安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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2011年は中東民主化ドミノの年となるのか?

2011-01-30 23:51:00 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人がインターネットサイト向けに執筆した原稿をそのまま掲載しています。)


 2011年に入って早々、北アフリカ・チュニジアで23年間にわたったベンアリ独裁政権が「民衆蜂起」で崩壊したと思ったら、今度は隣の隣・エジプトでムバラク独裁打倒を訴えるデモが激しさを増している。

 市民が「打倒」の対象としているホスニ・ムバラクはエジプトがシナイ半島をイスラエルに奪われた第三次中東戦争後、空軍大将として壊滅状態となった空軍の立て直しに成功し、サダト大統領から副大統領に任命されて政治的立場を固めた。サダトはシナイ半島をイスラエルとの講和によって返還させるなど大きな政治的手腕を発揮したが、1981年、「イスラエル壊滅」を訴えるイスラム原理主義者の凶弾に倒れた。サダト暗殺直後、副大統領から大統領に昇格したムバラクは、イスラム原理主義の抑圧を口実に強権体制を敷き、あらゆる反対運動を弾圧しながら30年にわたって権力を維持してきた。首都カイロに住んでいるある日本人駐在員は、「外国人の目で見ても、(エジプト国民は)よく我慢しているなという印象を受けた」と商業メディアの取材に対して答えている。

 今年、83歳となるムバラクの健康状態を巡っては、癌との噂、またドイツで胆のうの摘出手術を受けたのではないかとの噂が流れるなど、様々な憶測を呼んできた。30年というあまりにも長すぎる政権とあいまって、このところムバラクの求心力には急速に陰りが見えていた。2011年はエジプト大統領選の年でもあり、エジプト政治にとって激動の1年になることは新年早々から予測されていたが、それでも中東情勢に詳しい識者の多くはこんなに早くムバラク政権の危機が訪れるとは予想していなかった。現に、英フィナンシャル・タイムズ紙のルーラ・ハラフ記者は、「2011年、エジプトでムバラク時代は終わるか」との問いに対し「ムバラク一族の意向が通るなら、ノーだ」と答えている。

●頭をよぎった1989年の東欧ドミノ

 チュニジアで始まった「ジャスミン革命」はエジプトに影響を与え、イエメンでも民主化を求める市民のデモが始まるなど、押さえつけられていた政治的不満が新たな胎動を呼び起こしつつある。今、筆者の関心はただ1点に絞られている――2011年が1989年の再来となるのかどうかである。東欧諸国を抑圧していた「ブレジネフ・ドクトリン」が消失し、ソ連のくびきから解き放たれた市民が次々とスターリニズム独裁を覆した東欧ドミノ革命が、アラブ諸国でいよいよ再現されるのだろうか。

 それにしても、中東諸国は、こうしてコラムの題材にしているだけでもうんざりするような長期独裁政権ばかりだ。ムバラク政権30年、崩壊したベンアリ政権が23年。リビアのカダフィ政権に至っては1969年の成立から今年で42年目に突入する。あのスターリンでさえ、1922年の党書記長就任から53年の死去まで在任期間は「わずか」31年に過ぎないのだ!

 長期個人独裁でない国に目を転じても、アサド大統領が2000年に死去するまで「邪魔者は消せ」とばかりに敵対勢力の粛清を繰り返したシリア、シリアと競うように反対派の粛清が続いたサダム・フセイン政権下のイラク、選挙で国民が選んだ大統領の政策が選挙もされない「絶対不可侵」のイスラム聖職者たちによって次々に覆されていくイラン。そして、覆す以前に国会も選挙もなく、2005年にようやく「地方評議会議員の半分だけ」選挙が導入された絶対王政のサウジアラビア(そもそも、この国名自体が「サウド王家のアラブ国」という意味であり、王家による国家私物化を如実に示している)。

 中東諸国の独裁がいかに異常で深刻な事態か理解できるだろう。そもそも、これだけの石油収入がありながら、国民になんの恩恵ももたらされない社会体制に対して疑問を持たない方がどうかしている。これら諸国では民衆の不満は頂点に達しており、いつ爆発するともしれない不穏な空気が漂っていたとしても不思議ではない。

●むかし衛星、今ネット

 エジプト危機の引き金を引いたチュニジアに関して、筆者は北アフリカの砂漠の国という他に、PLO(パレスチナ解放機構)の本部が置かれていたことがある国だという程度の知識しかなかった。そこで起きた民衆革命のことは「飛幡祐規 パリの窓から(14)「砂漠に種を蒔く」~ジャスミン革命がもたらす希望」が詳しいので、そちらを参照いただきたいが、インターネットを通じた情報化によって人々がしなやかに結集していく様子が生き生きと描かれている。エジプトでも、反政府デモに参加している若者のひとりが「これはフェースブック革命だ」と叫んでいるのを見て、筆者は軽い衝撃を覚えた。

 フェースブックとは、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)と呼ばれる会員制ホームページサービスだ。実名で会員登録をし、プロフィールを公開して趣味や指向を同じくする同好者と交流を図る。実名で情報を発信することから、情報の信頼性は一般的に匿名制のサイトより高いといわれる。先行するSNSとしてはすでにmixi(ミクシィ)があるが、フェースブックはすでにミクシィを大きく超え、昨年までに全世界の会員数が5億人を超えた。

 チュニジアでベンアリ政権を崩壊させる市民集結のツールとしてフェースブックとツイッターは重要な役割を果たした。市民をつなげる情報ツールとしてのネットの力に驚愕したムバラク政権は、今頃になってネットと携帯電話を遮断する処置を取ったが、多数の市民が街頭に出てしまった後とあっては、もはや手遅れだろう。

 1989年の「東欧革命」では、体制変革に大きな役割を果たしたのは衛星放送だといわれた。西側諸国が衛星放送で東側に向けて番組を流し続けたことが、自由の価値を東欧の市民に認識させたというのだ。実際、東欧革命の端緒を作ったポーランド自主管理労組「連帯」のワレサ委員長(民主化後、大統領に当選)はこう語っている。「世界は衛星放送によってひとつになった。喜びも隠せないし悲しみも隠せない。兵器も隠せない。そしてもはや何も隠せない」。

 世界政治の大きな変革期には、変革を象徴する情報ツールが登場することが多い。そして、新しい情報ツールを駆使して下から広がる連帯の動きに対し、独裁者の対策は常に後手に回ることになるが、それは当然だろう。政敵や反対者を粛清し、イエスマンばかりに囲まれた「裸の王様」は批判されることがないから自分の頭で考えることもない。長期にわたってそんな状態が続けば、やがて考えること自体ができなくなり、想定外の事態が起きたとき対処できず、独裁支配は解体することになる。新たな情報ツールの出現によって民衆蜂起が引き起こされている現在の状況は、その意味でも1989年に酷似している。

●中東民主化で困るのは誰か?

 ところで、中東諸国が民主化した場合、最も困る国はどこかと尋ねられた場合、読者の皆さんはなんと答えるだろうか。筆者は「米国とイスラエル」だと答える。

 米国は第二次大戦後、あらゆる手法で中東諸国の石油を支配しようと試みた。それはあるときは成功し、あるときには失敗したが、米国を悩ませるほどの反米産油国がイランとベネズエラ程度しかない現在では、概ね成功しているといっていいだろう。

 米国から見れば、石油を支配するには親米独裁>反米独裁>親米民主主義>反米民主主義の順に都合がいい。反米独裁と親米民主主義は順序が逆ではないかといわれそうだが、反米独裁政権に対しては、米国はいつでも軍事力を行使して親米独裁に変えることができる(イラクが典型例)。政府の政策が「世論」に影響され、前の政権との間で締結された米国に有利な石油供給契約がいつ次の政権によって破棄されるかもしれない民主主義では、米国は枕を高くして寝られないのだ。特に、民主主義的に選出された政府が米国の開戦に強硬に反対する、イラク戦争当時の独仏のようなケースが米国にとって最も厄介な相手である。中東産油国の多くが独裁政権である現状では、米国は独裁者を援助で懐柔し、体制を保障しながらできるだけ有利な石油供給契約を締結さえすればよい。独裁者は長期にわたって交代しないから、この先何十年もの間、安く石油を買える契約が米国に対し保障され続ける。

