暑い中で草刈りをさぼっていたら、ぼうぼうに伸びてきました。
成長の遅いブルーベリーが埋もれそうになっています。さすがに重い腰を上げて、秘密兵器リョービAK-6000の出陣になりました。
ものの数分でこんな丸刈りに。さすがは文明の利器。
ヒマワリも暑さの中ですくすくと伸びて開花しました。
極楽息子(大)の宿題の資料調べに岩崎城へも寄ってみました。駐車場が広くないので、イベントで人が多いと停めにくいかなと心配でしたが、この日は何もなく空いていました。元々が小城なので公園としては規模が小さく、控え目な展望台としか認知されていないのでしょうか。
古地図みたいな描き方になっていますが、今の岩崎城の地図です。元の天守閣は今より少し右奥の、「古城の碑」とある位置にあったそうです。小牧長久手の戦いで激戦地になり、城を預かる丹羽勢は小勢ながら奮闘し、羽柴方の池田勢を大いに悩ませ、岡崎攻めの時間的余裕を失わせた末に落城。その後廃城となり長らく省みられませんでしたが、1987年に鉄筋コンクリートで再建されました。元の遺構などが残っていないため、再建天守閣に当時の資料はほとんど展示されておらず、日進市の歴史資料や児童の絵などが飾られています。
この辺りは尾張の織田と岡崎の松平の勢力がぶつかる地方だったようで、岩崎城も一時は織田方が支配するものの、名将とされた家康の祖父、松平清康がこれを奪い取り、その後松平のお家騒動で清康が憤死したために松平の勢力が減退。その隙に城主となったのが丹羽氏のようです。小牧長久手の戦いでは徳川方勝利のきっかけを作り、岩崎城は失うものの功績を賞され、各地を転封されながらも大名として江戸時代を生き抜き、最後は播磨国三草一万石として明治維新を迎えます。
各地を転封、と言うと幕府に警戒されているみたいですが、その逆に丹羽家は譜代大名の中でも幕府の信用が厚く、参勤交代を免除された定府(じょうふ)大名であり藩主はずっと江戸住まいでした。領地がどこにあろうと江戸表で将軍家の側近として気楽な生活ができたわけですから、石高以上に大事にされていたということです。
天守閣から見える資料館。資料も古戦場の資料館に比べると控え目で、宿題には物足りませんでした。入場無料ですし、たいした資料でもないのに内部撮影禁止も疑問。小牧長久手の戦いを再現したジオラマも、老朽化したエルモのフィルム映写機の画像や音がすっかり劣化しており、もう少し手を入れる必要があると思います。
極楽息子(大)の宿題に付き合って長久手古戦場に来ています。
ここは小牧長久手の戦いで羽柴秀吉方の武将であった美濃大垣城主池田恒興(いけだつねおき)、出家後は勝入(しょうにゅう)が戦死した場所とされており、勝入塚と呼ばれています。
郷土資料館にある合戦図屏風の模写。
池田勝入の母親は信長の乳母であり、父親である信秀の側室だった(ただし勝入の父親は信秀ではないらしい)ので、信長とは義理の兄弟です。従って信長が本能寺の変で討ち死にした後、勝入は織田家の重臣と目されていましたが、なぜか信長の次男信雄(のぶかつ)を擁する徳川方ではなく羽柴方に付きます。
勝入はかなりの策士だったようで、新参となった羽柴方で存在感を示したかったのか、徳川、羽柴の本軍がにらみ合っている間に別働隊を率いて一気に岡崎城を攻略しようとします。徳川の本拠地を占領すれば羽柴方の勝利は間違いないのですが、この作戦は別働隊としては行動が鈍く、手薄な岡崎に到着する前に、日進岩崎城を預かる丹羽氏重の小勢から必死の攻撃を受けて更に時間を浪費し、その間に徳川の大部隊に迫られて長久手での決戦となり、地の利に勝る徳川勢に撃破されました。
