートル以上(詳細評価によってさらに大きくなる可能性)」として報告をしています。それは、当日使用されたパワーポイントの資料にも書いてある。この津波に対しては「非常用海水ポンプの機能維持と建屋の防水性の向上」で対応する。その時に、数十億の費用でできるような説明をしてしまった。ここがまずかったと思います。

 佐藤 実際の対策には数百億かかることが、その後の調査でわかる。

 海渡 それが二〇〇八年三月半ば頃のことです。だけど、その情報を隠すんです。酒井さんたちは吉田さんには言いますが、吉田さんは全員に知らせるのはまずいと思って、情報を抑えてしまう。結果的に報告が遅れて、山下氏が知ったのは五月ころ、武藤さんが実際に知ったのは六月だったと思います。

 佐藤 最後に、最高裁における今後の裁判の見通しについてお伺いしていきます。

 海渡 ここも詳しく説明します。最高裁の四人の裁判官の陣容が変わりました。最高裁第二小法廷は、戸倉さんが長官です。三浦守さんと草野耕一さん、岡村和美さんが残っています。裁判長だった菅野博之氏は辞めて、尾島明裁判官が新しく加わりました。我々の事件では長官は審議に参加しないので、三浦、草野、岡村、尾島の四人で審議をします。元裁判長だった菅野という人物も大変問題があった。最高裁を辞めて、その後、長島・大野・常松法律事務所に入ります。この事務所は、東電の株主代表訴訟の事件に補助参加している東電の代理人をやっている事務所です。日本を代表するローファームで、東電とはすごく関係が深い。草野さんも、西村あさひ法律事務所という巨大ローファームにいた人です。我々の裁判の戦略目標の一つとして、この草野裁判官を裁判担当から辞めさせたい。理由は今申しあげた通り、彼は最高裁判事となるまで、西村あさひ法律事務所の代表だった。そこに所属する複数の弁護士が、東京電力やその関連会社の出資や株式取得に関して、リーガルアドバイスを行っている。東京電力と密接に利害が絡んでいる事務所です。

 それだけではなく、西村あさひの顧問として、元最高裁判事の千葉克美さんという人がいます。この千葉さんが、元最高裁判事という肩書き付きで、最高裁で継続していた四つの事件のうちの一つ、生業訴訟に意見書を提出している。非常に問題が多い意見書です。「中間指針に基づいて東電が払った賠償金は払い過ぎなので、これまで払ってきた以上の賠償を払う必要はない」という主張にも呆れますが、長期評価については「地震による大津波襲来の確率は、多面性、多様性、不確実性、科学的専門性を有するものであるのだから、長期評価には多面的な評価が成り立ち得る。よって、これを信用せず、津波に対する対策を打たなかったから事故を防げなかったという見方には疑問がある」と言っている。恐ろしいことに、千葉氏と菅野氏は、最高裁の行政局における先輩と後輩なんです。裁判長の元上司に意見書を書かせて、それを最高裁に出させている。このことを一生懸命調べて書いてくださったのが後藤秀典さんの『東京電力の変節』(旬報社、二〇二三年)という本です。驚くべき証言が書かれています。元東京高裁判事の大塚正之弁護士の言葉を引用しましょう。「千葉克美が意見書を出してきた時に、私の頭にパッと浮かんだのが菅野博之なんです。要するに、菅野は千葉克美の指導を受けて行政局で育っていった人間ということです。その千葉克美が第二小法廷に意見書を出してきたんで、これはもう結びついているなというふうに感じたんです。だから、最高裁で国を勝たせる判決が出るかもしれないというのが私の頭にずっとあって、予想通りそうなったんですよね」。

形勢逆転するために

 佐藤 それは、二〇二二年六月の国家賠償訴訟の最高裁判決についてですね。

 海渡 そうです。このことだけでも、草野さんはアウトだと思います。それに加えてもう一点あります。草野氏のパートナー(共同経営者)であった新川麻弁護士は、経済産業省の「総合資源エネルギー調査会再生可能エネルギー大量導入・次世代電力ネットワーク小委員会」ほか、エネルギーに関わる政府の審議員を複数務めている。また新川弁護士は、生業訴訟などが最高裁で審議中であった二〇二一年に、東京電力の社外取締役に就任している。東電の役員になった人間が、自分が所属する法律事務所の元共同経営者だった。そして東電のために、同じ法律事務所に所属していた元最高裁判事、また裁判長の上司でもあった人間に意見書を出させる。尋常ならざる所業です。こんな人間が東電と国の責任を問う事件の審理に参加していいかどうか、大いに問題があります。最高裁の判事は、外見上も中立公正を害さないように自立・自制すべきことを要請される。これが一九九八年一二月一日に出された寺西判事補事件に対する最高裁の判決です。我々は犯罪被害者の代理人として、先日一一月一三日、草野裁判官は自ら審理を回避すべきであるという意見書を出しました。

 佐藤 簡単に言うと、草野裁判長に「自分からやめてくれ」ということですね。

 海渡 我々は検察官ではないので、忌避申し立て権はないんですが、意見を述べる権利はあります。そして一一月二〇日には、最高裁の裁判官室の前で、大音量のスピーカーで街頭宣伝をやりましたから、全裁判官が聞いたはずです。最高裁の正門の前に車を乗りつけて、あそこから演説をぶったのは生まれて初めてです。法律家としての良心があるならば、身を引くことが正しい身の処方ではないかと申し上げました。草野裁判官が聞く耳を持ってくださればいいなと思います。ここまでの事実が明らかになっていながらも、次の判決にも関わるならば、司法の独立性の確保に相当の禍根を残すでしょう。