 イスラエルにしても同様である。イスラエルの選挙制度は、かつて日本でも参議院の一部が採用していた全国を一選挙区とする拘束名簿式比例代表制だが、この選挙制度はパレスチナ人を国会から締め出すために最も好都合である。パレスチナ人を一定の狭い地域に押し込めて生活させているイスラエルでは、地域代表を個人名投票で選ぶ選挙区制を採用した場合、パレスチナ人の国政進出が避けられない。そこで、比例代表名簿に誰を搭載するかが各政党に委ねられている拘束名簿式比例代表制とすることで、ユダヤ人だけが比例代表名簿に載るようにしているのである。パレスチナ人には、ユダヤ人だけを候補者とする各政党のなかから自分の考えに近い政党を選ぶ自由が与えられているに過ぎない。

 もし、中東諸国で非アラブ人も含めて誰でも自由に選挙に立候補し、誰もが平等な投票権を持つ先進国並みの民主主義が確立するとしたら、それはイスラエルにも大きな影響を与えるだろう。中東諸国は自分たちの民主主義に自信を持つ。「腐敗した独裁政治に毒された2級国民はせん滅されても仕方がない」と、周辺諸国への無差別な武力攻撃を正当化してきたイスラエルの論拠は根底から崩れ去る。それどころか「非ユダヤ人を締め出し、ユダヤ人だけで民主主義だと寝言を言っているイスラエルと、奴隷が締め出され平民だけに選挙権が与えられていた古代ローマの“民主政”はどこが違うのか」と中東諸国から論争を挑まれた場合、自己改革を迫られるのはイスラエルのほうだということになる。

 筆者は、だからこそ中東民主化の最大のチャンスが巡ってきた今、一気に民主化を実現すべきだと訴える。民主化が実現すれば、米国は中東諸国から石油を買うため独裁者ではなく民衆を説得しなければならなくなる。イスラエルも自己改革を迫られる。そのことだけでも、途上国の犠牲の上に莫大な利益を上げている米国の多国籍資本に大きな打撃を与えることができる。中東和平の推進にも良い影響を与えるに違いない。

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メディアの「主役交代」が始まった

2011-01-26 22:58:04 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 新しい年、2011年が始まった。この号が読者諸氏のお手元に届く頃には、1月も終わりを迎えて、おとそ気分などとうの昔に吹き飛んでいることだろう。過ぎ去りし2010年を振り返るにももういささか遅すぎの時期だが、2010年はマスコミ、メディアを考える上では非常に重要な1年だったと思うので、簡単に振り返るとともに、メディアという観点から2010年代を展望してみよう。

●テレビが恐れていた最悪の事態

 すでにインターネットを中心に何人かの「識者」が指摘しているが、2010年は「メディアの主役交代」を世間がはっきり認識した最初の年だったといえる。すでに数年前から、朝の情報番組やバラエティ番組を中心にインターネット発の人気商品や飲食店、有名人が紹介されることが増えていたが、それでも「最近、ネットで話題の何々(あるいは誰それ)」というフレーズが良い意味で使われることはほとんどなかった。取り上げられる対象もアニメオタクだったり、ゲテモノ料理を食べさせる店だったり、秋葉原の歩行者天国でミニスカート姿で脚を広げて下着の撮影をさせた挙げ句、公然わいせつ罪で逮捕されたネットアイドルだったりと、どこか見下したような印象を受けることが多かった。あくまでメディアの主役はテレビであり、ネットは格下だということがテレビ局・視聴者、ネットユーザーの間の「暗黙の合意」だったように思われる。

 メディア界を当たり前のように覆い尽くしていたそのようなヒエラルキーを一気に崩壊させる出来事が、2010年中盤から後半にかけて相次いで起こった。日中関係を揺るがす外交問題にまで発展した尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件ビデオの動画投稿サイトへの流出と、暴露サイト「ウィキリークス」問題である。

 これらの問題を通じて浮き彫りになったのは、内部告発や情報暴露がテレビからネットに移るとともに、これまでメディアのヒエラルキーの頂点に位置していたテレビがネットの後追いでしか物事を報道できなくなる時代が到来したということである。それはテレビ界にとって、恐れていた最悪の事態にほかならない。

●先ずネットから始めよ

 本稿はメディアの「主役交代」を論ずることが目的なので、動画投稿サイト「ユーチューブ」で起きた尖閣ビデオ流出問題や、ウィキリークス問題の詳しい経過にここでは触れないが、こうした主役交代の背景には、ネットの普及とともにひとりひとりが情報発信の道具を手にしたことが大きい。

 ネットが普及する以前も、金に糸目をつけなければ高画質で撮影できるビデオカメラや高音質で録音できる機材を入手することは可能だったが、そうして記録された立派な告発画像や音声も、結局はテレビ局に持ち込むくらいしか世に問う方法がなかった。最近でも、大阪府警による任意の事情聴取を受けていた男性が「わしは警察や」「殴るぞコラ」などとヤクザまがいの口調で接する警察官の肉声を隠し撮りし、テレビ局に持ち込んでそれが放送されたという例がある。筆者もこの「隠し撮り音声」をテレビで聞いたが、「オイコラ警察」などと言われ、一般市民からも警察の評判が悪かった時代を彷彿とさせる前近代的な事情聴取に唖然とさせられた。

 こうした隠し撮り映像や音声も、今後は初めにネットで流され、テレビはそれを後追いで報ずるという流れが確立するだろう。ジャーナリスト田原総一朗さんは、概ね70年代までが新聞の時代で、80年代以降、テレビの時代になったという。この認識に異論を持つ方は少ないと思われる。いわば、70年代から80年代がひとつの「メディアチェンジの時代」といえるわけだが、2010年に起きた尖閣ビデオやウィキリークス問題を見ていると、2010年代がテレビからネットへの不可逆的メディアチェンジの10年間になることはほぼ間違いない。

●強制全面地デジ化で自分の首を絞めるテレビ

 一方のテレビ界は、2011年7月、いよいよ全面地デジ化が控える。地デジ化の欺瞞性については、すでに本稿筆者が別稿で明らかにしたとおりだが、全面地デジ化以降、2.5%もの人が「テレビを見るのをやめる」と回答している(インターネットコム株式会社による2007年調査)。このまま総務省が地デジ化を強行すれば、大量の「地デジ難民」が発生することはもはや避けがたい状況だ。

 そうなった場合、最も困るのは当のテレビ局だ。2.5%もの国民がテレビを見られなくなれば、これまでCMを出してきたスポンサー企業の中には、「広告を出すだけのメリットがない」として撤退する動きも出るだろう。そうなれば、広告収入だけで食べてきた民放各局は、直接経営にダメージを受けることになる。ゆくゆくは、CS放送(衛星放送の一種)がそうであるように、見たい人は金を払って契約するという有料放送へと移行せざるを得なくなる。やがてすべてのテレビ放送は有料となるに違いない。

 こうしてテレビが有料化に向かっているときに、ネットでは情報の受信も発信も無料でできる。ますます多くの人がネットに流れ、テレビはネットを補完する情報装置という地位に転落する。テレビ業界は、そうした時代の流れを冷静に見つめることができないまま、自分で自分の首を絞めている。

●2010年代の課題

 ネット右翼を中心に、既存マスコミに批判的で彼らを「マスゴミ」呼ばわりしている人たちは「既存マスコミは自分たちに都合のいいことしか報道しない」「左翼偏向バイアスがかかっている」などと決まり文句のように繰り返す。たしかに、内部告発も既存メディアに握られていた時代は、既存メディアに告発情報を提供しても握りつぶされ日の目を見ないことも多かった。告発が握りつぶされた場合、告発者は告発をあきらめるか、タブロイド紙やゴシップメディアに駆け込むか、さもなければ自分でビラや怪文書を作って撒くくらいしか選択肢がなかった。

 インターネットがそうした状況に風穴を開けたことは事実だし、そのことは過小評価すべきではないが、根拠もなく外国人やマイノリティを誹謗・中傷する書き込みがあふれ、「便所の落書き」とさえ言われる匿名掲示板の書き込みが「マスゴミ」とどう違うのかについて、彼らから納得のいく説明が行われたことは一度もない。むしろ近年は、出てはいけない情報や人間の業とも言える劣情・差別感情がまき散らされることによる弊害のほうがはるかに深刻な状況を迎えている。彼らからすれば忌まわしい大手「マスゴミ」による情報選別も、社会全体が品位を保つための必要なフィルターとして、ネット時代以前には社会的合意が得られていたのである。それを統制だのなんだのと騒いでいる連中は、市民的自由の本質を理解していないだけである。