古戦場公園付近には、勝入塚、武蔵塚といった地名があり当時を彷彿とさせます。武蔵とは森武蔵守長可(もりむさしのかみながよし)のこと。勝入の女婿です。信長の小姓で本能寺で討ち死にした森蘭丸は実弟。長可自身も信長の将として武田攻めなどに功績があり、信濃に二十万石を拝領するほど重用されていたので、織田信雄のいる徳川方に付いてもおかしくなかったのですが、岳父の勝入と運命を共にします。
サファリワールドを巡る列車、ケニア号です。列車と言ってもレールはありません。連結型のバスみたいなものです。この他にレンタカーやら2階建てバスやら、いろいろな乗り物でサファリワールドを回ることができます。徒歩や自転車で回れるコースも整備されており、必ずしも乗らないと回れないわけではありません。草食動物エリアでは徒歩の方が動物に近寄れます。
立派な施設ですが、富士サファリパークに行ったことがあるので、特に新味はありませんでした。施設の広さを実感するには歩いた方が良かったかもしれませんね。ただこの日は本当に暑かったので、丘陵地を長く歩くのは苦行だったと思います。
やっぱりアドベンチャーワールドの目玉はパンダです。ここは冷房も効いていますしね。帰りに覗いたら、今度は優浜が木登りしていました。
熊の一族なので木登りは得意です。
なぜか登ってから下の笹に手を出します。
上で食べるのは楽しいんでしょうか。パンダ5頭を飼育するために全国から笹の提供を受けており、最近でも岸和田から大量の孟宗竹を譲り受けたそうです。5頭のパンダを飼育する施設は中国国外では異例であり、優秀な繁殖実績により白浜生まれのパンダが中国に次々と移転して本場での保存活動を支えています。長年の快挙も日本全国からの応援あってのことなのですね。
これは双子のパンダ「海浜」「陽浜」の片割れ。
この日は「海浜」「陽浜」の誕生日でした。
パンダにお祝いを書くコーナーがありましたよ。
楽しい動物園ですが、猛暑のため長居はきついです。出口に向かうところで鷹が一緒に写真を撮ってくれました。
最後は土産物屋に寄って帰宅です。お疲れ様でした。
パンダ人気にあやかって、観覧車もパンダ印。
観覧車の向こうには豪壮なリゾート施設が。会員制リゾートのエクシブ白浜です。写っていませんがこの左側に南紀白浜空港があります。1968年開港ですから歴史は結構あるのですが、利用は低迷しており定期便は羽田との1日3往復のみ。和歌山市からは関西国際空港の方が近いので、南紀白浜空港には南紀の観光以外に大きな利用目的がないためです。知名度上昇のために「パンダ空港」に改称する案もあるとか。
アドベンチャーワールド限定の、双子のパンダ饅頭。豚饅は他の売店にもありますが、餡饅はこの屋台だけだそうです。
小さくてかわいいですが、値段は2個で500円の重量級。商売上手だなあ。
これも目玉のイルカショーです。水泳選手の何倍ものスピードで自在に泳ぎ回るイルカには、このプールがとても狭く見えます。
音を聞き分ける能力が高いので、このようなシンクロジャンプも得意。
人間を鼻先に乗せて高速で泳ぎます。
揃って挨拶。愛嬌がありますね。こういうのを見ると、捕鯨に反対する感情もわからなくはありません。太地町で捕殺されているコビレゴンドウやハナゴンドウは、要するにイルカですから。ただ、広く食用にされている家畜だって、飼えばかわいいですよ。豚だって仕込めば芸をするので、鯨やイルカだけ特別だという根拠はありません。
驚異的なジャンプ力。
最後はスプラッシュタイムで、周りに水しぶきを浴びせます。
堪能しましたか?