 佐藤 草野さんも、非常に恥ずかしい思いをしたでしょうね。草野裁判官は、国賠訴訟の最高裁判決で、SFのような奇妙な仮定を積み重ねた意見を付けていました。「東電が予測していた予測に基づいて防護壁を作っても結局現実の津波は防げなかっただろう」というのがその内容です。

 海渡 言っていることが正しいかどうか以前の問題だと思います。つまり、最高裁判所は原判決が認定した事実について、法的な論理の是非について論ずる場所なんです。しかし彼が書いている意見は、独自の資料に基づくものです。草野裁判官が認定している事実関係は、四つの原判決いずれにおいても全く認定されていない。とりわけ「一号機及び三号機のタービン建屋の開口部の前には深さ六mの逆洗弁ピットがあった」と草野さんは言っていますが、全く証拠もない。こんなこと、一体誰から聞いたのか。裁判外で得た情報に基づいて意見を書いたと推測される。ものすごく悪質です。最高裁判事としてありえないことをやってしまったと思います。付け加えると、私たちは草野さんを第二小法廷から回避することを求める署名も始めました(https://shien-dan.org/changeorg-202312-syomei/)。そこまでやってしかるべき事件だと思っています。

 佐藤 『東京電力の変節』をめぐって、もう一点お伺いします。読んで驚いたのは、最高裁にまで東電の利害関係が及んでいるということです。巨大ローファームを介した人脈に基づいて、最高裁の判決が歪められるようなことがあるとすれば、非常に問題です。

 海渡 東京電力は国の機関、最高裁の中にも手を伸ばしていくだけの財力と権力を持っているのだろうと思います。現実を見ても、去年の最高裁の判決では、原告側が三つの裁判で勝っている四件の事件を合同で進めているわけですから、どう考えても三つの事件の判決の判断を入れて国の責任を認めるだろうと、誰しもが思いました。しかし、それをひっくり返すために、用意周到に様々な策が弄されていた。残念ながら、判決前の我々には、その構造がわからなかった。大塚さんはその構造を見抜いていたようですが、少なくともこの四つの事件の弁護団は、そういう形で事態を明らかにして争うことができなかった。けれども、今は刑事裁判を担当している我々弁護団と、最高裁にかかっているいわき市民訴訟の弁護団が、一緒に東京電力と原子力に関する最高裁の間違った判断を正していこうと、連携を密にしています。最高裁の刑事事件といわき市民訴訟の上告審、これがどのような判決になるかによって、去年六月の判決が見直される可能性もあります。さらに株主代表訴訟の控訴審もあります。これらの裁判は、みんな運命共同体みたいなものだと思っています。いわき市民訴訟は第三小法廷で審議される。ここには、宇賀克也さんという行政法の素晴らしい専門家がいます。我々の第二小法廷には三浦裁判官がいる。どちらにも一人ずついい裁判官がいることが救いです。ここから第二小法廷の草野さんを無力化することができれば、形勢を逆転できると思っています。

 もう一つの戦略についても説明しておきます。この事件を大法廷に移したらどうかという主張をしているんです。大法廷に移すと、今言った宇賀さんも加わることになります。三浦さんと宇賀さんのふたりで全体を説得すれば、まとまる可能性が高いと思うんです。そうすれば、最高裁の元の判決も修正されて、刑事判決の方も見直すことに繋がるんじゃないか。そのことを伺わせるような事例が最近ありました。二〇二三年一〇月二五日、性同一性障害について、「手術要件を戸籍変更の要件にすることは違憲」という判断が出ました。この判決は裁判官一五人全員一致なんですが、少数意見がついていて、手術要件だけじゃなくて外観要件まで違憲だという判決を書いているのが、三浦さんと宇賀さんとなんと草野さんなんです。草野さんが三浦さんにちょっとすり寄っているようにもみえる。何が言いたいかというと、「同一法令の解釈適用に関するかぎり、民事事件についてした裁判は、刑事事件に対する関係でも前にした裁判になる」と、『裁判所法逐条解説』にあるんですね。法令の解釈適用について、前の裁判所に反する場合は、大法廷でやらなければいけない。また意見が二説にわかれて、各々同数の場合も同様です。もしかすると、三浦さんと新しくなった尾島さん、それに対して草野さんと岡村さんで二対二になる可能性もある。この事件では重大な法的問題の解釈が争われていますし、日本の歴史上類を見ない大事件でもある。被害者の遺族はもとより、多くの市民が納得していないことも鑑みれば、他の最高裁小法廷で意見を異にする人がたくさんいるかもしれない。そういうことまで考えると、大法廷に持っていければ逆転できる可能性が高いんじゃないかと考えているのです。

 佐藤 最高裁判決は、それに後続する様々な判決に影響を与えるという意味で、非常に影響力があります。実際、国賠訴訟の裁判で、国の賠償責任を認めないという最高裁判決が出された後、下級審では、次々と国の責任を認めない判断が出されることになりました。

