いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

斜里町におけるカーゴ・カルト(積荷信仰)

2009年07月15日 | 医療、健康
 「新しい時代だ。ご先祖様の霊が戻って来て、ワシらに何もかもお恵み下さる。あの白人の大きな鳥、カーゴ(積荷)はご先祖がお遣わしになったもんだ。白人と同じようにやれば、これからは猟も焼畑作りもいらねえ…」

 カーゴ・カルトあるいはカーゴ信仰、直訳すれば積荷信仰、という言葉を初めて見たのはもう30年近く前、諸星大二郎さんのコミック「マッドメン」シリーズを読んだ時だったと思います。本来はニューギニアなどで戦時中に基地建設を急いだ米軍が大量の物資を持ち込んだため、近代文明に接したことのない現地人の伝統的な価値観が崩壊し、圧倒的な物資を信仰の対象にしてしまった不幸な出来事を指すものだと思います。

 「カーゴ」の魔力に取り付かれた現地人たちは白人がいなくなってからもカーゴの再来を願い、ジャングルを切り開いて滑走路と管制塔のようなものを作り、藁で飛行機を作ってカーゴを呼び寄せる儀式を行ったそうです。確かに特異的な信仰であり、当時の文化人類学者の興味を大いに喚起したことでしょう。

 ただし、それまで持っていた価値観が覆されるほどの世界を覗き見た、あるいはその存在を強く信じる人たちが取る行動はかなり似通ったもので、例えばUFOを救世主として崇める人たちが世界中にいて、「異星人の超文明で人類が救われる」などと発言しているように、メラネシアの人たちが特にカーゴ・カルトの素地を強く持っているのかどうかはわかりません。太平洋戦争が終わり、近代文明と接したことのない人たちに対する我々の姿勢が慎重になったこともあって、少なくとも典型的なカーゴ・カルトはほぼ消滅したと言われています。

 私もこんな用語をほとんど忘れていたんですが、世界遺産の知床半島で知られる北海道斜里町の国民健康保険病院(以下国保病院)をめぐる医療崩壊事例を調べるうちに、斜里町役場にぴったりの言葉に思われてきました。

 斜里町の医療体制が大変なことになっている、と最初に教えて頂いたのは地元の方のブログ「さと日誌」からですが、経緯は栂嶺レイ先生のブログ、「ちぎれ雲」に詳しいです。斜里町には国保病院という総合病院(ただし内科、外科、小児科、産婦人科の4科のみ)があります。ベッド数は111。住民の高齢化を反映して内科の入院患者が多く、また一次および二次救急の負担も大きなものです。

 国保診療施設概要によりますと、職員総数(非常勤は時間を計算して相当数の常勤に換算)99名のうち医師は5名。それより新しいと思われる求人情報によれば4名。111床で4名ですか。各科1人ずつしかいないってことでしょうか?現在、内科がたった1名だということは「ちぎれ雲」にも書いてあります。これで入院患者の診療のみならず外来、検査、1日10件(内科は半分とすれば5件)の救急まで要求される。正気の沙汰じゃないですね。ここの医師はいつ寝るんですか?

 3年前までは内科の常勤医師が3名いて、忙しいながらも何とか仕事が回っていたようです。しかし1名が退職しても町は動かず、2人目が退職しても傍観するだけ、でついに今の惨状を招いたわけです。患者さんにとっては不幸中の幸いに、ただ1人残った野津医師は極めて体力と気力に優れた人で、持ち前の責任感からご自身と家族を犠牲にして頑張ってきたようです。野津先生のホームページと日記をご覧下さい。とうとう来年3月で退職を決心されたそうですが、普通の医師はここまで頑張れないですよ。

 学生時代は陸上に打ち込み、100メートルが最速で11秒3、その後は(普通はうまくいかない)長距離に転向してフルマラソン3時間以下。すごい努力家ですね。学会発表にも精力的であり、この並外れた体力と知力、そして情熱をつぎ込んでこられたのがよくわかります。この尽力が報いられなかったのですから、痛ましいとしか言いようがありません。斜里町はこんな人間国宝みたいな医師に去られて、代わりが見つかるとでも思っているのでしょうか?求人のページにクリオネなんか載せたって駄目だってのに!

