安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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今、「活字」をめぐる状況はどうなっているか

2016-10-30 21:27:17 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2016年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 本誌先月号(193号)掲載の杜海樹さんのコラム「活字離れは思考も奪う」(以下「コラム」と略す)を読んだ。筆者は普段、他の方が書いたものに感想を述べることはめったにないが、杜さんが指摘した憂慮すべき状況について、「物書き」として何かを述べずにいられなくなった。そこで今回、「活字」をめぐる最近の状況にまで話題を広げた上で、私の思うところを述べてみたい。

 ●「何が重要でないか」を見極めよ

 杜さんは、コラムの中で、400字という条件で依頼した相手から、2000字~3000字の原稿が送られてきた上、字数を削ることもできないというケースが珍しくないと告白している。プロの物書きでない、一般の労働組合員に多くを望むことはできないという事情は私にもじゅうぶん理解できるものの、制限字数の5倍以上というのでは、さすがに依頼した側も手の打ちようがないだろう。

 こうした事態に陥る人の特徴について、杜さんは「何が要点なのかが全く掴めていない」ことが原因と指摘している。同感だ。私は、そうした人には大きく分けて2つの能力が決定的に不足していると考える。ひとつは「相手が自分(の原稿)に何を求めているか」を理解する能力、もうひとつは「何が重要かではなく、何が重要でないか」を見極める能力である。特に後者は簡単なようで意外に難しく、字数制限の厳しい媒体の場合、私もこれで苦労することがある。

 そこで、今回は、私が本誌向けを含む原稿を執筆する場合に、どのようにしているかをご紹介する。なお、このやり方は私の「我流」であり、読者諸氏の役に立つかどうかわからないことは初めにお断りしておきたい。

 ●文章の効果的な書き方

 各運動現場で、各種メディア・媒体からの原稿依頼がうまくこなせず、苦労している人を見かけることも珍しくないが、そうした人がたいてい陥っているのが、いきなり本文を書き始め、収拾がつかなくなるケースである。昔のテレビドラマなどで、書き損じの原稿を丸めてゴミ箱に捨てながら、作家が頭をかくシーンを時折見かけるが、こんな非効率なやり方をしていては、執筆時間はいくらあっても足りない。

 私の場合、テーマが決まったら、それに沿ってこれだけは書きたいという項目を、箇条書きで列挙してみるという作業を、本文執筆に入る前にすることが多い。この作業によって、文章全体の構成を決めることができる。字数制限がある場合、本当に全項目が執筆可能か、無理な場合は何項目まで書けそうかも見えてくる。

 この作業が終わると、「何が重要でないか」を見極め、各項目の優先順位を決めた上で、字数制限に収まる見通しが立つまで、優先順位の低い順に項目を削る。互いに関連する項目を連続させ、他との関連が薄い項目は最初か最後に回すという作業を通じて文章全体の構成を決める。ここまで終わった後、初めて本文の執筆に入るが、この作業のおかげで、字数制限を大幅に超過することはまずない。

 さらに、私の場合は、箇条書きで列挙した内容をそのまま中見出しとして使う場合が多い。中見出しを考える手間も省ける便利な方法だ。気に入った方はお試しいただきたい。

 余談だが、英語圏、特に米国の新聞では、編集部が記者の書いた原稿を編集する場合、最後から順に削っていくということが、あらかじめ合意されている場合が多い。記者もそれを心得ており、結論または最も重要なことから書き始めるという習慣が確立している。そのため、「なぜ俺の一番書きたかったことを勝手に削るんだ!」という揉め事が、編集部と記者との間で起こることはほとんどない。

 逆に、そうした合意のない日本では、編集部が記者と打ち合わせしないまま、勝手に編集作業をするとこのようなトラブルが起きることがある。こうしたことをルール化すれば、日本でももっと効率のよい編集作業が可能になると思われるが、「主語を故意に曖昧にし、空気や行間を読ませる」「忖度する」文化が根強い日本で、米国のように「まず結論から言い切る」執筆手法が根付くかどうかは私にも確信が持てない。率直に言えばかなり難しいのではないか。

 ●「話し言葉」と「書き言葉」

 英語と日本語との重要な違いを、さらにもう一点指摘する。英語ではいわゆる「話し言葉」と「書き言葉」との間にほとんど違いがないのに対し、日本語ではその両者に大きな乖離があるという点だ。主語を省略することがほとんどなく、主語と述語、目的語がきちんと対応している英語では、スピーチ用の原稿をそのまま新聞に転載したとしても何ら問題なく読むことができる。

 これに対し、日本語は主語が省略されることが多いことに加え、主語と述語、目的語がきちんと対応していない場合もあり、前後の文脈を含めて正確な文意を読み取る必要がある。

 運動現場で最も困るのは、なんといっても講演やスピーチの類だろう。書き言葉と話し言葉が同じでないため、特に口下手な講師・スピーカーの場合、聴衆に配布するレジュメと、自分用のスピーチ原稿を2種類用意しなければならないことも少なくない。

 講演終了後、内容を報道するメディアの記者や、文字起こしをする主催団体の人にとってもこの問題は大きい。講師のくだけた話し言葉をそのまま文字にしたのでは軽い印象を与える一方、良かれと思って書き言葉に直した場合、後で「自分の主張したかったニュアンスと違う」などと言われてトラブルになることもある。

