晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『虹色のトロツキー』

2012-10-16 20:13:01 | Weblog

 『虹色のトロツキー ①~⑧巻』(安彦良和著 中公文庫コミック版 2000年刊)

 著者の安彦氏は、遠軽町出身で、手塚治虫の「虫プロダクション」を経て、機動戦士ガンダムのスタッフに参加している。初出は、月刊『コミックトム』1990年11月号から1996年11月号に掲載されていて、1997年1月潮出版社より単行本として出版されている。

 コミックは、あまり読まないのであるが、リンクしている「愛犬日記」で紹介されていたので、試しに購入。この物語にはグイグイと引き込まれ、ついに8巻を読んでしまった。

 物語の舞台は昭和初期の満州、皇軍に所属する日蒙混血の主人公(ウムボルト)が国家と民族の狭間で悩みながらも縦横無尽の活躍をする。石原莞爾、東洋のマタハリ川島芳子、大杉栄を殺害し満州へ渡った甘粕大尉、山口淑子こと李香蘭・・など実在の人物が多数登場するなど、実録タッチでストーリーが壮大である。

 ウムボルトなる人物が実在していたのかどうかは不明である。確かめようも無い。おそらく作者が仮想した人物であろうが、そのような人物はその時代の中にいたかも知れない。歴史の中における一人の人間は、一部の人を除いて、特に戦場に斃れた人々の多くは無名で、生きた痕跡が残るか残らないかといった存在だったと感じる。

 私自身も、会社の中で一つの部品として働いているが、幾年か過ぎれば人々の記憶からも遠ざかり、過去の稟議書などにハンコを見れば、そのような人がいたらしいと微かに思い出されるくらいであろう。家族や友人の記憶もまた同じ。人生は、全て幻想といってもいいだろう。

 この物語のモチーフの一つは、血であり国家である。領土を巡って血を流す。国家によって民族が分断される。そこには大陸で死を迎えた無数の命があった。国家という概念が無かったらどうだったのだろうか。「領土」という言葉を発した時、頭の中が真っ白になって思考停止状態になるのは、昔も今も同じ。強気が正義に見え大衆の喝采を浴びる。影で、非国民という囁きが聞こえる。今も昔も同じ。

 

 

コメント (2)
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