『「ややこしい子」とともに生きる 特別支援教育を問う』(川原ノリエ著 岩波ブックレット 2007年刊)
60ページ程のブックレットで、90分もあれば読めます。しかし、その後、考えなければならない大きなテーマにぶつかりました。著者もとてもデリケートな問題を内包しているテーマなので、慎重な、誤解されないような表現を用いています。
ある種の生きにくさを持った子どもとその親、置かれている情況に対する支援のあり方、その支援者への支援、そして社会そのもののあり方まで問われます。
この国の、画一的な価値観の中で、そういう親と子のみんなと同じであろうとする、普通でいたい、その心情をどこまで理解できるか。
少しでも異なる者や事に対し許容できない懐の狭いこの社会。違和、差別、排除・・・、そのことへの恐怖を皆が感じながら生きています。
この社会は、人間を労働力という観点からしか捉えていないのでしょう。今進められようとしている「特別支援教育」なるものは、学校というシステムが、普通以上の労働力を社会に供給する使命を第1に持っているため、ラインの流れを妨げる存在には、「特別の支援」を必要とするということからの発想なのでしょうか。
「軽度発達障害」「特別支援教育」なる言葉の何とデリカシーの無いことか。
日本国憲法の「第3章 国民の権利及び義務」を読んでみて下さい。憲法改定を議論するよりも、現憲法の条項さえ、この現実では守られていないことがわかります。
60ページ程のブックレットで、90分もあれば読めます。しかし、その後、考えなければならない大きなテーマにぶつかりました。著者もとてもデリケートな問題を内包しているテーマなので、慎重な、誤解されないような表現を用いています。
ある種の生きにくさを持った子どもとその親、置かれている情況に対する支援のあり方、その支援者への支援、そして社会そのもののあり方まで問われます。
この国の、画一的な価値観の中で、そういう親と子のみんなと同じであろうとする、普通でいたい、その心情をどこまで理解できるか。
少しでも異なる者や事に対し許容できない懐の狭いこの社会。違和、差別、排除・・・、そのことへの恐怖を皆が感じながら生きています。
この社会は、人間を労働力という観点からしか捉えていないのでしょう。今進められようとしている「特別支援教育」なるものは、学校というシステムが、普通以上の労働力を社会に供給する使命を第1に持っているため、ラインの流れを妨げる存在には、「特別の支援」を必要とするということからの発想なのでしょうか。
「軽度発達障害」「特別支援教育」なる言葉の何とデリカシーの無いことか。
日本国憲法の「第3章 国民の権利及び義務」を読んでみて下さい。憲法改定を議論するよりも、現憲法の条項さえ、この現実では守られていないことがわかります。