晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

夏目漱石 『草枕』(漱石全集第2巻 その3)

2019-02-24 09:51:16 | Weblog

国会中継を見ていると「委員長、速記を止めて下さい!」と叫ぶ野党。質問者の持ち時間が、質問と答弁の合計時間だから、政府側が聞かれてもいないことをダラダラと答弁しても時間を消費できる。解決は簡単だ。質問に要した時間のみを質問時間として計測すれば良いのである。答弁が長くても、審議が中断しようが質問時間はキープできる。小泉進次郎氏へ、国会改革です。

 

『草枕』「漱石全集第2巻 その3」(夏目漱石著 岩波書店 1965年刊) 

主人公の絵描きが何日か宿泊した旅先で体験したことが素材。僕からみれば、何気ない出会い、当たり前のような会話、所作・・凡人なら何も感じないようなことに対して、漱石の中では想像が想像を呼び、言葉が溢れるように湧きだしてくる。当時(明治39(1906)年9月1日発表)の文芸情況はわからないが、漱石のこの内面の表現は、とても斬新でその膨大な内省は大衆に強い衝撃をもたしたのではないかと思う。

では、実際の漱石という人はどのような人物なのだろうか。次から次へと繰り出す言葉、その語彙の豊富さ、流れるような文体。そこから連想するのは頭の回転が速く、饒舌、多弁、おしゃべりな人というイメージだが、頭の中の活動と表現内容、口での表現と文章での表現は全く次元が異なることなので、どういう人なのかはわからない。口数の少ない寡黙な方なのかも知れない。

知人の教師と議論になったことがある。学校における言葉活動とはどういうものかと問うと、コミュニケーションの手段に重きをおいた答えが返ってきた。書かれていることを理解し、自分の意志を的確に相手に伝える、そして集団を高めるという。僕の実感からも納得できた。教室の中では、よく発言する子ども、友人とうまくやれる子どもが優秀とされてきたから。

しかし、そこには軽んじられていることがあるのではないか。人間は言葉を用いて物事を考えているということである。それも基本的に母国語を使って。僕は頭の中で常に日本語(方言も含む)で考えている。

会社でもコミュニケーション能力ばかりが問われるが、ひとりになること、ひとりで深く考えることはとても重要なことだと思うし、孤独やひきこもる、付き合いが悪いなどということはちっとも良くないことだとは思わない。漱石を少しばかり読んでそう思った。

 

「漱石や鴎外も読まないで吉本隆明を読んでわかったなどと偉そうにしている奴がいる。」という言葉を噛みしめながら

 

 

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