 野津医師の自己犠牲がほとんど省みられなかった原因のひとつに、「ちぎれ雲」は村田町長の姿勢を挙げています。この町長、斜里町の財政再建を優先して国保病院の民営化を争点に当選したらしいですが、実は当てがあるわけではなくて、町議会では「日赤と厚生連に接触したが感触は厳しい」とか答弁した模様です。最新の定例町議会の会議録はまだ公表されていないので確認できませんが、本当だとしたら詐欺に近いですよ。どうして見込みもないことを公約にできたんでしょう?隣の北見市には日赤病院がありますが、内科医の同時退職や移転問題などでごたごたが続いており、決して市の負担が少ないわけではありません。また斜里町国保病院のような赤字体質の病院を任せようと思ったら、相手が日赤や厚生連だろうが、オリックスだろうが、応分の負担や担保を要求されることは確実であり、村田町長が考えるような「年間4億円の財政負担を軽減」は絵空事に過ぎません。

 「ちぎれ雲」で引用されている村田町長の発言はカーゴ・カルトそのもの。「民営化」という調子外れのお題目を唱えていれば、お金のある団体がすべて引き受けてくれるとでも思っているのでしょうか?この計画性のなさでは、カーゴ欲しさに滑走路や管制塔を作って踊る人たちを笑えないでしょう。会議録が公表されたら、町長の踊る姿が行間から見えるかもしれません。地に足の着いた行政を進めていかないと、今のままでは高知医療センターみたいに、民間企業の絶好のカモになる可能性もありますよ。

 今の時点で、救いはさとさんみたいに危機感を持つ町民がかなりおられることですね。16日に町民集会があるそうなので、また経過を教えて頂けるかと思います。
コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木登りがしたい | トップ | 手製ホグワーツ特急 »
最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さと)
2009-07-22 20:13:32
こんばんは~
先日コメントを書いたつもりでいたのですが、
どうやら失敗しちゃったようです

町民集会では明確な解決策はでませんでしたが、
町民の意識が変わりだしてる感じがします
(あたしも含めて)
信頼できる町議の方もいらっしゃるし、
みんなで町政に働きかけることで、変化をおこせたら・・
時間がないし、悠長な事は言ってられないのですがね
返信する
Unknown (enagoya)
2009-07-23 09:29:14
ご訪問ありがとうございます。少なくとも、町長は拙速な民営化を断念したようですね。後は現実にできることから進めるしかないと思います。

さとさんや桜井町議のブログにコメントしている「通りすがり」さん(同一人物でしょう)みたいな人がどこにでもいるのですよね。こういう人は論理のすり替えに自分でも気付いていないので厄介です。

医師不足で問題になる地域では、住民が仕事を怠けてるなんて誰も言っていないのに。「ちぎれ雲」でも住民が尊重されるのと同じように医療職員を尊重して、医師が働きやすい環境を整えることが住民の利益になる、と言っているだけなんですけどね。

医師の精神構造は職人に近い場合が多いので、自分の仕事に専念できる環境があり、家族が不自由しなければ極端な厚遇を望まない人が多いと思います。ただ、優秀な医師は当然他の地域との取り合いになりますので、他より明らかに安い給料では取られてしまうことになります。医師の求人状況や給与相場をよく知らないとうまく交渉できませんので、例えばA企画さんみたいなコンサルタントに入ってもらうのも手だと思います。
http://consultanthokkaido.web.fc2.com/Menu.html
返信する
Unknown (通りすがり)
2009-08-05 20:03:33
こんばんは
桜井議員のブログに書き込みはしていますが、さとさんのところには書き込んでいません

さとさんのブログを先ほど拝見させていただきました。
該当すると思われるコメントは確かに言葉遣いのレベルは私同様のレベルですが、私と意見は異なります。
御本人も実際そういう意見を持っているわけではないでしょう

私の書き込みが不愉快で気分を害されたのでしたら謝罪します。

私は医師の「そんじょそこらの斜里町民より斜里に貢献してきた」という「そんじょそこら」と言う表現が医療職員を尊重して、医師が働きやすい環境を整えることにつながるとは思えなかったのです。
もしそうならそれこそ理論のすり替えと思うのですが

お年寄りが特に女性が権力者に逆らわないとしても生きてきた時代を思えば仕方ないともいえます。
それを非難する権利は私にはありません
身から出た錆といえるような結果が彼女たちに訪れたとしてもそれを「馬鹿」と呼ぶ医療職員を無条件で尊重する義務が町民にあるのでしょうか?
医療職員を尊重すると言うのはもっと別次元の事ですよね?
なら一部私の書き込みと大差ないレベルの言葉遣いのブログを医者が公開しても良い結果に結びつくとは思えません。
必ず遺恨を残します。
出て行ける人はいいです。
でも住み続けなければならない人はいるのです。
実際私も町民ですし
それでも医者がいなくなるのよりはマシと我慢しなければならないとしたら、斜里町には行政も自治も不用です。
それこそ白人ならぬ国が地方交付税配ってくれるのを待っていればOKです