 結果として、記事の中では書き言葉に直した講演内容の要約のみを紹介し、講演の全文は「○○氏の講演内容(全文)」などと見出しを付け、話し言葉のまま別に掲載しなければならないという事態が生じている。

 明治時代中期、書き言葉と話し言葉を一致させようとする「言文一致」運動が起きた。文語体から口語体へ移行した最初の小説が「たけくらべ」(樋口一葉)だというのが文学界の定説になっているが、このときの言文一致運動も、文語体で書かれていた「地の文」(セリフ以外の文章)を口語体に直すところまでが精いっぱいで、話し言葉と書き言葉との乖離を埋めるところにまで至らなかった。世界でおそらく日本人だけが直面しているであろうこの問題に、解決の方法はあるのだろうか。

 ●「打ち言葉」の台頭

 インターネット、とりわけソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の普及に伴って、最近は新たな問題が生まれている。話し言葉と書き言葉の中間に、SNSだけで使われる新たな言葉が生まれつつあるのだ。話し言葉ほどくだけているわけでなく、かといって書き言葉ほど堅苦しいわけでもない、これらの新しい言葉は「打ち言葉」と形容されることもある。「乙」(「お疲れ様」の意味で、ねぎらい、揶揄する場合の両方に使われる)や新年のあいさつの「ことよろ」(「今年もよろしくお願いします」の略)などはその典型であろう。加えて、これらの打ち言葉には、人前で声に出して話すには赤面してしまうような、雑な省略の仕方になっているものが多いという特徴もある。

 こうした言葉が生まれてきたのは、一投稿あたり全角で140字という厳しい字数制限があるツイッターの影響が大きい。この全角140字というのは、私にはかなり微妙な字数制限に見える。相手の言葉尻を捉えて叩くにはじゅうぶんな文字数なのに、叩かれた側がきちんと理解を得るように説明しようと思うと全く文字数が足りないからだ。

 こうした特性を持つツイッターが、結局は「(アベノミクスなどの)キーワード政治」「白黒、敵味方をはっきりさせる対立的でとげとげしい言葉やレッテル貼りの応酬」「気に入らない相手に対する一方的な“叩き逃げ”」といった現在の言論状況を生み出したように思う。

 私は、以前、とある集会で顔見知りの参加者に「140字しか書けないツイッターが不便で仕方がない」と言ったところ、「何言ってるの。川柳なんてたったの17文字よ」と反論され、言葉に詰まったことがある。それを聞いて「中途半端に余計なことが言えるツイッターより、必要なことを言うにも不便な川柳のほうがましだ」と思ったことを覚えている。制限字数が極端に少ないと、必要なことを誤りなく伝えるための詠み手の努力は俳句や川柳のように芸術に昇華するが、必要なことを伝えてなお少し余裕がある程度のツイッターではこのような努力が行われることもないのだろう。

 とはいえ、このような「打ち言葉」が日本語の中で大きな役割を占める時代は過去にもあった。最も速い情報伝達手段が電報だった時代、至急電(俗に言う「ウナ電」)で受験合格を表す「サクラサク」、離れて暮らす親族に危急を告げる「チチキトクスグカエレ」などの文例はその典型だ(ちなみに、私の使用する変換ソフト「ATOK」で至急電、ウナ電が変換できなかったことを考えると、この両方ともすでに死語らしい)。

 至急電とツイッターとの間に違いがあるとすれば、前者が特定の相手に用件を伝える実用的な手段であるのに対し、後者は不特定多数を相手としたコミュニケーション手段であるという点だろう。不特定多数を相手にするだけに、電報のような一律のルール化は難しい面もあるが、逆に言えば、不特定多数を相手にしたコミュニケーション手段であるからこそ、一定のルールが必要ではないかとも思う。日本人は、深刻化する一方の「打ち言葉」問題に、そろそろ真剣に向き合うべき時期に来ている。

 ●養老孟司さんが伝えたかったこと

 やや古いが、「バカの壁」などの著作で有名な作家の養老孟司さんが、週刊「AERA」誌(2013年1月28日号)のコラムで興味深いことを述べている。「読み書きをおろそかにしたくない」と題したコラムは私にとって大変刺激的であり、また「活字派」を元気づけるもので、私は大変好感を持った。

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 ここ最近の政治家を見て感じるのは、「しゃべる」ことには長けているが、書くものを読みたいとは思わない、ということ。書くといってもせいぜいツイッターかフェイスブックだろうが、それらは後々読みたい類のものではなく、あくまでも「瞬間芸」。その芸に、世の中がすっかり振り回されている。

 昭和を生きた政治家、とりわけ首相経験者であれば、その日記や回顧録には史料的価値があった。没後、仰々しい箱入りの本が出るのは一つの定番だった。平成以降、そんな本が出る政治家は果たしているだろうか。

 書くことは後世に歴史を残すことにつながるが、弁論はその場を制する手段である。その違いはかなり大きい。

 いま、日本でも書くよりしゃべるほうが優位になってきた。弁が立つことがもてはやされる。しかし、いかにもイデオロギー風の議論にどんな意味があるのか。読んで書くことを大切にしてきた日本語の本当の価値は、100年後か200年後かはわからないが、必ずや評価される日が来ると思う。
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 橋下徹・前大阪市長が登場して以来、私がずっと感じていたモヤモヤ、違和感の正体を養老さんが解き明かしてくれたような気がする。橋下前市長に典型的なのだが、最近の政治家は「今、この場で」相手を論破するのは大変うまい。それこそが政治家に最も必要な能力だと言わんばかりの風潮もある。

