いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

仲良し兄弟

2007年10月31日 | 極楽日記

 6歳と1歳で少し離れているのが却っていいのか、よく一緒に遊んでいます。弟の動きがますます活発になり、危ないことばかりしてくれますので、力づくで止めてくれるお兄ちゃんの存在は重みを増しています。「一姫二太郎」が楽だとか言いますけど、今の極楽家では「一太郎二太郎」も悪くないと思います。

 お兄ちゃんはよく働きます。これは手巻寿司のご飯を冷ましているところですね。
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賞品が着いたよ

2007年10月30日 | 極楽日記(Hall of Fame)

 「第3回トイレ川柳」の賞品が到着しました。まずはノリタケのティーセットが来て、11月10日の発売に合わせて作っている作品集(トイレットペーパーに印刷してある)が後で届くみたいです。たまたま入選しただけの川柳ですが、文章を書いて褒められるのは何十年ぶりかなので素直に嬉しいです。

 乳白色の肌も美しい、クラシックなボーンチャイナのカップ&ソーサーです。これが2客と、同じデザインの四角い皿が1枚、小皿が2枚入っていました。ノリタケの「サブライム」シリーズのようです。うわ!計算したら5万円近い。大事に使わせて頂きます。ありがとうございました!
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じいちゃんの誕生日

2007年10月29日 | 極楽日記

 実家でじいちゃんの72歳の誕生日を祝いました。

 極楽息子(大)からのプレゼントはこの手作りのカードです。なぜ誕生日のカードに「ぼくんちのちず」が描いてあるのでしょう。「ヤマナカ」とか「ケーズ(デンキ)」とかも描いてあります。

 「ぼくのいえのじまんのにわ」と書いてあると、たいして手入れしてないのでちょっと気恥ずかしいですね。しかし子供が庭のある家を喜んでくれるなら、無理してでも買った甲斐があります。

 いつもプールに連れて行ってくれるのでお礼の手紙です。下の子もいるので、まだまだこれからですね。
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ニッサンGT-Rはインフィニティの布石か

2007年10月26日 | 自動車
 日産が東京モーターショーで正式発表したGT-Rがクルマ好きの間で話題になっています。480馬力、潜在的な最高速度は300km/h以上という量産市販車としてトップレベルの動力性能は日本のメーカーとして初めての試みであり、クルマ好きを唸らせるだけのものがあります。

 このポルシェ911ターボに匹敵する高性能車が半額の800万円、というのは相対的には大バーゲンであり、買える人はぜひ買って楽しんで欲しいと思います。環境と省エネだって?どうせ800万の2ドアクーペなんて数としては売れませんよ。それより見栄と安楽のために月に何千台のオーダーで売れるレクサスLSやドイツの高級車、それからもっと燃費の悪い大型RVの方がトータルではずっと問題でしょう。

 日産が復活のシンボルとしてこのGT-Rに掛ける意気込みは見事なもので、全国に特別なサービス拠点を指定し、高性能を維持できる体制まで整えてきたのは立派です。3年間は無料で性能維持をサポートするというこのサービスこそ、高価な代金にふさわしいものと思います。でも、これってGT-Rだけのためでしょうか?

 今までGT-Rはスカイラインの特別な高性能版、そして高価格版として称賛と羨望の眼差しを受けてきました。しかし今回は「ニッサンGT-R」でありスカイラインの名前がないのです。今度のGT-Rが日産全体の技術シンボルだということもあるでしょう。スカイラインは元々プリンス自動車から受け継いだ車種であり、日産本流の車種ではない、という差別感情はは大なり小なり社内にあったようですから、スカイラインの名前を外すことが必要だったのかも知れません。

 しかし、特殊な1車種のためにサービス網まで再構築するとか、サポート体制まで整えるというのはいかにも大袈裟です。思うに、このサービス網とサポート体制を発展させてインフィニティチャンネルを立ち上げようという目論見なのではないでしょうか。

 国内での販売台数が伸び悩む中、メーカー各社は利幅の大きい高級車販売チャンネルの構築を悲願としてきました。トヨタのレクサス、日産のインフィニティ、ホンダのアキュラはそれぞれ北米で成果を挙げてきました。この成功を日本でも、と最初にレクサス店を整備したのがトヨタです。