実際民営化論議はこの町長以前からありました。
実際かなり前に集会が持たれたこともあります
国保病院は地域では余り評判のいい病院でなかったのは現実です
町による運営に限界を感じていたのは町だけじゃなく町民の一部もそう思っていたのです

結果民営化も他の法人等による運営代行も現段階では可能性が無い以上、斜里町はお金を用意して十分な医師を確保するしかないですよね?
正直数十年前から我々の田舎で繰り返されてきた事です
正直斜里はゼロからじゃなくマイナスからのスタートでしょうから上手くいかないでしょうけど

あなたは専門家でらっしゃるので事例の一つとして嘲笑することも可能でしょうけど、私たちは諦めに似た気分でいます

昔々私たちの町のある地域では街に歯科医が来て欲しくていろんな努力をしたけどダメで、結局住民達が歯科医院を建設し台湾人の歯科医を招いた事がありました
結果は散々でしたが
今でもその地域では医者が退職の意思を示すたび手を変え品を変えで慰留したり
町や地元財界の長などが各方面に出向いてようやく医師を確保するのです
道立の診療所なのに。
そういうのを見聞きして私は育ちました
僻地では全国何処でも昔から同じようなものだったと思います。
その範囲が少し医師不足で広がったと言う事なのでしょう
魅力の無い自治体、魅力のない病院、過酷過ぎる勤務、安い報酬、旧態依然の権力志向の長
そういう地域では医師の確保が困難なのでしょう?
斜里は多分それに加えて今回の問題もあり最悪の条件なのでしょう?

でも町民はの専門家ではありません。
いろんな方向を模索する事事体は馬鹿げたことではないはずです。
「民営化でよくなる」と信じた事自体は心情的には私には理解できるのです

御不快でしょうから私に対する返信は必要ありません
ブログを汚すだけなのでこの投稿を反映していただく必要もありません

では
返信する
Unknown (enagoya)
2009-08-07 15:01:13
通りすがりさん、ご訪問ありがとうございます。さと日誌の「傍観者」さんと混同したのは私の早とちりです。済みませんでした。

ただ、ネット上では顔や声がわかりませんし、背景も不明ですから、このような間違いを防ぐために区別しやすい固定ハンドルを使って頂きたいと思います。釈迦に説法とは思いますが、他人を批判する場合には原則として本名か通名、固定ハンドルを名乗って再反論にも甘んじるのが最低限のマナーだと考えます。

私も栂嶺レイ先生と面識があるわけではないので、先生がどのような意図できつい書き方をされたのかは推察するしかありません。しかし桜井町議のコメント欄に「しん」さんや「よこやり」さんが書かれているのを見れば、先生が住民を貶めるような人でないことはわかります。

少なくとも、斜里町の医療の最前線で踏みとどまっている人が、ごまかしを排して実名(あるいは固定のペンネーム)でブログを書いているわけでしょう。身分は割れているわけですから、自分の立場を掛けた諌言と言うべきものではないでしょうか。昔から「忠言耳に逆らう」と言うではありませんか。この問題は他力本願では何も解決しない、という現場からの提言だと私は解釈しました。

次は私のブログについてですが、私が斜里町の住民を「事例の一つとして」嘲笑したという根拠をお持ちでしょうか?私は無責任な町政をカーゴ・カルトに例えて批判した覚えはありますが、一般住民を貶めた記憶はありません。

為政者の責任は一般住民より遙かに重いものです。住民は(少なくとも最初は)無知でも構いませんが、首長が同じレベルではまずいでしょう。現場の意見も聞かず、民営化の事例も調べず、大学の医局やコンサルタントとも連絡を取らず、ただ頑張ってきた職員の雇用を不安にし、精根尽きた内科医に罵声を浴びせる程度の低さや、労働条件の改善もせずに次の医師を欲しがる常識のなさは、飛行場を作って踊っていれば物資が空から降ってくる、と信じた原住民とどう違うのでしょう?今回の事件で町長の目がようやく覚めてきたことは、遅きに失したとは言え歓迎すべきことです。

詳しくはA企画さんのホームページでも見て頂ければよくわかりますが、病院運営や医師の招聘に失敗する自治体にほぼ共通するのは、「医師も人間である」という視点を忘れ去っているということです。もちろん収入が多い方がいいし、仕事が楽な方がいい。しかし、大事なものがあれば少しきつい条件でも頑張れるものなんです。「意気に感じる」とでも言いますか、自分の苦労をわかってくれる人がいれば自分のことや家族のことは後回しにしてもいい。それを体現されたのが他ならぬ野津先生ではなかったですか?もう少し町政が現場の問題に対応していれば、この破局は避けられた可能性が高いのです。

野津先生がついに力尽きて斜里を離れられることはほぼ動かしがたいようですが、決して斜里町が嫌になったわけではないのでしょう。私が町長なら、今までの先生の功労に感謝して非常勤のアドバイザーになって頂き、次の医師招聘に口添えをして頂くことを考えるでしょう。それが無理なら、せめて野津先生とこれ以上の関係悪化を避けて、大学と亀裂が入らないようにするべきです。
返信する
Unknown (ギズモ)
2009-08-30 21:04:15
はじめまして
自分も前は斜里に住んでいたので興味深く拝見させてもらいました

救いは危機感を持つ町民がかなりおられることですねとのことですが、その危機感をお持ちのブログ主の方やその方のお知り合いのブログ主の方のブログを拝見したところ、後両名とも職場写真からぽると21にお勤めの方と推察しました。
斜里町の保健医療関連施設で斜里役場の保健福祉部でもあるぽると21にお勤めの関係者の方の御意見や危機感は一般町民の抱く危機感とは違うのは当然と思います。
返信する
Unknown (enagoya)
2009-08-31 13:51:08
ギズモさん、ご訪問ありがとうございます。なるほど、医療関連施設にお勤めの方なら現場の危機がわかって当然ですよね。私は斜里町には観光客として立ち寄ったことしかありませんが、全国どこにでもある自治体と医療機関の軋轢は見逃せない問題であり、斜里町においては現状を冷静に伝えて下さる方がおられる以上、これからも注目していきたいと思います。

斜里町に友人がいるわけではないのですが、紋別の小山旅館の息子とは一緒に仕事をしたことがあるので、住民の方々にとって状況が好転することを期待はしているのですよ。私は内科じゃないし、北海道の大学につてもないので直接お役に立てないのが残念ですが。(小山旅館は彼が継がないので廃業したようですね。)
返信する
Unknown (ギズモ)
2009-09-01 12:32:47
渡辺淳一氏の「流氷への旅」ですね
最後まで医者つながりでしたね
返信する
Unknown (通りすがり)
2011-07-16 18:07:39
さと日誌の方の職場がどこかは存じませんが、
映っている写真の多くはぽるとではなく斜里町立博物館だと思います。
町職員なのか、嘱託職員なのかはわかりません。

斜里国保病院問題の出発点は相当昔と思います。
それが政治色を帯びたのは2007年の町長選の時なのではないかと思っています。
病院内部にも町にも問題解決の必要性があるのは牛来町政時代から周知の事実でした。
牛来氏の勇退後、後を引き継ぐべき新人候補2人の国保病院問題に関する選挙公約は対照的でした。
町財政による赤字補てんが当時3億円以上にも膨らんでいた国保会計に関して、革新系で民主党所属の道議だった保村氏は「町営の継続で安心を確保したい」とし、
保守系町議会議員で地元紙の社主だった村田さんは「町直営では財政がもたない」と公設民営を主張していました。
結果、町民は村田氏を選びました。
その理由が牛来町政の路線に近いと町民が感じた保村氏より、保守系の村田氏を選んだからか、病院問題なのかはわかりません。
http://www.izai2.net/touitu.html

その後、常勤内科医師のブログによる告発や非常勤医師のブログにより斜里国保病院問題は全国に報道されました。
そして非常勤医師の方は2007年の町長選以前から保村氏と面識や関係がありました。
そしてその政策も支持してらっしゃいました。
http://blog.goo.ne.jp/reitsugamine/m/200701
http://blog.goo.ne.jp/reitsugamine/m/200704

ちぎれ雲やさと日誌等を見た町内外の方々から村田町長はその公設民営化という方針も国保病院対応も激しく非難されます。
それを選挙公約にして町長選を勝ち抜いたというのに。
町民の中の誰一人として自らの責任や選択を思い返す人はいませんでした。
すべては町長のせいであると。

その後町長は町のかじ取りに苦しみ、2011年の町長選では新人の馬場候補と戦うことになりました。
両候補とも国保病院への町としての最大限の支援を公約としていました。
結果としては国保病院問題に対する対応のネガティブイメージからか村田氏は落選をしました。

結局、公設民営化は文章の上でのプランのみで終わってしまい、具体的な検討もなく消えてしまったようです。
何とか新しい常勤内科医を確保することに成功し、非常勤医師と合わせて何とか内科診療は継続されています。
そしてその結果なのか、当然の事として6億円にも膨らんだ国保病院の年間赤字を人口わずか1万3千人の町民が税で負担していく結果になりました。

