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いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

「モンスター」著作権者の時代

2008年03月13日 | たまには意見表明
 モンスターペアレント、モンスターペイシェント(患者)という禍々しい言葉がメディアを賑わせています。それらの報道によれば、論理性や協調性に欠け、自分の権利だけ主張して状況や相手の立場を考えない人を「モンスター」と称号?付きで呼ぶらしいです。いずれも和製英語であり、海外では通じません。欧米では自己主張の強いのが当たり前だからでしょうかね。

 さて、自己主張と言えば最近では著作権についての事件が多くなりました。最新のニュースでは、予備校の教材に著作物を無断引用されたとして著作者らが訴訟を起こしています。

「教材に作品無断使用」作家らが予備校に賠償・削除求める(読売新聞) - goo ニュース

 原告であるなだいなださんの著作物が著作権法で保護される対象であることは明らかですし、著作権者として収入を得ることは尊重されるべきですが、ただし今回の件に関しては疑問なしとしません。被告である河合塾は、なださんの作品を直接選択して引用したのではなくて、過去の大学入試問題として採用されたものを問題集に含めただけだからです。河合塾は私立の予備校に違いありませんが、法律で認められた学校法人であり、今回の引用では教材としての引用であることに疑いはないからです。

 我が国の児童や学生が効率よく学習して教育の成果を上げるためには、河合塾のような私的教育機関は重要な存在であり、教育を目的とした事業において公的な教育機関との間に不合理な差別を認めるべきではありません。公的な教育機関だけですべての児童や学生が要求するものを提供できるはずがないからです。教育水準を上げることは我が国が国際競争の一線で生き残れるために不可欠であり、これを実現するためには理不尽な民間いじめなどしている余裕はないはずです。「官から民へ」は教育においても必然の流れです。

 河合塾が出版で利益を得ているのは本当でしょうが、それなら応分の著作権料を支払えばいいだけのことで、引用を差し止める必要などないでしょう。穴だらけの問題集なんか誰が喜びますか!また金銭補償がされる場合は上記理由に鑑み、一般の著作権料より安く算定されるべきだと考えます。裁判所は多くの国民が納得できる判断を示して頂きたいですね。

 原告が被ったとされる金銭被害についても大いに疑問であり、なださんの著作を読もうという人が、わざわざ原本ではなく河合塾の問題集を買うでしょうか?実質的には問題集を通じてなださんの作品が知られるので、むしろなださんにとっては金銭的利益があるとさえ予想されます。なださんは著書の書評や図書館による購入、貸出しさえ著作権侵害とお考えなのでしょうか?それならある意味で辻褄は合うのですが。

 「金銭には関係なく、とにかく引用はいけない」と言うのならそれもおかしな話で、それなら大学入試問題に採用された時点で、本来の姿とは違う部分的な引用がなされているはずなので、この部分を河合塾の責任とするのは合理的でない気がします。完全な形で著作を読んで欲しいと言う気持ちはわからないではないですが、引用なしで学習や研究が進まないのは、医学者でもあるなださんなら周知のことと思います。なださんは論文を書く時に他の文献を(もちろん無料で!)引用したことがないのでしょうか?河合塾の問題集を買って勉強するのは高校生や予備校生ですよ。人生の成功者として、少し太っ腹なところを見せてもいいのではないですか?

 著作権の延長問題でよく議論されるところですが、著作権の範囲を広げて、著作権者が今より金銭的に報われるようにしたところで、著作者自身がその恩恵に浴することはほとんどないと報告されています。長年に渡って著作物が商業利用されるのはほんの一部の作者のほんの一部の作品だけであって、それ以外の著作物に包括的な利用制限をかぶせてしまうことは却って著作物が有効利用される機会を失わせるだけであり、得をするのは例外的な「キラーコンテンツ」を抱えた企業だけ。これに対して著作物の利用者である多くの国民は余分なコストを負担したり、著作物に触れる機会を奪われたりで一方的に被害を受けるわけです。

 もし今回の裁判で原告が著しく有利な判決を得るようなら、著作権者が次々に「モンスター」化して、一般国民は著作による恩恵から大きく遠ざけられることになるでしょう。そんな悪夢を見たくはないのですが。
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ビルトインコンロの換気口に注意!

2008年03月05日 | たまには意見表明

 設置以来、極楽家のために日夜働いてくれるガラストップコンロですが、先日帰宅してのけぞるような光景を見ました。「うわっ、危ない!!」

 後ろにある「グリルの排気口」の金網がアルミホイルできれいにカバーされていたからです。「汚れるのは嫌だから。グリルを使ってない時はこれでいいんでしょ?」って、そうじゃないんだな。どう説明したらいいだろう?

 網を取り外したところです。確かに説明書には「グリル排気口」と書いてあります。「グリル使用時にはふさがないで下さい」とも書いてありました。しかし、この開口部はすべてのバーナーの換気口も兼ねているんです!

 拡大して見るとよくわかります。大きな開口部の中にプレートで囲まれた部分(青の矢印)があって、ここはグリルの熱を放出する排気口です。しかしそれ以外の部分(黄色で囲んだ)はガラスプレートの下までつながっていて、3つのバーナーとグリルに空気を供給する換気口の役割を果たしているのです。

 空気は火が燃えている周りからいくらでも入るんじゃないのって?違います。それでは火力の強いバーナーはできません。理科実験で使ったガスバーナーの構造を思い出して下さい。原理は実験用のバーナーもコンロのバーナーも一緒です。バーナーの下でガスと空気を最適な割合で混ぜておいて、その混合気に点火して燃やすんです。バーナーから出ているのはガスと空気の混合気であって、都市ガスそのものではありません。この「下で混ぜておく」空気を取り入れる換気口がどうしても必要なのです。

 ガス器具は二重、三重の安全設計になっており、よく見るとビルトインコンロの正面や側面にもわざと隙間が作ってあるのがわかります。これはコンロの入っているキャビネットを開けてコンロ下部を見た写真です。下にガスレンジが入ることを想定しているので、下面には換気口がありません。側面(黄色矢印)には小さな隙間がありましたが、気密性の高いキャビネットにビルトイン設置している場合、ほとんど役に立たないと思われます。

 最大の開口部である「グリル排気口」(実はグリル排気口と全バーナーの換気口)をふさがれてしまうと、こうした補助的な換気口だけでは空気の流れが悪くなり、不完全燃焼を起こす可能性があります。メーカーも説明書に明記すべきでしょう。今年からガスバーナーすべてにセンサーが義務付けられたそうですが、換気口にセンサーを取り付けた方が事故防止に役立つかも知れません。

 こんな間違いがあるので、どんな人に対しても自然科学的な物の見方ができるような教育は必要なのです。「日本はもう科学技術じゃなくて、金融や創作で立国すればいいから理科は不要では」などと極論を述べる人も出てくる昨今ですが、とんでもない!技術が高度化して見えにくくなったからと言って、この宇宙が物理法則に従って動いているのは変わりません。占いやらスピリチュアルやらが民放番組に氾濫し、多くの人を惑わしている現状を見るにつけても、科学教育の大切さを痛感せずにはおれません。


追記:その後コンロをよく調べて、前面パネルの上端の窪んだ所に、目立たないように換気口が並んでいるのを確認しました。これだけあれば簡単には不完全燃焼を起こさないだろうと思われたので、この製品に関しては後方の「グリル排気口」がふさがってもすぐに危険はないと判断しました。ただし、複数のバーナーを長時間使うなど多量の空気を必要とする場合や、旧製品など他のモデルについてはわかりませんので、やはり原則的には「グリル排気口をふさがないようにする」のが正しいと思います。
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「ゆとり教育」に見る「意図せざる結果」

2008年02月21日 | たまには意見表明
 「ゆとり教育」なる教育内容削減により学力崩壊を招いた、とされる教育政策が全面的に見直されつつあります。一度決めたらどこまでも、の伝統的な突撃精神を具現する政府にしては早い変わり身であり、国民からの強い反発を無視できなくなったというところでしょう。