 海渡 その点に関しては、二〇二三年三月二三日のいわき市民訴訟の仙台高裁判決が、確かに国家賠償責任は否定しています。しかし、判決では次のようにも言っているんです。「経済産業大臣が、長期評価により福島県沖に震源とする津波地震が想定され、津波による浸水対策が全く講じていなかった福島第一原発において、重大な事故が発生する危険性を具体的に予見することができたにもかかわらず、長期評価によって想定される津波による浸水に対する防護措置を講ずることを命ずる技術基準適合命令を発しなかったことは、電気事業法に基づき規制権限を行使すべき義務を違法に怠った重大な義務違反があり、その不作為の責任は重大である」。こう書いてあるならば、本来国の責任を認める結論になるはずなんです。しかし、この後につづくわけのわからない理屈で、国賠責任だけは否定してしまった。この判決は最高裁に対する高裁の裁判官による最後の抵抗、面従腹背だったと思います。結論だけは従ったかのようにして、しかしどう見ても従っていない。この事件の上告審も最高裁に上がっています。この判決は、推本の長期評価の信頼性を認め、事故の回避可能性も全部認めている。東京電力には極めて重大な過失責任があるので賠償責任を加重すると、はっきり言ってくれている。この事件と東電刑事裁判の高裁判決を一緒に大法廷で論じたら、相当面白いことになると思います。そのことをどうにか実現させたい。損害賠償をやっている弁護士のグループとも共闘して、そういう声を広げていきたいと思っています。

(二〇二三年一二月三日、東京共同法律事務所にて)

★かいど・ゆういち=弁護士、東電刑事裁判被害者代理人。著書に『原発訴訟』など。一九五五年生。
★さとう・よしゆき=筑波大学人文社会系准教授。著書に『脱原発の哲学』(田口卓臣との共著)など。一九七一年生。

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年末に見た夢の意味が、少しわかってきた。私にとって「書くこと」の意味

2024-02-14 23:12:53 | 日記
1月11日付け当ブログ記事で取り上げた、昨年末に見た夢の意味が、少しわかってきた。

結論から言えば、2003年頃から20年以上にわたって、絶え間なく、それこそ馬車馬のように執筆活動を続けてきた「ある媒体」から、年明け以降、離れている。理由はよくわからないが、なんだか酷く疲れたのだ。

仕事(本業)のほうはおおむね順調に行っており、ここが火を噴くことは考えられない。職場で労働組合役員も務めているが、こちらでも不穏な兆候は全くない。長年労働運動をやって行く中で、協調すべき場面と本気で闘うべき場面の見極めくらいはできるつもりだ。メリハリをつけた活動が大事で、こちらも順調に行っている。

先のブログ記事では「私の身辺で最近起きている出来事の中には、いくつか不穏な兆候を示しているものがある」とほのめかす程度に留めておいた。「不穏な兆候」は「ある媒体」での執筆活動周辺で起きており、火を噴くならここかな……と思っていたが、それが現実になった形だ。「一葉落ちて天下の秋を知る」(淮南子)という故事成語にあるように、変化が起きる直前には何かしら兆候がある。「こんなことになるなんて思わなかった」が口癖の人は、一度、「錆びたアンテナ」の大掃除をしてみることをお勧めする。

   ◇   ◇   ◇

もともと他人と同じことを、他人と同じスピードでこなすことが苦手だった。学校でみんなでいっせいに何かやるときに、自分だけついて行けないことがしばしばあった。なぜだろうと考えたが、理由はわからない。懸命に努力しても、追いつけない。自分がやっと作業を終えたら、周りはすでに次のステージに行っていたという経験も一度や二度ではない。

まだ発達障害という概念さえなかった時代。動作が遅い子は「のろま」扱いか「変人」扱いのいずれかに甘んじなければならなかった。もし今の時代に生まれ、子ども時代を過ごしていれば発達障害と診断されたに違いないが、そう診断されることが幸せかどうかはまた別問題である。今はともかく社会生活を送れているので、あえてそのような診断を受ける必要はないと思っている。

文章を書くことは昔から嫌いではなかった。だからといって特段、好きだったわけでもないが、人並みにできる数少ないことのひとつだった。時間が経っても原稿用紙が真っ白のまま鉛筆が動かないクラスメートを見て「思ったことを書けばいいのに。なぜできないんだろう」と不思議に思うことはあった。だがそれは他人と比べて劣っていないことの証明になるだけで、優れていることの証明にはならない。人並みにできるというだけで、自分が優れていると思ったことはなかった。

転機が訪れたのは小学校3年生の時だった。私の住んでいた地方の小学校では、偶数学年に上がるときにはクラス替えがない。担任も同じ児童を2年続けて受け持つ。3年生でも2年生の時と同じ担任に当たったので、この時点で4年間、同じ教師が自分の担任になることが決まったわけだ。40代の女性教師。仮にO先生としておこう。

夏休みに入る前くらいだったと記憶する。O先生から職員室に来るように言われた。「またどうせ動作が遅いと怒られるんだろう」と思い、気が滅入ったが、呼ばれた以上行くしかない。が、行ってみると予想外の展開だった。見たことのないような笑顔で「あなたの書いた作文が上手なので、先生が少し直して県の作文コンクールに出していいかな?」というものだった。

自分の作文が、後にそんな大層なことになると思わなかった私は「いいですよ」と適当に返事をした。県のコンクールで佳作に選ばれ、賞状をもらった。佳作は金賞、銀賞、銅賞に次ぐ。自分が初めて周囲から承認される出来事だった。

その翌年、O先生はまた私の作品を同じコンクールに出したいと言ったので、私はまた「いいですよ」と返事をした。今度は入賞はならなかったが、それでも高順位に入ったという連絡をもらった。7位か8位くらいだったと思うがはっきりした記憶はない。

母親との三者面談で、O先生が「この子には作文の才能があります。佳作を取ったときはまぐれかもしれないと思ったけれど、2年続けてこんな作文を書くのはまぐれではありません」と言うのがわかった。学校からの帰り道、「誰に似たのかしら」と母が不思議がっていたのを今でも覚えている。