 だが、こうした政治家には時間軸が欠落している。彼らにあるのは「今、目の前にある瞬間」だけだ。時間軸が欠落しているから、過去は「過ぎ去ってしまったどうでもいいこと」であり、未来は「そんなの知ったことではない」のである。だから、過去の自分の言動と今の言動が不一致であることに罪の意識もなく、その場その場のムードでヒラヒラと言動を翻して恥じないのだ。

 『書くことは後世に歴史を残すこと、弁論はその場を制する手段』というところに、物書きとしての養老さんの矜持、意地を感じる。養老さんはここまではっきりと断言はしていないけれど、「しゃべることは『その場』で勝負することなのに対し、書くことは『歴史的時間軸』の中で勝負することなのだ」と主張したかったに違いない。

 忘れてはならないことがある。録音・録画技術が発達した今、書くよりしゃべるほうが得意な人たちも自分の言葉を記録して後世に伝える手段を得た。しかし、500年後に今のDVDと互換性を持つ再生機が残っているかはわからないし、ICレコーダーの使い方を500年後の人類が理解できるかどうかもわからない。それに対し、紙に文字で自分の言葉を書いておけば、500年後の日本人にも確実に伝わり、彼らに政治的、社会的影響を与えることができるだろう。結局のところ、最もシンプルな手段で自分の言葉を書き残すことができる者が歴史の上では勝利する、と考えることもできる。

 私が、世間的には実にくだらないと思うようなことも、わざわざ紙媒体に文章として記録し続けているのにはこんな理由もある。大切なことは長い歴史を見据えて行動し「最後に勝つ」ことである。それには紙に活字で書くことが最も有効な手段なのだ。

 ●若者の「活字離れ」は本当か~札幌の「文学フリマ」から見えてきたもの

 「日本人の活字離れ」が言われるようになって久しい。特に「若者の活字離れ」はメディアの定番ネタらしく、周期的に繰り返されているようにも思われる。だが、これらはいずれも「最近の若い者は」という年長者の愚痴に近いもので、周期的に繰り返される割には確たる根拠を欠いている。根拠なく批判される若者の名誉のために書いておくと、むしろ最近は若者の活字離れという俗説に逆行する動きも見られる。

 そのひとつが、今年7月、札幌で開催された「文学フリマ」だ。今年から始まったイベントで、文学作品に限定したフリーマーケットである。各自が、自分の書いた小説・詩などの文学作品を持ち込み売買する。

 このイベントの参加者を各年代別に見て、10~20歳代が最も多かったことは注目に値する。主催者も年長世代の参加を多く見込んでいたらしく、10~20歳代が多かったことに驚いたそうだ。私事で申し訳ないが、高校生の姪が最近、夢中になっているのも小説であり、好きな作家は東野圭吾、そしてどういうわけか夏目漱石という。

 日本文化のひとつと言われるアニメに目を向けても、最近はマンガやゲームが原作の作品に加え、小説が原作の作品が増えてきている。とりわけ、学園を舞台に、思春期の若者を主役とする「ライトノベル」の主要作家は20~30歳代も多く、インターネットの小説専用投稿サイト「小説家になろう」には、毎日、山のように新作が投稿されている。電車の中で文庫本を読んでいる30歳代くらいの人たちも結構見かける。

 こうした状況を見ていると、若者の活字離れなんて、誰が誰のどこを見て言っているのかと反論したくなる。全員が全員、そうと決めつけるわけではないが、むしろアニメばかり観て活字離れが最も進んでいるのは、50歳前後のバブル世代ではないか。集会、デモなどの運動現場にこの世代が極端に少ないことと無関係ではないようにも思える。案外、10~20年後は再び活字の時代になるのではないかと私は楽観的に見ている。

 いずれにせよ、活字をめぐる状況はさまざまで、一概に言えないように思う。物書きという立場上、活字をめぐる動向には人一倍、関心を払っているつもりだが、確実に言えるのは、活字に親しめば親しむほど思考が活性化されるということだ。折しも季節は読書の秋。例年以上に読書に親しむよう、私からもぜひ、お勧めしたい。

(黒鉄好・2016年10月1日)

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【転載記事】政府と一体化し原発推進に走る「連合」は解散せよ 原子力利権集団は消え去るべき

2016-10-29 23:25:14 | 原発問題/一般
10月16日投開票の新潟県知事選で、脱原発を訴え、野党(共産・社民・自由)推薦候補として立候補した医師・米山隆一氏が、事前予測を覆して当選した。驚いたのは、米山氏が民進党の新潟県第5区支部長であったにもかかわらず、民進党が米山氏に推薦を出さなかったため、民進党を離党して立候補せざるを得なかったことである。

民進党が自党員であるはずの米山氏に推薦を出せなかったのは、電力会社の労働組合、電力総連の強い影響を受けた連合新潟が反対したためと伝えられている。自民・公明とともに、敗北した原発推進の森民夫氏を推薦した連合新潟は、世論調査で60%超を占める脱原発市民の敵対者として、はっきり立ち現れたといえる。当ブログは、原発推進派を推薦した連合と電力総連を、本日以降、敵とみなす。

以下にご紹介するのは、脱原発団体「たんぽぽ舎」のメールマガジン(No.2918、2016年10月27日)の記事である。当ブログの公式見解とお考えいただいて差しつかえない。

