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戦後左翼史 その52 1967年③ 文革 鄧小平、劉少奇批判 大字報

2017-10-06 15:55:22 | Weblog

彼岸が過ぎ日照時間も短くなり、日々寒くなってきた。ランニング時の服装も、半そでTシャツ、7分パンツから、上だけ薄いウインドブレーカーが必要になった。これから長そでTシャツ、ジャージ、厚手のウインドブレーカー、手袋、ネックウォーマー、帽子に変わり、氷点下の中でも外を走ることになる。

 

戦後左翼史 その52 1967年③ 文革 鄧小平、劉少奇批判 大字報 

(★印は日共関係、◎中ソ対立関係、■文化大革命関係)

■1967.4.1道新 毛・林主流派 新たな攻撃展開 劉派の“著書”批判

■1967.4.2道新 中国各紙 劉主席に“断罪” いっせいに攻撃 政治生命断たれよう

■1967.4.3道新 北京やハルピン 最大の劉打倒デモ 紅衛兵ら20万人参加

1967.4.3道新 ソ連・アラブ連合が共同声明 北爆無条件停止を

■1967.4.3道新夕刊 中国 ヤマ場にきた文化革命 徹底遂行めざす毛 根強く残る実権派の抵抗

■1967.4.3道新夕刊 タンユダ通信(ユーゴ)が報道 劉主席辞任 時間の問題

■1967.4.4道新 北京―本社国際電話 激しさ増す劉・鄧批判 紅衛兵を再動員 人民日報が連日キャンペーン 主流派、追放へ踏み切る?

1967.4.5道新 労働戦線統一 太田(薫)氏(前総評議長)、宝樹(全逓委員長)論文に反論 特定政党支持(総評―社、同盟―民社)やめよ 運動の右傾化防止がねらい

*(*は僕の考え)当時、労組のナショナルセンターは、総評、同盟、中立労連、新産別の四つに分かれていた。労働者が一つにまとまり特定政党を支持し自分たちの要求を実現する。労働戦線統一の課題はこの頃から議論をされていた。(なお、「連合」が結成されたのは20年後の1987年。)高度経済成長によって労働者の生活水準も一定程度向上し、それは労働者の意識にも反映した。そのひとつの例は、働く自分が「労働者」とは思っていない、労働者という言葉の意味が肉体的労働に変質してしまったというものだ。労資関係(資本家)は労使関係(使用者)にかわり、階級意識は死語になった。労働者が主人公となる社会の実現を目指すなどと言う大言壮語も無く、労働組合は既に「労働力高値販売同盟になっていた。なお、日共の政党支持の「自由化」要求は、4.17スト直前の逃亡など労働者を裏切り続けた末の結果なので論外と考える。