 この「ゆとり教育」の旗振り役を務めたとされる元文部官僚、寺脇研氏だけは今でも「ゆとり教育は間違っていない」と発言を続けており、この度は「日経ネットPlus」にも寄稿されたようです。読んでみても合理的な説明のない感情論だけで、「なぜ日本人の学力が落ちても構わないか」を示していません。そう、寺脇氏は「ゆとり教育で学力が落ちない」とは言っていません。「落ちたからどうなんだ」という確信犯です。

 同コラムに対するコメントが多数ありましたが、ほとんどは日本人の学力低下、ひいては科学技術力や科学技術に対する理解の低下を衷心から憂うもので、寺脇氏に全面賛同する意見は皆無でした。単に失政の責任逃れを論理性のない文章でぐだぐだ綴っているだけでは説得力がなく、支持がないのも当然でしょう。「ゆとり教育」の愚劣さについては既に6年前の「週刊新潮」の小浜逸郎さんのコラムに読みやすくまとめられています。

 寺脇氏が失敗から何も学んでいないのは明白ですが、我々は彼の失敗から学ぶべきです。意思決定が必要な場面において、「意図せざる結果」とか「一段階論理の正義」と批判される短視眼的な決定を採用することにより、その場では最善策に見えても長期的には多くの人が不利益を被るような実例が世の中にはたくさんあります。「ゆとり教育」もその一例なのかも知れませんが、それにしてもこれは簡単に先が見えるので、随分低次元な「意図せざる結果」を招いたものだと思います。

 この「ゆとり教育」と、「15の春は泣かせない」の名文句を残して京都の高校教育を崩壊させた(公立高校の学力が低下し、京大への進学者が激減した)当時の蜷川知事には、ネットに流布する"KY"(空気嫁、空気読めないの意味で使われる略語)をもじって、"SSY"(園崎嫁、その先読め)という評価を贈りたいと思います。かくも結果が読めない愚昧さには、有名な川柳「へぼ将棋、王より飛車をかわいがり」にも通じるstupidityを感じますね。Scott Adamsさんなら上手に漫画にしてくれると思います。

 授業内容の削減により教科書をなぞるのは確かに楽になるでしょう。しかし、教科書の裏にある自然法則まで簡略化されるわけではありません。教科書が簡単になったからと言って、新聞や小説まで簡単になってくれるわけでもありません。自ずとそこには、「上級の学校に行くために必要な学力」や「社会に出るために必要な学力」があります。多くの保護者はそれがわかっていますから、公立学校が学習内容を極端に削減したことに危惧を抱き、一斉に私立学校や学習塾に走ったのです。学歴志向の低下で青息吐息だった民間教育産業は、「ゆとり教育」のお陰で息を吹き返し、保護者の支出は増大しました。こんな簡単なことが予想できなかったでしょうか?

 よく言われるように、教育は国家百年の計です。国民が教育に力を入れて、その結果が出るまでに百年とは言わないまでも数十年は掛かります。明治時代に日本が列強に伍して奇跡の経済成長を果たしたのには、江戸時代の寺子屋などによって当時の国民の教育水準が既に世界レベルに達していたことが大きな助けとなりました。以来今日に至るまで、日本人は子弟の教育について特に力を入れてきました。日本をモデルとしてアジアなどの発展途上国が同様に教育体制を整備したとも聞いています。今のアジアの隆盛は長年の教育投資が実った結果とも言えるでしょう。日本が転んでいる間、彼らは待ってくれるわけじゃありません。現代の教育は世界との競争なのですから、国内の競争を止めても益はないのです。

 資源のない日本では、多くの国民がドメスティックな産業で豊かな生活を続けることなど不可能です。豊かでなくてもいいじゃない、って?寺脇氏もそんな言い訳をしていました。でも、本当の貧乏ってわかりますか?アフリカや南米の少数民族のように、国の経済活動の恩恵を受けることなく、教育が受けられないために貧困は固定化し、その場しのぎのテロリズムや非合法活動に手を出し、娘は売春婦として売られてHIVに感染し、幼い子供は予防注射も受けられず、悪魔のような臓器密売団からも狙われる。その日の食料にも事欠く貧困地帯では、家族の生命すら守れません。「島原の子守唄」の陰惨な歌詞が現実だったのはそんな昔のことではないのです。

 幸いにして、日本人の多くは働き過ぎなどと言われながらも、家族に安全な生活をさせる程度の豊かさを享受しています。これはすべて我々が働いて生み出したものでしょう。努力を止めるのは簡単です。でも坂を下り始めたら、踏み止まるのは容易ではありません。「棒ほど願って針ほど叶う」のが世の中の仕組みなら、「ほどほど」の目標は最初から間違っています。努力して、産業の効率をより高めることで「ゆとり」を作り出すことはできるでしょう。しかし努力を止めてもゆとりは生まれません。教育政策が正しい方向に向かうように、少なくとも国の誤りによって保護者の努力を無駄にしないように切に願うものです。
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道路がいらないとは言わないが

2008年01月25日 | たまには意見表明
 「もう道路整備費用は余っているから一般財源に」と言い出したのは政府自民党だと思うんですが、すっかり忘却されたようで、「まだ道路は必要だからガソリンの暫定税率は廃止できない」というのが今国会での公式見解のようです。

 私たちユーザーも道路がいらない、とは言いませんよ。でも道路整備の費用がどう見ても高過ぎませんか?日本の道路建設費用はイギリス、ドイツ、フランス、イタリアの四大先進国の建設費用の合計に匹敵するんだそうです。

 それだけ巨額の費用を投入して、どれだけ整備できたのでしょうか?国土の各地域を結ぶ主要な動脈である高速道路で見てみましょうか。国土交通省の資料によれば、日本の高速自動車国道の総延長は約9,000km。最初の高速道路である名神高速道路が一部開通したのは1963年です。ここまで40年以上も掛かっているのですね。

 一方、この20年で高速道路整備を急速に進めた中国の高速道路の総延長は、驚くなかれ5万km!!年数と距離を計算すると、日本の10倍以上のペースで高速道路ができているわけです。「地方経済活性化のために高速道路を」と枕詞のように言われますけど、膨大な金額を使って、中国の1割以下の効率でちんたら道路を作っていたのが実情なんですよ。これで国際間の経済競争に勝てるわけがないでしょうが!

 もちろん、日本は土地の値段も高いですし、道路予定地に民家があれば強制撤去するような国とは事情が違います。しかし現在建設されている高速道路網のほとんどは地方にあります。田舎でも土地の収用には東京23区並みの補償をしているのでしょうか?それとも中国の10倍も高価なアスファルトを使っているのでしょうか?

