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Wordsworth, "Ode" ("Intimations of Immortality") 1807 ver. (日本語訳)

ウィリアム・ワーズワース (1770-1850)
「オード」
(「幼少の思い出が永遠について教えてくれる」)

「もっと気高いことを歌おう。」

かつて、牧場、林、川、
大地、そしてすべてのありふれた景色が、
わたしには見えた、
天上の光につつまれているかのように。
夢の輝きとあざやかさに装われているかのように。
昔はそうだったが、今ではちがう。
どこを見ても、
昼でも夜でも、
かつて見えたものが、もう見えない。
(1-9)

虹は出て、消える。
バラはきれいだ。
月は楽しげに
あたりを見まわす、雲のない夜に。
星降る夜の川や湖は
澄み、美しい。
太陽は新しく生まれて輝く。
だが、わたしは知っている。どこに行っても無駄、
ある種の輝きが、大地から去ってしまったことを。
(10-18)

今、鳥たちは楽しげに歌を歌い、
子羊たちは跳ねまわる。
太鼓にあわせて飛ぶかのように。
わたしだけ悲しい気持ちになったが、
それを歌にしたら気が楽になり、
また強くなれた。
滝は崖からトランペットのように鳴る。
もう悲しみでこの季節を台無しにするのはやめよう。
こだまが聞こえる、あたりの山を通って集まってくるかのように。
眠る野原から風もやってくる。
世界は楽しげで、
大地も海も
陽気に我を忘れている。
五月祭のときのような気分で、
動物もみな、のんびりしている。
「ねえ、君、よろこびの申し子、
ぼくのそばで叫んで、大きな声を聞かせて、楽しげな羊飼いの君!
(19-35)

君たち、幸せな生きもののみんな、聞こえたよ、
君たちが呼びあう声が。見えたよ、
空が笑うのが。楽しげに声をあげる君たちといっしょに。
心のなかでぼくは君たちのお祭りに参加していて、
頭にはその草冠をのせていて、
君たちがどれほど幸せに満ちているか、感じる、みんな感じるよ」。
最悪だ! 暗い気分でいるなんて!
大地が着飾っているというのに、
こんな気持ちいい五月の朝に、
子どもたちが摘んでいるというのに、
あちこちで、
広く、ずっとつづく千もの谷のなか、
咲いたばかりの花を。太陽があたたかく輝き、
赤子も母の腕のなか、飛びはねているというのに。
ああ、聞こえる、聞こえる! 聞こえて、楽しい気分になってくる!
--だが、一本の木がある。たくさんのなかの一本。
それから特別な野原が一か所ある。
これらは語る、なくなってしまった何かについて。
足もとのパンジーも、
同じ話をくり返す。
幻のような光はどこに行ってしまったのか?
今、どこにあるのか、輝くような美しさと夢は?
(36-57)

人が生まれるということは、眠ること、忘れることにすぎない。
わたしたちとともにのぼる魂、わたしたちの命の星は、
かつて別のところにあったもの。
それは遠くからやってくる。
すべてを忘れてはいない状態で、
完全に裸ではない状態で、
光の雲を引きずって、わたしたちはやってくる。
わたしたちが生まれたところ、神のもとから。
天国があるのだ! 子どもの頃のわたしたちのまわりには!
牢獄の影が覆い、かぶさりはじめる、
成長していく少年に。
しかし、彼は光を見る。そして、それがどこから流れてきているか、
それに気づいて彼はよろこぶ。
若者になり、人は日々東から遠ざかるように
旅をしなくてはならない。が、それでも彼は、まだ自然に仕える者であり、
輝く、神秘的な天の光景を
記憶にとどめつつ進む。
最終的に大人になり、彼は気づく。この光景が死に絶え、
ありふれた昼の光に混ざって消えていることに。
(58-76)

大地は、その膝を、きれいな草花でいっぱいに満たす。
大地にはみずからの、ごく自然な希望があって、
そして、どこか母のような心で、
意地悪するつもりなどなく、
あたたかい乳母として手を尽くす。
義理の子、今、いっしょにくらしている人間が、
かつて知っていた輝きを忘れるように。
かつて住んでいた天の王の宮殿を忘れるように。
(77-84)

見て、あの子を。生まれて、まだ小さくて、よろこびに満ちている。
四歳のかわいい子、こびとのように小さい!
見て、自分の作品にかこまれて横になっていて、
母のキスに急襲されてむずがっていて、
父の視線に照らされている!
見て、彼の足もとには小さな見取り図や地図。
人のくらしについて彼が見た夢の断片が、
最近覚えたテクニックで書かれている。
結婚式か、祭か、
喪か、葬式か、
とにかく、今、彼はこれに夢中で、
それにあわせて自分の歌をつくって歌う。
やがて彼は言葉を覚え、
仕事や、愛や、憎しみを語れるようになるだろう。
が、遠からず
これも捨てられ、
新しいよろこびと自信とともに、
この小さな役者は次々に異なる役を覚え、
流れる時のなか、人生の舞台でさまざまな気質を演じる。
手足のふるえる老人になるまで、彼はあらゆる登場人物になる。
人生がもたらすあらゆる立場の人に扮する。
まるで、終わりのない演技だけが、
彼に定められた仕事であるかのように。
(85-107)

