王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

天皇皇后両陛下 伊勢神宮を参拝 !!

2019-04-18 09:36:24 | 天皇家
昨日17日天皇皇后両陛下は伊勢神宮を参拝し、4月末の退位を報告のため2泊3日の予定で三重県に出発されました。


報道写真ではお出でましにあたり三種の神器のうち、剣と璽(じ・まがたま)を奉持する侍従二人を引き連れていらっしゃるのには驚きました。

象徴天皇でいらっしゃり政治行為とは無関係との割きりですが「天皇退位」に伴うご先祖様への報告は「三種の神器」の登場とは簡単に割り切れない微妙な行為と些かお気の毒な気もしました。
国家元首で国民の長であれば「先祖のアマテラス大御神」に生前退位報告のため伊勢神宮に向かうのは当然ですが、象徴天皇が一族の祖先神をお尋ねになるには憲法によらず三種の神器によりその身分を証明しないといけないのだろうと拝察しました。
神器を奉持して伊勢神宮をご参拝の様子です。

いわば身内の出来事を余り無邪気に「バンザイバンザイ」と奉祝するのも贔屓の引き倒しになってはいけないと思い静かにお祝い申し上げています。
無事お帰りを願っています。



写真:伊勢にお出でましになる両陛下 後ろは神器を奉持する侍従

FNN Pime:
天皇皇后両陛下は18日、天皇家の祖先とされる天照大神をまつる伊勢神宮を参拝し、4月末の退位を報告される予定。

退位にともなう儀式の一つとして伊勢神宮を参拝するため、両陛下は17日、三重県を訪された。

在位中最後の地方訪問で、伊勢の駅や神宮周辺には、およそ1万5,000人が出迎え、両陛下を歓迎した。

沿道に訪れた人は「涙が出てくるくらい感激しました」、「本当にお疲れさまでしたって言いたい」などと話した。

今回の伊勢訪問には、皇位の印として歴代天皇に受け継がれ、普段皇居から外に持ち出すことのない「三種の神器」のうち、「剣璽(けんじ)」と呼ばれる剣と勾玉(まがたま)が持参されている。

両陛下は、剣と勾玉を乗せた車をともない、冷たい雨の降る中、車の窓を開け、手を振りながら宿泊先の伊勢神宮へと向かわれた。

今回の参拝は、4月30日の退位に向けた儀式の一つで、両陛下は18日、天皇家の祖先とされる天照大神をまつる伊勢神宮を参拝し、4月末の退位を報告される予定。
(引用終わり)


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新元号は 「令和」 !!

2019-04-01 13:55:58 | 天皇家
新元号は「令和」(れいわ) 万葉集典拠、国書由来は初
今日1日午前11時40分過ぎTVの特番の前で待つ浜爺に菅官房長官が会見室に入り新元号を「令和」と披露しました。
中身の話を聞く前に頭の中で「れいわ、れいわ、れいわ」と繰り返しましたが何だかモダンな感じに聞こえました。

万葉集から取ったそうで菅官房長官の言葉の説明では意味が聞き取れませんでした、AIの表示も訳しきれずひらがな表記が数カ所ありました。

詳しくは下の引用文に有る通り:
 万葉集にある歌の序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」からの二文字で「令和」との事。
「令」はこの場合 令夫人や令嬢の令ですよね。良い、尊敬に値するでしょうし
「和」は和やかである、平和である に違いありません。

とても雅で温かみが感じられます。
そういう世の中にするのは平静生まれやこれから生まれる若い人たちのたゆまぬ努力と政治家のかじ取り次第と言う事になりそうです。
戦争のなかった平成の30年間を大災害やテロの無い様と称えられる様な「令和時代」にしてほしいと願っています。


写真:「令和」を掲げる 菅官房長官

朝日新聞:
菅義偉官房長官は1日午前11時40分ごろ、首相官邸で記者会見し、新しい元号は「令和(れいわ)」と発表した。典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万葉集」。日本で記された国書に由来する元号は確認できる限り初めてとなる。元号を改める政令は即日公布され、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に施行される。