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●政府と一体化し原発推進に走る「連合」は解散せよ 原子力利権集団は消え去るべき(山崎久隆(たんぽぽ舎))

◆事故直後に脱原発を阻止する活動

多くの加盟労働組合からの「上納金」と幹部の派遣で成り立つナショナルセンター「連合」。基幹労働組合は自治労や日教組などの公務員労働組合と私鉄総連やJR総連のような鉄道労組そして経団連のトップを出しているような大手のIT、重電メーカー、そして電力総連。このような巨大労組が多く加盟する上部組織が「連合」だ。

以前から、電力関連労働組合の連合体である電力総連が原発推進派であることは周知の事実だった。福島第一原発事故直後の電力総連の行動は驚くべきものだった。

事故の影響でまだ15万人もの人々が避難生活を余儀なくされている時に、民主党議員に対し、脱原発政策に反対する組織的陳情活動を行った。ある議員は「脱原発に方向転換されては、従業員の生活が困ると陳情を受けた」と朝日新聞に語った。民主党が当時も今も原発政策に灰色の方針をとり続けているのは電力総連が金も人も握っているからだ。

原発事故で大量に被曝した組合員の命や生活、被災者の命や生活よりも何が大事だというのだろう。

◆新潟県知事選挙でも

「連合」が新潟県知事選挙で自民、公明が推薦する森民夫候補を支持したとの報道に接し、もはやこの団体の存在意義は消滅し、今後は国や原子力ムラと一体となって脱原発を目指す自治体や運動に対して敵対行動を取ることが明確になったと判断するほかないと考える。

労働組合の存在を否定してはならないが、ナショナルセンターとして数多くの労働組合の上部団体として君臨し、貴重な組合費を使ってやっていることが、労働者を搾取し労働安全をないがしろにし、さらに加えて住民の命や生産活動まで奪いかねない現政権の支持と原発推進を行う、などというのでは、そもそも不当な存在でしかないことは明らかである。

「連合」も官公労組合(自治労や高教組)が力を持っていた時代は、まだそこまで酷くはなかった。しかしいまや「身も心も」堕落してしまったと言わざるを得ない。心ある組合は脱退するべきである。

◆労働組合の体をなさない

賃金要求闘争も長年にわたり経営側に敗北を続けてきたあげくに、安倍首相の「鶴の一声」で賃上げがいわば「実現」してしまい、官製春闘が「連合」の立場を喪失させた。一体今まで何をしてきたのか。組合員から素朴に非難をされることになった。言い換えれば「労働組合です」などと、恥ずかしくて人前に出られない体たらくということだ。

「同一労働同一賃金」は、組合のメインのスローガンだったが政府の政策目標にされてしまった。いうまでもなく言葉は同じでも目指すべき地平、内容は異なるのだが、ここでも労働組合の存在意義が疑われる事態になったことは事実だ。

もはや労組組織率(2015年で17.4%)が喫煙率(2013年で21.6%)よりもはるかに低い現状では、高い組合費を払うイミを理解できない若年労働者が大勢現れても仕方が無い。

そんな地盤沈下の中での、新潟県知事選挙における与党候補応援さらには原発再稼動推進の姿勢を見せつけられては、「連合」の存在そのものが市民の安全にとって有害であると言うほかない。

米山隆一氏の支援をしなかった連合と、その連合から票や資金の支援を受けている民進党が、あろうことか自主投票にしてしまった後に、それを押して独自に米山候補の応援に立った蓮舫代表の勇気は高く評価したい。

このあと連合から、あるいは利権を共有する民進党議員から横やりが入るだろうが、負けずに脱原発の政策を高く打ち出すことを期待したい。そうでなければ民進党を責任のある野党、そして政権運営の可能な政党へと進化させることはできない。

◆連合ではなく他のナショナルセンターを

「連合」の他にもナショナルセンターとしては「全労連」と「全労協」という団体が存在する。大きさはかなり違うが、連合よりもまともな労働運動を展開する集まりだ。未組織労働者の組織化、派遣労働者等の権利擁護は、労働組合の重要課題である。「連合は要らない」と主張しても「労組無用論」を唱えているわけではないことを付け加える。

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「日高線廃線を地元が容認」の北海道新聞の報道について

2016-10-26 18:36:48 | 鉄道・公共交通/交通政策
日高線の一部廃線容認へ 沿線7町、バス転換前提に

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 昨年1月の高波被害で鵡川―様似間(116キロ)の不通が続いているJR日高線について、沿線の日高管内7町の町長が、代替バスへの転換を前提に、一部廃線を容認することで合意したことが21日分かった。路線維持に伴う多額の費用負担は困難と判断した。11月に開かれるJRと道との沿線自治体協議会で表明し、今後はバスの運行形態やルート、地域振興策などをJRと協議したい考え。ただ、鵡川―日高門別間の路線維持を求める声もあり、廃線区間は調整が必要とみられる。

 日高管内の浦河、日高、平取、新冠、新ひだか、様似、えりもの7町長が17日、札幌市内で同管内選出の道議と非公式で協議した。

 その結果《1》運行再開を断念し、不通区間の復旧を議論する沿線自治体協議会は11月の次回で終了する《2》JR北海道からバス転換の正式提案を受け、条件面の協議に入る《3》バス転換に伴う地域課題などを話し合う新たな協議組織を設立する―ことを確認した。