その後しばらく、自分にそんな能力があることは忘れていた。文章を書くことは好きで続けていたが、駄文を量産しているだけだと思っていた。

2度目の転機は、高校2年の時だった。県立高校で、国公立大文系進学クラスに入った。最近の状況はわからないが、当時は二次試験で小論文を出題する国公立大学が多かったため、このクラスに入った生徒は週2回、「国語表現」という作文の授業を受けなければならなかった。担当したのは、またも40代の女性教師。仮にT先生としておく。O先生と同じくらいの年齢だったが、雰囲気はまったく異なっている。平たく言えば、O先生は母親みたいな雰囲気なのに対し、T先生は年の離れた姉のような雰囲気だった。

クラス全員が作文を書き、T先生の添削を受けた後のものを、全員の前で読んで発表する。他の生徒は感想を書き提出。自分以外の生徒全員の書いた感想が、後日、本人に渡される。授業はそんな形式で進められた。

ある日の放課後、係の用事で職員室に行ったときに、T先生に呼び止められた。担任でもなく、帰宅部で部活動もしていなかった私にとって顧問の関係でもないT先生に呼び止められる理由は作文以外に思い浮かばない。T先生は、その日たまたま空いていた隣の先生の席に着席するよう私に促すと、言った。

「次回の授業あたりであなたにも発表をしてもらいますけど、私が読んでほとんど添削する必要のない作文を見たのは久しぶりです。他の生徒の作文は、誤字脱字があったり、導入部分と本論とで論旨が正反対になっていたり、基本的な部分で破たんしているのも結構あるし、特に男子に多いんだけど『書いてる本人だけが面白くて、聞いてる他人は全然面白くない』というタイプのものが結構あるの。それに比べて、あなたのは面白くはないけど論旨が明快な上、一貫しているし、誤字脱字もない。少しだけ添削はしたけど、強いて言えばあなたの表現が国語担当として個人的に気に入るかそうでないかというのが理由で、破たんしているわけじゃないから、添削しないでおこうと思えばそれでもすんでしまう程度のものです」。

「久しぶりというのは、どのくらいですか」と私が聞くと、T先生は「そうね。私は20年くらいこの仕事をして、いろんな生徒の作文を見てきたけど、あなたレベルの子は、5年に1人いるかいないかくらいじゃないかな。当たり前だけど、高校には1年生から3年生まで、この3年間に入学してきた人しかいないわけだから、5年に1人レベルということは、要するにこの学校の在校生であなたより上手い人は、ほぼいないということです。・・・正直、ここだけの話にしておいてほしいんだけど、先生方の中にも文章が上手くない人がいて、あなたのほうが上手いって思うレベルの先生方が、割といるんだよね」。

T先生のこの言葉に私は衝撃を受けた。話すべきかどうか迷ったが、小学校の時に県の作文コンクールで佳作を取ったことを思い切って話すと「今回のあなたの作文見てると、嘘とも思えないね」と言われ、驚かれなかったことを覚えている。発表後、他の生徒が書いた40人分の感想用紙の束を渡されたが、内容に対する質問や意見はあっても、意味がわからないという不満は誰からもなかった。

自分の文章力に確信を持ったのはこのときだった。自分が長い間、抱いていた劣等感が「溶けていく」のがわかった。自分にはこんな得意分野があるのだから、他人と自分を比べる必要はないと思えるようになり、気持ちが楽になった。書くことが自分の居場所になった。

この経験がきっかけで新聞記者になりたいという夢を持ったが、大学時代に怠けすぎたせいか、他の職業の誘惑が大きかったせいか、結局その道には進まなかった。代わってその夢をかなえてくれたのが、「地域と労働運動」「レイバーネット日本」、そして今回離れることになった「ある媒体」だった。権力や支配者の不正を追及するのは労力がかかり、リスクも負うが達成したときの充実感は大きく、何物にも代えがたい財産だ。私が書かなければ埋もれていたかもしれない事実がいくつもあることは、当ブログの過去記事を読んでいただくだけでもご理解いただけるだろう。投稿後10年以上経ってもいまだに読まれ続けている記事もある。

「広く薄く」の何でも屋でありつつも、これだけは絶対に誰にも負けないという得意分野を1つ2つ持つことが、ライターとして生き残る秘訣といえる。もともと幼少時から鉄道ファンとして生きてきたため、鉄道・公共交通は自然と自分の専門分野になった。だが、文系で物理が選択肢にもならなかった自分が原発・原子力の分野を専門にすることになるとは夢にも思わなかった。福島第1原発事故は間違いなく自分の運命を変える出来事だった。ウソ・隠蔽・ごまかしに塗り固められたこの偏狭で有害な「ムラ」をペンの力で解体することが私の人生を懸けた仕事になるとの思いは「3・11」以降、一瞬たりとも揺らいだことがない。

   ◇   ◇   ◇

「ある媒体」での不穏な兆候は、昨年夏頃から出ていた。記事の本筋とは無関係で些末なことで揚げ足を取るような反応を示す人が多くなった。自分の書く文章には全身全霊を捧げている建前になっており、「ライターである以上、自分の書いた文章に一部でも『些末』な箇所があるなどと考えてはならない」との指摘を受けたら、おそらくそれには甘んじなければならないだろう。

だが、小説であれ新聞記事であれ、人が書く文章である以上、強調したい部分とそうでない部分、気持ちの乗っている箇所とそうでない箇所が生まれることは誰しも否定できない。そんなとき、自分があまり重きを置いていない部分、核心でない部分、気持ちの乗っていない部分に対して重箱の隅をつつくような指摘を、しかも短期間に連続して受けるというのはお世辞にも気持ちの良いことではない。