 レクサスは単にクルマを売るのではなく、高級な時間や空間を売るのだということで、都市の一等地に豪華な専用ショウルームが建設され、営業社員の身だしなみや立ち居振舞いまで留意されるという既存のディーラーとの違いが話題にもなりました。しかし肝心のクルマには特徴がなく、旗艦のLSが出るまでは販売に苦戦していたようです。例えば今までのアリストとあまり変わらないクルマが、レクサスGSとなると大幅に値段が高くなり、ハイブリッド以外はどこが違うのかわからない。雑誌ではドイツ車の方を誉めてあるけど、という感じです。

 これを見ていた日産としては、GT-Rの評判をインフィニティ立ち上げに生かさないはずがありません。恐らく、日本におけるインフィニティチャンネルは、レクサスとも、また北米のインフィニティとも違うアピールで消費者に迫るつもりなのでしょう。高級は高級でも、内装の高級ではなく高級な乗り味を。ゴルフのフォームをチェックするサービス(レクサス店にあるそうです)よりも、ドライビングフォームやアライメントをチェックするサービスを。

 こうしたレクサスとは別の切り口で販売チャンネルを立ち上げるなら、レクサスに満足していない消費者をかなり取り込めるように思います。一口に高級車と言っても、ベンツとキャディラックの方向がまるで違うように、レクサスとインフィニティで目指す所が違うのはむしろ当然なのです。そのインフィニティのシンボルとしてGT-Rはぴったりだと思いますが、どうでしょうか?

 これで(私の予想が正しければ、ですが)日産のインフィニティ戦略が少し見えてきた気がします。更に後出しになるホンダのアキュラは、どのような戦略で来るでしょうか?新生NS-Xが投入されると言われていますが、大いに楽しみです。願わくば、それまでに高級車を買えるような資産家になって、自分で確かめてみたいものですが。
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1歳4ヶ月

2007年10月25日 | 極楽日記

 「じーちゃん」しか言えなかったのが、「ばーちゃん」も言えるようになりました。区別して使っているかどうかはわかりませんが。

 何でもよく食べるし、朝早くから夜遅くまで元気です。もう少し寝てくれると楽なんですが。
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インターネット先進ユーザーの会(MIAU)設立~大衆の反撃

2007年10月24日 | たまには意見表明
 著作権ビジネスが大変に儲かる事業だとわかったことにより、既存のコンテンツの著作権をできるだけ長く(可能なら永久に)独占しようという諸分野の管理団体が政治、経済面で圧力を強めつつあり、利用者の権利がなし崩しに縮小される動きが続いています。

 著作権ビジネスは昔からある関所の料金徴収や関税、みかじめ料の徴収と性格が似ており、権利を持っている側からすれば安定した収入になります。しかも法制化と独占により、市場に関係なくブラックボックスの中で収入が決まるため、政治を巻き込んで利権化しやすい面があります。

 総務省や文化庁を後ろ盾とした著作権ビジネスのロビー活動に対して、組織化されていない利用者は政治的に無力に近く、地上デジタル放送の一方的なコピーガード導入(コピーワンス)やコストの高い著作権管理(B-CASシステム)、まともに再生できないコピーガードCD(CCCD)など、やりたい放題にやられてきた感があります。あまりの不評によりコピーワンスは少しだけ緩和される(ダビング10)見込みですが、本質的には視聴者の大きな不便を強いるものです。技術的に未完成だったCCCDはさすがに廃止されたようですが。

 しかし心配されるのはむしろこれからです。現在、著作権ビジネスが政治に働き掛けて実現させようとしている要求は、一般消費者の権利を著しく制約し、彼らが喧伝するような「クリエイターの利益」を隠れ蓑にしながら、その正反対に新しい創作活動を圧迫して既存の著作権だけを不当に拡大するものになる恐れが強いからです。こうした危機感により、創作に関わる人、そして創作物を享受するエンドユーザーが手を携え、力を結集して著作権ビジネスの行き過ぎたロビー活動に対抗することになり、かくしてインターネット先進ユーザーの会 (Movements for the Internet Active Users; MIAU)が設立されました。

 一般大衆にデジタル時代にふさわしい自由な創作活動が保証されるためには、とりあえず次のことが必要です。(MIAU発起人の1人である小寺信良さんのコラムを参考にしています。)

