『長崎で「原爆投下から80年、平和祈念式典が」開催の話題です』
【米国が長崎に原爆を投下して80年となった9日、長崎市で平和祈念式典が開かれた。被爆2世の鈴木史朗市長は平和宣言で、紛争当事国に即時停戦を呼びかけ、核戦争に突入することへの強い危機感を表明した。
今年は101カ国・地域、欧州連合(EU)が参加予定だったが、その後7カ国が欠席し、過去最多とはならなかった。参列者は、原爆が炸裂(さくれつ)した午前11時2分に黙禱(もくとう)を捧げ、犠牲者を悼んだ。 市は、昨年見送ったロシアやイスラエルなど紛争当事国も式典に招待。両国のほか、日本と正式な外交関係がない台湾が今年初めて参列した一方、中国は欠席した。 各国の代表を前に、鈴木市長は名指しを避けながらも「『武力には武力を』の争いを今すぐやめてください」「このままでは、核戦争に突き進んでしまう――。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです」と訴えた】と朝日新聞が報じました。
『朝から暑い中、TVで平和式典の様子が長く映像で流れた広島のそれと異なり、式典がどの様に行われたのか、活字で追ってみました』
献花する石破首相

『平和広島の平和記念式典に比べると政治生くがやや薄く、有名個所を含めた一般参加者の合唱など良い企画が有った様に見受けました。長崎原爆の死没者名簿には、この1年で新たに死亡が確認された3167人の名前が新たに記された。名前が記された死没者数は計20万1942人となる。と知りショックを受けました。
謹んで哀悼の意を表します。 合掌 』
写真:長崎市出身の歌手、福山雅治さんが作詞作曲した「クスノキ」を合唱する、城山小学校と山里小学校の児童たち=2025年8月9日午前11時21分、長崎市、上田潤撮影(朝日新聞)
朝日新聞デジタル:
米国が長崎に原爆を投下して80年となった9日、長崎市で平和祈念式典が開かれた。被爆2世の鈴木史朗市長は平和宣言で、紛争当事国に即時停戦を呼びかけ、核戦争に突入することへの強い危機感を表明した。
今年は101カ国・地域、欧州連合(EU)が参加予定だったが、その後7カ国が欠席し、過去最多とはならなかった。参列者は、原爆が炸裂(さくれつ)した午前11時2分に黙禱(もくとう)を捧げ、犠牲者を悼んだ。 市は、昨年見送ったロシアやイスラエルなど紛争当事国も式典に招待。両国のほか、日本と正式な外交関係がない台湾が今年初めて参列した一方、中国は欠席した。 各国の代表を前に、鈴木市長は名指しを避けながらも「『武力には武力を』の争いを今すぐやめてください」「このままでは、核戦争に突き進んでしまう――。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです」と訴えた。 ■引用した「ノーモア・ヒバクシャ」の言葉 平和宣言の内容を決める起草委員会の最終会合を前にした6月下旬、米軍がイランを攻撃。鈴木市長は原爆を落とした米国が核施設を攻撃したことに「衝撃を受けた」と言い、急きょ即時停戦の呼びかけを盛り込んだという。 ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にも触れた。1982年、米国の国連本部で開催された軍縮特別総会で、被爆者として初めて演説した故・山口仙二さん(1930~2013)の「ノーモア・ヒバクシャ」の言葉を紹介した。 山口さんは14歳で爆心地から1.1キロの兵器工場に動員され、塹壕(ざんごう)を掘っていた時に被爆。全身にやけどを負い、戦後も、顔や胸にケロイドが残った。国内外で被爆体験を語り、被爆者運動の先頭に立ってきた。 被爆者代表として「平和への誓い」を述べた横浜市の西岡洋さん(93)は、通っていた旧制長崎中学校で被爆した体験を語った。石破茂首相はあいさつで、非核三原則の堅持に言及。被爆後に救護活動にあたった医師・永井隆博士が残した「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」の言葉を引用し、「長崎と広島で起きた惨禍を二度と繰り返してはなりません」と述べた。 長崎原爆の死没者名簿には、この1年で新たに死亡が確認された3167人の名前が新たに記された。名前が記された死没者数は計20万1942人となる。(榧場勇太)
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