『恋する原発』(高橋源一郎著 講談社 2011年刊)
えっ、まさか!小学校の保護者会の会長で、登下校の見守りしているような人が・・なぜ?
もし、マスコミからインタビューを求められたら「何とも信じられませんね」と発するのが無難なコメントだろう。僕は、吉本(隆明)さんならどんな風に考えるだろうかと思った。「人間は、自分が良いことをしていると思った時点で、大体ダメなんだよ」と言うに違いない。(現在は、被疑者は逮捕されたが容疑の段階で刑は確定していない。)
世間には、見守り活動をはじめ、ボランティア活動、災生時の募金活動を率先する人など、善い行いをしている人が多数いる。しかし、善いことをしているということと、悪いことをするということには、何の相関関係もないということなど皆が百も承知のことである。
本書が刊行された2011年は、3月11日に東日本大震災が起き、福島第1原発のメルトダウン、世の中が騒然とし、ヒサイチ、シエン、ガンバレ、セツデンなどの言葉が飛び交っていた。本書が書かれたのは、著者にとってこのような社会全般の雰囲気が異様に感じられたからだと思う。
登場人物たちが試みるのは、チャリティーAV制作による被災地支援募金という方法。非常識で不謹慎と罵声を浴びせられることで、現状に対する違和感をわかってほしいという著者の狙い。この国は、全員がどこか一方方向に行ってしまう危うさを常に持つことへの警告。(ちなみに、AV制作現場の描写なら『全裸監督 村西とおる伝』「本橋信宏著 太田出版 2016年刊」の方がリアリティに富んでいる)
本書で著者は、善いことをしているということと悪いと言われていることの間には、少しの差も無いということを言いたいのだと思う。