「ねえ君、君の姿は、偽って隠しているよね、
無限に大きい君の魂を。
最高の知恵をもつ君、君にはまだあるよね、
君が受け継いだものが。盲目の人々のなか、君は目なんだ。
何も聞かずに、何も話さずに、君は永遠不変なもの、深いものを読みとっているんだ。
永遠不変の記憶がいつもそばにあるからだよ。
君は偉大な預言者で、神の啓示を見ているんだ!
君は真理を知っているよね、
ぼくたちが生涯をかけて、一生懸命探しているような真理を。
母鳥の下の卵のように、君は、永遠の命につつまれているんだ。
日の光が人をつつむように、主人が奴隷を支配するように、
不死が君のまわりにある、君をとらえているんだ。
君の墓、
それは何も見えない孤独な場所、
あたたかい光もないところ。
それは思考する者たちの場所。そこでぼくたちは横になり、君を待っているんだよ。
小さな君、でも君にはすばらしい力がある。
抑制されない楽しみから得られる力が、ね、君の小さなからだのなかに。
どうしてそんな大まじめに、痛みや苦労を感じてまで、みずから招くんだい?
避けられない拘束をもたらす年月を?
どうして、考えもなしに、幸せな今の状態に抵抗する?
本当にすぐに、君の魂はこの世の重荷を感じるんだ。
この世のルールが、重くのしかかるんだよ。
霜のように冷たく重く、命そのもののように君の奥深く」。
(108-31)

よろこぶべきことだ! 火の消えかけた炭のようなわたしたちのからだのなかで
まだ何かが生きているなんて!
存在のどこか奥深くでまだ覚えているなんて、
あのようにはかなく、すぐに消えてしまうものを!
過ぎ去った年月について考えるとき、わたしは感じる、
永遠に祝福され、守られているかのように。実際、違う、
神聖な扱いにもっともふさわしいものに対して、
楽しみや自由、これら子どもの頃の
素朴な教義、鳥みたいにパタパタ遊んでいるときに、寝ているときに、信じていたもの、
いつも胸には新しい希望があって--
これらに対して、わたしは
感謝の歌、称賛の歌を捧げるのではない。
そうではなく、あの執拗な問いかけ、
感覚やものごとの外面についての問いかけ、
わたしたちから落ちていくもの、消えていくものに対して、わたしは歌う。
根拠のない不安、存在しない世界にいる
何ものかについての、なんともいえないあやふやな気持ち、
高く深遠なる衝動、それを前にわたしたち、いずれ死ぬ者たちが
不意をつかれた罪人のようにふるえたような、そんな衝動に対して、わたしは歌う。
子どもの頃、最初に感じたこと、
子どもの頃にもっていた、ぼんやりした記憶、
それがどんなものであれ、
わたしたちの日々の光の源であるような、
わたしたちの視界を照らす光の源であるような、そんな記憶に対して、わたしは歌う。
--支えてほしい。やさしく守ってほしい。そして
わたしたちの生きるけたたましい年月を、ほんの一瞬にすぎないものとして、
永遠につづく完璧な静けさでつつんでほしい--目ざめ、
そしてけっして滅ぶことがない真理!
けだるさでも、狂ったような活動でも、
大人でも少年でも、
喜びに敵対するすべてのものでも、
この真理を完全に消し去ることはできない! 破壊することはできない!
だから、天気が穏やかな季節に、
海から遠く離れていても、
わたしたちの魂には、あの永遠の海が見える。
わたしたちをここにつれてきた、海のようなあの永遠が。
そして、一瞬のうちにそこに行けば、
岸で遊ぶ子どもたちが見える。
永遠に波うつ、広く大きな水の音が聞こえる。
(132-70)

「だから歌って、鳥たち! 歌って! 歌うんだ、よろこびの歌を!
子羊たちは飛びはねまわろう、
太鼓の音にあわせて!
ぼくたちも、心のなかで君たちといっしょに歌い、飛びはねるから。
歌う君たち、飛びまわる君たち、
心のなかで、今日、
五月の楽しさを感じている君たちといっしょに!」。
かつてあれほど輝いていた光が
わたしの視界から奪われていたってかまわない。
過ぎた時間をとり戻してくれるものなんて、何もない。
草のなかに光が、花のなかに輝きがあった頃は、もう戻らない。
でも、わたしたちは悲しむのではなく、むしろ、見つけよう、
強さを。手に残されたもののうちに。
生まれて最初に感じた共感のなかに。
(かつて感じたのだから、今でも、いつまでも、あるはずだ。)
心を落ちつかせてくれる思考、
人の苦しみがもたらす思考のなかに。
死の向こう側を見る信仰のなかに。
知を愛し求める精神をもたらす年月のなかに。
(171-89)

「だから、ああ、君たち、泉、牧場、丘、そして林!
わたしたちの愛を切り捨てようとは思わないで!
まだ心の底で、わたしは君たちの力を感じているよ。
わたしは、よろこびをひとつ捨てただけ、
君たちの力の下で日々生きるというよろこびを捨てただけなんだ」。
波を立てて流れていく小川が、わたしは今でも好きだ。
自分が、小川のように軽やかにはねていた頃よりもずっと。
日々新しく生まれる朝日の無垢な輝きは、
今でもきれいだ。
沈む太陽のまわりに集まる雲は、
落ちついた色をしている。まるで
いずれ死ぬ人間たちを見守ってきた目のように。
いろんな人生があったことだろう。勝利、幸せもいろいろだろう。
ありがとう、人の心に。これによってわたしたちは生きているのだから。
ありがとう、人の心のやさしさ、よろこび、そして恐れに。
これらがあるから、本当にちっぽけな花が咲いているのを見ても、
涙も出ないほど奥深いところで、心が動くのだから。
(190-206)

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