ひとつひとつはたいしたことではなく、心の奥底に沈めておけばすむようなことでも、蓄積するとそれが臨界点を超えてあふれ出すことがある。自分の中で、我慢がその臨界点に近づきつつあるという警報音が「不穏な兆候」の正体であることは、ライターとして割合早い段階から自覚していた。昨年12月23日夜に見た不穏な夢がその警告であることにも、うすうす気づいていた。

年が明け、私は「ある媒体」に対して休筆を宣言した。国際情勢から芸能ネタに至るまで、硬軟どんなテーマに関しても依頼者の要請に応じて書ける知識と力量は持っているつもりだが、いま思えばここ数年は「お仕事感」が強すぎて、「楽しく書く」というライターとしての生命力の源泉が枯れてきていた。

優れた文章、迫力のある文章には、揚げ足取りのような批評者をねじ伏せるだけの生命力がある。それが長年にわたってライターとして生き残ってきた私の率直な実感である。自分と読者、どちらの側も以前とそれほど変わっていないのに、ここに来てそのようなつまらない事態が表面化しつつあるのは、自分の書く原稿が以前のような力を失っているからではないか。だとすれば、今の私にとって必要なことは「お仕事感覚」の執筆が続くことにより枯れかけていた生命力の源泉を取り戻すことである。要するにライターとして「充電」が必要な時期に来ていると考えるに至ったのである。

「充電」には、好きなことを楽しく書くのが一番いい。私がどんなに忙しい中でも、このブログを閉鎖せず維持してきたのは、好きなことを楽しく書ける「ホームグラウンド」が必要だと認識しているからである。今年に入ってから、当ブログが昨年までとは比べものにならない頻度で更新されていることに、察しのいい読者諸氏はすでにお気づきかもしれない。

「ある媒体」に復帰するかどうかはもうしばらく様子を見たい。なによりも私自身が疲労を蓄積させることになった問題はなにひとつ解決されていないからである。以前と同じように、つまらない批評者をねじ伏せるだけの生命力を自分の書く文章に再び宿らせる自信ができたら、それが復帰の時である。

それでも書くことは好きであり、O先生、T先生と2人もの教師の「折り紙」もついている。動作が人より遅く、劣等感の塊だった私の能力に気づき、開花させ、承認という形で居場所をくれた2人の恩師は今どうしているのだろうか。小学生の時に賞を取ったこと、高校生の時に「5年に1人。今の在校生であなたより上手い人はおそらくいない」と言われたことは執筆を続ける原動力になっている。私が書くことをやめるのは、おそらく人生が終わるとき以外にないと思う。

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<地方交通に未来を⑮>安全問題と物流問題~公共交通激動の2024年

2024-02-11 19:18:39 | 鉄道・公共交通/安全問題
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 2024年は大変な年明けになった。元日の能登地震と1月2日に起きた羽田での日航機・海上保安庁機の衝突事故だ。羽田空港の事故は、いわば公共交通をめぐって今まで覆い隠されてきた問題が噴出した形で、私はいずれこんな事態になるだろうともう10年くらい前からずっと思っていた。ここまで極端な形は予想していなかったが。

 事故直後、「レイバーネット日本」に分析記事を書いた。特に、2004~2019年の15年間で全国の航空機数が1.5倍に増えているのに、航空管制官が逆に15%も減らされていること、結果として航空管制官1人が扱う航空機数が1.8倍に増えていることを指摘したら大きな反響があった。多くの東京都民の反対を押し切る形で、東京五輪のために強行された羽田新ルート(2020年4月から実施)によって1割近く飛行機の発着回数が増えたことを指摘した回もそれに劣らぬ反響があった。アフターコロナで2019年以前に近いところまで航空機の便数が戻った上に羽田新ルートによる増便を加えた形での航空管制業務は過去に経験のないもので、事故は起こるべくして起きたというべきだろう。

 国交省職員で構成する「国土交通労働組合」(国交労)はずっと以前から職員の定員削減をやめ要員を増やすよう求める署名運動を行ってきたが、関係者やそれに近い人に呼びかける程度であまり知られていなかった。ところが、私がレイバーネットで紹介したこともあって事故直後からメディア取材が殺到。2月6日、国交労はとうとう航空管制官の増員を求める声明を発表し記者会見まで開いた。安全確保のために必要な人員まで機械的に減らし続ける国交行政のあり方を問い直すとともに、国交労の闘いに一般市民・公共交通利用者からの支持があると伝えることが今のこの局面では重要である。

 航空業界は今、問題山積の状態だ。新千歳空港では、機材もパイロットも客室乗務員も足りているにもかかわらず、乗客の手荷物の積み卸しなどを扱う地上職(グランドハンドリング職)の人手が足りないため増便ができないという事態になっている。コロナ禍による大減便で離職したグランドハンドリング職員が他職種に転職したままアフターコロナになっても戻らず、残された労働者に負担が集中。激務に耐えられず辞職者が相次いでいるが、その補充もできず、「このままでは過労で死者が出てしまう」としてとうとう昨年末にはグランドハンドリング職の労働組合が2023年末限りでの36協定(労働基準法36条による残業協定)の破棄を会社側に通告した。2024年の年明け以降は残業をしないという意味であり、航空業界はますます人手不足に追い詰められている。

 公共交通は基本的に労働集約型産業で、シーズンとオフシーズンとで需要に極端な繁閑があるため人員調整に苦労してきた。それでも非正規労働者を雇用の調整弁に使うことで何とか持ちこたえてきたが、若年人口の減少でそうした綱渡りも次第に難しくなってきている。シルバー労働人口は増え続けているが、公共交通の現場は体力勝負の要素が強く、シルバー労働人口がいくら増えても若年労働者の代わりにはならないからだ。

