晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

白井聡 『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』

2016-05-01 16:21:37 | Weblog

 GW3日目、初日はコンサに行って、昨日は床屋さんと北海道立文学館で『佐藤泰志の場所―青春の記憶 夢みる力』を観た。腺病質的な表情とともに、原稿用紙の一マスごとに枠いっぱいの大きくて角ばった字が印象的だった。PCワープロソフトで容易に何度も修正しながら作る文章と、言葉を組み立ててから原稿用紙を埋めるのとでは、頭の中でやっている作業の質が大いに違うように思えた。PCは脳みそを劣化させるのではないか。

 

 『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』(白井聡著 NHK出版新書 2016年刊)

 『「物質」の蜂起をめざしてーレーニン、〈力〉の思想』、『未刊のレーニンー〈力〉の思想』(このブログ2010.8.28から5回)で原理論者として登場以来、『永続敗戦論』で現状分析へと移行し、その後『日本劣化論』(笠井潔との対談)(このブログ2014.9.27)、『「戦後」の墓碑銘』(このブログ2015.11.29)を刊行してきた1977年生まれの著者白井聡氏に注目してきた。

 本書のタイトル「戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ」に期待したが、それに触れている「終章 ポスト五五体制へ」の内容は、全く尻すぼみで展望を欠くものであった。終章に至るまでの現状分析や戦後史の検証は『永続敗戦論』の基本的な論理を超えるものではない。本書を読もうかなと思った方は、終章を立ち読みした後に判断した方が良いのではないか。

 終章で、著者が「戦後レジームからの脱却」として提示するのは、以下である。

 政治的な対抗軸としては、新自由主義を打倒しようとする勢力の結集が必要であり、沖縄の政治情況がそれを示している。3つの革命が考えられる。

 政治革命―その擬態的な糸口は、「立憲主義の擁護」の一点による野党共闘にある。この国で戦前から続く「国家は国民に優越する」という原理を一掃すべきである。

 社会革命―近代的原理(基本的人権、国民主権、男女平等など)の徹底化、「排除」へと転じている統治の原理を再び「包摂」へと再転換すべきである。

 精神革命―政治革命及び社会革命を進める権力者に対しては、「社会からの要求と支持」が必要である。

 これらの言説を具体化すると、「自公政権に対して護憲を軸に野党が結集し、それを国民のデモによって支えよう」ということになる。しかし、これでは物足りない。民主党政権で失敗しているので、国民は二度と選択しない。著者は、政治学でご飯を食べているプロなのだから、もう少し深く考えてほしいと思う。

 僕ならこう考える。そこに「国民国家の黄昏」という認識があるか。アへ首相が「美しいニッポン」などと敢えて強がりを言うのは、国民国家が賞味期限を迎えていることの現れではないかと考える。ここまでは、白井氏と概ね共通している。では、どうすべきか。僕らは、国家を開き、廃絶の方向に向かうことを良いと考える価値観を持つべきである。亡国と言われても、非国民と言われてもいい。常々僕が言ってきたことは、「野党の再生は外交から」というもので、現在のような米国追従一辺倒ではなく、東アジア諸国との共同体のような構想など国民国家を超える制度を構想できないと野党には展望が開けない。また、ファシズムやスターリニズムから学び、国家や組織が人に対して権力的にふるまうことを最少にする社会を構想する必要があると考える。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする