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Milton, _Samson_ (1205-23)

ジョン・ミルトン (1608-1674)
『闘技士サムソン』(1205-23)

わたしの国は、おまえの国の支配者たちに征服された。
が、それはあくまで武力によるもの。武力など、武力で
いつでも退けられる。征服された者にそれができればな。

わたしは一平民で、だからわたしの国の者たちが
同盟を破った者としてとらえて引き渡した、と?
ひとりで勝手に反乱をおこし、敵対行為に及んだとして?

わたしは平民などではない。わたしは、神によって
国に自由をもたらすよう命じられ、
必要な力を授けられた者だ。国の者たちが、解放者である
わたしを受けいれず、それどころか奴隷根性丸出しで、
おまえの国の支配者たちにただでさし出したということは、
それだけ彼らが愚かだということ、だから今だに隷従させられているのだ。

わたしは、天に命じられたことをしようとしたのみ、
そして、実際それをなしとげていたはずだ、みな知っているあのあやまちに
よってそれができなくなってしまわなければな。おまえたちに封じられたのではない。

さあ、言い逃れはもう通用しない。わたしの挑戦に応えろ。
盲目だから、もう大きなことはできないかもしれないが、
おまえとの決闘くらい、屁みたいなものだ。
こうやって挑むのは、もう三回目だぞ。

* * *

John Milton
Samson Agonistes (1205-23)

My Nation was subjected to your Lords.
It was the force of Conquest; force with force
Is well ejected when the Conquer'd can.
But I a private person, whom my Countrey
As a league-breaker gave up bound, presum'd
Single Rebellion and did Hostile Acts. [1210]
I was no private but a person rais'd
With strength sufficient and command from Heav'n
To free my Countrey; if their servile minds
Me their Deliverer sent would not receive,
But to thir Masters gave me up for nought,
Th'unworthier they; whence to this day they serve.
I was to do my part from Heav'n assign'd,
And had perform'd it if my known offence
Had not disabl'd me, not all your force:
These shifts refuted, answer thy appellant [1220]
Though by his blindness maim'd for high attempts,
Who now defies thee thrice to single fight,
As a petty enterprise of small enforce.

* * *

イスラエルの怪力の英雄だったが、今や盲目の奴隷と
なりはてたサムソンが、敵部族ペリシテ人の怪力の男
ハラファに対して、みずからを正当化し、また彼を
挑発する場面。

聖書の士師記13-16章がこの作品の元ネタ。
(ミルトンが創作した箇所も多々あり。この場面もそう。)

* * *

訳注と解釈例など。

1206
共和国初期には、征服した者が正当な支配者、
力が正義、悪い征服者にしたがうことは
(たとえば、貧しい者が泥棒から施しを受ける
ことと同様)罪ではない、国の支配者としては、
正しくても弱い者より、悪くても強い者のほうがいい、
など、征服をめぐるいろいろな議論がなされていた。
もちろん、共和国が、国王支持者を武力で
制圧した結果のものだったから。

軍および共和国の支持者であったが、ミルトンは、
基本的に上のようなことはいわず、下記の通り、
軍は、神に命じられ、また味方されて戦い、勝利した、
という立場をとっていた。

1207 well
当然の結果として(OED 8a)。かんたんに(OED 9a)。
うまく、上手に、実質的に(OED 11)

1208-
1640-50年代のイギリスにおいて、国王など支配者に
抵抗する権利をもつのは、議員など公職にある者のみだ、
いや一般の人々 private persons にも抵抗権がある、
などという議論がなされていた。抵抗権を公職者に限定する
議論のほうが、カルヴィンなどから連なるプロテスタントの主流で、
この当時のイギリスでは、公職にない一般民である
軍、兵士らによる国王攻撃を違法とするために
用いられた。(そもそも、だれでも支配者に対して
武装抵抗してよければ、明らかに大変なことになる。)

これに対して、ミルトンのような軍の支持者は、
(神に命じられていれば)一般民の武装抵抗も
正当、と論じた。どうして神に命じられているかどうかが
わかるのか、といえば、それは、戦闘に勝ってきたから・・・・・・。
つまり、神に命じられたから一般民も戦っていい、
ではなく、勝ったから、その戦いは神に命じられた
ものにちがいない、というかたちで、常に遡及的に
過去の戦闘が正当化された。

だから、1650年代半ば、西インド諸島でイギリス軍が
スペインに敗れたとき、また(より深刻、重大に)1660年に
共和国が自壊してふたたび王政が立てられたとき、
ミルトンら共和国の支持者たちは、頭を抱えることになる。

神に命じられて戦ってきたはずなのに、神に命じられた
戦いを支持してきたはずなのに・・・・・・勘違いしていた?

しかし、『サムソン』のような作品を出す、ということは、
ミルトンは、この勘違いを認めてはいなかった
(苦悩はあったかもしれないが)、ということ。

(・・・・・・では、『失われた楽園』は?)

なお、この箇所に出てくる、隷属やそこからの解放という
考えは、暴君 tyrant チャールズ一世によって、また
暴君クロムウェルによって、奴隷のように奉仕させられる国民、
という1640-50年代の議論から。

1215 for nought
報酬なしで。Nought = nothing.

1218 my known offence
敵部族出身(ペリシテ人)である妻ダリラに対して、
サムソンがみずからの強さの秘密(髪を切られると
弱くなる)を話してしまったこと。これを聞いて
ダリラは、サムソンの神を切り落とし、弱くなった
彼を部族の長らに引き渡す。(1213行からの、
引き渡しエピソードは、これとは別もので
士師記15章からのもの。) そしてその部族の
長たちは、サムソンの目をくり抜いて盲目にし、
奴隷として使っている・・・・・・というのが、
上の場面までの話。

1220-
神に命じられているという設定だが、こういうケンカの
売り方はどうか、と思わせる書き方。平たく言えば、
「おい、やろうっていってんだろ? おまえなんてちょろいぜ!」
ということなので。また、その後すぐ、サムソンはこのように
挑発的にいう。

「おいおい、オレをただ見にきたのかい? 実際に
手でさわってオレの強さを調べたほうがいいんじゃね?
おーっと、でも気をつけろよ、逆にオレがおまえの強さを
調べちゃうからな!」

* * *

また加筆修正します。

* * *

英文テクストは、Paradise Regain'd : A Poem in IV books:
To Which Is Added Samson Agonistes (1671) より。

(日本語訳は、まとまりごとにわけてあります。)

* * *

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