サファリワールドにあるレストランJamboの料理です。その名もサファリプレート。アフリカ風お子様ランチみたいな感じです。Jambo!はスワヒリ語でいつでも使える便利な挨拶だそうです。
カレーも面白い形ですね。
極楽息子(小)はなぜか大きなハンバーグステーキ。あまりアフリカらしくないですが。
串本の夜明けです。これは橋杭岩。
西側に紀伊大島が見えます。1999年にくしもと大橋で本土と繋がり、格段に便利になりました。
串本節の最初の部分です。「仲を取り持つ巡航船」と続きますが、くしもと大橋の開通により巡航船は廃止されて観光船になっています。
朝も同じ会場でブッフェです。さすがに料理は朝食用の軽いものが多いです。
宿を出て向かったのがここアドベンチャーワールドです。戸外は強烈に暑くて、広い園内を歩き回るのはかなり億劫ですが。
何と言っても目当ては赤ちゃんパンダの優浜。上野動物園の記憶があるため一目散にブリーディングセンターに向かいましたが、全然混んでなくて拍子抜け。暑さに弱いパンダのために、天井に製氷機が据え付けてあり、かき氷みたいなのが落ちてくる仕組みです。
前日に1歳になったばかりで、まだ母パンダにべったりです。
少しだけ顔が見えました。
幸せそうなパンダの親子に喜びを分けてもらいました。パンダに会いたければ上野じゃなくて白浜が絶対のお薦めです。
1971年に開業した海中展望塔。今でこそ沖縄や大阪の水族館では、巨大水槽で自然に近い海の生物の生態を手軽に見ることができますし、スキューバダイビングも普及しましたが、ここは1970年開業の玄海海中公園と並んで海中展望塔の嚆矢であり、当初は大変な人出だっただろうと思います。一般人が簡単には海外旅行に行けない時代でしたし、沖縄も米軍統治下でしたから、宮崎や白浜のような擬似熱帯リゾートが異常なほどの人気を集めました。子供の頃は「新婚旅行とは飛行機で宮崎に行って、集団でフェニックスを記念植樹してくること」だと思っていましたから。
底部には潜水艦のような丸窓がいくつもあって、周りの海を見ることができます。
最初はこんな小物が見えただけ。
寄って来ました。立派な鯛です。
これだけ集まるのは、餌を撒いてるからなんですけどね。
さすがに鯛ばかりで飽きてきたな。深さ6mでは光のスペクトルが単調になるため、美しい桜色のはずの真鯛も目立たない濁った色になってしまいます。
これを上から見るとこんな感じ。もちろんここで釣りはできません。
展望塔外側のデッキから。後ろが太平洋に突き出た潮岬です。展望塔は潮岬の西側にあり、大島や橋杭岩は東側なので見えません。
お楽しみの夕食。ここは好きなものを選べるブッフェ形式で、利用しやすいのか外国人も多かったです。名産のマグロももちろん食べ放題。
地元の干物を焼いてくれるサービス。小さいしちょっと焦げ気味でした。干物にも好き嫌いはあるはずですし、せっかく串本に来たのだからおいしい干物が食べたい人もいるでしょう。追加料金で好きな干物を焼いてくれてもいいのでは。
こちらは揚げ立ての天ぷら。海老とカボチャがありました。団体客主体の宿としては上出来なサービスだと思います。
温泉を楽しんだ後はロビーで餅つき。なかなか力が入っていますが、露天風呂が楽しくて長湯してしまったのでばて気味かも。串本温泉浦島ハーバーホテルは全国的に知られた那智勝浦のホテル浦島の系列で、大洞窟温泉こそありませんがほのかな硫黄泉は肌当たりも優しく、浴槽の種類もいろいろあって退屈しません。
長男だけあってさすがに力強い。
串本最大の観光名所は海中公園です。
オスマン帝国の戦艦エルトゥールル号が遭難したのはこの付近だそうです。
串本の海を再現した水槽には、鮮やかな熱帯魚が一杯。さすが八丈島と同じ緯度、と感心するのは早合点。これは黒潮に流されて熱帯からここまで迷い込んでしまった魚類で、水温の低くなる冬を越せないため死滅回遊魚などと呼ばれています。