 中国の高速道路は路線毎に独立した株式会社が建設、運営しており、ハイペースで建設を続けていながら大きな黒字を計上しています。例えば10年前に「浙江高速道路」の株を買っていれば5倍ほどに上がっています。一方の日本では分割民営化されたとは言え、道路会社は国土交通省の命令で不採算路線を作らないといけませんし、道路公団時代のファミリー企業を隙間なく、どころか何重にも抱えています。それで公団時代の43兆円もの借金を返済しないといけないわけですから、まともな運営ができるはずがありません。

 はっきり言いましょう。日本の高速道路の整備が進まないのは、予算が足りないからじゃありません。効率があまりに悪いからです。政治的に不採算路線の建設を決めて、関係者が押さえている土地を高値で買い取り、またファミリー企業が随意契約できるように区間を細切れにして発注するようなことを繰り返しているから整備が進まないのです。この大浪費の仕組みを温存しておいて、「ガソリンの暫定税率が廃止されれば道路が整備できない」と言うのは納税者に対するペテンに他なりません。

 この仕組みが変わらない現状では、暫定税率は廃止して国民が自由に使えるようにするのが最も効率のいい経済政策です。問題になっている職員の野球用具だけじゃなくて、本業の道路建設や運営でも無駄に無駄を重ねて税金を浪費してきたのが今までの道路行政なのですから、日本経済が一流でなくなった今、きちんとリセットして出直すべきです。やっぱりガソリンは値下げしましょう。
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「ガソリン国会」の行方は

2008年01月18日 | たまには意見表明
 臨時国会が終わったと思ったら今度は休む間もなく通常国会です。何となく成立してしまった給油新法は既に大多数の国民の関心事ではなくなったようで、今度はより生活に直結した租税特別措置法、すなわちガソリンの暫定税率の扱いについて与野党の攻防が始まります。論点が非常にわかりやすいので、多くの国民が興味を持って見守ることでしょう。

 私は元々暫定税率の維持には反対で、ばら撒きで道路を作るぐらいなら自動車ユーザーに税金を戻すべきだと思っていますし、一般財源への繰り入れにしても負担が偏り過ぎて望ましくないと考えます。

 自動車産業とその顧客が戦後の日本を豊かにした最大の原動力なんですから、「自動車の社会的費用」などという取って付けたような理屈で高負担を強いられるのは筋違いもいいところです。せめて石油が高騰して景気の先行きが危ぶまれる今ぐらい、景気対策として税率を下げるのが正当じゃありませんか。

 道路整備のための「暫定」税率が決められたのは1974年(昭和49年)です。これが地方自治体とそれにしがみ付く土建業界の「既得権」と化して「暫定」と言われながら30年以上の長きに渡り続いているのは、一向に構造改革が進まない日本の象徴であり、日本の政治と経済が改革の能力を有してまともに機能する(従って投資に値する)ことを示すためには何が何でも断ち切らねばなりません。

 サブプライムショックが本国であるアメリカよりも日本に堪えているのは、元々日本の将来に期待が持てない資金が、日本を離れるきっかけを探っていたからでしょう。この10年、アメリカほどの好況もないくせに、アメリカが停滞すれば同じように停滞する経済なんて、外資から見れば魅力がないのは当然です。位相が同じで振幅が小さく、中長期的に低落傾向とあれば、資金運用者から見ればリスクヘッジにもなりませんよね。

 従って、民主党がこの点を最重点に国会に臨むのは国民の意に適っており、大賛成です。実際に報道機関の調査では2/3の有権者が暫定税率廃止を支持しているようです。自民党はこれをポピュリズムと批判していますが、支持率の低迷する福田内閣がこの圧倒的な世論を無視することはできないでしょう。まともに戦うことはせず、どこかで「落としどころ」を探ってくると思います。

 まずは福田首相を矢面に出さない形で、町村官房長官が有権者の「ご機嫌伺い」に出てきたようですね。「お金が天から降ってくるわけではない」という意見はごもっとも。増税の折には我々サラリーマンもぜひ同じ事を言って反対したいと思います。ついでに言わせて頂ければ、UFOも天から降ってくるわけではないと思いますよ。

 町村さんが暫定税率廃止に反対する根拠としている、「地方自治体の財政に影響がある」という言い方は筋が通らないものです。「道路特定財源による道路整備はもう十分だから、一般財源に繰り入れて自由に使えるようにしよう」と言い出したのは政府だからです。一般財源に繰り入れるほどの余裕があるのなら、今までと同じ額の道路整備は必要がないということです。

 しかも、自動車ユーザーは揮発油税に限らず、いろいろな形で暫定的な税の高負担を続けています。町村さんが「ヨーロッパに比べれば日本の揮発油税率は低く、日本のガソリンは安い」と強弁しても、各種の税金や道路代を考慮すれば、先進国にあるまじき不当な負担をユーザーに押し付けていることは明白です。「ガソリンの暫定税率を据え置く代わりに、自動車重量税の暫定税率を廃止する」とでも言われるなら考慮に値しますがね。

 町村さんも、今回の会見で有権者の反応は確認できたでしょう。地上デジタルや著作権の問題に触れたくないマスコミも、もちろんインサイダー取引問題に蓋をしたいNHKも喜んで政府叩きに加わるでしょうから、さすがに今回の自民党には勝ち目がないと見ます。自動車ユーザーの皆さん、みんなでもう一押ししませんか?
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関所ビジネスしかできないレコード会社は不要

2007年11月28日 | たまには意見表明
 私はロックをほとんど聴かないので名前しか知らないのですが、イギリスのロックバンド、レディオヘッド(Radiohead)が新作アルバムでレコード会社を全く使わないダウンロード販売を始め、話題を呼んでいます。何とダウンロード料金を自由設定として、「好きなだけ払ってくれればいいよ」としてあるらしいです。思い切った作戦ですが、これだけ話題になればプロモーションの効果は絶大だと思います。

 録音あるいは録画機材の進歩により個人レベルでも相当な品質のコンテンツを製作することが可能になりました。これは単に音質が向上したというだけではありません。アナログ時代のオープンリールテープやミキサーは操作性が悪く、職人芸的な専門家がいないと商品になるレベルのコンテンツを作ることが難しかったのですが、ダビングで画質や音質が劣化しないデジタルレコーダーなら、少し熟練すれば音符の差し替えだろうがレベル調整だろうがミックスだろうが短時間で可能です。

 しかもLP時代は不可欠だったカッティングマシンによる原盤(マスターディスク)作成やスタンパーによるレコード作製といった資本を必要とするプロセスが、CDあるいはDVDを焼くだけという誰でも出来る作業になってしまいました。レコード会社(関連会社を含む)に資本を集約しなければコンテンツができない時代は過去のものです。技術的に個人でできないと言うなら、レコード会社以外にも仕事を請けてくれるスタジオはいくらでもあります。

 次にプロモーションですね。レコード会社の大規模な宣伝活動、とりわけテレビやラジオ、有線放送への売り込みこそ個人ではできませんが、その代りにインターネットを使ったプロモーションが可能です。既に知名度の高いレディオヘッドの場合、これは問題にならないでしょう。それじゃ無名のアーティストは?レコード会社はすべての無名アーティストをプロモートしてくれるわけではありません。売りたいもの、売りやすいものを宣伝するだけであり、そうでない大多数の無名アーティストにとってはネットによる宣伝の方が有効です。

 こうなると、「レコード会社は何のためにあるの?」という疑問が湧いてきます。クリエイターやアーティストは資本力のあるレコード会社と契約することによりコンテンツを商品化してもらい、宣伝や商品の供給も面倒見てもらう代わりに、契約で著作権の多くを譲渡し、コンテンツの収益の大半を吸い上げられていました。レコード会社との契約を打ち切られる、というのは往時はすなわち収入が途絶えるということでした。「売れっ子だったけどレコード会社に干されて…。」などというパターンの映画やドラマを昔は度々見た覚えがあります。資本のあるレコード会社はアーティストの生殺与奪権を持っていたわけです。

 こんなアナログ時代に決まった慣行は、今となってはアーティストに不利なものが多く、アーティストの印税より原盤印税の方がずっと高かったり、ジャケット代というわかりにくい費用が引かれたり、CDが完売しても印税はその80%についてしか支払われない、など世の常識では理解しにくいものが残っています。高価なカッティングマシンやスタンパーが必要でしかも職人芸が要求されたLP時代と違い、CDやDVDには本来の原盤という概念はありません。しかしコンテンツの製作費用が下がったにも関わらず、レコード会社が昔と同じ取り分を確保している不誠実さを、音楽ライターの津田大介さんがわかりやすく解説してくれています。

 レコード会社は著作権の強化を主張する団体の有力なメンバーです。彼らは「クリエイターのために」著作権強化が必要としているわけですが、一皮剥いてみれば、「あるある」の失態で暴露されたテレビ局の実態と同じように、実はクリエイターやアーティストを安くこき使ってコンテンツを手に入れ、著作権を取り上げて独占販売するという「関所型のビジネス」を目指しているに過ぎません。このような利権を金にするビジネスモデルでは、コンテンツのリーズナブルで幅広い流通という消費者の利益は実現されにくく、質が低くても売りやすいものを売る、あるいはコンテンツを囲い込んで値段を吊り上げるといった消費者の不利益が横行しがちです。