 2024年、航空業界以上に追い詰められそうなのはバス・トラック業界だ。2019年に「働き方改革関連法」が成立し、残業規制(年960時間まで)が導入されたが建設・物流業界に限り「5年後に施行」と猶予期間が置かれた。その猶予期間がいよいよ終わる今年、運転手も年960時間を超えて残業ができなくなるため人手不足に拍車がかかるというわけだ。

 「残業制限などされたら手取り賃金が減り、食べていけなくなる」という規制反対の声が運転手の間から上がっていると聞くが本末転倒だ。年960時間といっても1か月に80時間で、これさえ厚労省が過労死ラインに指定する水準に当たる。声を上げるなら「死ぬまで働いても食べていけないような低賃金を何とかしろ!」であるべきで、過労死するまで働かせろという要求を、労働者の側からは口が裂けても言うべきではない。

 「働き方改革」に対しては、最低賃金引き上げなど実質的な内容の伴うことは何も行われていないという労働側からの批判はある。だが、ともかくも「残業=悪」というムードを日本社会に作り出したことは評価してもいい。問題は「労働時間を半分にするなら、2倍効率的に働こう」というのが安倍流「働き方改革」だったにもかかわらず、効率よく働く議論が置き去りにされたことだ。結局は残業時間を減らした分だけ仕事が積み残しになり、その不利益の押しつけ先を「今までと違う誰か」に変えるだけに終わる気配が濃厚になっている。端的にいえば、今までは「低賃金で死ぬまで働く労働者」が全犠牲を負っていたのが、今後は「いつまで経っても荷物が届かず途方に暮れる利用者」が全犠牲を負う形に変わるだけという結果がここに来てはっきりと見え始めているのである。かつて近江商人の間では「三方良し」(取引先、顧客、自分たちのすべてにとって良い結果であること)が商売の秘訣といわれたが、今は「泣く人の順番を定期的に変える」だけ。21世紀も5分の1が過ぎた2020年代とは思えず、近江商人に笑われるだろう。

 再配達の削減策やスマホアプリ活用による輸送効率化など、確かにやらないよりはマシだとは思う。だが物流危機は若年労働人口の減少という構造的要因が理由だ。物流そのもののあり方を変えるという抜本的な策なしには解決しないが、政府の動きは鈍く、打ち出される策も小手先のものばかりだ。

 一方、政府の対応を待っていられないと、自治体・民間レベルで「抜本的な動き」が出てきた。そのひとつがJR貨物による「レールゲート」構想だ。多くの物流企業が倉庫機能や荷役機能の拠点として使えるよう貨物ターミナルに併設されるもので「駅チカ倉庫」「駅ナカ倉庫」などと自称、東京・札幌では先行利用が始まっている。

 先進的な試み……と言いたいところだが私には「既視感」がある。これは結局、国鉄時代の「ヤード」の現代版なのではないか。かつて国鉄の貨物駅には広大なヤードがあり、トラックが直接乗り付け鉄道貨車に荷物を積み替えていた。ペリカン便事業も手がけていた日本通運は、もともとはこの目的のために旧鉄道省が設立した特殊会社で、終戦まで「日本通運株式会社法」という法律があった。日通が国鉄に委託されトラックで運んできた荷物を貨物駅の広大なヤードで貨車に積み替えていた。貨物の種類ごとに専用貨車を仕立てていた昔に対し、レールゲートはコンテナを使う点が違うだけだ。

 こうしてみると、国鉄のヤード系輸送を全廃し、コンテナと石油、セメント、石灰石の拠点間直行輸送だけに再編縮小した1984年の貨物ダイヤ改正を再検証しなければならない。日本の人口が若年中心でトラック運転手を集め放題だった当時と高齢化が進む今では社会状況が異なり単純比較はできないものの、「JR体制の見直しが始まるなら、それは貨物部門からになる」との、かねてからの私の予言通りに事態は動き始めたようだ。

(2024年2月10日)

<参考動画>運転士1人でドライバー65人分 トラック運転手不足で「鉄道貨物」復権へ 2024年問題で注目(2023/12/19 TNCテレビ西日本)

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【転載】羽田空港事故を受け、国土交通労働組合が航空管制官増員求める声明発表

2024-02-07 18:42:58 | 鉄道・公共交通/安全問題
羽田空港で1月2日に起きたJAL機と海上保安庁機の衝突事故を受け、国土交通省職員で作る「国土交通労働組合」が2月6日、航空管制官の増員を求める声明を発表しました。

以下、国土交通労働組合ホームページに掲載されている声明全文を転載します。同ホームページには、印刷用PDF版も掲載されています。

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2024年1月2日に発生した航空機同士の衝突事故を受けて (声明)

 2024年1月2日に東京国際空港で発生した日本航空516便と海上保安庁機の衝突事故で犠牲になられた海上保安庁職員5名の方々とそのご遺族の方々に対し、深い哀悼の意を表します。また、この事故で負傷された方々に心よりお見舞いを申し上げます。

 今回の事故を受けて、一部の報道各社やSNSにおいて、断片的な情報や憶測による事故原因を推測する記事が多々見受けられます。なかでも、責任の所在につながるような論調は、この事故に直接関わった航空管制官のみならず、全国で日々懸命に奮闘する航空管制官やパイロットなど、多くの航空従事者に心理的負担を強いるものであり、彼らの業務遂行に多大な影響を及ぼしかねないことを強く懸念しています。今回のような痛ましい事故を繰り返さないためには、すべての真実を明らかにすることで、真の原因究明につなげることが重要なことから、事実にもとづく情報のみの発信を望みます。

 国土交通省は、今回の事故を受けて、1月6日から羽田空港において、航空管制官による監視体制の強化として、滑走路への誤進入を常時レーダー監視する人員を配置しました。同様のレーダーが設置されているほかの6空港(成田、中部、関西、大阪、福岡、那覇)においても順次配置するとしています。しかしながら、この人員は新規増員によらず、内部の役割分担の調整により捻出するとされており、国土交通労働組合は、航空管制官の疲労管理の側面から問題視しています。

 政府は、2014年に「国家公務員の総人件費に関する基本方針」および「国の行政機関の機構・定員管理に関する方針」を定めており、これにより、新規増員が厳しく査定されていることにくわえて、一律機械的な定員削減を各府省に求めた結果、航空管制の現場では、管制取扱機数が急増する一方で、航空管制官の人数は2,000人前後から増加しておらず、その結果、一人当たりの業務負担が著しく増加しています。そのため、国土交通労働組合は、かねてから、「安全体制強化のための飛行監視席」の新規要員を要求してきました。しかし、2018年度からごく一部で新規定員が認められたものの、真の安全を構築するには全く足りていません。そのような要員事情において、今回の一時的措置は、当面の間とはいえ、現場が益々疲弊することは想像に難くなく、早急に航空管制官の大幅な増員の実現を強く求めます。

 くわえて、私たち国土交通労働組合は、2001年に発生した日本航空907便事故以降、「個人責任の追及を許さない」との立場で、強くとりくみをすすめてきました。航空事故は、その産業構造の複雑さから、明らかに犯罪性が認められるものを除き、様々な要因が重なった結果、発生に至る性質のものです。事故の再発防止のためには、すべての真実を明らかにすることで、真の原因究明につなげることが、悲劇を繰り返さないための必要条件です。しかし、我が国においては、多くの諸外国と違って、事故の当事者個人に業務上過失の疑いがかけられ、司法による捜査を受けており、これはICAO Annex13(国際民間航空条約第13章)に抵触するものです。司法の捜査が介入することで、当事者が黙秘権を行使し、真実が闇に埋もれてしまえば、悲惨な事故が繰り返されかねません。

 これらのことから、私たち、国土交通労働組合は、利用者のより高度な安全確保の体制を構築するためにも、共闘組織はもとより、国民のみなさまとともに、個人責任の追及を許さず、事故の真の原因究明と再発防止にむけたとりくみを今後よりいっそう、強化することを表明します。

 2024年2月6日
 国土交通労働組合 中央執行委員長
 山﨑 正人

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【羽田空港衝突事故 第4弾】羽田新ルートを強行した「黒幕」と国交省、JAL、ANAの果てしない腐敗

2024-02-06 20:43:49 | 鉄道・公共交通/安全問題
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 「それでは、次の議案である取締役選任についての採決結果を報告いたします。候補者番号1番、乗田俊明君の取締役選任に賛成79,315票。反対249,434票。よって、乗田君の取締役選任案は、否決されました」

 会場内にいた株主の誰もが無風のまま終わると思っていた東証プライム上場企業の株主総会。予想外の事態に、会場を埋めた株主からどよめきが起きた--(以上、事実に一部想像を加えた再現)。

 ●「1・2羽田事故」から思わぬ展開へ

 元日を襲った能登半島地震とともに全国の正月気分を引き裂いた「1・2羽田事故」。安全問題研究会は、第1報記事「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)、第2報記事「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)、第3報記事「過密化の裏にある「羽田新ルート」問題を追う」(1月29日付け)と相次いで本欄で報じてきた。

 このシリーズは本来なら第3回までで終わる予定だった。だが、羽田新ルート問題の取材・情報収集を続けるにつれ、事態は思わぬ方向に展開する。昨年、大手メディアが報じながら、追及が尻すぼみのまま終わった「ある事件」と羽田新ルート、そして「1・2羽田事故」。ばらばらの点に過ぎないと思われていた3つの出来事が、1本の線で結ばれたのだ--。

<写真=羽田空港のJAL機 JALは空港施設株の21%を保有する(2023.7.7付け「東洋経済オンライン」より)>


 ●国交省OBの「圧力」

 時は2022年の年末に遡る。全国各地の空港に拠点を置き、施設運営などを手がける「空港施設(株)」の社長に国交省OBを就任させるよう、別の国交省OBが働きかけていたことが発覚した。働きかけたのは、航空行政を一手に取り仕切る航空局長も経験した本田勝・元国交省事務次官。2022年12月13日、本田氏は同社を訪問し、乗田俊明社長らと面会。同じく国交省OBで同社副社長の山口勝弘氏を、2023年6月人事で社長に昇格させるよう求めたのだ。本田氏は、みずから「別の有力OBの名代」を名乗り、「国交省出身者を社長にさせていただきたい。(山口氏が社長に就任すれば)国交省としてあらゆる形でサポートする」として、空港施設に対し多くの許認可権を持つ監督官庁・国交省の「威光」をちらつかせながら山口氏の社長昇格を迫った。

 実は、山口氏も国交省航空局長を務めたOBで、元々は空港施設の取締役だったが「国交省出身者が代表権のある副社長に就くべきだ」と主張しみずから副社長ポストを要求、狙い通りに就任していた。本田氏による山口氏の社長昇格要求はそれに次ぐ二度目の圧力だった。

 空港施設が管理する建物の多くは羽田など各空港の敷地内にある。空港敷地はほとんどが国交省管理の国有地であり、空港施設は国に賃料を払ってそれらを借りる立場だ。とりわけ民間企業への国有地の貸付・払い下げには、以前、森友学園問題でも明らかになったように厳しい審査基準がある。形の上ではお願いであっても、国交省事務次官経験者の直接訪問による依頼を空港施設側が圧力と受け取るのは当然だろう。

