晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

総選挙を考える

2012-12-08 10:09:18 | Weblog

 「とんかつ かつ伴」(中央区北3条西4-1-1日本生命札幌ビル B1 )、旭川「とんかつ 井泉」と経営が同じ店です。

 

 『国民国家の黄昏の中で総選挙を考える』   

 情報垂れ流し状態のマスコミ報道からは物事の本質は伝わってこないと皆が感じている。日共、公明党は、それぞれ信者を候補としているので、筋は通っている。しかし、他の自民党、民主党、維新、みんな、未来などの候補者は、自分が当選できれば、どこの党でも良いからであろう、節操なくウロウロと渡り歩いている輩が目立つ。

 瑣末な言葉尻を捉えた批判や、政治行動と関係の無い私生活、いい人のように見えようがルックスなどもどうでもいいことだ。

 私は、「国民国家の黄昏」をキーワードとして、各党の主張から国民国家に変わるオルタナティブを感じるかどうかで判断したいと思っている。

 TPPについては、それに反対しているのがドメスティックな既得権を持っている団体であることから、国境という障壁を越えるという方向には基本的には賛成である。ただし、現在のTPPが米国従属を強めることになることから、方法論としては誤りと考える。

 経済政策については、消費税などの税制、年金などの社会保障、金融政策、雇用政策などで、各党は主張の違いを競っているが、いずれも国民国家の枠組みの中での議論であり、大きな違いは無いと考える。どの党が政権を担おうが財務省の描くシナリオの範囲内の改革であり、現在の国家が廃絶された後のイメージを描くことのできるものではないと考える。

 脱官僚政治については、現民主党政権が掲げながら挫折をした政策であるが、明治以降、敗戦を挟みながらもこの国を実質的に担ってきた国家官僚は、国民国家の根幹を担う装置である。制度上は、行政は政治に従属する仕組みになっているが、残念ながら頭脳の質が違う。今後1回や2回の選挙で中々変わらないであろうが、脱官僚政治は国という枠組みを超えた社会を構築する上で、重要な争点であろう。脱官僚を掲げる各党の本気度が試される。

 領土問題については、強硬論を声高に叫ぶことは、大衆の喝采を浴びやすいが、所詮国民国家の黄昏に対する焦りの表出であると考える。国境を巡って国家という共同幻想のためにこれまでどれだけの血が流されたか。国境という観念を薄め、共同統治を構想するべきであろう。

 原発については、これまでこのブログで何回か述べたが、3.11後フクシマの情況に驚愕して、脱原発などの主張を始めた党や個人を私は信用しない。情況追従主義、大衆迎合主義は、その時々で今後においていくらでも主張が変わるということを自己表明しているに過ぎないからである。人類は、技術の歴史の中で数々の失敗や困難を克服してきた。空を飛ぼうとして何人もが失敗したことであろう。そこで、空など飛ぶことは神の教えに逆らうことだからしてはいけないと断念していたら、現在はどうなっていただろうか。原子力政策を巡るこれまでの政府、電力会社の行動は犯罪的だが、脱原発、原発0、卒原発などを主張する党の腹の底を見極める必要がある。

 選挙なんかで世の中が変わるか!

コメント (2)
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