久しぶりに山本夏彦さんの文庫本が出たら、「最後の波の音」という。なかなか気の利いた表題である。
山本夏彦さんは、不易のことを書こうとする。今あることは二千年も昔もあった。世の中は寄せては返す波の音である。
私が好きな日垣隆さんは、現地に必ず行くという。山本夏彦さんは、「いま私は二十年余りさる週刊誌にコラムを書いているが、旅はしない、テレビは見ない、事務所から一歩も出ないで、毎週コラムを書くのは骨である。」(P382:「文藝春秋」平成13年8月号)と書く。
そのお二人ともをふとっちょパパが好きなのは、「私たちの口は、何のためにあるのか、隣人と同じことを言うためにある。(中略)彼らの口もとを見て「パクパク」と呼ぶ。」(413P:「文藝春秋」平成12年2月号)という、パクパクをお二人とも書かないからである。
執筆スタイルが違う中に共通は、文章の中にある私が言わねば誰も言わないだろうという迫力である。
著者紹介より。
大正4(1915)年、東京下谷根岸に生れる。24歳のとき名作「年を歴た鰐の話」の翻訳を『中央公論』に発表。戦後『室内』を創刊。同誌に「日常茶飯事」、『文藝春秋』に「愚図の大いそがし」、『諸君!』に「笑わぬでもなし」、『週刊新潮』に「夏彦の写真コラム」を連載。昭和59年に菊池寛賞を、平成2年に「無想庵物語」(文藝春秋)で読売文学賞を受賞した。平成14年10月23日逝去