■1967.4.6道新 中共中央 軍・革命委に通達 “革命の行き過ぎ”の扱い慎重に 勝手に大衆捕まえるな

■1967.4.6道新 紅衛兵 陳毅外相関係と徐(向)組長(人民解放軍文化革命小組前組長)を攻撃

■1967.4.7道新 解放軍が指導誤る 軍政訓練中 紅衛兵組織を解散

■1967.4.8道新 壁新聞が批判 陳毅外相 林彪副主席に反抗

■1967.4.8道新 文革 「三結合」めぐり新局面に 実権派幹部の保護を造反派が一斉批判 試練に立つ周首相

■1967.4.9道新 中共軍事委 解放軍に命令 造反派工作、慎重に

■1967.4.9道新 人民日報社説 実権派の範囲しぼる 劉主席とは敵対矛盾

1967.4.10道新 ソ連 経済改革 決定的段階へ 卸し売り価格底下げ 石炭78%、鉄鉱石60% 農業にも利潤方式

■1967.4.10道新夕刊 文革いらい初めて劉氏ら5委員非難 毛派、常務委を制圧

■1967.4.11道新 国貿促(中国国際貿易促進委員会)の任連新氏と一問一答 劉少奇失脚は決定的 毛主席も見切り 資本主義に投降し圧制

■1967.4.11道新夕刊 退去処分のタンユグ通信(ユーゴ)記者報道 毛派の中共常任委制圧 委員増加で勢力逆転

■1967.4.12道新 「解放軍報」きびしく非難 劉主席は三反分子 近く解任決定か

■1967.4.12道新夕刊 周首相 谷牧氏(国家基本建設委員会主任)らをかばう 攻撃目標は劉氏

■1967.4.12道新夕刊 精華大の闘争大会 王光美女史(劉夫人)、劉氏を弁護 工作組は私の責任

■1967.4.13道新 北京航空学院紅衛兵機関紙 劉氏の「偽装転向」あばく 1936年、蒋介石弾圧下に屈辱的な投降指示、証拠隠滅、のちに登用

■1967.4.13道新 壁新聞報道 陳毅副首相語る 軍の仕事していない

■1967.4.14道新 壁新聞 周首相が劉批判 ブルジョアの手先

■1967.4.14道新 主流派紅衛兵 徐向前氏(解放軍文化革命小組組長)らを批判 軍への不信感暴露 軍内部の対立を示唆

■1967.4.14道新 毛・林派に踏み切った周首相 劉・鄧打倒の旗印 党中央工作会議 急進派が勝利

■1967.4.15道新夕刊 壁新聞報道 劉夫妻が重要発言 “毛主席には従う”

■1967.4.16道新 新疆の王恩茂第1書記 劉氏一派を攻撃 毛路線を全面支持

■1967.4.17道新 北京市造反派公表 2月のクーデター計画(彭真、陸定一、羅瑞卿)の真相 劉・鄧が背後で準備進める 民兵に大量の弾薬

◎1967.4.17道新 東独統一党 大会報告で中国非難 共産主義運動に支障

■1967.4.17道新夕刊 文化大革命 反劉デモも人数減る 再び足踏み状態に

■1967.4.18道新 壁新聞報道 徐向前組長を解任 軍の文革停滞させる 軍の内部対立が再燃

■1967.4.18道新夕刊 北京 陳毅批判強まる ついに打倒デモに発展 

■1967.4.18道新夕刊 壁新聞 廖承志(中日友好協会会長)攻撃も激化 人より犬、鳥を盲愛

1967.4.19道新 ブレジネフ書記長演説 世界党会議 早期開催呼びかけ

1967.4.19道新 南ベトナム カナダの和平案歓迎 まず非武装地帯から撤退

■1967.4.20道新夕刊 国府筋 文革闘争1年を分析 根強い反毛勢力 

■1967.4.21道新 北京革命委の成立大会 常務委員、革命大衆が過半数 主任に謝富治副首相

■1967.4.22道新 中共中央 6人小組が発足 総責任者周恩来氏 外交責任者陳伯達氏

■1967.4.22道新夕刊 劉氏ら中央委招集を要請 毛主席との争い調停

■1967.4.24道新 壁新聞報道 中央6人小組はデマ 陳伯達氏が否定

1967.4.24道新 人民日報が論評 米国のベトナム非武装地帯拡大策は陰謀

■1967.4.24道新夕刊 紅衛兵機関紙報道 劉の著書は修正主義 毛主席が直接攻撃

1967.4.24道新夕刊 欧州共産党会議きょう開く ソ連が大型代表団 世界党会議糸口求めて全力

1967.4.25道新 全欧州共産党会議始まる 焦点はドイツ問題 集団安全保障体制も討議

■1967.4.25道新 北京のビラ報道 内モンゴル情勢混乱 ウ(ウランフー)第1書記を解任か

1967.4.25道新夕刊 全欧州共産党会議 北ベトナム支援決議 要請あれば義勇兵

■1967.4.25道新夕刊 中共中央 内モンゴルに収拾案 革命委準備小組作れ

■1967.4.26道新 北京各紙 新指導部序列を示唆 毛―林―周―陳―康生―李富春の順

1967.4.27道新夕刊 欧州共産党会議終わる NATO、ワルシャワ条約即時廃棄を提案

1967.4.28道新 インドネシアが決定 西カリマンタンの未帰化中国人35万人を強制送還 

1967.4.28道新 北京 反インドネシア集会 10万人が抗議デモ

■1967.4.28道新夕刊 北京市革命委成立宣言 彭真氏らを死刑に 康生氏が強い意見

■1967.4.29道新 紅旗誌が呼びかけ 革命委の成立急げ さらに軍民団結を

■1967.4.29道新 壁新聞報道 林彪語録も登場か

◎1967.4.29道新夕刊 ソ連プラウダが報道 北ベトナム移動 中国と協力用意

★1967.4.29道新夕刊 日共 29日付け「赤旗」論文「極左ひよりみ主義者の中傷と挑発-党綱領にたいする対外盲従分子のデマを粉砕する」 中共路線を激しく非難 “人民戦争”を日本革命にそのまま適用することは極左冒険 西沢・安斎元中央委員