 一部の町長からは鵡川―日高門別間については運行再開を求める声があった。「住民の利便性を損なうことがないようにするべきだ」「(JRや国、道から)さまざまな支援を引き出すことが重要だ」といった意見も出た。
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10月22日付の報道になるが、上記の通り、日高線沿線の7自治体の長が、バス転換を前提に廃止を容認することでまとまった、とする内容を北海道新聞が伝えた。しかし、結論から言うと、この報道は完全な誤報だ。

沿線7町村長が会合の場を持ったことは事実だが、この会合には道もJRも出席しておらず、廃線協議をする場ではない。沿線町村長による単なる懇談会程度の位置づけに過ぎない。また、沿線7町村長の意見もバラバラだ。廃止絶対反対から、やむなく容認まで大きな隔たりがあり、存続、廃止のいずれにもまとめられる状況にない。

当ブログがこのように断言できるのにはいくつかの根拠がある。まず、この報道に関し、沿線の自治体が正式に北海道新聞社へ抗議の申し入れをしたことを、別の地元紙「日高報知新聞」が報じている。



ちなみに、抗議文は以下の通りだ。



この問題については、2日後の10月24日、NHK北海道放送局も、ローカルニュース枠で伝えている(参考記事「日高線13億円負担せずで一致」)。

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運休が続くJR日高線をめぐり、地元の自治体は、会社側が負担を求めた13億円あまりの維持費について負担は難しいという認識で大筋で一致し、来月上旬にも開かれるJRなど関係者の会合で伝える一方、路線存続に向けて引き続き模索を続けることにしています。

去年1月の高波による被害以降、運休が続くJR日高線について、JR側は先月、運行再開のためには、赤字補てんや最小限の老朽対策費として13億4千万円を負担するよう沿線の7つの町に求めました。

これについて、7つの町の町長らがこのほど協議した結果、負担は難しいという認識で大筋で一致し、来月上旬にも開かれる関係者の会合でJR側に伝えることを決めました。

一方で、自治体側は、路線存続に向けて何らかの対応策がないか、引き続き模索を続けることにしています。

日高町村会長で新冠町の小竹國昭町長は24日、NHKの取材に対し、「13億円というのは非常に重い負担であり、町の財政的にも負担できるものではない」と述べました。

そのうえで、「日高線を存続したいという気持ちもあり、沿線の町でつくる協議会の中で利用促進策を提案するなど存続に向けた取り組みを一生懸命続けている。今後の協議でJR側が日高地域の公共交通をどのように考えているのかを確認したい」と述べて、日高線の存続を引き続き求めていきたいという考えを示しました。

また、浦河町の池田拓町長は、記者団に対し、「13億円あまりの地元負担は到底受け入れられない。浦河町としては交通弱者を含めた住民の復旧してほしいという思いを形にしていきたい。しかし、JRの厳しい経営状況も理解できるため、あくまでも復旧を柱にしながらさまざまな方法を模索していきたい」と述べました。
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いずれにしても、現時点で、日高線沿線町村が廃止に同意したという事実はない。

現在、日高線の復旧、存続を求める地元の市民団体が、北海道新聞に記事の削除と撤回、謝罪を要求しているが、北海道新聞は再三の要求にも頑として応じる気配がない。そうしている間にも、北海道新聞の記事に基づいて「廃止決定」という誤った情報が独り歩きしていることを危惧しており、安全問題研究会としても、北海道新聞社へ記事の撤回・謝罪要求を出すことを検討している。

北海道新聞社は、仮にも地元紙として、地元住民の足、交通権を守る立場からの報道を心がけるべきであると当ブログは考える。このような住民利益に反する大誤報事件を引き起こしながら、今後も記事の撤回・謝罪要求を拒み続けるなら、北海道新聞の地元における信用が失墜するとともに、それなりの末路が待っているということを、当ブログは警告しておく。

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10月21日の鳥取県中部の地震について

2016-10-22 17:22:00 | 気象・地震
平成28年10月21日14時07分頃の鳥取県中部の地震について(気象庁報道発表)

鳥取での地震について、コメントしておきたい。

地震の規模はM6.6で、今年4月の熊本地震(M6.4)とほぼ同程度。M7.2の阪神大震災と比べてエネルギーは約32分の1。地震の深さは11kmで、これも熊本地震と同じ。発震機構(地震のメカニズム)は西北西-東南東方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型(速報)。熊本地震は、南北方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型だった。圧力軸の方向が違うだけで、横ずれ断層型は熊本地震と同じである。ここまで何もかも同じだと、やはり熊本地震によって引き起こされた関連地震なのでは……と思ってしまう。

熊本地震とともに気になるのは、9月12日に韓国・慶州で発生した地震だ。この地震の規模はM5.8、深さは10kmと熊本、鳥取と大変よく似ている。発震機構は正断層型(断層を境に地殻が互いに引っ張り合う張力軸型の地震)であるとされ、熊本、鳥取の圧力軸型(断層を境に地殻が互いに押し合う地震)とは逆のメカニズムが働いている。

ただ、発震機構が逆だからといって、熊本・鳥取と慶州の地震が無関係とも思えない。今回の鳥取地震の圧力軸の方向(西北西-東南東)の延長線上に韓国・慶州が位置しているからだ。その上、熊本、韓国・慶州、鳥取の震源はいずれもユーラシアプレートの上にあり、その縁に近いという共通点もある。近年、ユーラシアプレートが活発化しているのは明らかであり、何となく、この3つの地震をセットで考えなければならないような気がしている。

