晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』 ③ 「国家を考える」ノオト その5 火 植物 動物  

2020-12-15 13:58:40 | Weblog

辺見庸氏がスガ首相を公安顔、特高顔と評したようだが、僕には「死に神」に見える。顔にはその人の歴史が刻まれるというが、自分ではどうしようもないところもあり、少々気の毒な感じもする。しかし、一国を代表する顔としては福が全く感じられず貧相だ。選挙が近づきガースー!自民党総裁のポスターが街中に貼られる風景に国民はどう反応するだろうか。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)③ 「国家を考える」ノオト その5    

歴史の推移が、「狩猟採集社会→農耕社会」という不可逆反応ではなく、「狩猟採集社会⇔農耕社会」となる可逆反応、平衡反応であったことがわかってくる。

『第1章 火と植物と動物と・・・そしてわたしたちの飼い馴らし』(P35~P63)の続き。

飼い馴らし(作物化される穀物・家畜化される動物)の開始から、農耕―牧畜社会の出現までの4,000年、その(P54)「ギャップに注目する」。

(通説)ひとたび作物化・家畜化が始まると、自動的かつ急速に農耕社会に移行する。

(著者)採集できる野生の食物がふんだんにあり、狩りができている間は、わざわざ労働集約的な農耕や家畜の飼育に大きく依存する必要は無かった。農耕という単一の技術や食料源に特化することを避ける方が、自分たちの安全と相対的な豊かさを保障できたのだ。狩猟採集と農耕は、行きつ戻りつ4,000年ほど続いた。

 

それでは(P59)「そもそもなぜ植えるのか」という疑問について。

(通説)「食料貯蔵仮説」といわれており、穀物は収穫して脱穀したら何年も貯蔵ができ、野生の資源が不足した場合に対する保険になるという理論である。

(著者)しかし事実は反対だった。狩猟採集民の移動性と食料資源の多様性は、自然の中の生きた貯蔵エリアを活用していたのだ。しかし、定住することによって動きが制限されると食料の安定性は逆に低下してしまった。さらに、農耕・牧畜(domestication)生活は、狩猟採集生活と比べると、植え付け、雑草取り、収穫、脱穀、製粉といったサイクルに縛られ、家畜の世話も毎日しなければならなく、重労働で健康にも悪く、何らかの強制がなければ、自ら進んで狩猟採集や遊牧を捨てる者などはいなかった。

(通説)農耕民は畑を準備する段階から収穫までの見通しを持って労働するが(遅延リターン)が、狩猟採集民は先の見通しを持たず衝動的に行動する野生生物(即時リターン)と同じだ。

(著者)いや違う。魚類や鳥類などの捕獲では、道具や罠などの技術、果実などの採集では幅広い知識や知恵が必要であり、農耕・牧畜よりも高度な事前準備や協働を行っていた。

 

次に、『第2章 世界の景観形成―ドムス複合体』(P65~P87)では、飼い馴らし(domestication)の意味が述べられる。

(著者)人間と動植物が定住地に集まることで新しい人工的な環境が生まれた。そこにダーウィン的な選択圧が働き新しい適応(進化)、すなわち動植物の遺伝子構造と形態の変化が進んだ。しかし、野生の動植物の飼い馴らしは、人間が自然界のへの注意力とそれに関する実践的知識を縮小させたこと、食餌の多様性が乏しくなったこと、活動空間が小さくなったこと、儀式生活の幅が狭まったことなどを意味している。

(*僕)思いこみを持っていた。狩猟採集民よりも農耕民の生活の方が高度だ。同様の見方で、現代社会において就業者が、第1次産業(農林水産業)から第2次産業(鉱工業、そして第3次産業(サービス業)へと推移していくことが、あたかも産業構造が高度し進歩に繋がっているとの考えである。本書はこういう通説を根底から覆す力を持っている。社会の形態を考える時、人間にとってどのような働き方が望ましいのか、そこでは知恵と知識がフルに使われているのか、その実態をもっと掘り下げる必要があると考える。

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ジェームズ・C・スコット 『... | トップ | ジェームズ・C・スコット 『... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
節操 (立山)
2020-12-16 13:58:52
 辺見庸の「首相の特高顔が怖い」との毎日新聞の見出しにスカは激怒したらしいですね。その後、辺見曰く共同通信社のバカ補佐官はどうとりなしたのかね? その補佐官というのは、ひところワイドショー等に顔を出してアへ批判をしていた人物だとすれば柿崎明二かな?官邸から声がかかればふたつ返事で迎合する。この男には節操という言葉はとうに死語なのでしょう。



 







返信する
変節か? (晴走雨読)
2020-12-19 14:27:09
立山さま、コメントをいただきましてありがとうございます。

柿崎氏は世論の批判を浴びることを百も承知で決断をしたと思いますがその理由がわかりません。

拒否することは可能だったと思いますが、簡単に権力に取り込まれたと解するべきでしょうか。

政治権力の構造を内側から取材するという意図を持った潜入戦術?

マスコミを籠絡する方法を同郷のよしみで死神スガに伝授?

今少し柿崎の動向を見ないとわかりません。



返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事