 津田さんのコラムで批判されている通り、小泉政権下で竹中平蔵氏(2005年10月から2006年9月に総務大臣・郵政民営化担当大臣)の秘書官として働いた岸博幸氏が、その後レコード会社であるエイベックスの取締役に就任しながら総務省の政策を左右し、レコード会社側の立場を代弁しています。つまり、規制緩和を旗印にした小泉改革の少なくとも一部は、正反対の関所ビジネス強化をたくらむ人物に任されていたわけであり、竹中さんが総務大臣に就任した当時はその「豪腕」によりITの規制緩和が大きく進み、放送と通信の融合が実現すると期待された面もあるのに、一向に実現しなかったのには、実務を担当した岸さんの「活躍」もあったのだろうと推測されます。

 このような本当の「抵抗勢力」を排さない限り市場経済のエンジンは円滑に回らなくなります。岸さんの経歴を見れば竹中さんの慶應の後輩なのでしょうが、こんな人物を重用しておいて規制改革を唱えるとは、竹中さんも理解しにくいところがあります。岸さんこそIT分野における小泉改革を頓挫させた「獅子身中の虫」なのでしょう。

 レコード会社が本当にクリエイターやアーティストを適正に遇しているのなら、レディオヘッドのような「レコード会社抜き」の試みは説明がつきません。今回のダウンロード販売では購入単価も安いのですが、ほとんどが彼らの収入になるためビジネスとしては成立するのだそうです。これに興味のあるクリエイターは少なくないと思われ、レコード会社や著作権管理者が関所化した弊害の大きい日本でこそ、この試みが注目されるべきだと思います。
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ミシュランガイド東京版とCOTYで考えること

2007年11月22日 | たまには意見表明
 レストランガイドとして有名なミシュランガイドは、本家フランスだけでなくヨーロッパ諸国や北米にも進出しているそうで、この度初めてアジアに上陸し、東京版が出版されたことがちょっとした話題になっています。

 今まではフランス以外の国と言っても、古くから西洋料理として交流のあった範囲だけを対象にしていたミシュランガイドが、欧米人から見ればエスニックである日本料理をまともに評価しようと決断したわけで、ガイドの歴史における重要な転機であると言えます。

 早速、「外人に和食が評価できるのか?」などと疑問の声も出ていますが、ミシュランの調査員が外国人ばかりとは限りませんし、外国人に和食がわからないと決め込むのもどうかと思います。フランス料理がインターナショナルに評価されるのは、もちろん各国で顧客を見てローカライズした成果もあるでしょうが、少なくとも高級料理として地位を確立したのは、むしろフランス人が考える最高の物を追い求めた結果だと思います。

 世界で認められる日本の自動車会社の幹部が、「本当の国際化とは世界で通用する商品を作ることであって、言葉や慣習を合わせることではない。」と発言したことがあるそうです。ミシュランガイドが対象とするような高級フランス料理もこれに近くて、シェフがいい物を作った結果、顧客がそれを求めるようになったのでしょう。海外での和食のステータスは一般の日本人が考えている以上に高く、パリでもニューヨークでも高級日本料理店は評価されています。

 もちろん「和食のわかる外国人もいるし、高級日本料理店の需要もある」と認めた上で、やはり外国人と日本人の評価は同じではないでしょうし、同じである必要もないと思います。東京のレストランガイドブックはいくつも出ていますし、東京ならテレビに取り上げられることも多いので、好きな情報を選べます。フランス人の観点から作ったガイドがあることは選択肢を広めるでしょう。日本は、と言うより東京はもう十分豊かですから、ミシュランガイドを有難がる必要もありませんが、読んでみれば彼らなりの評価の基準がうかがわれて楽しめるのではないでしょうか。

 もう一方の日本カーオブザイヤー (COTY)についてはちょっと困ったことになっています。もう長らく、「COTYを受賞したクルマは売れない」などと誇張されて言われるように、大掛かりなイベントと実際の販売が結びつかなくなっているからです。今年はフィットだから売れるでしょうけどね。

 レコード大賞などと同じで、国民的な乗用車などというものがなくなってしまったのでしょう。技術の進歩により「いいクルマ」は増えましたが、「欲しいクルマ」は人によって違ってきました。高級乗用車をステータスシンボルとして、違いもわからないのに大枚をはたく人も少なくなりました。例えば、世界で認められている最高級量産乗用車のトップはベンツSクラスでしょうし、日本ではレクサスLSになるのでしょうが、私はどちらも欲しくありません。

 そろそろ、COTYのようなイベントは部門賞だけに限定するのがいいと思います。自動車産業も市場もすっかり成熟したのです。他の成熟産業を取っても、「今年最高の本」とか「今年最高の服」なんて国民の多数が認めるような商品はないですよね。その代りに本では部門別のベストセラーがありますし、多様多彩な文学賞もあります。クルマもあんな形では駄目なのでしょうか?

 クルマを文化として楽しむには、COTYのようなちょっと子供っぽいお祭りも必要なのかも知れません。しかし日本の、特に都会で趣味としてのクルマが定着しないのは、ひとつには一般の人に複数のクルマを所有することが難しいからです。高くなったガソリン代や駐車場代などは仕方がないとして、広く普及した乗用車の税金が高いままなのは合理的でしょうか?

 自動車取得税、重量税、揮発油税など各種の税金が課され、しかも道路建設のためという名目で暫定的に高い税率が適用されています。これが道路特定財源です。この道路特定財源を国の一般会計に繰り入れることが検討されていますが、道路整備の役割が終わったのなら、暫定税率を廃止して本来の税負担に戻すのが当然ではないですか。

 いつまでも暫定税率を続けるのは感覚として無理がありますし、一般会計の赤字を自動車の所有者だけが高率に負担するのも不自然です。自動車のせいで社会的コストが増大するという説もありますが、戦後の日本人の多くは自動車で食って来たのです。まして財政赤字を作った主因は自動車ではありません。自動車重量税から転用した税金を例えば採算の取れない整備新幹線に使うことになれば、受益者負担の原則を大きく踏み外し、しかもその偏った経済効果と予想される更なる国庫負担から判断すれば、一種のモラルハザード(顧客である国民に整備新幹線のコストを誤って低く評価させるから)とも言えます。

 どうせ地方ばら撒き、業界や圧力団体への配慮で動かざるを得ない国としては、新たな一般財源を得たところで有効に使われるかどうかは疑問です。それより暫定税率分を納税者に返すことで、新車をはじめとする有効な需要に向けさせた方がずっと健全な経済成長が見込めます。自動車諸税の減税により世帯当たりの保有台数が増加すれば、広い裾野を持つ産業が潤うのです。地方の土建屋にばら撒くよりもずっと有効な使い方でしょう。

 そうなれば2台以上の所有が簡単になり、趣味としてのクルマも見直されることでしょう。COTYを盛り上げようとするなら、もっと政治にコメントしないといけません。「クルマが増えると環境問題が深刻になる」って?大丈夫ですよ。1人が10台のクルマを所有したところで、一度に乗れるのは1台だけ。ガソリン代の高騰もあって、普通の人なら2台所有していたところで、できるだけ乗らないようにするでしょう。それでも「いざと言うときにもう1台ある」というのは有難いし、持つ楽しみだってあるのです。

 環境のためにクルマの所有台数を制限しようという論は、単に持てない者の僻みを煽って環境問題を捻じ曲げているだけです。クルマの平均耐用年数はどんどん延びており、また廃車のリサイクル率は電化製品などに比べても十分に高いので、材料の無駄遣いという指摘も当たりません。真面目な環境保護者から見れば、そんな似非環境保護は明確に排除して欲しいと思っているでしょう。むしろ規模が大きく、リサイクル率の低い建築資材に目を向けるべきです。

