王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

衆院で内閣信任案可決 

2008-06-13 07:58:33 | 政治
内閣信任案可決へ 衆院、民主など欠席(産経新聞) - goo ニュース

予定の通りと言うか昨日「衆議院で内閣信任案」が可決された。
事前に自民党の小坂国対副委員長が強調した様に「参院の福田総理問責決議可決」により失墜した福田総理の(対外的)評判を「衆院での内閣信任案可決」で支えようとするものに相違ない。

しかし化学の実験でないから「マイナス」を「プラス」で相殺或いは中和すれば元通りだし海外の要人が日本の政情を知らないとでも思っているのであろうか?
政治は総理と国民の間に信頼が無くては成り立たないものである。

マスコミは「今日の年金支払日に併せ後期高齢者医療制度」の批判と「秋葉原の通り魔事件」の関連ニュースが先で「内閣信任案可決」等後回し。
そもそも内閣は信任されていて当たり前だから「不信任案」が出されて当たり前なのがわざわざ「信任案」を出すのだから周辺では不信任の空気が満ちているという異常な状態である。
そのため「内閣信任案の可決」は平成4年の宮沢総理以降2例目だそうだ。わははは

「健康保険制度の破綻」「秋葉原通り魔の若者に見られる若者の格差拡大」や「年金制度の破綻」また「教育の荒廃」等など、いずれも戦後の自民党による一党独裁の長期政権の「貿易立国」「兵隊に代わるサラリーマンの養成教育」によりその悪しき結果の表れである。

民主党が政権を背負って立てようと立てまいとここは一度自民党は下野して(衆議院を解散し野党に負ける事が前提だけど)日本の歴史を前に進める必要がある。
福田お代官は「法連屋、そちも愚かよのー 町村屋と伊吹屋はもっと愚かだが」といってさっさと切腹(辞任)をすれば日本の歴史に名を残せるのに。

国民の難儀はもうしばらく続く。


産経新聞:
衆院は12日午後の本会議で、与党が提出した福田内閣信任決議案を採決した。民主、社民、国民新の3党が欠席する中、自民、公明両党などの賛成多数により可決される見通しだ。内閣信任決議は、11日の参院本会議で可決された福田康夫首相問責決議への対抗措置で、平成4年6月の国連平和維持活動(PKO)協力法をめぐる宮沢内閣以来16年ぶり2例目となる。

 自民党の小坂憲次国対筆頭副委員長は12日午前の記者会見で、「法的な根拠のない問責決議をするのは、主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)を控え、対外的信頼に疑念を持たれる可能性がある。国会として福田内閣を信任する姿勢を示す必要がある」と、内閣信任決議の意義を強調した。これに対し、民主、社民、国民新の3党の国対委員長は国会内で会談し、今国会の審議に一切応じないことを確認した。


 衆院本会議ではまた、日銀審議委員に池尾和人慶大教授を充てる国会同意人事案も自民、公明両党などの賛成多数で同意される。しかし、民主党が国民新党に配慮し、20日にも参院本会議で不同意とする方針で、衆参両院の同意がそろわず不承認となる見通しだ。当初予定していた野党提出の後期高齢者医療制度廃止法案の審議入りは、3党の欠席により見送られた。


 一方、民主党の小沢一郎代表は12日、山形県への「地方行脚」の出発を遅らせ、昼の党代議士会に出席した。

【用語解説】内閣信任決議

 内閣の信任を明確に示すための決議。否決されれば、憲法69条により内閣は10日以内に衆院解散か総辞職しなければならず、内閣不信任決議とともに法的拘束力がある。首相指名選挙が事実上同じ意味を持ち、あえて信任決議する必要がないため過去の提出は2例だけ。平成4年の宮沢内閣信任決議案が唯一の可決例。
(引用終わり)
コメント (1)
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「少年王者」 雑感

2008-06-13 05:59:58 | 本を読む
尊敬するブロガー「花崗岩のつぶやき」の管理人tantanmen氏が:
「少年王者」「少年ケニア」の絵物語作家 山川惣治一文を書かれた

爺は「少年王者」の文字に魅せられて駄目もと(駄目でもともと)で市立図書館に予約してみました。今年の3月初版発行ですから早くて秋風の吹く頃に読めると思っていたのです。

ところが何と一週間でその本が手に入りました。
よく考えてみれば今時「山川惣治」の名を聞いて興奮する人は少ないのかも知れません。
それでも市の図書館にこの本(の購入)を申請した人は偉い!