今回、震度6弱を記録した14時7分の地震の2時間ほど前、12時12分に、「前震」とみられる震度4の揺れを記録している。このとき、私は昼休みに家に帰り、昼食を摂っている最中にテレビで地震速報のテロップを見た。

テロップの直後、震源となった鳥取県中部の過去の地震履歴を見ると、興味深い事実が浮かび上がった。この地域では、2008年11月2日に震度1の微弱な地震を記録して以降、2015年10月15日に、やはり震度1の微弱な地震を記録するまで、約7年間、有感地震さえ1度も起きていなかった。それが、この2015年10月15日の地震以降、わずか1年で50回もの有感地震を記録していたのである。

7年間、1度の有感地震もなかった場所で、わずか1年の間に50回もの有感地震を記録する。明らかな異変であり、これを「前兆」と言わずして一体何と言うのだろうか。

私は、「これは明らかにおかしい。異変が起きているのは確実なので、今後数日のうちに鳥取で大きな地震があるかもしれない」と妻に言い残して午後の仕事に出かけた。しかし、まさかそれがわずか2時間後に現実になるとは思わなかった。

最後に、今回の鳥取の地震で気がかりなことがある。地震の規模(M6.6)の割に最大震度(6弱)が小さすぎること、余震の回数があまりに多すぎることだ。地震のエネルギーはまだ完全に放出されていないと見なければならない。熊本地震と同じように、数日後、「あれが前震だったね」と言われる規模の「本震」が起きる可能性は十分ある。震源に近い地域では念のため厳重に警戒してほしい。

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福島県民健康調査検討委員会「甲状腺検査評価部会」の清水一雄部会長が辞表提出

2016-10-21 18:41:00 | 原発問題/一般


福島県民健康調査検討委員会「甲状腺検査評価部会」の清水一雄部会長が辞表提出したことが「北海道新聞」の報道で明らかになった。記事は10月21日付け。北海道新聞で原発を担当している本社報道センター・関口裕士記者によるもので、清水部会長へのインタビューの形を取っている。次回、開かれる予定の甲状腺検査評価部会で清水部会長の辞任が認められる見通しで、今後は委員の形で議論に加わるとしている(部会長を降りるだけで、評価部会の委員を辞めるわけではない)。


清水氏は、このインタビューで「(甲状腺がん患者が174人であることについて)もともと小児の甲状腺がんは100万人に数人。数字上、多発は間違いない」「通常、甲状腺がんは1対7で女性が圧倒的に多いが、チェルノブイリも福島も1対2となっており、男女比がおかしい」と主張。本人は「わからない」を強調しているものの、事実上、被曝が原因と暗に認める証言をしている(チェルノブイリでの甲状腺がんに、通常との比較で男性が多かったことは、放射能の健康被害を訴えている松崎道幸医師も同様の指摘をしている)。

清水氏は、甲状腺検査評価部会で唯一の甲状腺専門家であり、ベラルーシでの住民の診療にも当たってきた。その清水氏が部会長の立場から「逃亡」したことになる。後任の部会長の人選は不明だが、現在の部会員の中から新部会長が「互選」されることになれば、今後は甲状腺の専門家でない者が部会での議論を主導するという、およそ考えられない事態となる。

放射能と甲状腺がんとの因果関係について「考えにくい」と言い張ってきた検討委による非科学的な調査・分析・検討体制がいよいよ崩壊に向かい始めたことを示している。放射能による甲状腺がんの「多発、異常発生」が覆いがたい事実として現れてきたことを反映する動きであり、今後に注目すべきだろう。

一方、「3巡目」となる甲状腺検査に関し、福島県が今後の検査の案内を希望しない県民に「希望しない」の項目を選択できる内容の文書を送付している問題で、「政経東北」2016年10月号は、県民健康調査検討委員会の場で委員の誰も縮小に賛成していないとする重要な内容を伝えた。同誌によれば、9月14日に開催された検討委での各委員の発言内容は次の通り。

・清水一雄委員「当事者とその家族の気持ちに寄り添った対応を心掛けるべき。がんやがんの疑いと診断される人がこれだけ増えてくると、いまは『放射線の影響ではないか』という懸念も考慮に入れながら検証していくべきだろうと思っています。ですから少なくとも10年は縮小せず、いまの体制のまま検査を続けるべきです」

・清水修二委員「この委員会の目的は県民の健康を守ること、被曝の影響を確認すること」

・堀川章仁委員「チェルノブイリでは事故後5年経ってから甲状腺がんが増えていることを踏まえると、今後も継続して検査すべき」

・高村昇委員「県民の不安を解消するには、甲状腺に限らず検査を受けたい人がアクセスしやすい体制を築くことが重要。そういう意味で今後課題になるのが、受診者の年齢がどんどん上がり、県外に出て行く人が増えた際の検査をどうするかということ。現時点でも18歳以上の受診率は低いので、いまから議論を始めるべき」

・春日文子委員「一番は県民の気持ちと身体に寄り添い、長期に見守ること。そして、より一層健康的な生活が送れるよう支援すること。これからどのような影響が出るのかしっかり見ていかないと最終的な判断は下せないと思うので、少なくとも今後5年、10年は検査を続ける必要がある」