 ミシュランガイドは元々タイヤの販売促進を狙って、当時は贅沢品であった乗用車で食事に出掛けるお金持ちのために作られたものらしいです。3つ星の基準として「レストランを目当てに旅行する価値あり」と書いてありました。郊外のレストランに行く人が増えればタイヤもそれだけ減りますからね。往時のフランスでは、自動車で郊外の高級レストランに乗り付ける客と言えば、資産家とその愛人のカップルが想定されたそうです。

 自動車重量税が導入された高度成長期の日本も、まだ乗用車はステータスシンボルと認められていましたし、少しでも高級な乗用車を手に入れたい人は多かったです。あの頃の日本で、レストランを目的に旅行する人なんて相当な資産家だったでしょうね。

 時代は変わって自動車がまともな速度で走れないアジアの大都会、東京が「世界有数のグルメ都市」としてミシュランガイドに案内されるようになりました。「ミシュランガイド東京」の利用者は、外から東京のホテルに泊まって星付きレストランに向かうのでしょうか。あるいは家族の記念日に電車やタクシーで都心を目指すのでしょうか。自動車やレストランは大衆化しましたが、自動車の税金だけが昔と同じ発想というのは納得がいきません。

 「道路特定財源」と言いますが、最初から国の金だったわけではありません。その前に「自動車ユーザーの特別負担金」であることを思い出しませんか?いわゆる「道路特定財源」の一般会計繰り入れに反対します。
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ダビング10は破棄を

2007年11月16日 | たまには意見表明
 今度は権利者団体がJEITAに公開質問状だそうです。焦ってますね。そりゃそうでしょう!「消費者代表」として録画や編集のことなんかほとんど知らない素人を委員会に取り込むことに成功して、「消費者代表ともダビング10で折り合った」と言い張って、JEITAを悪者にできるのは今だけだからです。日常的に録画を楽しんでいるヘビーユーザー層は、最初からあんな人選はないと思っていましたし、じきに一般の視聴者も騙されたことに気付くからです。

 多くの消費者が権利意識に目覚める前に、とにかくJEITAを「消費者の敵」と誹謗しておきたいものですから、質問状も荒唐無稽ですが、それ以上に権利者団体のコメントが笑えます。日本映画製作者連盟の華頂さんは、タイムシフトが目的の録画であっても補償金は必須、という主張です。もはや自分が何を言っているのか理解していないようですね。テレビで映画をそのまま見るのはいいが、録画して後で見るのは損害だから補償しろ、とは難解な理論です。多分、誰にもわからないでしょう。

 消費者としては、今日買った赤福餅を今日食べようが明日食べようが(自己責任なら)勝手なはず。購入時に応分の代金は支払っており、自分の判断で古くなってから食べることに文句を付けるのは、家庭内の私事に対する不当な干渉です。映画だって商品である以上、同じ原則が適用されるべきでしょう。無料テレビ放送とは言え、視聴者が最終的にコストを負担しているのです。今後、権利者団体のロビー活動で法律そのものが改正される可能性もありますが、視聴者に納得されない制度では、いずれマーケットの縮小とコンテンツビジネスの衰退を招くだけです。

 権利者団体はダビング10に不満のようですから、主張されるように先日の合意を破棄されるのがいいと思います。メーカーは2008年の初めからダビング10対応機を売りたかったようですが、既に編集のできない不便が指摘されていますし、そもそも今まで販売したレコーダーがほとんど救済されないのは消費者不在の姿勢と言えましょう。

 ダビング10のような半端なものではデジタル機器の販売に弾みがつかず、国策であるはずの地上デジタル移行が進みません。コピーフリーやEPNまで緩和されて、消費者がアナログと同等の便利さを手に入れるまでは販売に火が着く見込みはないのですから、こんな「絵に描いた餅」をすっ飛ばして本格的なコピーガード緩和に進むべきです。

 多くの視聴者がテレビ離れして、機器メーカーもコンテンツホルダーも壊滅的な打撃を受けてから考え直すのか、今回の不一致を機会に消費者と本当に折り合うのか、わかり切った問題だと思います。

 アナログでコピーができるのなら、デジタルでもコピーを。アナログで編集ができるのなら、デジタルでもコピーを。それができないのなら、補償金も何もありません。ダビング10では露骨なコピーガードがあるのに、スキルのない一般視聴者から補償金をせびろうと言うのですから、本当の消費者の敵が権利者団体であることは明白です。
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やっぱり地上波アナログを残そう

2007年11月07日 | たまには意見表明
対談:小寺信良x椎名和夫(1)小寺信良x椎名和夫(2)
 視聴者に期待されているとは言いにくい地上波のコピーガード、「ダビング10」の導入経緯について、また著作権の乱用でコンテンツ利用およびIT政策の大きな障害と見做されてきた「コピーワンス」が本当に著作権団体が望んだものだったのか、小寺さんが対談を通して検証してくれています。

 やっぱり、「消費者代表」があっさり著作権団体と折り合ったことが、膠着状態だった議論を一気に著作権側主導に押しやったのですね。高橋伸子さんは余計なことをしてくれた、と言うべきでしょうか。それとも当初からこのような路線ができていたのでしょうかね。対談ではJEITAの対応が批判されていますが、この委員会で消費者の立場に近いのは間違いなくJEITAです。味方であるはずの消費者代表にも裏切られ、孤軍奮闘の状態では態度が硬化するのも無理からぬことと同情します。

 椎名さんの話によれば、多くのユーザーが疑問に思っていた通り、本当にコンテンツを製作する著作者は録画やコピーを絶対悪と見ているわけではなく、製作に対する正当な評価さえあれば機器の進歩による新しいコンテンツの楽しみ方も許容できるようです。ロビーストと化した著作権団体ばかりが前面に出ることが多いので、どうしても一方的な権利主張ばかりが聞こえてくるのですが、無益な誤解を防ぐためにこのような対談は貴重なものだと思います。「消費者と著作者が対立している」という図式のほうが都合のいい人もいるでしょうが、ね。

 著作権団体にしても、椎名さんのように率直に対談に応じてくれる人ならその立場も主張もわかりやすいのですが、裏から私的録音録画小委員会を操ろうとした人、例えば企業側の立場の人や、コンテンツの録画や編集に対する十分な知識もない人を「消費者代表」の委員として潜り込ませた連中については、このような話し合いも成立せず、消費者として可能な手段で闘う以外にありません。

 消費者として最も強力な手段は「買わないこと」「見ないこと」です。何回も書きましたが、せいぜい静止画の画質向上を引き換えに、消費者がコストを負担して、コピーガードでがんじがらめの地上デジタル放送に移行するメリットなどほとんどありません。このまま地上デジタルへの移行が遅れに遅れれば、2011年にはきっと「アナログ停波の見直し」が政治決着されることになるでしょう。圧倒的なサイレント・マジョリティーの数を無視してきた政策の大失敗です。

 次はパブリック・オピニオンなどで自己主張することでしょう。せめていんちきな「消費者代表」を委員会から引きずり出して、適正な委員を採用することを要求しても損はないと思います。

 アナログでコピーができるのなら、デジタルでもコピーができるように。アナログで編集ができるのなら、デジタルでも編集ができるように。この消費者にとっての「当たり前」が実現されるまで、地上波アナログの拙速な停波には反対します。
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「ロッキード以来」の政界浄化なるか

2007年11月01日 | たまには意見表明
 守屋元次官の接待ゴルフ200回で話題を作ってくれた防衛省贈収賄事件ですが、東京地検特捜部が「ロッキード以来」の大物に狙いを付けたとか聞こえてくると、こんな接待中毒のゴルフ親父で捜査が打ち止めになるはずもなく、今度は初代防衛大臣、久間章夫(きゅうまあきお)にまで捜査の手が回ってきたようです。