こうして水族館に捕獲された熱帯魚は命拾いしたということになります。
串本の海には100種類以上のサンゴが生育しており、串本町はサンゴの町を宣言しています。
色鮮やかなイソギンチャク類も熱帯の海を思わせます。
最近は水族館のバックヤードツアーが人気を集めています。
アカウミガメの子供と触れ合える機会はそうそうないですよ。
よく動くので落とさないように。
親ガメも多数が飼育されています。これは珍しいアルビノ。
貴重なオサガメの標本。紀宝町のものより手入れがいいのかとてもきれい。
トンネル型の大水槽です。サメやエイ、クロマグロなどの大型回遊魚が泳ぎ回るので迫力があります。マグロがびっくりするのでフラッシュは禁止。
トンネルの上の方が濁ってよく見えないのは、天井の機械類を見せないために気泡でごまかしているからだそうです。
これがクロマグロでしょう。
向こうの灯台みたいなのが海中展望塔。
香港の次は南紀白浜のバスツアーです。名古屋から和歌山は昔から道路事情が悪くて、あまり自分で運転したくありません。それでも部分的には自動車専用道路が整備されたので、いずれは便利になるのでしょうね。名古屋から東名阪で亀山。伊勢自動車道で勢和多気。紀勢自動車道で紀伊長島までは有料道路が開通しています。そこからは国道42号線をうねうねと進む昔ながらのルートで紀宝町のウミガメ公園に到着。
ここの見物はウミガメの飼育水槽です。ただ、串本海中公園の方が設備が大きいため、串本まで行く人は両方見る必要はないと思います。有料でしっかり見たいなら串本、無料でちょっと見たいなら紀宝町でしょう。
餌を撒くとウミガメが集まってきます。餌は有料。ツアーでは小学生だけ餌が付いていました。
巨大なオサガメの剥製。個体数が少なく、繁殖も難しいため、生体展示はほとんどありません。時速40kmの高速で遊泳するため非常に広い水槽が必要で、壁にぶつかると怪我して死んでしまうので、飼育そのものも困難で成功例が少ないそうです。マグロの養殖に使うような大規模な円形水槽なら飼えるかもしれませんが、マグロと違って経済性がほとんどありませんからね。
新宮にあったなれ寿司の店。琵琶湖の鮒寿司と同様、魚と米を乳酸発酵させることで独特の風味が生まれます。紀州のなれ寿司はサンマを使うことが多く、お粥の様に柔らかく炊いたご飯と塩漬けしたサンマの開きを重ねてチクシャ(サンショウの仲間)の葉で包み、塩水を掛けて発酵させるそうです。商品として流通しているのは食べやすいものでしょうが、鯖を長期発酵させた本なれ寿司や、塩津で真夏に作るその名も「くさり寿司」など、かなり敷居の高いものもあります。
干物類はおいしいでしょうね。帰る日なら買って帰りたいものです。
昔から有名な那智黒の看板。創業は明治10年(1877年)とは東京大学と同じ。子供の頃は、南紀のお土産と言えばこれでした。
いよいよ串本。名勝橋杭岩が見えてきました。
最終回は落穂拾い。まず機内食。
空港にあった無料電話。香港ではそもそも電話代が安くて、スマートフォンも好きなように使って月に2-3千円で済むそうです。
味千は香港でも何軒か見掛けました。大戸屋もあったかな。
世界でも屈指の貿易港なので設備も船の数もすごいです。
大陸との鉄道路線を増強中。大規模な建築現場でも、足場はほとんど竹を組んだもの。
風水を重視するので、日本ではあまり見ない形のビルが目に付きます。
大衆食堂のメニュー。「魚蛋粉」は魚の団子のことでしょうか。
こういう凸凹なビルも風水の産物。
フリーポートだから世界の銘酒が楽しめるはず。家族旅行なので行きませんでしたが。
ホテルのロビーにあった、コインでできたヴィーナスの像。
かなりぎょっとするタクシー。ダンスショー「TABOO色惑」の宣伝だそうで、同じ仕様のタクシーは何台もあるそうです。決して運転手の趣味ではないのですが、これで利用者が減らないのか聞いてみたいところです。
