晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』② 「国家を考える」ノオト その4 domestication 

2020-12-08 14:00:04 | Weblog

秋には遠くシベリヤから海を超えてきた渡り鳥たちが群れをなして南の方へ飛んでいく姿を見ることができ、また鳴き声も聞こえることがある。空から下界を見ている彼らにはここはロシアとか、ここからが日本とかという境目なんてないのだろう。

♬この大空に翼を広げ 

飛んでいきたいよ 

悲しみのない自由な空へ 

翼はためかせ 行きたい🎵

普段に何気なく聴いていた唄の歌詞の意味が突然理解できた。そうだ。僕らも鳥になればいいのだ。国や民族、宗教などの壁を取り払って考えてみると随分と違う解決の道が見えてくるだろう。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)② 「国家を考える」ノオト その4    

どのようにして国家が誕生したのだろうか、通説と著者の主張を対比しながら解き明かしたい。

『第1章 火と植物と動物と・・・そしてわたしたちの飼い馴らし』(P35~P63)

飼い馴らし(domestication)とは、火の道具化、植物の作物化(栽培)、動物の家畜化(牧畜)のこと。

火を使うことで人類が消化できる食物の範囲は飛躍的に広がった。

(通説)穀物の作物化は、永続的な定住生活(農業国家らしきもの)が出現する基本的な前提条件である。栽培するために定住が始まり、それが国家の起源につながる。

(著者)定住すること自体は、穀物の作物化や動物の家畜化よりも4,000年も前からあった。ここに時間的には大きなギャップがある。

(通説)定住は乾燥地から始まり、そのため農業用水を確保する灌漑事業が必要となった。灌漑を行うためには、多くの労働力を集めてそれを統制できる公的権威が必要だった。すなわち灌漑は国家の誕生を促した。

(著者)定住は農業が始まるよりずっと前から湿地帯において始まっており、そこでは自生植物や海洋資源などの豊饒な産物が採集でき、多様な食物を基礎とした安定で豊かな生活が可能であった。そのためあえて農業に移行する動機がなく、国家のような政治的権威は必要がなかった。

では、以上のことが(P51)「なぜ無視されてきたのか」。

(通説)湿地帯での狩猟採集生活は、国家を必要としなかったが、たとえ国家があったとしても、その権力は人々がどこで何を生産しているのか把握することは難しかった。また、生産物を保存、運搬して貢納させることも困難であった。従って、湿地帯での定住生活は国家にとって統治不能なものであった。

(著者)主要穀物(小麦、大麦、米、トウモロコシ)の生産と文明との結びつきの視点から見ると、国家は人々に灌漑などを作らせて穀物の生産を進めた。穀物栽培においては、作付する畑の面積や収穫量を容易に把握でき、かつ生産された穀物は保存がきき運搬ができた。従って穀物は国家にとって課税するのに最適な生産物であった。

(*僕)ここで長年の疑問がひとつ解けた。それは、なぜ江戸時代に藩や武士たちの規模や位を、お金ではなく石高、すなわちコメの量で表していたのか。コメという穀物の生産は、当時の国家にとってどこで誰がどのくらいの広さで田んぼを作っていて、どれ位の収穫量があるかを把握できるものであった。また、コメが保存でき、かつ運搬が容易だった。要するに国家が農民を統治するにはコメという穀物が最適だったということだ。逆に言うと、マタギなどの狩猟採集民や漁業者などを統治するのは中々難儀だったのだろうと想像する。

(著者)湿地帯での定住という事実が、歴史的に無視されてきた理由は、当時の人々が文字を持たず口承文化だったので文書記録として残っていない、また建築資材にヨシやスゲなどを用いたことから傷みやすく、建物の痕跡が残っていない、さらにこうした社会では、仮に国家のような権力があったとしても、ここまで縷々述べてきたように中央や上から支配することは困難であっただろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする