晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

夏目漱石 『それから』(漱石全集第6巻)

2020-02-16 09:58:41 | Weblog

政府は海上自衛隊の護衛艦を政治的複雑さが増している中東海域に派遣した。そこで万が一にも、自衛官が命を落とすようなことが起きた場合は、国家による補償は破格な額にすべきであろう。人間の命は国家財政を覆すほどの価値を持っていると考えるからだ。政府はそれだけの覚悟を持って命令を下したのだろうか。毎晩のように飲み会三昧のアへ首相はその重みを感じているのだろうか。

 

『それから』「漱石全集第6巻」(夏目漱石(金之助)著 岩波書店 1994年刊)

大学生だった『三四郎』の成長した姿が『それから』の主人公長井代助に描かれているという。

『それから』は本末転倒男の物語と感じた。主人公は、大学を卒業したのはいいが、まもなく30歳になろうとしているのに定職にも付かず父からの経済的な支援を受けてブラブラしている。おまけに、一生懸命に働いている者に対しては、穢れているなどと軽蔑感を露わにする。僕がこれまで読んだ漱石の作品には、このような何をするのでもない高等遊民タイプの人間が必ず登場する。漱石のこの非生産的と思われるような人間へのこだわりは一体何なのだろうか。先ずは経済的に自立することが一人前の大人であり、それなくして他人を評価することは許されないというのが常識であろう。漱石はそこを覆してくる。

そんな男に結婚を勧める親もまたどうかしている。生活の基盤を作ってから結婚というのが順番であろうに。親も親だ、後先が逆転している。しかし、主人公には意中の人がいるため。親の勧めの方は断る。想いを寄せる人は、親友の妻である。かつてその人を好きだったのに友人に譲ってしまったという過去がある。その人を忘れられないとは、何を今更である。時間が逆転している。

それなのに、自分の足元さえも固まらないのに、その人に告白をしてしまうが、結局その重みに耐えることができなく逃げ出す。どうするつもりだったのか。全てが、本末転倒している男の物語である。

優柔不断で頼りない、世間知らずのお坊ちゃんである主人公の心の葛藤が描かれるのだが、これをこいつはどうもならん男だとバサッと一刀両断に切り捨てることは可能だ。しかし当時の新聞読者は、この男は一体全体どうなってしまうのだろうかと毎日ハラハラさせられ、現在の連続ドラマを観るようなわくわく感を持ったのではないかと想像する。漱石の読者を飽きさせないストーリー展開は流石に巧い。

ただ、僕には漱石の読み取り方が未だによくわからない。登場人物に、「文明は我等をして孤立せしむるものだ。」「西欧の生活欲が日本古来の道義欲を圧迫した」などと言わせているが、こういうところから漱石の時代評価、近代をどう捉えているかを読み取ることができるというのか、僕には未だピンと来ない。

 

「漱石や鴎外も読まないで吉本隆明を読んでわかったなどと偉そうにしている奴がいる。」という言葉を噛みしめながら。

 

コメント (2)
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