斜里町は世界遺産しれとこを抱えた観光名所であり、観光産業も盛んです。
サケマスの水揚げ高も全国一
ジャガイモ、ビート、小麦などの主要3品目の生産高も大でこの管内では突出して産業生産高の高い街です。
しかしそれでも町財政はひっ迫しています。
町政の誤りもありますが、国保病院運営にのしかかる重い負担もその一員であるのは明らかと思います。
町民は最大限の住民税負担をしてもなお、一向に改善しない行政による住民サービスにいらだちを感じています。

斜里は鮭が一年不漁なだけで、一年の冷害で、震災の影響で観光が一年落ち込んだだけで運営に支障をきたしてしまうのです。
これだけ恵まれた環境で低空飛行しかできないのですから。

医師確保や病院維持は重要なのは当然です。
しかし病院をこのままの方法で支えつづけ、さらに街並み再開発問題などに支出の増大を抑制できなければ待っているのは確実に町財政破綻です。

国保病院問題表面化当時の論調が過度に偏ったまま燃え上がってしまい、町長までも交代という事態にまでエスカレートした影響も大きいです。

行政改革により支出を抑えて町財政を健全化し、そのうえで必要な事業や施策をという論議すら許されなくなってしまったのです。

まるで左翼の人が憲法改正論議そのものを反対するように、この公設民営化を含む国保病院改革を論議じることはタブーを通り越して、不可触と言えるレベルになってしまいました。
これが町民や選挙民の意思なのでしょうか?
患者や医師。病院や町にとって望まれた未来なのでしょうか?
ぜひ専門家でらっしゃるあなたの意見をお伺いしたいとおもいます。
返信する
Unknown (通りすがり)
2019-04-10 19:44:36
はやいものであの騒動から10年もの月日が経ちました。
同時に現在の斜里国保病院院長である合地研吾先生が騒動後に斜里に来てくださって間もなく10年になるということです。

一般の町民に病院の事情の詳細がわかるわけではありません。
でも多分今でも病院の財政問題や勤務状況の過酷さ等が完全には解消してはいないのではと想像しています。
それでも医療体制の充実、院長に対する信頼やその人柄のおかげもあって国保病院は町民からの信頼を取り戻しています。
むしろかつてないくらい信頼されているのではと思います。
国保病院で働く人達も以前より生き生きしてるように見受けられます。
あの時は斜里国保病院にお医者さんが来てくれる事自体があり得ないと思える状況でした。
そんな中で合地先生の様な立派な先生が来て下さった事は本当にありがたいことでした。
更にその後に沢山の先生達が斜里に来てくださる環境も整えていただきました。
今まで同じ斜里郡の隣町の日赤に頼っていた透析も今月から斜里国保病院で行える様になりました。
透析の為に斜里を離れる町民がいたり、日赤への透析バス運行に町が負担をしなければならなかったりする中で患者にしてみたらこれ以上ないくらいの朗報なのではないでしょうか?

国保病院も町民もいつまでも合地院長にばかりに頼ってはいられないとは思います。
でもいつか合地院長が国保病院を退職される日が来たとしても、今の国保病院と病院職員は大丈夫な気がします。
町と町民が病院運営をどう考えるかはまだまだ意識が追いついてない面があるでしょうが、
それでも正解のない問題に向き合う姿勢をもつようになった様に思います。
返信する
Unknown (元町民)
2019-10-19 13:04:37
いえいえ、国保病院はかつてよりマシになったとは言えそれは正直合地院長が居ればと言う話です。
院長の目の届かない範囲ではインシデントや患者の訴えも医者や病院に報告される事もなく放置が当たり前
他院に救急搬送すべき患者を相手の病院に確認もせず週明けまで治療らしい治療もせずただ病室に寝かせる、
別な患者の画像を紹介状と一緒に渡し三次救急病院に指摘されると逆切れ、
事務が三次救急病院や医者の指示に従わず紹介状を郵送して患者が転院した翌日に紹介状が届く、
夜終わる点滴を朝患者が起きてからナースステーションまで自分で行って外してもらう、
医療費の計算ミスは日常茶飯事、
救急車で運ばれた患者から有無を言わさず(後期高齢者や医療費免除世帯でも)預かり金として5千円徴収する
ノロで嘔吐下痢をしてる患者の隣のベットに外科で手術待ちの患者を寝かせる
それが斜里国保病院です
合地先生が院長に着任して信頼を取り戻した今ですらこの惨状です。
合地院長が永遠に院長で居てくれない限りこの病院に未来なんて無いです
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

医療、健康」カテゴリの最新記事