水の溜まった容器を片付けて蚊の発生を防ぎましょう、というポスター。
ハイアットリージェンシーの入っているK11ビルにあったモナリザ。
実はこれパンでできています。
ホテルの向かいのビルの屋上に謎のクレーンが。クレーンごと移動できるレールも設置されています。
向こうのビルにも同じようなものがありますね。窓掃除用のクレーンで、作業員が入るゴンドラを吊り下げることができます。日本にもあるはずですが、日頃は意識しないので気付きません。
地下鉄にも乗ってみました。シートがアルミ合金そのままなので汚れにくいですが、お尻が痛くなります。
ボルト選手が日産GT-Rの宣伝をしています。日本でもそんなに売れているクルマじゃありませんが、香港で短期間の滞在中に2台目撃しました。世界でも最高水準の高性能車であることは確かなので、広告さえすれば欲しい人はいるでしょう。日本では遠慮しすぎでは。
ハイアットリージェンシーの朝食ブッフェは、パンの種類が豊富です。ドイツパンの名品、ポンパニッケルまで置いてあるのは嬉しい。
好きなだけ切って頂きます。
クロワッサンやデニッシュ類も充実。パンを食べてみれば、どの程度のレストランかはすぐわかるものです。
ナチュラルチーズも自分でサーブします。日本でもこんなの出して欲しい。
ハム類もどんどん切って出してくれます。
香港人も朝食によく食べるお粥。白粥は日本人用。主役は中華のお粥なので出汁や具が入っています。
ジュースは全部フレッシュです。香港でよく飲まれるすいかのジュースもあり。料金はそれなりにしますが、サービスの水準は非常に高いと思いました。
こんな迫力のあるローストポークを切り分けてくれます。朝食ブッフェを人件費削減の方便としているホテルが多いですが、ここは卵料理や肉料理、麺、点心などでそれぞれシェフが対応してくれて、すごく人手が掛かっています。さすがは食都香港。
こちらは同じレストランで取った昼食。朝食でしっかり食べたので昼は軽く、と思っていたのですが、香港名物の鶏ご飯があったのでそれを取ってみました。白切鶏飯あるいは海南鶏飯です。
日本では蒸し鶏ご飯と訳されているようですが、中国料理家のシャウ・ウェイさんのサイトによれば、鶏は蒸すと固くなるので茹で鳥が正しいとありました。発祥は東南アジアのようで、タイではカオマンガイ。ご飯も鶏の出汁で炊いてあるので、鶏のスープが好きで好きで、という人には堪らないでしょう。私は鶏でも、どちらかと言えば皮のローストした風味の方が好きなので、焼味飯の方が合うかな。香港人もロースト好きなので、焼味飯の具もいろいろあって、鶏なら油雞、ガチョウなら焼鵝、ローストポークなら焼肉、そしてもちろんハニーローストの叉焼といろいろ。どれもおいしそう。でもそれだとご飯食べ過ぎるので、また別の問題があります。
尖沙咀の新しいショッピングモール、The Oneからの眺めです。スーパーから展望レストラン、スポーツクラブまで何でも入った総合ビルなんですが、フロア図にあるように、地上階がG/F、地下街がLG1とLG2、その下に地下駐車場P1からP3、G/Fの上はまずUG1とUG2があって、それからL1-L21の高層階があります。フロアの名称が変則で、なかなかレストランのあるフロアに上がれず道に迷ってしまいました。UG2に総合的なエレベーターホールがあって、ここからレストランに上がれば便利、ということは帰ってからわかりました。
The Oneからハイアットリージェンシーは歩いて数分なのでよく見えます。
迷ったご利益でムーミンのイベントに行き当たりました。
都会が嫌いなスナフキンも特別出演。