 「ネット右翼」には、大手メディアによって発信された情報は間違いだらけとして受け入れない一方、個人によって発信される情報は無条件に正しいと信じる風潮もあり、それが空虚なネット信仰につながっている。個人は常に正しくて組織は常に誤っているという盲信は、組織は常に正しいのだから組織のために「自己批判」せよと迫るスターリニズム政治党派の盲信と同じように危うい。

 結局、こうした問題は、自分の頭で考えているようでいて、その実、全く思考停止している日本国民を象徴する問題として2010年代を支配し続けるであろう。これからの10年間に私たちが取り組むべき課題は、テレビかネットかを論じ優劣をつけることではない。ひとりひとりが自分の頭で思考し、民主主義を実践できる「公民」になることである。テレビかネットを論ずるのは、それからでも遅くはない。

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「残飯おせち」騒動から見えてきたグルーポンの強欲

2011-01-25 22:46:38 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人がインターネットサイト向けに執筆した原稿をそのまま掲載しています。)

 2011年は正月早々、ネット販売による「残飯おせち料理」騒動で始まった。すでに経過をご存じの方も多いと思われるが、横浜市の株式会社「外食文化研究所」が経営する「バードカフェ」製「謹製おせち」が見本と全く違うものだった上、遅配となり騒動に陥ったのである。実際に届いたおせち料理は見本からは想像もできない貧相なもので、インターネット上では「残飯」という酷評さえ見受けられた。遅配のほうも酷く、1月3日になってようやく届いたという例もあったようだ。

 抗議が殺到した同社は年明けから自主休業に追い込まれた。同社のホームページはお詫びの文章とともに「食材不足と人員不足」「発送伝票が重複」「人員不足による対応の遅れ」などが原因とする見苦しい言い訳が掲載されている。さすがにこの貧相な内容では責任を持って販売できないとして、発売中止を求める声も社内で上がったようだが、水口憲治社長が「トップ判断」で販売を強行したというのが真相のようだ。

 もちろん、このような事態を招いた原因がバードカフェとその運営企業「外食文化研究所」にあることは間違いなく、また食材不足、人員不足とみずから認める混乱状態にありながら、不完全なまま出荷強行の判断をした水口社長にあることは疑いがない。だが、今回の騒動を通じて見えてきたもうひとつの問題がある。ネットによるクーポン割引販売サイト「グルーポン」を巡る問題である。

●「ネット史上最速」の急成長の陰で

 グルーポンは、米国で2008年にアンドリュー・メイソンCEO(最高経営責任者)が始めたサービスである。飲食店が一定の割引を適用することを条件に顧客を募集、一定数の顧客が集まったら成約となり割引料金で飲食サービスが提供される。「最少催行人員○名」とチラシに記載して、その人数が集まったら割引ツアーが成立、実施に移されるという旅行業界のパックツアーと似た仕組みで、割引サービスとしてはインターネットを使っていること以外、特に目新しいものではない。日本では2010年秋頃から注目され始め、あっという間に「ネット史上最速」の急成長を果たした。

 この不況とデフレの時代、急成長する「ビジネス」の背景には必ず何かがあるはずだ。そう思って新年からいろいろ調べていると、グルーポンの驚くべき実態が見えてきた。手数料率が半端ではなく、なんと「基本50%」なのだ。

 例えばある飲食店で定価10,000円のコース料理があるとしよう。この料理に顧客を100人集めることを条件として、半額の5,000円で割引クーポンを売り出す。100人集まったら初めて契約が成立となり、生産に入る。グルーポンに納める販売手数料として半額を支払うので、1個売れるごとに飲食店に落ちる金額は2,500円となる。

 この時点で、飲食店に落ちる金額は定価の25%にまで減少したことになる。飲食業界では、一般的に原材料費(食材の仕入れ費)が販売定価の3割といわれており、これでは原材料費もまかなえない。おそらくグルーポンに参加している飲食店のほとんどが赤字だろう。50%引きなんて極端だと思うなかれ。グルーポンのサイトを見ると、実際には66%引き、72%引きなどというもっと極端な値引き商品が並んでいる。72%引きで販売した売り上げの半分をグルーポンに持って行かれたら14%しか残らない。

 このような状態になってまで飲食店がグルーポンに参加する理由は何か。識者は、(1)広告費の代わり(広告は打っても空振りのときも多いが、グルーポンだと確実に売れ、食材が残らないだけ効率的)、(2)稼働率を上げるため(空席を抱えるより価格を下げても席を埋めたい)・・・等々をその理由として挙げている。

 だが、安売りが始まったら客が殺到して価格を元に戻したら急に閑古鳥、という牛丼業界などの「勝者なき消耗戦」を見ていると、とてもうまくいくとは思えない。安売りクーポンがあるときだけ客が殺到して、平常価格に戻ると見向きもされなくなるデフレ地獄に陥り、結果として「名ばかり店長」に代表される飲食業界の「ブラック化」だけが一層進行する、という未来が待っていることは容易に想像できる。

 ●呆れるほどの強欲

 「残飯おせち騒動」では、バードカフェと外食文化研究所に抗議が殺到したのは当然としても、内容をチェックせずに販売していたグルーポンにも抗議が殺到した。正月明けになり、グルーポンはおせち騒動の再発防止策を発表したが、その内容が商品の事前チェックの導入とお客様相談ダイヤルの開設というのだから、サービス業が聞いて呆れる。本来ならその程度のことは事業を開始する前に解決しておかなければならないものだ。

 そもそも、グルーポンのようなサービスは、意地悪な表現をするなら「単なる場所貸し」に過ぎない。知名度がなくて集客に苦労している飲食店と、安い店を探している消費者とをマッチングさせるため、ネット空間を提供するただの場所貸しである。グルーポンがみずからを単なる場所貸しだと認識して謙虚な姿勢で事業を行うなら、手数料率はせいぜい数%~1割程度とすべきだし、逆にみずからをネットで飲食の提供を行う総合サービス業と認識するなら、ある程度高い手数料を許容される代わりに苦情対応などの社会的責任もきちんと果たすべきだろう。「手数料は半分寄越せ、でもウチはサービス業でもないただの場所貸しだから、買った商品に苦情があるときは出品したお店に言ってね」では厚かましいにも程があるし、こんなあこぎなビジネスをしているのだから、ネット史上最速の急成長もするに決まっている。

 「本家」である米国グルーポンのメイソンCEO自身、「利他的な目的で存在するサイトや商品が成功した例はほとんどない」という驚くべき発言をしている。メイソン氏は、自分が欲しいと思うサイトや商品がなかったから自分が作ったら、そこからヒットが生まれることが多いのであって、自分自身の利便性を考える姿勢こそヒットの源泉なのだという意味でこのような発言をしたらしいが、手数料率50%というグルーポンの強欲さと残飯おせち騒動の事実を知った後でメイソン氏の発言を聞いても、もはや私はそれを額面通りに受け取ることはできない。そこには「自分さえ儲かれば他人がどうなろうと知ったことではない」「どんな卑怯な手、汚い手を使っても勝った者が正しいのだ」という、いかにも小泉、竹中的腐臭がプンプンと漂うのだ。

 このような強欲なサービスは長続きしないだろう。グルーポンが、いずれもっと穏健で謙虚な同種のサービスに取って代わられることは間違いない。

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(コメント)日本航空被解雇者による提訴に当たって

2011-01-23 21:26:27 | 鉄道・公共交通/交通政策
1.2010年12月31日、日本航空と管財人・企業再生支援機構は、労働組合、各界支援者らの強い反対を押し切り、165人の整理解雇を強行した。これに対し、日本航空の会社更生法適用から1年となる2011年1月19日、被解雇者のうち146人が解雇撤回を求めて提訴した。安全問題研究会は、不当解雇と闘い抜こうとする被解雇者らを強く支持する。

2.労働者にとって、もとより解雇は不当なものだが、今回の整理解雇は、やむを得ない最後の手段として実施される整理解雇の条件を制限的に規定した整理解雇の4要件のどれにも合致しない、一片の正当性もないものである。希望退職必要数を大幅に超過してなお強行された解雇は「人員整理の必要性」を満たさないし、労働組合の合意もなく実施された解雇は「手続の妥当性」の要件も満たさない。「被解雇者選定の合理性」に至っては論外であり、被解雇者の大半が、闘う労働組合である日本航空乗員組合及び日本航空キャビンクルーユニオン(CCU)に集中している。整理解雇は意図的な闘う労働組合潰しであるとともに、かつて国鉄当局によって国労など闘う労働組合に仕掛けられた攻撃と同じであると断定する以外にない。