*(れんだいこHPに学ぶ)「統一戦線政府を適法的に樹立する道」の機構的保障として、現行憲法では、国会には、戦前の帝国議会と異なる地位と役割がある。第一に、衆議院及び参議院とも、直接、平等、秘密の普通選挙で選出される。第二に、『国の唯一の立法機関』と規定され、内閣による政令公布や外国との協定締結、地方自治体による条例制定などの例外はあるが、法律や条約は全て国会議決を経て制定、批准される。最高裁判所の違憲審査の権利以外は、如何なる国家機関も、国会議決に対する拒否権を持たない。第三に、政府(行政権)も内閣総理大臣の選出は、国会で行われる。以上、現在の国会はブルジョワ議会としての制約と弱点を持つが、政治的、法制的に重要な役割を果たしている。

*日共は、「統一戦線政府を適法的に樹立するための機構的保障」があると言う。国会という仕組みがあるのに、ではなぜ日共が政権に参画できないのか。「正しい」方針を掲げて国民に訴えても獲得議席に限度があるのは、党の主張に賛意を示すことのできない大衆の政治意識が低いためと解釈するのか。前衛党と大衆の隔たりの原因はどこにあるのか。僕は、歴史的に積み重なった不信にあると考える。党史を真摯に振り返り、そのうえで自己批判することからしか信頼を取り戻すことはできない。

◎1967.5.1道新夕刊 人民日報 中国、ソ連提案を拒否 ベトナム支援共同行動

■1967.5.2道新 北京のメーデー終日お祭り気分で 毛主席ら参加

1967.5.2道新 モスクワのメーデー ABM(大陸間弾道弾)も姿見せる 国防相(グレチコ)、ベトナム支援協調

■1967.5.6道新夕刊 メーデー 成都で反毛派と衝突 2,400人が負傷

■1967.5.7道新 壁新聞報道 成都の混乱続く 工場の乱闘 解放軍も死傷

1967.5.7道新 原口幸隆全鉱委員長(総評)が、太田、宝樹両氏を批判 政治的論議はやめよ 産業政策と産別組合理化並行的推進が必要

■1967.5.8道新 壁新聞の「彭真尋問記録」 劉少奇は党内最大の実権派と認めながら“私は反党分子ではない”

■1967.5.8道新夕刊 人民日報 実権派打倒で戒め 武闘は用いるな

■1967.5.8道新夕刊 周首相 2月クーデターを否定

1967.5.9道新 国際共産党会議 ルーマニア(チャウシェスク書記長)が協調 欠席は正当な権利

■1967.5.9道新 毛語録におびえる香港 中共系労働者工場には大字報 激しいデモ攻勢

■1967.5.9道新 壁新聞報道 成都いぜん険悪 “保守派25万人が侵入”

■1967.5.10道新 中共中央 成都の混乱に断 李井泉第1書記を解任 革命委準備小組作る 組長に張国軍氏

■1967.5.10道新夕刊 北京日報 北京、上海でも衝突 “反動路線の反撃”と警告

■1967.5.11道新 中国情勢 担当官会議の結論 強硬路線変わらず 経済・貿易文革の影響薄い

■1967.5.12道新夕刊 紅衛兵の内紛続く 北京各所で小競り合い

◎1967.5.13道新夕刊 ソ連ブ党書記長 ベトナム援助強化 世界党会議招集も協調

■1967.5.16道新 北京で武闘激化 市革命委が禁止を通告

1967.5.16道新 国防一色の北朝鮮 戦争の脅威協調 米機の模型に射撃訓練

■1967.5.17道新 北京放送 党中央委決定を公表 彭真失脚の真相 裏で毛主席に抵抗 “2月テーゼ”を独断発表

■1967.5.17道新夕刊 中共中央の指摘した“彭真テーゼ”のあやまち 右派をかばいだて 文革を“純芸術”論議に解消

1967.5.19道新 ソ連 農業にも新経済方式 現場の裁量範囲拡大 まず国営農場を対象に

■1967.5.19道新夕刊 謝富治副首相 武闘禁止理由を説明 7%も生産が減少

1967.5.21道新 国連軍撤退と中東情勢 1956年スエズ戦争以来の危機 和戦のカギ握るガザ回廊

■1967.5.22道新夕刊 党中央 劉攻撃文書を配布 “裏切り集団を指導”