 常識的に考えて、守屋元次官のあれだけの好き放題が後ろ盾もなく可能なはずがありません。当然、大物政治家のバックがあってのことと推測されます。問題はそれが久間元大臣で止まるのか、それとももっと大物、派閥の領袖クラスまで落とせるかです。久間元大臣については今までにもいろいろあった人なので、そろそろ辞職を、ということで穏便に幕を引くのかも知れませんが。

 政権中枢への弱腰や「気配り」が過ぎて、ジャーナリストなどからは「眠れる検察」と揶揄されてきた検察ではあっても、検察と裁判所のコンビが権力の腐敗に対する数少ない抑止力であったことは間違いがありません。防衛上の機密を盾にして汚職が摘発されにくいとされている防衛省の闇に切り込んで、他の政治家にも一罰百戒となるであろう成果を見せて欲しいものです。
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インターネット先進ユーザーの会(MIAU)設立~大衆の反撃

2007年10月24日 | たまには意見表明
 著作権ビジネスが大変に儲かる事業だとわかったことにより、既存のコンテンツの著作権をできるだけ長く(可能なら永久に)独占しようという諸分野の管理団体が政治、経済面で圧力を強めつつあり、利用者の権利がなし崩しに縮小される動きが続いています。

 著作権ビジネスは昔からある関所の料金徴収や関税、みかじめ料の徴収と性格が似ており、権利を持っている側からすれば安定した収入になります。しかも法制化と独占により、市場に関係なくブラックボックスの中で収入が決まるため、政治を巻き込んで利権化しやすい面があります。

 総務省や文化庁を後ろ盾とした著作権ビジネスのロビー活動に対して、組織化されていない利用者は政治的に無力に近く、地上デジタル放送の一方的なコピーガード導入(コピーワンス)やコストの高い著作権管理(B-CASシステム)、まともに再生できないコピーガードCD(CCCD)など、やりたい放題にやられてきた感があります。あまりの不評によりコピーワンスは少しだけ緩和される(ダビング10)見込みですが、本質的には視聴者の大きな不便を強いるものです。技術的に未完成だったCCCDはさすがに廃止されたようですが。

 しかし心配されるのはむしろこれからです。現在、著作権ビジネスが政治に働き掛けて実現させようとしている要求は、一般消費者の権利を著しく制約し、彼らが喧伝するような「クリエイターの利益」を隠れ蓑にしながら、その正反対に新しい創作活動を圧迫して既存の著作権だけを不当に拡大するものになる恐れが強いからです。こうした危機感により、創作に関わる人、そして創作物を享受するエンドユーザーが手を携え、力を結集して著作権ビジネスの行き過ぎたロビー活動に対抗することになり、かくしてインターネット先進ユーザーの会 (Movements for the Internet Active Users; MIAU)が設立されました。

 一般大衆にデジタル時代にふさわしい自由な創作活動が保証されるためには、とりあえず次のことが必要です。(MIAU発起人の1人である小寺信良さんのコラムを参考にしています。)

(1)コンテンツダウンロードの違法化見送り
 「違法コンテンツと知らずにダウンロードしても有罪」とするなら、もはや言論統制です。一般インターネットユーザーがそこまで責任を負うことになると、ネットによるコンテンツ配信など不可能になります。著作権ビジネスの側にはテレビ局など既得権を持つメディアも入っているので、ネットによる画像配信を潰したいという意図があるのでしょう。

(2)地上デジタル放送の強圧的なコピーガード撤廃
 コピーワンスにしろダビング10にしろ録画したコンテンツの編集ができないし、次のメディアに移行することができません。これだけの不便を視聴者に押し付けたまま、地上デジタルに移行しろと言われても無理です。

(3)著作権の保護延長見送り
 著作権の長期延長で潤うのはごく一部のキラーコンテンツを持つ企業だけ。クリエイターは既に死亡しているため創作活動に寄与することはありません。二次利用も極めて不便になり、「創作は真似から始まる」という原則を無視しています。既存の著作権で食っている権利者にとっては、新規参入者など邪魔でしかないのでしょう。

 JASRACをはじめとする著作権ビジネスの横暴を黙って見ていられなくなった方、コピーワンスの理不尽な不便さに我慢できない方、「青空文庫」で出版社から切り捨てられた作品を楽しんでおられる方、そして他の多くのクリエイターやエンドユーザーの皆さん、ついに反撃の時が来ましたよ!「国民の期待に応えて」強欲な連中に一泡吹かせてやりましょう。
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南山小学校の一貫教育とは(新しいワインは新しい皮袋に)

2007年10月15日 | たまには意見表明



 名古屋の子育て世代に話題となっている南山小学校の建設現場です。夢のあるデザインで完成が楽しみですが、大事なのは建物よりもちろん中身です。

 安倍政権のひとつの目玉とされた教育再生会議は福田政権にも受け継がれたようですが、官製会議の一典型として、現場を知らない有名人(ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏)を座長に祭り上げ、実は官庁主導で規定の結論にこじつけようという、よくあるダミー会議のようです。

 野依座長がいかに教育の現場を知らないかは、「塾は禁止すべきだ」という彼の無責任な発言から一目瞭然です。教育再生会議は17人のメンバーのうち教育関係者がたった2人という素人の寄り合い所帯で、「素人が思いつきを言い合っているだけ」という千葉大教育学部の藤川助教授の批判には説得力があります。

 野依座長はご自身の経験から理想の教育を考えておられるのでしょうが、あまりに経験主義的で一般性がありません。ノーベル賞受賞者さえ出れば後はどうでもいい、というのは国家が必要とする教育ではないのです。野依さんみたいに「学校に行って、部活もやって、休憩してご飯も食べて勉強した」というのでは今の東京の進学競争では著しく不利でしょう。大学で才能が花開くまでに多くが振り落とされてしまうのが現状です。野依方式で東大に入れるのは、それこそ自宅学習だけで100点が取れるような天才に違いありません。でも他の多くの学生に対しても国には教育の責任があります。多数の教育水準を高めなければこの国は生き残れないからです。

 どんな優秀な教師であっても、意欲も能力も多様なクラス40人を最適に指導できるものではありません。日本の児童、学生が何とか学習能力を維持しているのは、学校外の学習塾など民間教育産業の貢献が大きいのです。これを「商業主義」と批判するのはおよそ21世紀の責任ある人間とは思えません。少数の児童や学生だけ引き上げればいいのなら、お金のことはあまり考えなくていいでしょう。しかし、児童や学生を巨大なマスとして見るならば、教育の少なくとも一部を商業資本の手に委ねるのが遥かに効率的だからです。

 教育で利潤が得られるから企業が参入し、競争が生まれる。そして効率的な指導法や優秀な指導者が生まれる。企業は利潤を得て、児童は学力を身に付ける。これのどこが悪いのでしょう?利潤を求めて真剣に経済活動に励むことが、結果として社会の利益に繋がる。これは別に昨今の規制緩和絡みで言い出されたことではありません。私の乏しい社会学の知識でも、前世紀の初めにマックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でこのような主張をしているぐらいは思い出せます。野依座長の感覚はもっと古いので、20世紀どころか19世紀のものかも知れません。こんな視野狭窄の専門馬鹿を座長にして、幅広い教育問題を論じようというのが笑止です。

 こんな無教養かつ無責任な放言だけ遺して形骸化した感のある教育再生会議のことを、なぜ今頃思い出したかと言うと、ひとつは南山小学校の幹部が説明会で野依座長と同じようなことを言っていたからです。放課後も学習時間を設け、塾に通わないでいいようにする、と。今にして思えばこれも19世紀的な発想で、そう言えば南山学園の母体である南山教会はカトリックでした。カトリック関係者はウェーバーなど読まないのかも知れませんし、南山小学校の幹部は経済活動というものを頭から信用していないのかも知れません。