・成井香苗委員「今後も検査を続けていけば原発事故の影響はなかった、あるいはあった、いずれかの結論が出るのでしょうが、私はどちらの結果になっても被曝した子どもたちにとってはいいことだと思う。影響があれば、国に責任を認めてもらい、さまざまな対策や補償を求めればいい」

このような委員の意見を受け、星北斗・座長が「すぐに(縮小の)結論を出すことはしない」と議論を引き取っている。

山下俊一氏の「弟子」であり、県放射線健康リスク管理アドバイザーとして「安全論」を振りまいてきた高村委員でさえ、甲状腺検査「縮小」には同意せず、むしろ進学・就職などを通して県外へ転出する県民へのフォローをすべきだという正当な意見を述べている。

3巡目検査における「希望しない」欄の創設は、県が福島県小児科医会や地元紙「福島民友」を使って地ならしをした上で、検討委における委員全員の意見を無視して一方的に強行した可能性が強まった。清水氏の甲状腺検査評価部会長辞任もこうした県の姿勢に対する「抗議」と見るべきであり、今後は県に対する批判をいっそう強めるとともに、検査・治療体制の拡充を求めていく必要がある。

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【管理人よりお知らせ】Win10とMSに抗議の意思を示すため、PCからのネット接続を当分の間取りやめます

2016-10-20 23:57:59 | 運営方針・お知らせ
9月以降、マイクロソフト社の取っている「セキュリティ対策」に抗議の意思を示すため、当ブログ管理人は、今後、当分の間、PCからのネット接続を一切行わないことに決めました。

9月以降、MSが行っている「更新プログラム」の配信は、本当にひどいものです。容量の大きな更新プログラム(特に容量の大きいのが「Windows 10、バージョン1607の機能更新プログラム」)のダウンロードを止める手段もなく、勝手にダウンロード、勝手に更新してしまいます。それでも、更新プログラムの適用が一度で成功するならまだ我慢もできますが、適用に失敗することも多く、その場合、再び容量の大きな更新プログラムを勝手にダウンロードするところから始まってしまいます。

ほとんどの人にとって、ネットは固定の光回線で、通信容量も無制限なので実害はないのでしょう。しかし、当ブログ管理人の住んでいる地域は、地方のへき地で、固定の光サービスのみならず、ADSLのサービスエリアからも外れています。現在は、通信容量が7GB限定のモバイルルーターで通信をしています。

そのため、9月以降、7GBの回線容量をすぐに使い切り、別料金を払ってデータ容量をチャージしても、それもすぐに使い切ってしまう、いたちごっこが続いています。「Windows 10、バージョン1607の機能更新プログラム」の適用がようやく成功し、もうこれで終わりと思っていたら、その後も大容量の更新プログラム配信が続き、まったく追いつきません。

MS社が一体何がしたいのか、まるでわかりません。ここまでしなければ修正できないほどのバグを抱えているなら、Win10への移行を促すのはやめるべきです。9~10月のデータチャージ料金だけで、すでに1万円以上かかっていて、本音を言えばMS社に損害賠償を請求したいくらいです。今、この記事を見ている人で、Win10へのアップグレードを考えている人がいたら、絶対にやめたほうがいいです。

最近では、更新プログラムの適用作業をするためにPCを起動しているような、かなり本末転倒な状況になっていて、PCを起動するのを苦痛に感じます。更新プログラムのダウンロードに終わりが見えず、この先、データチャージ料金もいくらかかるかわかりません。

その上、更新プログラムの配信を手動で止める手段もない以上、もはや「PCをネットに繋ぐのをやめる」以外の防衛策はないとの結論に達しました。

このため、当ブログ管理人は、PCを資料作成や原稿執筆のためのスタンドアロン機としてのみ使用し、ブログやサイトの更新を含めたネット活動は当分の間、タブレット端末からに限定します。ネット上のレスポンスはかなり低下するおそれがありますので、当ブログ管理人をリアルで知っている方で、急用のある方は携帯へのショートメールやEメール、電話でご連絡いただけると幸いです。せっかく、半月の入院生活から戻り、自由にネットができると思っていたのに……。

PCでのネット接続を再開できる日が来ましたら、改めてお知らせします。

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報告:「さようなら原発北海道集会」に2500人

2016-10-09 22:03:28 | 原発問題/一般
10月8日、札幌市大通西8丁目広場で「さようなら原発北海道集会」(主催:さようなら原発1000万人アクション北海道実行委員会)が開催され、曇り空の下、2500人(主催者発表)が集まった。

主催者あいさつの後、5人がスピーチ。ルポライター鎌田慧さんは「安全、クリーン、安いという原発推進の根拠は福島原発事故ですべて失われ、再稼働を進める根拠として彼らの手に残ったのは“企業のカネ儲け”だけ。原発再稼働とは、一握りの者たちや企業のカネ儲けのため、ここにいる全員が死んでもいいという意味であり、戦争体制と同じだ」と述べ、原発再稼働を進める動きを批判した。続いては、上田文雄・前札幌市長が、再稼働を止めるために市民の団結を呼びかけた。





スピーチ3番手は、3.11後、福島県伊達市から札幌市に避難した宍戸隆子さん。「みなさんは、今ここで、大きく深呼吸することができます。でも私は、ここに来るまでは深呼吸することもできない場所にいました」と語り始める。札幌における避難者運動の「顔」として、各地で講演、スピーチを続ける宍戸さんの語りは、会場を一気に引きつける。