3.今回の整理解雇は、その悪質性、大規模さ、経営者の非人間性などあらゆる意味において国鉄1047名解雇に匹敵する空前の規模のものになる。航空労組連絡会が指摘しているように、「金融支援を受けた会社は、憲法や労働法などの一切の法的拘束を離れて人員整理ができるという歴史的な前例」を作ろうとするものである。もしこのような整理解雇がまかり通るなら、すべての経営者が「企業再生支援機構の支援下に入ればいつでも誰でも好きなように解雇できる」と考えるようになり、労働法と労働者の権利は全面解体するであろう。当研究会は、すべての労働者に、この解雇を自分の問題としてともに闘うよう呼びかける。

4.すでに昨年の日本航空破たんから当研究会が何度も指摘しているように、日本航空破たんの原因は乱脈経営を続けた幹部、無駄な空港建設を続け、開港後も不採算空港を維持するため日本航空に就航を強要した自民党政権と国土交通省、空港利権に群がったゼネコンにある。経営陣は、米国の要求に屈した無駄な航空機の購入、巨額の損失を出し続けた燃油ヘッジなどの投機取引、パックツアーのキックバックによる不当廉売、「クレジットメモ」と呼ばれる不透明な機体購入費の経理操作など乱脈経営の限りを尽くした。2005年に安全上のトラブルが続いているさなかにも、安全対策より自己保身と派閥抗争に明け暮れた。日本航空の経営破たんは、こうした乱脈経営の明らかな帰結である。

5.それにもかかわらず、経営陣は誰ひとり責任を取ることなく、日本航空内で互いにもたれ合いながらポストをたらい回しにしてきた。経営陣は、みずから招いた経営破たんの責任を取ることもなく、労働者にその責任を押しつけて解雇で危機を乗りきろうとしている。一部報道によれば、管財人弁護士は破たん後も日本航空から月額580万円もの報酬を受け取っているとされており、厚顔無恥もここに極まったと言わなければならない。

6.今回整理解雇の対象となった労働者の大部分は、1985年の御巣鷹事故当時、20歳代の青年労働者として大きな衝撃を受け、安全を誓った人たちである。それから25年間、日本航空は乗客の死亡事故だけはなんとか食い止めここまで来たが、その陰には歯を食いしばりながらそれぞれの職場、持ち場で安全に尽くしてきた労働者の献身的努力があった。経営陣と管財人は、25年間、危機が叫ばれながらも日本航空で安全が守られ続けてきたのを誰のおかげだと思っているのか。もし日本航空が彼らをこのまま失うなら、安全に与える打撃は計り知れないものとなるだろう。

7.経営陣が、この史上最悪の大量解雇で事態を乗り切れると考えているなら、当研究会はそれが重大な誤りであると警告しなければならない。24年前、1047名を首切りしたJRでは尼崎事故が起き、国鉄総裁室長として首切りの指揮を執った井手正敬・JR西日本元社長はいよいよ今年、107名死亡の罪で法廷に引き出される。日航労働者はたとえ何年かかっても、国鉄労働者と同じように勇気をもって闘い、首切りの首謀者たちを追及し続けるであろう。

8.日本航空の無慈悲で非道な整理解雇に対し、被解雇者への国際連帯は大きく広がっている。IFALPA(国際定期航空操縦士協会連合会)は「この危機的状況を解決するために、JALが誠実であり忠実な従業員を再び職責に就かせ、再生の途に就くために日本政府に対し仲裁に入ることを要求」している。ITF(国際運輸労連)は「CCUへの支援を強化」するとしている。

9.当研究会は、御巣鷹の尾根で被害者とともに泣き、被害者とともに苦しい日々を過ごしながら安全のために尽くしてきた被解雇者全員を職場に戻すことが真の日本航空再建であることを固く信ずる。そして、すべての遺族と利用者を裏切った経営陣・管財人の罪を今後も告発しながら、被解雇者とその裁判闘争を強く支持・支援し、ともに闘い抜く決意である。

2011年1月23日
安全問題研究会

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【鉄ちゃんのつぶや記 第41号】新幹線遅延で珍しい体験

2011-01-19 23:09:51 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
(この記事は、当ブログ管理人がインターネットサイト向けに執筆した原稿をそのまま掲載しています。)

 2011年1月15日、東北新幹線小山駅構内で発生した架線トラブルと配線接続ミスが連続して起き、朝7時頃から不通となった東北新幹線は午前11時半過ぎに復旧するまでに4時間半を要した。JR東日本で復旧が遅いのは今に始まったことではなく、当コラム筆者もすでに諦めの心境だが、今回は私自身が所要のため大阪に向かわなければならず、この遅れの影響で珍しい体験をすることになった。

 予定では新白河を12時15分に発車する「やまびこ214号」に乗り、東京方面に向かうはずだった私は、遅れのため「次の新幹線は13時40分過ぎに到着見込み」とのアナウンスをようやく耳にした。しかし、やってくる新幹線は本来なら新白河を9時20分に発車しているはずの「やまびこ210号」だという。駅でのアナウンス通り13時40分に発車とすると、定刻の4時間20分遅れだ。私は、わかってはいたものの、最近はJRの営業約款に当たる「旅客営業規則」さえまともに理解していない係員も多いことを知っていたので、終着駅に2時間以上の遅れで到着した場合、列車の指定のない自由席特急券でも払戻しの対象になることを最寄りの駅員に確認した上で、乗車券(新白河~新大阪間往復)と特急券(新白河~東京、東京~新大阪のそれぞれ往復)を買った。

 私がここ白河に住むようになってから早いものでまもなく4年を迎えようとしているが、新白河から大阪へ行くとき、特急券はともかく、乗車券はいつも往復乗車券としてまとめて買うことにしている。理由は簡単で、新白河~新大阪(大阪市内)は営業キロで741.8kmあり、JRグループが往復割引の対象としている「片道601km以上」に該当するからである。往復乗車券は使用開始前に往復まとめて買わないと適用されないから、まとめて買う癖をつけているのだ。

 結局、「やまびこ210号」はアナウンス通り13時40分頃にやってきた。その後は順調に走行を続けたものの、それまでの大幅な遅れはいかんともしがたく、4時間20分近い遅れを引きずったまま東京に着いた。この瞬間、新白河~東京間の自由席特急料金2,720円の無手数料全額払戻しが確定した。物心ついたときから35年以上、鉄道ファン人生を続けている私だが、2時間以上の遅延による特急料金無手数料全額払戻しは在来線で過去に一度あるだけで、新幹線では今回が初めてというきわめて珍しい体験である。

 特急・急行列車が2時間以上遅れて終着駅に到着すると、乗客が特急・急行料金の無手数料全額払戻しを請求することができるというのは、旅客営業規則282条の規定に基づくものだ。「旅行開始後又は使用開始後」に、「列車が運行時刻より遅延し、そのため接続駅で接続予定の列車の出発時刻から1時間以上にわたつて目的地に出発する列車に接続を欠いたとき」「着駅到着時刻に2時間以上遅延したとき」には、事故発生前に購入した乗車券類について、「旅行の中止並びに旅客運賃及び料金の払いもどし」「有効期間の延長」「無賃送還並びに旅客運賃及び料金の払いもどし」のいずれかを請求できる、とある。「急行券」の場合は「当該急行料金の全額」を請求できることになっている(規則上「急行券」「急行料金」という表現になっているが、特急とは特別急行の略なので、この規定は特急券・特急料金にも当然、適用される)。

 http://www.jreast.co.jp/ryokaku/02_hen/07_syo/03_setsu/10.html
 http://www.jreast.co.jp/ryokaku/02_hen/07_syo/03_setsu/11.html