 察するに、どうも南山大学の経済学部や経営学部関係者は小学校運営に関与していないようです。南山小学校新設(戦前に接収された小学校を考慮すれば再設)の意義として、「小学校から大学までの一貫した教育」が高らかに謳われていたのですが、これまで公表された資料を分析した限りでは、小学校の運営には南山教会関係者の意向ばかりが強く反映しており、小学校から大学への一貫性には疑問ありです。

 これが南山教会です。付近は南山学園の建物が立ち並び、「南山学園村」のような雰囲気になっています。街路樹や保存された木々、クラシックな建物と坂のある街が調和して、散歩にはいい所です。残念ながら車が多くて少し騒々しいですがね。

 ともかく、全国の大学で研究や教育の一線に立っている世代も、もはや学習塾や予備校の世話になった人が多くを占めているので、懐古趣味の野依案がまともに受け取られる可能性はほとんどありません。学習塾はよく批判の材料として使われるような「実力は付かないけど点を取るテクニックだけ教えてくれる」場ではありません。反証は単純明快。存在意義不明のレベルの低い大学ならともかく、まともな大学がテクニックだけで入れてくれるものですか!もし学習塾が受験テクニックだけを教えていると言うのなら、そんなテクニックだけで解けるような入試問題を出している大学が悪いのです。

 教育再生会議を思い出した理由の2つ目は、今頃になって中日新聞に松原隆一郎東大教授が同様の批判を寄稿していたからです。なぜ今になって、とかなり奇異な印象を受けましたし、松原さんも教育の専門家ではありませんが、内容は野依案を批判したものです。私も2月に同じような批判を「日経ネットPLUS」に投稿した覚えがあります。

 教育においても「官から民」への流れは続いていますし、生き残りを掛けた「官」の反撃も見られます。都立高校の改革は「官対民」の好例です。「官から民」は東京に見られるような私立学校志向だけではなく、塾や予備校に任せられる部分は任せた方が効果が大きい、ということでもあります。競争を勝ち抜いてきた民間教育産業の活力や能力、経験は相当なものであり、学習指導の点では多くの学校を圧倒するからです。

 学習指導以外に幅広い使命を受け持つ学校が、(たとえ私立学校だとしても)その一点に特化した学習塾と張り合うのは大変なエネルギーを必要とします。一般に学校への家庭の要求は多様化しており、学力向上に対する動機や責任はぼけやすくなります。学校での長時間の補修や補講は、学力充実を最優先とした進学校以外では無駄が多いと言えましょう。それより早く児童を解放して、塾に通う子は通わせればいいのです。

 南山小学校は特に進学校を目指さないと言及しています。それなのに敢えて学習塾と時間を取り合うという無駄をやろうとしているのでしょうか。もしその通りなら、私は南山小学校の中身について期待しません。新しい校舎も、時代に抗った学校経営のシンボルとして記憶され、東京からいずれこの地方にも波及するであろう「官から民」あるいは「官対民」の厳しい競争から取り残されるだけです。

 南山小学校は、建物以外に、21世紀を生きる児童にふさわしい入れ物を用意しているでしょうか?例えば、将来的に南山大学の経済学部や経営学部の発展に貢献できるような人材を輩出できるでしょうか?私の見たところ、関係者があまりに古い思想で小学校運営を始めようとしているのではないか、と危惧されるのです。「新しいワインは新しい皮袋に」とは聖書の言葉だったはずです。
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期待されない「ダビング10」

2007年10月12日 | たまには意見表明
 日本のホームシアター愛好者の代表格である麻倉玲士さんが、コピーワンスの緩和策である通称「ダビング10」を批判しています。ご自身がエンドユーザーとして映像を享受している人だけあって、発言の内容は一般ユーザーにも納得できるものです。コピーガードの十分な緩和が実行されない限り、素晴らしい画質を提供するブルーレイディスク(BD)も本格的に普及することなく終わるでしょう。

 名古屋に住む私の周りにも、「ダビング10で便利になったからデジタル放送を見ることにした」という人はいません。近所の家のUHFアンテナは、相変わらずアナログ送信タワーのある八事方面を向いており、デジタル送信用に新設された瀬戸タワーを向いている物は見たことがありません。

 麻倉さんのようなハイエンドユーザーが満足しない仕様では、それを追いかけるヘビーユーザー層も本格的に機材に投資しないでしょうし、一般ユーザーもそれに続きません。コピーワンスやダビング10を強引に導入した人たちは、このようなユーザーの階層構造を理解していなかったとしか考えられません。消費者代表を自称する高橋伸子が同意したって?だからどうなんだ。あんな人、経済界のサポーターであってエンドユーザー代表じゃないでしょうが!

 資金に大きな制約のある一般ユーザーは、ヘビーユーザーがいろいろ試行してくれた結果、「今度のはいいよ!楽しいよ!」と言ってくれるのを待っているのです。クルマだって、カメラだって、テレビだって、新しいものはいつでもそうだったじゃないですか。地上デジタルにはまだヘビーユーザーの「ゴーサイン」が出ていないのです。

 目下の地上デジタル普及キャンペーンは、要求の多いハイエンドユーザーやヘビーユーザーがテレビ離れしても、一般ユーザーさえ取り込めば視聴者が確保できると思ってのことでしょうが、とんだ考え違いです。「高価で、不便で、先行き不透明」という評価が定着してしまった地上デジタルに、商品知識の乏しい一般ユーザーが簡単に乗り換えるという予測は楽観的に過ぎます。少なくとも、麻倉さんが満足しないような機器を私は高値で買おうと思いません。2011年7月24日以後も延々とサイマル放送を続けたくなければ、「アナログでできることはデジタルでもできる」とユーザーに確約するしかないと思います。
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名古屋市の政策について

2007年09月27日 | たまには意見表明

 名古屋市が18歳未満の子供あるいは妊婦のいる家庭に配布を始めた優待カード、「ぴよか」です。名古屋市が協賛業者を募り、このカードを見せると業者の好意で優待が受けられる、という仕組みらしいですが、まだ協賛業者のリストが発表されていないので、具体的なサービスはわかりません。

 ただ、まともな業者ならこんなカードがなくても既に子供に最適なサービスを提供しているでしょうし、これを見せたからと言って大きくサービスが違ってくるものでもないでしょう。協賛する企業にとっては、子育て支援という名目よりは、名古屋市の顔を立てるという側面のほうが強いのではないかと思います。少なくとも、このカードがあるから名古屋市の出産率が上がるとか、転入してくる家庭が増えるとかいう効果は望めないでしょう。お金もたいして掛からないでしょうが効果も薄い政策と思われます。

 もうひとつ、名古屋市の政策で引っ掛かるのが「広小路ルネサンス」計画です。名古屋都心部の東西を結ぶ幹線である広小路の車線を半減し、歩行者中心の構造として「歩く楽しさ」や「地上のにぎわい」を演出しようというものらしいです。

 名古屋市で最も交通量の多い道路の車線を減らしてしまえ、と言うと暴論のように聞こえますが、計画区間である伏見から栄の800mの区域は、元々違法駐車や客待ちのタクシー、荷降ろしのトラックなどで走行車線は慢性的に塞がれており、これを除去できるのなら車線が減少しても実態は変わらないと見られます。

 違法駐車は論外として、タクシーには乗り場を整備すればいいのでしょうが、荷物の積み降ろしにはどう対応するのでしょう。敷地内で積み降ろしのできる大型店舗ばかりではありませんから、どうしても道路や歩道を一時借用、ということになってしまいます。片側1車線しかない道路を塞げば、かつての歩行者天国よろしく交通が麻痺しますし、歩道への乗り入れを黙認するなら、現状の違法駐車車両も歩道に移動するだけのように思います。