「放射能や、避難するかどうかをめぐって、家族や友人、身近な人たちとの間で繰り返される意見の違いや対立、分断。もしも泊原発が爆発したら、札幌にも放射能は降り注ぎます。そのとき、身近な人たちを置いて、何もかも捨てて避難するという決断を、今ここにいるみなさんはできますか? おそらく、かなり難しいと思います。私たちと同じ人たちを、二度と生まないために、泊の再稼働を止めてください」と訴えかけた。



鹿児島からは川内現地で闘う仲間からの報告があった。7月の鹿児島県知事選で、川内原発の停止を公約に掲げた三反園訓氏が当選したが、鹿児島県と薩摩川内市、九州電力の3社で結ばれた安全協定には、他の原発立地地域における安全協定では当たり前であるはずの、立地自治体の稼働同意権すら明確に規定されていない。つまり、九州電力の原発は、定期検査の他、「事故」でしか停止できないということだ。さすがは玄海原発の再稼働をめぐる公聴会で「やらせメール」問題を起こした九電だけのことはある。しかも、このとき「やらせメール」問題の責任を取る形で辞任したはずの真部利応・九電顧問はその後、子会社「九州通信ネットワーク」の取締役会長に、優雅に「天下り」している。でたらめが目立つ電力会社の中でも群を抜くでたらめぶりだ。

九電については、呆れるようなでたらめぶりをさらにいくつか指摘しておこう。少し古いが、組織内候補の選挙運動をするため、社員が会社を一時休職する「選挙休職」を認めていることが、2013年3月、朝日新聞の報道で判明したが、このような制度を設けているのはもちろん電力会社の中でも九電だけだ。

まだある。2014年3月、九電が公表した「川内原子力発電所火山影響評価について(コメント回答)」と題する資料で、九電は、火山爆発の際、どの方向に、どのように風が吹いたとしても、火山灰が川内原発のある薩摩川内市周辺だけを「きれいに避ける」とする噴飯もののシミュレーション結果を公表している。ここまで来るともはや漫画だ。このような企業が原子力を扱っているという事実に戦慄を覚える。






●九電が公表した資料。火山灰が川内原発だけを巧みに避けてくれるという、根拠なきシミュレーションだ

この集会が行われた8日、くしくも阿蘇山が1980年以来、36年ぶりの爆発的噴火を起こし、噴煙は遠く四国や兵庫県にまで降り注いだ。史上初めて震度7を2度観測した熊本地震でも川内原発を止めなかった愚かな九電への、天からの「最後通告」と受け止めるべきだろう。

スピーチの最後はインドから、クマール・スンダラム氏が登壇。年内にも予定されるモディ印首相の訪日と、安倍首相との会談により、日印原子力協定が締結されるおそれがあるとの見通しを示した上で、原子力協定締結阻止を訴えた。



最後に、参加者全員で、「自然と共に生きるなら原子力なんて必要ない」「STOP再稼働」のプラカードをいっせいに掲げアピール。札幌市内をパレードしながら再稼働阻止を訴えた。




●プラカードでアピール


●経産省前テントひろばでもおなじみ、「原発いらない福島の女たち」の黒田節子さん






●工夫を凝らしたさまざまな横断幕。市民団体、労組のノボリも並ぶ












●パレードが出発。再稼働阻止を訴えた

(文責:黒鉄好)

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【管理人よりお知らせ】あすから職場復帰します

2016-10-02 22:11:17 | 日記
管理人よりお知らせです(有名人でもない、当ブログ管理人の生活実態を知りたい人がいるとは思えませんが……)。

管理人は、9月1日の退院以来、自宅で療養生活を続けていましたが、このほど、主治医より職場復帰の許可を得ました。このため、明日、10月3日をもって職場復帰します。当分、残業なしでのスタートになりますが、勤務時間は入院前と同じフルタイム。完全な社会復帰とお考えいただいてかまいません。

なお、これを逃すと、私の病状について(知りたい人がいるかどうかは別として)説明をする機会は当分、ありませんので、この機会に、簡単な説明をしておきたいと思います。

私の入院と、当ブログの更新停止を告知した8月15日付け記事では、病状について「重要な消化器系疾患」としかお伝えしていませんでした。実際の診断名は「胃がん」で、勧められた手術内容は胃の全摘出という、それなりに重く、今後の社会生活を送る上である程度の覚悟も必要になるものでした。

手術を受けるかどうかはかなり迷いましたが、知人にひとり、胃の全摘出手術を受けた人がいて、順調に回復し社会生活を送っていること、胃周辺のリンパ節の一部に転移があるものの、他の臓器への転移はなく、手術でがん細胞を体内から一掃することが可能であること、高齢者と異なり余命が長いこと――等の事情を考慮して、最終的に手術を受ける決意をしました。

手術は成功し、9月1日に退院しましたが、今後は消化器官としての胃がなくなってしまったため、以前と異なり、食生活に大きな制限を受ける状態がしばらく続くことになります。

1~4まであるがんのステージは「2の初期」と言われており、それほど深刻ではありません。少なくとも、日本の鉄道の全線完乗を達成し、国内原発の最後の日を見届けるまでは死ぬわけにはいきません。

今後は暴飲暴食を厳に慎み、平均寿命までは生きるつもりで、与えられた役割をしっかりこなしながら、みなさんの期待に応える人生の後半戦にしたいと考えています。引き続き、当ブログをよろしくお願いいたします。

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