 この「2時間ルール」は特急・急行料金の払戻しとして一般利用客にも比較的よく知られていると思われるが、実際の運用を改めて見ていると大変興味深いものがある。列車の遅れは刻一刻と変化するため、規則では「2時間以上の遅延」の判定を各列車の「着駅到着時刻」(各列車ごとに設定されている最終の駅に到着した時刻)で行うことにしている。つまり、途中駅の時点では2時間以上遅れていても、着駅に到着したとき遅れが2時間未満に収まっていれば払戻しは受けられないのである。一方、着駅に到着した時点で2時間以上遅れていた場合、遅延が2時間未満の途中区間だけ乗車した場合でも払戻しの対象となる。「遅延の判定を着駅で行うのだから、列車の着駅まで乗らずに途中駅で降りた乗客はどうなるのか」と尋ねられそうだが、この場合も列車が着駅に着いた時点で2時間以上遅れていれば払戻しを受けられる。

 払戻しを受ける場合、注意しなければならないのは、自動改札機を通過したら特急・急行券が回収されてしまうので、自動改札機は通らず、有人改札で特急・急行券に遅延証明をもらうことだ。特急・急行券の払戻しはその日でなくても1年以内なら有効だが、特に列車・座席の指定がない自由席特急券・急行券の場合、時間が経てば経つほど遅延の事実確認が難しくなるから、後日払戻しを受ける場合でも遅延証明はその場で直ちにもらっておくようお勧めする。

 今回、私が乗車した「やまびこ210号」は、列車単位で見ると着駅である東京に到着した時点で4時間20分程度遅れていたが、私が乗車した新白河~東京間に限れば所要時間は通常とほとんど変わらなかった。それにもかかわらず、2時間以上の遅延の判定を列車単位で、かつ着駅で行うため、遅れに巻き込まれて長時間車内で待たされた乗客も、遅れてしまってから乗車し、結果的に所要時間は通常とほとんど変わらなかった乗客も一律に救済されることになる。

旅客営業規則を見ると、「ただし、指定された急行列車(指定急行券以外の急行券の場合は、乗車した急行列車)にその全部又は乗車後その一部を乗車することができなくなつたときに限る」(第282条の2(2)号)と払戻し条件を限定しており、厳密に言えば、購入した特急券のとおりに乗車できた私のような乗客には払戻しをしなくてもよいことになる。しかし、実際には遅れた列車の乗客全員を被害者とみなして請求があれば全員に特急・急行料金を払い戻す運用が国鉄時代から変わらず行われてきた。列車遅延の「迷惑料」として、払い戻される特急・急行料金が事実上の既得権益になっている現状の中で、今さら運用を変更することは乗客の納得を得られないだろう。

 東北新幹線では、私が巻き込まれた15日の遅延の後、17日にも新幹線の車両やダイヤ、乗務員割り当てなどの運行全般を管理するJR東日本の情報システム“COSMOS”(コスモス)のトラブルによる遅延が発生した。ポイント故障が発生し、走行中の列車をいっせいに停止させようと、“COSMOS”に大量のデータを送ったところ、データ処理件数が“COSMOS”が一度に処理できる限界の600件を超えたため、システムが不安定になったことが原因という。

 “COSMOS”は2008年の年末にもトラブルで大規模運休を引き起こしている。どういうわけか、“COSMOS”が原因の新幹線トラブルは冬、それも雪で大規模な運休・遅延があった直後に起きる傾向がある。2008年末のトラブルの原因は、雪で大幅に乱れた列車のダイヤや乗務員運用を一度に大量修正しようとして修正データの入力時間の制限に間に合わなかったことが原因だった。

私たちが家庭で使っているパソコンでも、扱うデータ量が処理能力ぎりぎりになるとパフォーマンスが著しく低下するように、“COSMOS”のような大規模システムもやはり処理能力ぎりぎりのデータ量を送ることは運用上好ましくない。システムを構築した関係者にしてみれば、余裕のある運用をするためデータ処理量に上限を設けておきたい気持ちは理解できるが、今回はそれが裏目に出てしまったといえよう。

 “COSMOS”は、旧国鉄時代の新幹線運行システムを廃棄して、1995年にJR東日本が導入したものでありJR東日本の責任は免れない。長野新幹線はまだなく、東北新幹線も東京~盛岡間だけだった導入時と比べて、処理すべきデータ量は大幅に増加している。いつまでも不安定な“COSMOS”はそろそろ卒業して、別の安定的なシステムの導入を検討すべき時期に来ているのではないだろうか。

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日本の若者から社会主義がやってくる?

2011-01-07 22:49:18 | その他社会・時事
成長するばかりが人生ではないと気づいた日本(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

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(フィナンシャル・タイムズ 2011年1月5日初出 翻訳gooニュース) デビッド・ピリング

日本は世界で最も成功した社会なのだろうか? こんな問いかけはもうそれだけで馬鹿にされるだろうし、朝食をとりながらこれを読んでいる皆さんはププッと吹き出してしまうのだろう(まあ最初からそのつもりで聞くわけだが)。日本の社会は成功例なのか、だって? そんなのは、日本の経済停滞や財政赤字や企業の衰退について散々聞かされてきたことの正反対じゃないか。

日本をどう思うか、韓国や香港やアメリカのビジネスマンに尋ねてみれば、10人中9人が悲しげに首を振るだろう。ふだんならバングラデシュの洪水被災者に向けるような、痛ましい表情を浮かべて。

「あの国は本当に悲しいことになっている。完全に方向を失ってしまっている」 これはシンガポールのとある高名な外交官が最近、筆者に語った言葉だ。

日本の衰退を主張するのは簡単なことだ。名目国内総生産(GDP)はおよそ1991年レベルにあるのだから。日本が失ったのは10年はおろか、おそらく20年にはなるのだろうと思い知らされる、厳粛な事実だ。JPモルガンによると、1994年時点で全世界のGDPに対して日本が占めた割合は17.9%。それが昨年は8.76%に半減していた。ほぼ同じ期間に日本が世界の貿易高に占めた割合はさらに急落し、4%にまで減っていた。そして株式市場は未だに1990年水準の約4分の1でジタバタしている。デフレはアニマル・スピリットを奪うものだ。日本は「魔法」がとけてしまったのだとよく言われるし、投資家たちは、日本企業がいつの日かは株主を最優先するようになるという幻想をついに諦めた。

こういう一連の事実はもちろん何がしかのことを語っているのだが、それは実は部分的な話に過ぎない。日本について悲しげに首を振る人たちの思いの裏には、前提となる思い込みが二つある。うまく行っている経済というのは、外国企業が金儲けし易い環境のことだ——という思い込みがひとつ。その尺度で計れば確かに日本は失敗例で、戦後イラクは輝かしい成功例だ。そしてもう一つ、国家経済の目的とはほかの国との競争に勝つことだ、という思い込みもある。

別の観点に立つなら、つまり国家の役割とは自国民に奉仕することだという立場に立つなら、かなり違う光景が見えてくる。たとえ最も狭義の経済的視点から眺めたとしても。日本の本当の業績はデフレや人口停滞の裏に隠れてしまっているのだが、一人当たりの実質国民所得を見れば(国民が本当に気にしているのはここだ)、事態はそれほど暗いものではなくなる。

野村証券のチーフエコノミスト、ポール・シアード氏がまとめたデータによると、一人当たりの実質所得で計った日本は過去5年の間に年率0.3%で成長しているのだ。大した数字には聞こえないかもしれないが、アメリカの数字はもっと悪い。同期間の一人当たり実質国民所得は0.0%しか伸びていないのだ。過去10年間の日米の一人当たり成長率は共に年0.7%でずっと同じだ。アメリカの方が良かった時期を探すには20年前に遡らなくてはならない。20年前はアメリカの一人当たり成長率1.4%に対して日本は0.8%だった。日本が約20年にわたって苦しんでいる間、アメリカは富の創出においては日本を上回ったが、その差はさほどではなかった。

GDPだけが豊かさの物差しではないと、日本人もよく言いたがる。たとえば日本がどれだけ安全で清潔で、世界でも一流の料理が食べられる、社会的対立の少ない国かを、日本人自身が言うのだ。そんなことにこだわる日本人(と筆者)は、ぐずぐず煮え切らないだけだと言われないためにも、かっちりした確かなデータをいくつかお教えしよう。日本人はほかのどの大きな国の国民よりも長く生きる。平均寿命は実に82.17歳で、アメリカ人の78歳よりずっと長い。失業率5%というのは日本の水準からすると高いが、多くの欧米諸国の半分だ。日本が刑務所に収監する人数は相対的に比較するとアメリカの20分の1でしかないが、それでも日本は世界でもきわめて犯罪の少ない国だ。