 こんな既存の幹線道路を塞ぐようなプランではなく、不相応に広い若宮大通り(100m道路)の分離帯を安く貸し出して、博多のように屋台を出させるなど、お金の掛からない方法を考えたらどうでしょう。若宮大通りの中央部分は名古屋高速のガード下で雨の影響が少ない、まさに「地上のにぎわい」の背景として好適な場所ですが、現状では無計画に小公園や駐車場、ゲートボール場などに使われており、かなりの部分が貴重な都心の空き地としては不相応な低利用ぶりに泣いています。

 せっかくの小公園も、屋根があることと水の便、トイレの完備を好都合と見たホームレスの住居に占拠されており、とても子供を遊ばせられる雰囲気ではありません。時折、強制的に排除したりしているようですが、元々あまり使っていない区域なので説得力がありません。ホームレスが被害意識を抱くのも無理からぬことです。

 ここに仮設建築による店舗を認めて屋台街を造れないものかと思います。駐車場は広小路よりずっと簡単に確保できますし、低予算で出店ができるなら、例えば名古屋に在住の外国人による中華街やタイ人街、ブラジル人街などができるかも知れません。ビジネスビルの1階にチェーン店のカフェとコンビニができるだけ(と私は予想している)の広小路ルネサンスよりずっと面白いと考えますが、どうでしょうか。

 都市の活気は、つまり人の活気です。出店コストの高い広小路の高層ビルのテナントでは、冒険ができません。勢い、全国で実績のあるスターバックスとかセブンイレブン、マクドナルドなどが一等地を占めてしまうでしょう。そんなどこにでもあるような商店街が全くダメとも言いませんが、何も新しいものが生まれないのでは、巨額の費用と渋滞による不便を代償できません。起業の敷居を低くして産業を活性化するのも行政の役割なのですから、ここは広小路ではなく若宮大通りの再生のため、名古屋市に思い切った手を打って欲しいと思います。
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辞任ネタ二題

2007年09月13日 | たまには意見表明
 安倍総理大臣が唐突に辞任を表明したことについて、様々な論議が飛び交っています。多くの指摘通り、所信表明の直後という常識では考えられないタイミングの辞任表明は、何か「裏事情」の存在を疑わせるもので、あれこれ憶測を巡らせる原因になっています。

 有力なのは健康不安説で、慶応大学病院への半日掛りの受診などを根拠として、持病の消化管疾患(潰瘍性大腸炎などと推測されている)が思わしくないのではないかと言われています。これは本当かも知れませんが、それならこのタイミングで辞任という根拠として弱いように思います。参議院選挙で大敗して批判が強まる中、一応は自民党内部をなだめて続投が決定した矢先ですから、自民党にとっては折角くっついた傷がまた開いた、という感じで非常にまずい展開です。

 潰瘍性大腸炎は慢性疾患ですから、診断そのものは前からついていたはず。急激に悪化することもあるでしょうが、それなら通常の活動はできないはずですから、辞任よりも緊急入院が先です。どうも持病の単なる悪化だけでは今回の辞任を説明できないように思います。

 潰瘍性大腸炎からは通常より高い確率で大腸癌が発生するとされています。手術が必要な癌が見つかったのなら、業務をすべて放棄しての辞任も正当化されるでしょう。しかしそれなら病状を公表するはずです。手術で入院なら隠しようがありませんから、健康不安により政治家としての影響力が低下することも受忍せざるを得ないでしょうし、隠すことで必要以上の憶測を呼ぶことになりかねません。これも今回には当てはまらないようです。

 やはり苦労知らずの「お坊ちゃま総理」が、自分の言い分が通らなくなって職務を放り出した、ということなのでしょうか。自分の立場が強い時は問答無用の強行採決を乱発し、弱くなったら途端に熱意を失う、というのはなるほど子供みたいです。しかもオーストラリアで「テロ対策特別措置法が延長できなければ辞める」と宣言しましたよね。参議院選挙で日本国民から不支持を付き付けられても居座ったのに、アメリカに対しては責任を取るということですから、「この人は一体どこの首相だろう?」と感じるのが普通です。

 あと当初から指摘されるのが安倍さんの決断力不足ですね。スキャンダルが明るみに出た閣僚を留任させるのも、巷間に評されるような「お友達」なのではなく、経済評論家の山崎元さんが言われるように「冷たい男だが、グズ」なのだと思います。

 私はこのタイミングでの辞任表明は、わざと自民党を混乱させようとした「当て付け」ではないかと思います。昔から馬鹿殿が家老に反発して政治を乱す、という題材は歴史物の小説にはしばしば見られるパターンです。岡崎の家来衆に反発して横死することになった松平広忠(徳川家康の父)、武田信玄の遺した甲斐の繁栄と天下一の騎馬隊を自分のものにできなかった勝頼、劉備の死後は馬鹿殿として諸葛亮を悩ませ、蜀漢を崩壊に導いた劉禅(阿斗)など、いくつも挙げられます。

 これらの例が歴史的な事実であるかどうかはわかりません。しかし自分を抑える者に対する反発が、時として権力者に自滅的な行動を取らせるという展開は世の中によくあることであり、それが歴史的人物の名を借りて描かれることが珍しくなかったのは確かなことです。あまり苦労したことのないお坊ちゃんにとって、目に見えるのは自分のごく近辺であって、様々な次元や階層のある広い世界ではないのです。

 安倍総理の辞任が「駄々っ子のようだ」と評されていますが、「駄々をこねる」のは確たる対象があってこそ反発するわけです。国民全部を敵に回して反発するわけにはいきませんし、そもそも安倍さんの念頭には国民の顔なんかほとんどないのでしょう。彼の目には、自分の好きなようにさせてくれないのは国民ではなく、野党でもなく、自民党の長老だと映っているのではないでしょうか。

 感情的なナショナリストである彼は、政権を握るとまず憲法改正を目標に据えました。これは参院選の大敗により棚上げ状態となりましたが、本音としては国家主義的な政策を実行したくてたまらないはずです。実務家でない安倍さんとしては、年金や外交など、実務的なことは「美しい日本」の実現から比べると次元の低い問題に映るのでしょう。これを抑えられたことに対する反発が、「自民党を困らせてやろう」という最悪のタイミングでの辞任に繋がったのだと私は想像します。もちろん、本当のところはわかりませんけどね。

 もうひとつの辞任ネタは、ずっと問題が小さくなりますがやはり有名人、大相撲の横綱朝青龍です。横綱審議委員会、という相撲を取ったこともないような著名人からなる審議会がありまして、その委員である内館牧子(うちだてまきこ)さんが「個人的な意見」としながらも朝青龍に引退を勧告しています。

 委員会の合意として、譴責(けんせき)よりも解離性障害の治療を優先させることを決定していたはずなのに、一部の委員が抜け駆けして持論を述べるのは極めて軽率な行為であり、委員会の決定を軽視するものです。一般のファンの好き勝手な意見とは異なり、横綱の進退を左右する責任があるのですから、もっと慎重であるべきです。

 この人は元々「朝青龍嫌い」で知られており、今回は日本相撲協会とファンの希望よりも自分の個人的な好き嫌いを優先させたと見られ、「朝青龍を潰す好機」と見て圧力を掛けてきたのでしょう。非常に乱暴で下品な行為だと思います。委員会の中でもとりわけ朝青龍の品位について厳しい立場であると言われる内館さんですが、ボクシングも含めた格闘技全般を愛好しており、世間では朝青龍よりも批判の強い亀田ファミリーを擁護する発言があるなど、相撲の品位を重視すると言うよりは、単なる「朝青龍憎し」で凝り固まっている印象があります。

 女性初の横綱審議委員という話題で迎えられた内館さんですが、女性であると言う前に委員として適任ではなかったと思われます。横綱審議委員会に自浄作用があるならば、朝青龍の引退勧告より先に内館牧子さんの辞任勧告を出すべきです。ファンの広がりを期待して女性を選んだと言うのなら、今度は代わりの委員にハワイやモンゴル出身などの外国人を選んでみてはどうでしょう。そろそろ外国人のことをよく知っている人に助けて頂く必要があるのでは。
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