さて、L12の東海酒家でディナー開始です。ここはほとんど地元の方専用レストランで、日本語はもちろん英語もあまり通じません。今回は香港在住の知人との会食なので、こんな地元食の強い店でも安心。隣の個室からは始終マージャンの牌を混ぜる音がじゃらじゃら聞こえて賑やかです。窓の外はペニンシュラなどのある半島の先端部。Tissotの大看板の手前あたりがバックパッカー御用達の重慶大厦(チョンキンマンション)。
鶏の足などで出汁を取ったスープ。
料理が出てくるまでこれでもどうぞ、とスープを取った後の材料が出てきました。
日本ではあまり見ない鶏の足。香港では子供の時から御馴染みだそうです。
極楽家の息子もこういうのは平気ですね。
白身魚のフライですが、ポメロ(ザボンの仲間)で風味を付けているのが特色。
さて北京ダックです。北京料理の店で注文するのが本当でしょうが、息子たちが食べたがったので。
盛り付けるとやっぱりおいしそう。
皮も熱々でやって来ます。
余程気に入ったのか、こればかり食べていました。
いつもはたくさん食べてくれる炒飯も余り気味。
控え目な中華菓子で締め。
次はガイドさんに「香港で一番大きなお寺」と紹介されましたが、黄大仙祠(こうだいせんし、現地ではウォンタイシンチ)は「仙」の字があるように本来は道教の祠です。
黄大仙とは伝説の仙人である黄初平のこと。この人を祀る祠に観音菩薩と孔子が同居して、道教、仏教、儒教のハイブリッド寺院になったらしいです。
孔道門、とあるのは儒教エリアなのでしょう。
まずはお布施をして線香を頂きます。ガイドさんには3本取るように言われましたが、看板には9本と書いてあったり、中国本土からのツアー客はたくさん取ったりと、はっきりしません。
これが本来の黄大仙祠ですね。赤松黄仙祠が正式名称。
暑くて混んでるので、バスから短時間降りただけでもかなり疲れます。
とにかくお参りはしたのでご利益はあるでしょう。正式な参拝方法や、有名な占いについては航空会社のサイトが詳しいので参照を。
十二支の立派な像があるので、記念撮影するとご利益があるのかも。まず戌(いぬ)。
これは巳(み)。なかなか強そう。
最後に卯(う) 。後ろに見えるのは黄大仙邨という公共住宅。住居費の高い香港では、狭いが格安の公共住宅の人気が高く、申し込んでから何年も待ってやっと入居できるそうで、昔の日本の公団住宅みたいなスペースに一家6人、なんてのが当たり前なんだそうです。
一旦入った人はまず転居しないため補修も思うに任せず、10年以上も前からエアコンの落下事故が頻発して当局も警告を発しているそうですが、この光景を見る限りは状況に変化なし。間違っても高層住宅の窓下には行かないように!
繁華街に帰って来ました。さあお昼です。場所は尖沙咀麼地道75號南洋中心地下の鳳城皇宴。ホテル日航香港の北西に南洋中心というビルがあって、その地下です。
今回は右に曲がって飲茶。左は北京でお世話になった北京ダックの有名店。
何となくわかりますね。漢字を使う民族同士ですから。
この店はワゴンで回ってくるスタイルじゃなくて、最初からコースが決まっているようです。まずは熱々の点心から。定番の蝦餃(ハーガウ)、蟹子焼売、蜜汁叉焼包(チャーシューパウ)など。
朝食で食べ過ぎて、あまり入らないかな?
これは炒米粉つまりビーフンの炒め物。日本のJAなども米の消費拡大を狙うのなら、米粉でパンを焼くよりビーフンの方が簡単に思いますが、なぜか注目度が低いです。
極楽息子(小)はチャーハンがあればそればかり食べています。
日本でもお馴染みの青梗菜。これはこれでおいしいですが、やっぱりチョイサムの方が香港らしいかな。
焼きそばはここでも細い麺です。今回は柔らかい焼きそばですが、固焼きそばもよく食べられているようです。
古いビルから物干し竿が突き出る庶民の町にやって来ました。ベランダのあるアパートは高いので、こういう干し方が一般的なんだそうです。
ツアー恒例のショッピングですが、今回は時間も短いし何も買わず。シルクと宝石の店だったんですが、わからないものには手を出せませんので。