昨年の『ニューヨーク・タイムズ』に文芸評論家の加藤典洋教授が興味深い記事を寄稿していた。加藤氏は日本が「ポスト成長期」に入ったのだと提案する。ポスト成長期の日本では無限の拡大という幻想は消え去り、代わりにもっと深遠で大事な価値観がもたらされたのだと言うのだ。消費行動をとらない日本の若者たちは「ダウンサイズ運動の先頭に立っている」のだと。加藤氏の主張は、ジョナサン・フランゼンの小説『Freedom(自由)』に登場する変人の物言いに少し似ている。ウォルター・バーグランドという勇気ある変人は、成熟した経済における成長 (growth)とは成熟した生命体における腫瘍(growth)と同じで、それは健康なものではなくガンなのだと主張するのだ。「日本は世界2位でなくてもいい。5位でなくても15位でなくてもいい。もっと大事なことに目を向ける時だ」と加藤教授は書いている。

日本は出遅れた国というよりはむしろモデルケースなのだという意見に、アジア専門家のパトリック・スミス氏も賛成する。「近代化のためには必然的に、急激に欧米化しなくてはならないという衝動を、日本は克服した。中国はまだこの点で遅れているので、追いつかなくてはならない」。スミス氏は、非西洋の先進国の中で独自の文化や生活習慣をもっとも守って来たのは日本だとも言う。

ただし、強弁は禁物だ。日本は自殺率が高く、女性の役割が限られている国なのだから。加えて、日本人が自分たちの幸福についてアンケートされて返す答えは、21世紀を迎えてすっかり安穏としている国民のものでは決してない。日本はもしかすると、残り少ない時間を削って過ごしている国なのかもしれない。公的債務は世界最高レベルなのだし(ただし外国への借財がほとんどないのは大事なことだが)。今の日本は巨額な預貯金の上でぐーぐー居眠りをしているのだが、給料の安い今の若者世代がそれだけの金を貯めるには、さぞ苦労することだろう。

経済の活力を内外に示すことが国家の仕事だというなら、日本国家の仕事ぶりはお粗末きわまりない。しかし、仕事がある、安全に暮らせる、経済的にもそれなりで長生きができる——という状態を国民に与えるのが国家の仕事だというならば、日本はそれほどひどいことにはなっていないのだ。
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最近、英フィナンシャル・タイムズは本当にいい記事を書くようになったと思う。傍目八目という諺もあるが、自国を客観的に評価できない日本人よりも、外国人特派員のほうがはるかに客観的に日本を見ているのではないだろうか。

「うまく行っている経済というのは、外国企業が金儲けし易い環境のことだ」「国家経済の目的とはほかの国との競争に勝つこと」を思いこみとし、日本を衰退する国だと考えているのはそうした思いこみにとらわれている連中だ、と看破する論調は多くの日本人にとって新鮮に映るかもしれない(当ブログ管理人は昔から反グローバリズム、反成長主義なので今さら新鮮とは思わないが)。確かに、新自由主義的グローバリズムの立場から見れば日本はもはや魅力を失った反成長国家といえるが、そのグローバリズムとやらで恩恵など受けることのない労働者・農民・社会的弱者の立場から見れば、それが一体どうしたというのだ?

日本の若者が「ダウンサイズ運動の先頭に立っている」という表現は別に誇張でも何でもないと思う。日本国内でも、まだ数は少ないが若者の「嫌消費」を分析した記事も出始めている。ただ、日本の若者が消費を悪と考えているかどうかはわからないとしても、モノが売れない責任を一方的に若者に押しつけ、嫌消費だなんだと論評するのはかなり違うんじゃないの?という思いが、当ブログにはある。

当ブログ管理人も最近、買い物をしていて感じることだが、本当の意味で欲しいと思うモノにもう何年も巡り会っていないような気がする。スマートフォンにしても、今のケータイが壊れたら欲しいという程度の欲求でしかないし、「ガラパゴス」を初めとした電子書籍端末にしても、A端末で読める本が別メーカーのB端末では読めないと知り、なんだ、結局また互換性問題か(ブルーレイレコーダー以来常について回る問題)と思って買う気がしなくなってしまった。

若者がモノを買わなくなったのには、嫌消費などという薄っぺらな分析からはわからない、もっと深刻で本質的な問題が潜んでいるのではないか。早く言えば、日本の資本主義体制が国民のニーズにあったモノ作りをできなくなっているのではないかということである。車にしても家電にしても、「大量に売って、手早く儲かる」という売り手の自己都合だけで造られ、「何が消費者ニーズか」という最も大切な部分を置き去りにした製品ばかりになっている気がするのである。

2009年の年末、タブロイド夕刊紙「日刊ゲンダイ」が「世界は社会主義に向かう」という予測記事を書いて世間を驚かせた。当ブログ筆者は、仮にそのような時代が来るとしても、自分の目の黒いうちにはあり得ないだろうと思っていたが、最近の若者たちを見ていると、あながちそうとばかりも言いきれない気がしてきた。ことによると、私の目の黒いうち(多分20年後くらい)に日本は若者や女性の力で社会主義社会の入口に立ち、30年後には部分的に社会主義経済の導入に成功するのではないか、という気がしてきたのである。現在の若者世代が社会の中核を担う世代になったときに導入される部分的な社会主義経済は、ソ連型社会主義とは似ても似つかない新しい形態を取るであろうし、初めはどう考えてもビジネスになりようがない医療・福祉・教育などの分野で、その次はおそらく高齢化で真っ先に立ち行かなくなりそうな小売りや飲食といった産業で実現するのではないかという気がする。

いずれにしても、今の若者の意識はそれくらい劇的に変わってきているし、大量生産・大量消費の資本主義的スタイルしか知らない団塊世代・バブル世代から見ると別人種にすら見えるだろう。彼らの世代が本格的な社会変革の担い手として立ち現れる20~30年後の社会が、本当に楽しみである。

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2011年 新年目標

2011-01-05 23:13:55 | 日記
さて、今年も例年通り、昨年(2010年)の目標達成度の点検と2011年の新年目標を発表します。

まずは昨年の総括から。

1.鉄道
乗りつぶし目標の達成度については、年末12月29日付記事を参照のこと。結果としては超過達成しました。

安全問題に関する活動では、
(1)土佐くろしお鉄道宿毛駅事故に関する独自調査報告書作り
(2)日航123便事故現場となった御巣鷹への慰霊登山
(3)鉄道に関する技術上の基準を定める省令の「解釈基準」を入手したので、その解析作業…を引き続き今年も目標として掲げます。このうち1つでも実現したい…としていましたが、結果として未達成でした。

2.IT関係
デジタルハイビジョンカメラ(AVHCD方式)による動画をyoutubeにアップできるようにすることを目標としていました。「難しい」と逃げを打っていましたが、結果的にこの目標は達成できました。

3.仕事
新しい部署での仕事が2年目に入るので、スムーズにできるようになることが目標でしたが、…達成できたかどうかは怪しいところです。

4.その他
例年通り、健康と夫婦円満。また、現在、月刊誌に時事問題に関するコラムの連載を持っているので、その原稿を落とさないようにすることが目標でした。この目標については達成。結果的に、依頼された原稿は一度も落とさず、期限に遅れもなく脱稿できました。

また、2010年を振り返って、痛恨の出来事は、「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」サイトを楽天のiswebサービス終了に伴い消失させてしまったことです。

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続いて新年目標の発表です。

1.鉄道
JR3線区(奪還含む)、その他5線区。奪還というのは、完乗達成路線の延長開業により失った完乗の記録を奪還することをいい、具体的には東北、九州の両新幹線(九州は3月に完乗の記録を喪失予定)を指します。この奪還を含めてJRは3線ですが、正直言ってかなり苦しいと思います。JR3、その他5というのは数だけ見れば2010年と同じです。

完乗以外では、キハ58がいよいよ3月改正で引退するので、富山地区に最後の撮影&乗車に行きたいところです。2月の3連休が使えないので、厳しそうですが。

安全問題に関する活動では、
(1)土佐くろしお鉄道宿毛駅事故に関する独自調査報告書作り
(2)日航123便事故現場となった御巣鷹への慰霊登山
(3)鉄道に関する技術上の基準を定める省令の「解釈基準」を入手したので、その解析作業…を引き続き今年も目標として掲げます。特に、2010年が日本航空問題一色だったこともあり、御巣鷹慰霊登山はぜひやりたいと思っています。