 天皇退位に伴う改元は憲政史上初めて。1989年1月に始まった「平成」は、残り1カ月で幕を閉じる。

 万葉集にある歌の序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」(書き下し文)から
書き下し文)から二文字をとった。

 新元号は645年の「大化」から数えて、248番目。「大化」から「平成」までは、確認されている限り中国の儒教の経典「四書五経」など漢籍を典拠としており、安倍政権の支持基盤である保守派の間には国書由来の元号を期待する声があった。安倍晋三首相は記者会見して典拠を万葉集とした理由について「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と説明した。

 元号の選定手続きは1日午前9時ごろから始まった。政府の要領に沿って、菅氏は横畠裕介・内閣法制局長官の意見を聴いたうえで、元号の原案として数案を選定した。午前9時半すぎから、ノーベル賞受賞者の山中伸弥京大教授ら、各界の有識者9人による「元号に関する懇談会」に原案を提示。元号候補とその典拠、意味などについて説明し、メンバーそれぞれから意見を聴いた。

 菅氏は午前10時20分ごろから衆院議長公邸で、大島理森衆院議長ら衆参両院の正副議長の意見を聴取。その後、全閣僚会議を開き、新元号を記した元号を改める政令を臨時閣議で決定した。元号を改める政令は天皇陛下の署名・押印、官報掲載を経て、1日中に公布される。憲法は政令の公布について、天皇が内閣の助言と承認の下で行う国事行為の一つと定めている。

 新元号の公表に先立ち首相官邸は、宮内庁を通じて天皇陛下と皇太子さまに閣議決定後に新元号を伝達した。政府は前回の改元でも、即位直後の天皇に「平成」を事前伝達している。

 新しい元号をめぐって政府は、「平成」が始まって間もない時期から、国文、漢文、日本史、東洋史などの学者に元号の考案を水面下で依頼。今年3月14日付で正式な委嘱手続きをとった。政府は「元号に関する懇談会」に示した原案すべてについて、考案者を記した記録を公文書として残すが、当面は明らかにしない方針だ。

 政府は元号について、国民の理想としてふさわしいようなよい意味▽漢字2字▽書きやすい▽読みやすい▽これまでに元号またはおくり名として用いられたものでない▽俗用されているものでない(広く一般に使われていない)――の六つの要件を定めている。

 天皇陛下は4月30日に退位。5月1日に皇太子さまが即位し、新元号が始まる。天皇退位に伴う改元は、光格天皇の退位で「文化」から「文政」に改元された1818年以来、約200年ぶり。
(引用終わり)
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新元号の考案 事前に委託へ !!

2019-02-27 09:59:27 | 天皇家
新元号の考案、事前に委嘱へ 平成改元は当日に委嘱

以下の記事は出所の分からないものですが政府がしかるべくリーク(漏らす)したのでしょうか? 今日27日朝5時とあります。
要点は「政府は4月1日の新年号の決定・公表に向け、事前に複数の学者に元号の公安ヲ委嘱する」方針を固めたそうです。
もう2月も明日で終わり実質1か月しかありません。既に(十分)検討されているのだと思いますが公式にはその道のプロに頼むと決めたと発表したのでしょう!

読みやすく、話しやすく(発音しやすく)、書きやすいと良いいですね。子供の名前と同じですよ!

天皇皇后両陛下は生前ご退位に向けて24日には「天皇陛下在位30周年記念式典」でこれまでを振り返りお気持ちを述べられました。一部(読み)飛ばしたところがあったのに妃殿下がお気づきになり読み直すされたとか。また翌25日には答礼として「両陛下主催のお茶会」が開かれました。
野球の王元監督やサッカーの三浦選手の顔が映った映像を見ました。

天皇皇后両陛下は政治に関与しませんから「まさに祈りと鎮魂の30年」の様にお見受けしました。
日本による戦争がこの間無無かった事は特筆されて良いと思います。しかし偶然ですが証券バブルがはじけ以降、(統計上はとも角)景気の良くない時期が長く続きました。雇用は正社員と臨時雇いに2分化、賃金は上がらず国債の増発によってのみ予算編成をする体たらく!!また100年ぶりとかの間隔で風水害の多い時に当たりました。