さて少年王者ですが爺が思い出す(今風に言うキーワードは)のはマウントサタン、牧村真吾、メラ、すい子、アメンホテップそして魔人ウーラです。

細かい話は「山川惣治」を読んで頂くとして、山川惣治氏が戦前紙芝居作家であったとは驚きです。
戦前はともかく戦後爺が物心付いた頃、近所の盛り場は小川の床屋四兄弟が仕切っていて爺の様に「ただ見」つまり紙芝居の親父から飴を買わない(買えない)子供は遠ざけられていました。

かすかに思い出すのは「黄金バット」「透明人間」そして「笑う半骨魔」なんてのもありました。武士が熱病に罹り頭が割れるように痛い顔にもゲルゲルに包帯を巻いています。あまり辛いので包帯を解くと「顔の半分が解けて目玉まで流れ出てしまい骸骨になってしまうのです」
子供心には恐ろしくてその後しばらく一人でトイレに行けませんでしたよ。

さて「少年王者」ですが忘れずに思い出すのは冒頭に掲げた「少年王者真吾」が象の背中に乗っている表紙の本です。
小遣いを貯め、正月のお年玉を掻き集めてようよう「この巻きを買えるお金が出来て」元旦の朝早くから弘明寺の商店街入り口のある「弘明堂」という本屋の前で開店を待ったのを思い出します。
開店を待ちきれずに戸口をたたき親父さんから「正月は朝ゆっくりするもんだ」とか窘められたものでした。今も二代目が親父さんそっくりの体型と風貌になりがんばっています。

さてさて人間の記憶とはあいまいというかいい加減なものです。
「山川惣治」によれば爺の記憶にある巻きは昭和25年とあります。もう少し昔の気もしますがはっきりしません。

早速私立図書館の蔵書を検索すると「角川文庫」で全10巻のうち1巻を除きそろっているではありませんか。


この絵は第1巻の表紙です。
これは親に買ってもらったのでしょうね。
早速2と3巻を借りて見ると昔を思い出します。
しかし牧村夫妻が日本人の象牙商太田により「魔の谷」に追いやられた事等すっかり記憶から落ちていました。

それよりも恐ろしい事は「少年王者」が昭和58-9年頃角川文庫から文庫版として発行されておりもっと恐ろしい事は爺もサラリーマン稼ぎ頭の時代に出張の合間に買って読んでいた事をすっかり忘れていました。
思い返せば「子供の頃あんなに興奮したのにいささか興ざめを覚えるのです」
恐らく「ターザン」「ジャングルブック」の物語を読んだり映画を見たりして世間が広くなったのでしょうね。20数年前でも生きてゆくことが優先するとあの感激は記憶の下積みになるようです。

最後に真吾がどうなるか? 第9巻でアメンホッテプと魔人ウーラの正体が分かり
緑の石(マキムリン)を持ってキリンジニの空港からアメリカに凱旋帰国するのです。
そこで終わりでよい所、第10巻でターザンニューヨークに行く見たいな付録が付きました。好評に付き引っ張ったのでしょうか? 編集の都合上?剛勇ザンバロも故郷に帰る途中で話が終えていました。
面白ブックでは土人と表記してあった所が原住民に変わっていますから文庫版にする際、改変したようです。
それにしても久しぶりに50年から60年以上かも昔を思い出しました。
面白ブックは次の号が出るまでセリフのすべてを覚えるほど呼んだものでしたがね。
「少年ケニヤ」の方が記憶が確かですが興奮したのは「少年王者」との思いが深いのです。



コメント (2)
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