2.IT関係
2010年から、本業でまたも業務用システムの担当になってしまったので、この仕事をきちんとできるようになること。また、スマートフォン導入が個人的目標。消失してしまった旧「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」サイトのテキスト系記事は、2011年中にすべてブログ記事として復活させたいです。

3.仕事
IT関係で掲げたシステム担当の他、現在取り組んでいる懸案事項を解決すること。しかし、この懸案事項は私の手に余る難題なので、本音を言えば転勤したいです。

4.その他
例年通り、健康と夫婦円満、そして引き続き月刊誌コラムの連載を落とさないようにするとともに、2010年以上に執筆のペースを上げることが目標です。

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整備新幹線開業の陰で…どう守る地元の“足” 苦悩する沿線自治体

2011-01-03 22:45:09 | 鉄道・公共交通/交通政策
整備新幹線開業の陰で…どう守る地元の“足” 苦悩する沿線自治体(産経新聞)

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 昨年12月4日、東北新幹線の八戸~新青森間が開通した。基本計画から38年かかっての全線開通に青森は沸き返ったが、その引き換えに並行在来線の東北本線がJR東日本から経営的に切り離された。圧倒的な経済効果や利便性をもたらす一方で、地域の足をどう守るのか。新幹線開通はそんな課題を地元に突きつけている。

 東北本線の青森~八戸間は東北新幹線の開通と同時に、JR東日本から経営分離され、青森県などによる第三セクター「青い森鉄道」が引き継いだ。青森駅での開業記念列車の出発式で、関格(いたる)社長は「県民の生活に密着し、頼りにされる鉄道を目指す」と力強くあいさつした。だが、待っていたのは厳しい現実だった。

 開業から3日目、初の平日となった12月6日の朝、駅に入ってきたのは、JR時代の4両編成ではなく、たった2両編成の列車。車内は通学の高校生ですし詰め。病院へ通うお年寄りが列車に乗れず、ホームで立ち往生するほどだった。運賃も大幅に値上げされた。通学定期は据え置かれたが、普通運賃はJRの1・37倍、通勤定期は1・65倍となった。

 また、ダイヤの面でも新幹線との接続が考慮されてないため、八戸駅で約1時間待たされることもある。しかも八戸駅では乗り換えのためにいったん改札を出なければならず、利用者の不満に拍車をかけた。

 なぜこうなったのか。それは青い森鉄道が、業績改善に向けた新たな手を打ち出せないままだからだ、と指摘する声は少なくない。

 青い森鉄道は平成14年、東北新幹線盛岡~八戸間開通と同時に開業。東北本線の青森県側(目時~八戸間)の経営をJR東から引き継いだ。

 しかし、JR東による寝台特急の運転本数減少で、貴重な収益源だった線路の使用料収入は年々縮小。沿線人口の減少もあり、22年3月期まで5年連続の最終赤字を計上し、累積損失は2億6千万円に達している。今回、八戸~青森間の経営を引き継いだことで、年間約16億円の赤字が見込まれる。

 「当面は車両や運転本数をできる限り少なくして、輸送効率を高めるしか手がないのでは」(鉄道関係者)というように、縮小均衡以外の改善策は見あたらない状況だ。

 一方、来年3月12日に全面開業する九州新幹線博多~新八代間では、同区間の並行在来線の三セク化は行わず、JR九州が経営を維持する。だが、これはあくまで、経営的な採算性を踏まえての判断だ。

 JRは沿線の自治体との同意が得られれば、新幹線開通後、並行在来線の経営を分離できることになっている。九州新幹線の鹿児島ルートの一部(新八代~鹿児島中央間)が開業した際は、肥薩おれんじ鉄道(八代~川内間)が第三セクターに分離されたが、同鉄道は少子高齢化や過疎化で沿線人口が減少し、厳しい経営環境にさらされている。

 ただ来春、開業する「博多~新八代間は「福岡、熊本の都市圏を走るため、通勤通学需要が大きく、新幹線開業後も一定の収益が見込める」(JR九州)という比較的、優良な路線でもある。さらにこの区間は私鉄の西日本鉄道が並走しており、「ライバルに客を取られたくなかった」(関係者)と指摘するように、結果的に路線が維持されたとの見方もある。

 こうした中で、26年度の北陸新幹線長野~金沢間の開業が近づくとともに、JR西日本が北陸地方の在来線をどう扱うかに注目が集まっている。

 すでに北陸本線直江津~金沢間については、第三セクターへの移管が決まっている。問題はこの北陸本線から分かれる支線の扱いだ。北陸本線から分かれる支線としては、大糸線(糸魚川~南小谷)、氷見線、城端線がある。

 JR西の佐々木隆之社長は昨年12月1日の記者会見で「これらの線は輸送量が少なく、経営が苦しい」として、バスへの転換、路線の廃止を踏まえた協議を地元自治体と始める意向を示した。北陸本線の当該区間をJRから分離する以上、同区間から伸びる支線も分離しないと、JRが「飛び地」の路線を運行する形となり、維持費用や運賃なども割高となってしまうためだ。

 ただ、安定的な路線の運営に不安を覚える沿線の自治体からは「支線は並行在来線とは違う。引き続きJRが担当すべき」(富山県)と、反発の声が上がる。地域に暮らす人々の足をどう守っていくのか、という重い課題。沿線の自治体はまだ明確な答えを見いだせていない。
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並行在来線問題に見向きもしないメディアが多い中、取り上げたこと自体は評価するが、当ブログとしては「何を今さら」である。

記事は、並行在来線と新幹線との接続の悪さを、青い森鉄道の努力の問題として報じている。ダイヤは多少の改善の余地があるものの、「当面は車両や運転本数をできる限り少なくして、輸送効率を高めるしか手がない」と鉄道関係者が述べているとおり、人もいない、金もない、利用者も少ないなかで第三セクター鉄道に取れる対策は限られている。それを第三セクター会社の責任にするのはあまりに酷だ。

そもそも、八代~川内間を「肥薩おれんじ鉄道」として切り捨てながら、利益が見込める博多~新八代間だけは第三セクター移管せず、自分たちの手に残しておこうとする小賢しいJR九州のやり方それ自体が、並行在来線問題のご都合主義的本質を余すところなく表している。当ブログと安全問題研究会は、並行在来線の第三セクター移管自体に反対しているが、仮に百歩譲って移管がやむを得ないとしても、できるだけ並行在来線第三セクター会社が自立できるように、儲かる区間も含めて移管するのが筋である。

(余談だが、民主主義を無視した専決処分の乱発で市政を大混乱に陥れ、障害者蔑視の暴言を繰り返したあげく、市長がリコールで失職した阿久根市は肥薩おれんじ鉄道の沿線で、九州新幹線からは遠く離れた位置関係にある。この阿久根市で、衆愚政治の集大成のような救いがたい独裁者が生まれた背景として、新幹線から見捨てられ、並行在来線の負担だけがずしりと重くのしかかる阿久根市特有の経済情勢があることは疑いがない。)

国鉄再建が問題となった1980年当時、1977年度の営業成績を基に全国の国鉄線を幹線・地方交通線・特定地方交通線(=廃止対象路線)に分類する作業が行われたが、この際、明らかになったのは「他の全赤字線の赤字額の合計よりも、東海道本線1線だけの赤字額のほうが大きい」という事実であった。しかし、国鉄は東海道新幹線が走っていることを理由に東海道本線を切り捨てるような政策は断じて採らなかった。政治も在来線の公共性を認め、そのようなばかげた政策を許さなかった。国鉄再建法施行令で「1時間当たりの最大旅客輸送人員が1000人以上」「並行道路未整備」「1人当たりの平均乗車距離が30キロメートルを超え、かつ、当該区間における旅客輸送密度が1000人以上」のうち1つでも該当する路線を特定地方交通線から除外したのは、まさにこのような長大路線や生活路線を公共性の観点から維持するための政策的配慮だったのである。

今、政治とJRがやっていることは、国鉄を悪者にし、叩き潰そうと考えていた者たちでさえ行わなかったような愚かな政策である。JRは今も昔も「儲かるところは自分が取り、儲からないところは地元に押しつけ」の姿勢で一貫している。かつて国民の税金で運営された国鉄の承継法人・JRからは少しばかりの公共性さえも消えてしまった。新幹線開通後の並行在来線を、儲かるかどうかによって切り捨てたり残したりするJRのやり方は、並行在来線を何も考えず機械的に第三セクター移管するよりもある意味、悪質ではないか。公共交通の運営をこのような企業体に担わせること自体が地域住民の利益に反するということを改めて痛感させられる。