責めは政権与党の幹部にあります。御退位後は静かに健康でお過ごしください。
話は戻って天皇代替わりを機に「景気が良くなって下々の暮らしまで潤うようになって欲しいものです」
強く願っています。


写真:ご在位30周年記念式典での両陛下(ネットより)

朝日新聞:
政府は4月1日の新元号の決定・公表に向け、事前に複数の学者に元号の考案を委嘱する方針を固めた。日本古典など国書に由来する元号案も選択肢に、人選の最終調整をしており、近く委嘱する。複数の政府関係者が明らかにした。

 1989年の平成改元では、昭和天皇の闘病中に改元準備が極秘に進められ、考案者への委嘱も、昭和天皇が逝去し新元号が決定・公表された当日だった。委嘱を受けた3人の各1案から、「平成」が選ばれた。今回は憲政史上初の退位による改元で、事前委嘱が可能となった格好だ。

 政府は「平成」が始まって間もない時期から、高名な学者に非公式に新元号の考案を依頼し、寄せられた案を厳重に管理してきた。

 過去の元号は中国古典から取られており、日本書紀などの国書が典拠となった例はない。朝日新聞の取材によると、政府はこれまでに中国文学や東洋史だけでなく、日本文学などの学者にも考案を依頼。政府が受け継いできた元号候補の中には、中国古典に加え、国書に由来する案も含まれていることが判明している。
(引用終わり)
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小室君の母親の元婚約者 反論 !!

2019-01-23 14:44:15 | 天皇家
母の元婚約者「トラブル解決してない」小室圭さんに反論

昨日22日朝のTVニュースショーで秋篠宮家の眞子さま(27)と婚約はなったとかならないとかで問題になっている小室圭さん[27]が「母親の元婚約者との金銭トラブルは解決済」との発表と言うかマスコミにFaxで文章を送った様でそれが朝から話題になっていました。
言葉使いは丁寧ですがどこにも借りた金は(いくらかでも)返したとかいついつまでに返すとか書いてないのでこれは母親の元婚約者が見たら揉めるだろうなーと素人が見ても思いましたよ。

案の定その日の夕刻には母親の元婚約者が朝日の取材に「貸した金は返してもらってない。全部でないにしても返してほしい」そして「そもそもこんな事を発表する前に私にその主張をするべきだろう」と答えたようです。
至極もっともに聞こえました。したがって小室圭さんは秋篠宮家もしくは世間の金銭トラブル疑惑に何を答えたつもりだったのでしょう?!

この辺りが母子で世間知らずなのかも知れません。

話は飛んでひえつき節という民謡の一節に♪おまや平家の公達ながれ、おまや追討の那須の末よー♪とあります。
これは平家追討に来た那須の大八が敵の平家の鶴富姫を愛して3年、鎌倉殿からのきつい帰還命令に鶴富を捨てて泣く泣く帰るのですね! だから二人は可哀想だし別れがつらいのだとおもいます。

今 小室圭君の説明に何の感動も共感もありません。たとえば問題が起きてから「授業料の一部に充てたのだから月1万円つつでも返済し40万円になった。もう少し待って欲しい」だったらどうでしょうか?
いまどきの言葉でクラウドファンディング?で「圭君の借金を軽くするため募金」を募ったら300万円位は集まる可能っ性はあったかもしれません。
でも22日の声明文には感動も共感も同情も感じません。

国際弁護士の資格を取っても物事の根幹を掴む能力に欠けると顧客の獲得は難しいかもしれません?
人の子維持の邪魔をすると馬にけられるといけないので次の進展をまちます。


写真:問題前のお二人(ネットより)

朝日新聞:
秋篠宮家の長女眞子さま(27)と婚約が内定している小室圭さん(27)が、週刊誌などで報道されてきた家族の金銭トラブルについて「解決済み」と理解してきたと主張していることに対し、小室家に金銭的支援をしたとされる男性は朝日新聞の取材に「トラブルは解決していない」と反論した。