1967.5.22道新夕刊 きょうからソ連作家同盟大会 堀田善衛、小田切秀雄出席

■1967.5.23道新 中国共産党中央 “武闘”に手を焼く 造反派同士の対立目立つ 文革はばむ難問

■1967.5.23道新 人民日報 全国に呼びかけ “武闘はすぐやめよ”

1967.5.24道新 ギリシャクーデターから1か月 当分続く軍政 米国は戸惑い気味

■1967.5.25道新 毛主席指示 半年か1年後に党組織再建

■1967.5.25道新 中央文革小組 文芸組長に江青夫人

1967.5.25道新夕刊 札幌べ平連は何をするか 江原光太(新日本文学、詩の村会員)

■1967.5.27道新夕刊 林彪国防相が厳正指示 軍にも悪質分子

■1967.5.28道新 鄭州錦紡工場 ふたたび武闘起きる 死傷者の数知れず

1967.5.28道新 ソ連第4回作家同盟大会終わる ソルジェニツイン作品は黙殺

1967.5.29道新夕刊 中東紛争 活気づく中国外交 反米連帯を強調 中国政府が声明 アラブ人民を断固指示

■1967.5.29道新夕刊 毛・林派 江青氏の記録要綱発表 “2月テーゼ”に対抗

1967.5.30道新 論壇時評(下)日高六郎(東大教授) 大内力「現代における『資本論』と『帝国主義論』」(思想) 生きた古典 労働価値説の誤謬などの批判に対し、柔軟な反批判を展開 高橋和己「中国報告 新しき長城(上、中)」(朝日ジャーナル5.12、5.28) 劉路線:都会的、工業的、専門性を強調―党の官僚主義が一般大衆を抑圧 毛路線:農村的、非分業主義、ロマンティシズムー文革は非党員労働者の蜂起

*高橋和己は劉少奇と毛沢東を比較、それぞれの特徴を的確に指摘している。毛沢東思想の延長線上からは、巨大技術批判、有機農法、環境保護・・と繋がり、現在でいえば脱原発、田舎暮らしということになる。今の僕は、その対極にいる。

■1967.5.30道新夕刊 中国 謝副首相奪権見通し語る “5月完了”ずれる

■1967.5.31道新夕刊 文革のアラシの中で青少年の非行が問題化 学校再開は進まず すっかり自信失った教師

1967.6.1道新 ソ連国家保安委議長(セミチヤストヌイ)解任の内幕 シュレーピン党政治局員(対米強硬派)への打撃が目標 対米強硬策で対立か

■1967.6.4道新社説 中国文化革命の1年 1966.6.3彭真北京市長解任公表 背後に劉少奇国家主席、鄧小平総書記ら実権派 「整風」→「革命」

■1967.6.8道新 党中央委が通達 中国解放軍に処罰権限 公安秩序の維持

■1967.6.9道新 解放軍 石家荘でも流血騒ぎ 245人が負傷

■1967.6.13道新 紅衛兵 パンフ発表 陳毅氏の自己批判 外交部門の文革抑圧

■1967.6.21道新 中国 毛著作『内部矛盾克服』の学習 全国的規模で開始

★1967.6.22道新夕刊 法相(田中)、公安調査局長に訓示 日共の動向警戒 暴力革命と平和革命の2つの可能性を強調 当面は選挙闘争と議会活動を重視 中共は日共を反中国修正主義集団と決めつけ、ソ共は中共から離反しつつ日共との接触に努めている。日共は、1967.2から中共との対立を明確化し、ソ共との連携を改善しつつある。

*正確な情勢分析を行う公安!

1967.6.24道新 ジョンソン対コスイギン 笹本駿二(外交評論家) 米ソ関係好転のきっかけ 6年間の穴埋まる モスクワの表情 首脳会談 コ首相に自信? 慎重な中に好感

★1967.6.25道新 日中友好協会正統本部(宮崎世民理事長)(社党、総評、親中国) 初の全国大会開く 反日共さらに強化 1066.10日中友好協会(日共系)と分裂

■1967.6.28道新 周首相 日本機器展代表(萩原定司、高野実)と会見 文化革命 米の侵略に備え 核兵器、先に使わぬ

■1967.6.29道新 人民日報が警告 大衆から遊離の傾向 革命案内に矛盾

★1967.6.29道新夕刊 社会党代議士会 反主流派3派(江田、旧和田、旧河上)が追及 日中友好協会正統本部が中国水爆実験に祝電

 

 

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