当ブログと安全問題研究会は、並行在来線切り捨てを認めた自民党政権時代の政府与党申し合わせを破棄するよう、政治と国土交通省に一貫して要請を続けているが、今回のJR九州の姿勢を見て、みずからの活動方針が正しいとの確信はますます強まった。政府与党申し合わせの破棄は、新幹線開通に伴って、ご都合主義的に、利益を物差しにして並行在来線を切り捨てたり残したりする悪質なJRのやり方に直接とどめを刺す。当ブログと安全問題研究会は、2011年を未来の子供たちに禍根を残す並行在来線切り捨てに対し、さらなる確信と決意を持って抵抗する1年とする決意である。

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「元日は休店」派、じわり広がる

2011-01-02 22:42:23 | その他社会・時事
「元日は休店」派、じわり広がる スーパーや小売業界(朝日新聞)

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 1月1日に初売りをする「元日営業」を見直す動きがスーパーや小売業界で出てきた。人件費がかさむのに、十分な売上高が期待できないからだ。従業員に福利厚生の充実をアピールするねらいもある。

 首都圏に全97店を展開するスーパーのサミット。1998年から元日も営業してきたが、来年はやめる。経費の割に売り上げが少ないという。元日を休みにして、「社員が家族と過ごせる時間を増やしたい」(広報担当者)。関東を中心に97店あるスーパーの東急ストアも、09年に92店でやっていた元日営業を10年は14店に減らし、11年も18店にとどめる予定だ。

 家電量販店最大手のヤマダ電機は、09年から元日は休みにしている。「従業員のワーク・ライフ・バランスの実現が目的」(広報担当者)といい、今年も全店で休業する。

 元日営業の先駆けは大手スーパーのダイエー。96年からほぼ全店で実施し、それが他社に広がった。イオンやイトーヨーカ堂など大手小売りは11年も引き続き、ほとんどの店で元日から店を開く。食品以外にも幅広い商品を扱う総合スーパーでは、衣料品の福袋などで集客が期待できるためだ。

 家電量販店のヨドバシカメラやビックカメラも、一部の店をのぞいて1日から営業する。ビックカメラは、三菱自動車の電気自動車「アイミーブ」とテレビ、エアコン、冷蔵庫がセットになった福袋を398万円で限定販売する。

 カジュアル衣料品店ユニクロも元日に開く。3千円以上買えば、3千円の当たるチャンスがあるくじができる。百貨店は、例年通り1日は休み、2日に初売りするところが多い。福袋の販売や冬物衣料のセールを始める。
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ようやくというか、やれやれというか、日本でも休むべきときはちゃんと休むという文化が根付き始めてきたのだろうか。

当ブログの基本的立場は、原稿アーカイブ内の「脱・便利さ」に書いているとおりだが、欧米ではこれが当たり前である。元日に休んだくらいで「福利厚生の充実」だなんて、欧米人が聞いたら多分笑いすぎで腹筋がねじれるだろう。日本でも、商店は週に1日くらいは休んでよいし、いやむしろ休むべきだ。

この記事を配信したgooニュースのネット投票でも、元日休店を支持する意見が多数派だ。明らかに日本人の意識は変わりつつある。これだけ休みも取らず、夜も日もなく働いているにもかかわらず、日本だけがいつまでもデフレと不況から立ち直れず、中韓などの新興国にも次々と追い越されているのはなぜなのかと考えれば、自分たちの働き方がおかしいことに気が付くはずだ。

働き方の問題でいえば、日本の企業・組織で長時間労働が減らない背景には「意思決定の遅さ、ダメさ」も影響している。現場に大胆に決定権を下ろして即断即決すれば国際競争にも勝てるのに、日本企業では上層部が箸の上げ下ろしまですべての決定権を独占し、現場を単なる駒としか見ていない。そのため、さほど重要でない案件まで上部に事細かに報告され、会議が始まる。そして、議論ばかりして結論の出ない会議をダラダラ続けているうちに、現場で即断即決できる外国企業に契約をさらわれている。

みんながそれぞれバラバラに適当なことを言って混乱させたあげくに、何の意思決定もできない菅政権が厳しい批判にさらされているが、ある意味日本の縮図であって、日本の企業・組織は多少の違いはあっても似たようなものである。

今の日本の企業・組織をタイタニック号に例えると、こんな具合だ。

「大変です! 当船は、航行中に氷山に衝突しました」
「今すぐ対策会議を開く。関係者を招集しろ」→会議開始。
「やはり、今すぐ我々は脱出すべきでは」
「脱出するにも、こんなに大勢乗客が居るんだ。整然と脱出させるためにどうしたらいいか考えるのが我々の役目ではないのか」
「救助を要請しますか、それとも救命ボートを使いますか」
「救命ボートは全然足りません。一部の人間しか使えないとなると、余計に混乱しますよ」
「じゃあ救助を呼ぶ方向で…」
「今からですか? 当船は数時間後には沈みます」
「現場から何か有益な情報はないのか」
「ありません」
「困ったな。それじゃあ情報がなくて、何も決められないじゃないか」

そして、混乱してパニックに陥った乗客は船員に詰め寄るが、現場は現場で「上からの指示がないので、私からは何も言えません」を繰り返すのみ…。

驚くことに、今、日本の大企業・大組織の多くがこのような状態にある。「議論あって結論なし」「決定権のある上層部には情報がなく、情報のある現場には決定権がない」というダメ状態を解消する方策を考えないと、日本経済は多分100年後も今のまま。無駄に労働時間だけ長いのに結果が伴わず沈んでいく、というより海中に没してもまだ救出方法で議論を続けているのではないかという気がする。いま日本では、多くの企業・組織がムダ削減ばかりしているけれど、真の無駄は議論ばかりで結論を出せないこういう経営者や管理職である。

“All works and no play makes Jack a dull boy.”(働くばかりでちっとも遊ばない少年は退屈でつまらない)という英語の諺もある(日本の諺でいえば「よく学びよく遊べ」に相当する)。会社に長くへばりついているのが愛社精神であり忠誠心であるなどという時代遅れでばかげた価値観に別れを告げ、やることさえきちんとやったらさっさと帰宅して、残り時間を自分や家族のために使うという文化に移行しなければ、日本はそのうち誰にも相手にされなくなるだろう。

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【管理人よりお知らせ】当会会則の一部改正について

2011-01-01 21:19:48 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

新年に合わせ、当会会則を一部改正しました。

昨年12月7日、臨時国会で「地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法律」が可決、成立しました。この法律は、農業の「6次産業化法」と通称されるものです。

内容は、リンク先及び農林水産省ホームページに掲載されている「6次産業化法について」をご覧いただきたいと思いますが、大ざっぱに内容を説明すれば「地域の特性に応じた農林水産物の生産・消費の拡大(地産地消の促進)」による農林水産業の振興を目的とするものです。やや語弊がありますが、「地域グルメ興し促進法」と形容してもよいものだと思っています。

この法律の目的は、当サイトの目的・方向性と一致するものであり、当サイトの活動方針の中にこの法律が示す方向性を取り入れていくことが適切と考え、今回、会則を改正することとしました。具体的改正内容を示すと、以下の通りとなります。

・当会の目的を定めた第3条に第(4)項として、「地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法律(平成22年法律第67号)〔通称「6次産業化法」〕の精神に則り、地方における農林水産業と農林水産物に関する情報の発信と理解の促進、生産者と消費者、地域相互間の交流の促進に努めるとともに、地域農林水産物の消費の拡大を通じて農林水産業の発展に寄与すること。」を新たに加えました。

・また、これとの関連で、当会の活動上の義務を定めた第4条に第(2)項として、「本会が活動するに当たっては、前条第(4)項の目的を達するため、各地域で積極的なコミュニケーションを行うとともに、地元産の農林水産物及びこれを利用した飲食店・食品メニューを選択するよう努めなければならない。」という内容の努力義務規定を設けました。

この改正の実施は新年、2011年1月1日からとしました。今後、当会には従来の活動に加え、こうした農林水産業と地域食品産業の振興という新たな目的のための活動も加わることになります。

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