 男性は小室さんの母親の元婚約者で、婚約期間中、小室さんの母親の求めに応じる形で生活費の支援や、圭さんの大学の費用、留学費やアナウンススクールの費用など400万円以上を援助した、と主張。「婚約解消を申し出たのは、金銭援助を求められることが常態化し、生活が苦しくなってきたからです」と述べた。

 婚約解消時、小室さんの母親から、金銭の返済について「月々1万円くらいずつしかお返しできませんが」と申し出があったが、「それでは少なすぎるので再考してださい」と断ったという。男性は「交際期間中の食事代やプレゼント代まで返して欲しいわけではない。生活費や学費などは貸したつもりでいた。返済して欲しい気持ちは変わらない」と話している。(中田絢子)
(引用終わり)
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天皇陛下 ご在位最後の誕生日会見 !!

2018-12-23 10:13:20 | 天皇家
時おり声を詰まらせ“天皇としての旅”ふり返られる...天皇陛下がご在位中最後の誕生日【動画全録】

今日23日は天皇誕生日でこのため20日に収録されていた記者会見の様子が動画で流れました。
まだ23日が天皇誕生日である事の刷り込みが浅くてこの三連休は「23日が日曜日なので24日は振替休日」のためでした。
下々の例に例えては失礼ですが先帝昭和天皇は「現人神」から「人間天皇」へと身分を変えられ戦前と戦後の混乱期の日本人を(精神的に)纏めていらっしゃいました。今上陛下は中興の先代を引き継ぎ「象徴天皇である事を意識しその行為を(多分)国民の気持ちに寄り添う祈りを行う」事と絞った様に見受けられました。
明治憲法を含めても憲法が天皇の権能に制限を加え「それ以前から続く天皇家の行事でありかっては国の行事でもあった行為」のいくつかは良く判らないまま実体として継承されてきました。
もともと法治民族でない日本人が論理的かつ首尾一貫して象徴天皇の行為と国事行為と切り分けることなどできませんでした。

それでも今上陛下は「象徴天皇とは祈りである」と規定されそれさえも十分な体力と気力に支えられなければ「満足に果しえない」とされ来年4月末日を持って生前ご退位となりました。
それも決まるまで実に10年くらいはかかっていたのですね。

しかしその結果平成の御代は他国に戦争を仕掛ける事も仕掛けられる事も無く終わりそうです。
これは実に偉大な事だと思います。

又陛下自らが述べられましたが民間から皇室に入られた美智子妃殿下の天皇陛下に捧げる公私に亘る愛情と寄り添いは滅私と呼んでも差し替えないほどにお見受けしました。ついに実家の正田ご一族は一度も国民の前に現れる事なく過ぎました。
是非御退位後はお二人で私的旅行でもお楽しみいただきたいと思っています。
さてそこで三代目ですがどうなりますかね?
浜爺は心配しています。
まあ今日はその事を語る場ではありませんので述べません。
惜しまれつつ去ると言うのは難しいものです。
平穏なご退位を願っております。


写真:ご在位中最後となる誕生日記者会見で

FNN Prime:
23日、天皇陛下はご在位中最後となる、85歳の誕生日を迎えられた。誕生日に先立ち行われた記者会見で、天皇陛下は時おり、涙で声を詰まらせながら平成を振り返られた。

(陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなるが、現在のご心境と、今、国民に伝えたいことは?)

この1年を振り返る時、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。

集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。

新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。

命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。

譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。

世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。

終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々とわが国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。

そしてその翌年、英国のエリザベス2世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、わが国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。

沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。

皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。

沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。

先の大戦で多くの人命が失われ、また、わが国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。

平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、さらにその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。

皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。

平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動をはじめ、さまざまな助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。

また、災害が発生したときに規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

障害者をはじめ困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。

障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。

パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年、わが国から海外への移住が始まって150年を迎えました。

この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。

こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

そして近年、多くの外国人がわが国で働くようになりました。

私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国からわが国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者がわが国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。

結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。

また、昭和天皇をはじめ私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子どもを育てました。

振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の1人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。

多くの関係者がこのための準備にあたってくれていることに感謝しています。

新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあとわずかとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。
(引用終わり)
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