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戦後左翼史 その21 1964年③ 日共志賀義雄らソ連派除名 中ソ対立

2016-05-16 20:38:31 | Weblog

報道では、50年前の1966.5.16に中国で文化大革命が開始されたとして、現在の習近平国家主席が毛沢東を持ち出してきて反腐敗運動を行っているのは「文革の再来」ではないか伝えているが、はたしてそうなのだろうか。新聞の切り抜きを読む作業は1966年から67年あたりをやっているいが、当時のこの国に伝えられていた情報から文革の実相を掴むのはそう簡単ではないと感じている。

 

戦後左翼史 その21 1964年③ 日共志賀義雄らソ連派除名 中ソ対立

以下、◎印は志賀義雄らソ連派除名関係、★印は中ソ対立関係である。

1964.5.1道新 ミコヤン第一副首相語る 日ソ友好新段階へ “隷属”脱皮が必要 商業会議所を設けよう

★1964.5.1道新夕刊 東欧指導者 ソ連に圧力か 中共追放に反対

★1964.5.4道新夕刊 北ベトナムが提案 世界共産党会議開催 まず中ソ党会談を

★1964.5.8道新 インドに二つの共産党出現しそう 左派近く旗揚げへ 多数派工作に乗り出す

★1964.5.8道新夕刊 プラウダが中国非難 “ソ連の援助”ゆがめる

★1964.5.9道新 中共 未公開の交換書簡公表 中ソ会談早急に困難 ソ連の5月案拒否 早くても一年後に 世界会議は4,5年後

★1964.5.11道新 プラウダ紙の論説シリーズ 初回で中国非難 個人崇拝を復活

★1964.5.16道新 仏共産党大会開く 世界党会議 ソ連提案を支持

◎1964.5.16道新 衆議院本会議(5.15)部分核停条約締結を承認 志賀義雄(日共)が賛成票 林百郎、谷口繁太郎、川上貫一、加藤進の4氏は反対票

◎1964.5.17道新 日共 志賀問題で緊急協議(拡大幹部会) 初歩的党規律の無視

1964.5.17道新 ソ連各紙 池田首相あてフ書簡を発表 ミコヤン訪日重視

◎1964.5.17道新夕刊 志賀氏の白票の波紋 事実上の脱党宣言 日共親ソ派の巻き返し:鈴木市蔵、須藤五郎 中国派:野坂議長、袴田里見、安斎庫治、土岐強、春日正一、紺野与次郎 1964.4ソ連寄りの中間派:内野統一戦線部長失脚 中間派:宮本は中国に 1961脱党:春日庄次郎(統一社会主義同盟)、内藤知周(社会主義革新運動全国常任委員会)

★1964.5.17道新夕刊 周首相語る 日中復交果断な政策が必要 中ソ同盟は有効

◎1964.5.18道新 日共筋語る 志賀氏処分は未定

◎1964.5.19道新 宮本共産党書記長中国から帰国 志賀問題善後策の協議 2.15から自律神経疾患療養のため中国へ

◎1964.5.19道新夕刊 日共 近く志賀氏の処分決定 議員活動を一時停止

◎1964.5.22道新 共産党中央委員会で決定 志賀、鈴木両名を除名

◎1964.5.22道新夕刊 宮本書記長 議員の辞職も勧告 志賀、鈴木両氏が語る 承服できない

◎1964.5.22道新夕刊 志賀、鈴木氏(国労革労派)の除名 中共色強める日共 さらに“粛清”か 新党づくりの可能性も 中委57人中、反対は志賀、鈴木、中野重治、保留は神山茂夫

◎1964.5.23道新 志賀、鈴木両氏語る 新党はつくらない

*(*は僕の考え)当時は、宮本書記長が中国で自律神経疾患療養を長期間にわたり行うなど、日共と中国共産党の蜜月時代だった。インドネシア共産党も中共寄りの路線で日中両共産党と親密な関係にあった。中ソ対立が決定的になる中、部分核停条約の国会承認をめぐり党として中国支持の姿勢を明らかにすることは、志賀義雄らソ連派が党内に居続けることができないという意味であった。4.17ストで労働者の信頼を失い、この問題で原水禁運動に分裂を持ち込み大衆運動に分断をもたらすなど、日共は取り返しのつかない誤りを犯したと思う。日共の迷走ぶりはこの後まだまだ続くのであるが・・

1964.5.28道新 ネール首相の死に思う 栄光から悲劇へ 大形孝平(インド問題研究家)

1964.6.1道新夕刊 ミコヤン副首相演説 日ソ理解深まる

★1964.6.9道新夕刊 西独政府 締結の意向 中国と通商協定 チトー・ユーゴ大統領 フ首相と非公式会談 中ソ対立協議か

1964.6.13道新 フ首相発表 東独との協力条約 友好の原則具体化 西ベルリン 政治的主体性を強調 現国境は不可侵 有効期間は20年

1964.6.14道新 ソ連 ルーマニア問題で苦悩 際立つ“独立化” 再三の説得も失敗 政治面にも拡大か

1964.6.18道新 ジュネーブ会議後の南北問題 本当の“争い”これから 地域統合へ動く 先進国“特恵”“援助”を宣伝

1964.6.20道新夕刊 フ首相演説 両独との平和条約も “北欧非核武装”を強調

◎1964.6.21道新夕刊 原水協全国理事会開く 世界大会開催方法を決定 運営は集団指導制に

1964.6.23道新 “自由化”されるルーマニア 大量の政治犯を釈放 しだいにスターリン主義から脱皮

★1964.6.27道新 米紙報道 中ソ論争 フ首相の努力も無為に ソ連のユーゴ、ルーマニア接近失敗 協力の言質取れず

★1964.6.28道新夕刊 ソ連、スウェーデン声明 異なる社会制度の国の共存を強化

★1964.7.4道新 ソ連 中国追放準備進める まだ探りの段階

★1964.7.6道新夕刊 プラウダ“北京の代弁者”に警告 日本部分核停を支持

★1964.7.7道新 中国の新インター設立 フ首相に新たな課題

1964.7.7道新夕刊 社党使節団とソ連側初会談 国際情勢を討議 意見対立見られず 

1964.7.7道新夕刊 ルーマニア代表団突然訪ソ

1964.7.7道新夕刊 カストロ首相呼びかけ 国際機関の仲介も 米との和解望む

1964.7.8道新夕刊 社党使節団とソ連側第2回会談 北方領土は解決済み ソ連態度崩さず

1964.7.9道新夕刊 ルーマニア代表団異議表明 ソ連のベッサラビア併合

1964.7.12道新 ソ連・ルーマニア会談 “非ロシア化”で緊迫か 異常な沈黙に包まれる

◎1964.7.12道新夕刊 二つの原水禁会議 外国代表招致に必死 中ソ同席すれば宣伝合戦 日本原水協分裂:日本原水協(安井郁理事長、日共系)、日本原水協(社党、総評、広島、長崎、静岡の原水協 部分核停支持)

★1964.7.12道新夕刊 成田社会党書記長 プラウダに寄稿 共存への努力を支持

1964.7.13道新 毛主席 社党訪中団に語る 南千島の返還要求を支持 日中国交正常化後不可侵条約の締結を

1964.7.14道新 社党訪中団帰国 全千島返還が当然 毛主席の支持得る 毛発言 社党訪ソ団に衝撃

★1964.7.14道新 中共 9回目の対ソ反論 プロレタリア独裁放棄 党の性格曲げる

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