 空港施設は東証プライム上場企業であり、取締役人事は指名委員会で決める手順になっている。乗田社長ら空港施設側は「上場企業なので、しっかりした手続きを踏まないとお答えが難しい」と難色を示した。「しっかりした手続き」が指名委員会での指名を意味することは言うまでもない。

 国家公務員OBによるこのような人事上のあっせん行為は違法ではないのか。かつて官僚による天下り問題が表面化した際、現役公務員がOBからの就職あっせんを受けることや、所属省庁が現役公務員の再就職をあっせんすることは禁じられた。しかし、退職したOBが別のOBの就職や人事上のあっせんをすることは民間企業同士の人事交流として規制対象になっていない。大手メディアの取材に対し、国交省は「関与しておらず、退職した者の言動についてコメントする立場にない」と回答している。

 ●大手航空2社を使い「報復」に出た国交省と本田氏

 露骨な圧力を使っての「人事介入」は空港施設側に拒まれた。これに加え、2023年3月にはこの件が大手メディアに報じられる。2023年4月3日付けで、山口氏も副社長辞任に追い込まれる。国交省の不当な人事介入を跳ね返した空港施設の「完全勝利」と思われた。

 だが、国交省は2023年6月、思わぬ形で「報復」に出る。その場面が、事実に一部想像を交えて再現したこの記事の冒頭部分だ(取締役番号1番が乗田氏であることや、賛成、反対の票数は当研究会の情報収集に基づく事実であり、株主総会議長の台詞などを想像で補った)。2期目続投が盤石と思われていた乗田氏に反旗を翻し、大量の反対票で取締役再任「否決」に追い込んだ株主は誰なのか。

 乗田氏の取締役選任(再任)議案に関し、総投票数328,749票のうち、反対票は249,434票で75.8%を占める。空港施設の株式のうち、ANAHDとJALの大手航空2社がそれぞれ21%、日本政策投資銀行が13.8%を保有している(議決権ベース)。この3社以外にも反対の株主がいたことがわかるものの、合計で55.8%と過半数を占める前述の3社の意向が事実上、議案成否の鍵を握っていることになる。関係者の話を総合すると、ANAHDが反対、日本政策投資銀行は賛成したという。JALは議案への賛否を明らかにしていないが、この票数から考えると反対したことは間違いない。

 驚かされるのは、乗田氏がJAL出身であることだ。事実上、自身の「古巣」によって解任(再任拒否)されたことになる。航空行政を一手に取り仕切る国交省航空局は、国内各空港における発着枠の配分などを通じて航空会社にも大きな影響力を持つ。空港施設にメンツを潰された形の国交省に「恩を売る」ため、大手航空2社が国交省と本田氏の書いたシナリオに沿って乗田氏解任に動いたというのが「事情通」による見立てである。

 ●本田氏と羽田新ルート~国交省、大手航空2社の腐敗こそ「1・2羽田事故」の元凶

 2009年、国交省の外郭団体研究員らによって原案が作成されながら、長く「非現実的」として放置されてきた羽田新ルートが、2014年に「官邸案件」化して以降、一気に動き始めたことは第3回記事ですでに述べた。本田氏は2014年7月8日付けで国交省事務次官に就任しており、時期的にぴたりと符合している。官邸の意を汲み、羽田新ルート推進体制を持ち前の「剛腕」で省内に構築する本田氏の姿が目に浮かぶ。

 新ルートで発着回数が年3.9万回(羽田空港発着数全体の約9%)も増えれば、大半の発着枠を割り当てられる大手航空2社もまた大きな利益を上げられる。騒音・振動被害だけでなく、落下物の危険も招き寄せる新ルートに多くの都民が反対する中、それらの事実を知りながら、新ルートの恩恵にあずかろうとした大手航空2社の姿も透けて見える。国交省も大手航空2社も利益優先、安全軽視でまさに腐敗の極致というしかない。こうした極限の腐敗こそが「1・2羽田事故」を引き起こしたのだ。

   ◇   ◇   ◇

 過去3回、多数の「おすすめ」をいただき好評の羽田空港事故追跡シリーズ、今回で終わらせる予定だったが、さらに続ける。まだ私の手元には重要な事実が残っており、これを書かずして終わらせることはできないからだ。次回、第5回では、本田氏にまつわる「書き切れなかった重要な事実」をさらに掘り下げる。彼の官僚人生こそ、過去半世紀にわたって旧運輸省~国土交通省が続けてきた日本の「新自由主義的交通行政」を象徴するものだという私の自信は、今、確信に変わりつつある。(第5回に続く)

<参考記事>
国交省元次官、「OBを社長に」要求 空港関連会社の人事に介入か(2023.3.30「朝日新聞」)

国交省OBが副社長ポスト要求 国有地賃貸にふれ「協力の証し」(2023.4.2「朝日新聞」)

空港施設の「社長解任劇」、JALがつけた落とし前 国交省OB天下り介入で、古巣がまさかの「ノー」(2023.6.30「東洋経済オンライン」)

空港施設を「闇討ちしたJAL」、社長解任劇の舞台裏 事前通知なしに反対票、理由を語らない大株主(2023.7.7「東洋経済オンライン」)

<シリーズ過去記事>
第1回「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)

第2回「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)

第3回「過密化の裏にある「羽田新ルート」問題を追う」(1月29日付け)

(取材・文責:黒鉄好/安全問題研究会)

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