(1)コンテンツダウンロードの違法化見送り
 「違法コンテンツと知らずにダウンロードしても有罪」とするなら、もはや言論統制です。一般インターネットユーザーがそこまで責任を負うことになると、ネットによるコンテンツ配信など不可能になります。著作権ビジネスの側にはテレビ局など既得権を持つメディアも入っているので、ネットによる画像配信を潰したいという意図があるのでしょう。

(2)地上デジタル放送の強圧的なコピーガード撤廃
 コピーワンスにしろダビング10にしろ録画したコンテンツの編集ができないし、次のメディアに移行することができません。これだけの不便を視聴者に押し付けたまま、地上デジタルに移行しろと言われても無理です。

(3)著作権の保護延長見送り
 著作権の長期延長で潤うのはごく一部のキラーコンテンツを持つ企業だけ。クリエイターは既に死亡しているため創作活動に寄与することはありません。二次利用も極めて不便になり、「創作は真似から始まる」という原則を無視しています。既存の著作権で食っている権利者にとっては、新規参入者など邪魔でしかないのでしょう。

 JASRACをはじめとする著作権ビジネスの横暴を黙って見ていられなくなった方、コピーワンスの理不尽な不便さに我慢できない方、「青空文庫」で出版社から切り捨てられた作品を楽しんでおられる方、そして他の多くのクリエイターやエンドユーザーの皆さん、ついに反撃の時が来ましたよ!「国民の期待に応えて」強欲な連中に一泡吹かせてやりましょう。
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ボクのお供え

2007年10月23日 | 極楽日記(豊川)

 豊川のじいちゃんに、ブロックで組み立てたメカをお供えしたんだそうです。喜んでくれるかな?
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ハニカムスクリーンを寝室に

2007年10月22日 | 極楽日記

 朝夕はめっきり冷え込むようになってきました。本格的な冬の準備として、寝室の大きな窓にハニカムスクリーンを取り付けてみました。去年はキッチンの出窓に取り付けて、北窓からの冷気を完全にシャットアウトできましたので、その実績を買って今度は本命である大型スクリーンの取り付けに挑戦しました。と言っても簡単なもので、木ねじを数個と両面テープで完成なので、ごく簡単な木工ができれば十分です。

 去年まで冷気から室内を守っていたぷちぷち君がまだ頑張っています。これはこれで安くて効果的だったと思いますが、より空気層の厚いハニカムスクリーンの設置により主役交代です。

 この断熱レールが隙間風を防ぐ決め手です。製品は注文に合わせた大きさで作ってくれるのですが、最大幅が2,400mmまでの制約があります。窓の幅がもう少し大きいので、ホームセンターで巾木に使う化粧材をカットしてもらい、スペーサーとして利用しました。白ペンキ仕上げの窓枠と、木目の断熱レールの間に噛ませてあります。断熱レールの色調とほぼ合っているので、違和感はありません。

 効果はもっと寒くなれば明らかだと思いますが、現状でもカーテンの下縁から滝のように流れ落ちる冷気(コールドドラフト)が遮断され、強力な断熱作用が期待できそうです。これ以上の効果を望むなら、最近の次世代省エネなどに比べて見劣りのする天井や壁の断熱も見直さざるを得ず、当面はこれで良しとするべきでしょう。エアコンも新しくなったことだし、この冬は暖かく寝られそうです。
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子宮頚癌のワクチン承認へ

2007年10月19日 | 医療、健康
 大手製薬会社から子宮頚癌予防効果のあるワクチンの承認申請が提出されるというニュースがありました。ワクチンで癌の予防と言われると、昔話題になった丸山ワクチンとか、反対に最新の免疫療法などを連想されるでしょうが、今度のは原理が違います。癌そのものではなく、癌の原因となるウィルスの感染を予防することで癌を防ごうという原理だからです。

 子宮癌の多くを占める子宮頚部の癌はヒトパピローマウィルス(HPV)の感染が原因であることが明らかになっており、「子宮頚癌は感染症である」という言い方さえされています。この感染を防ぐことで子宮頚癌の発症をほとんど封じ込めることができると期待されてきました。そのワクチンがいよいよ実用化に至ったものです。

 実はHPVワクチンの接種は海外で先行して実用化されており、オーストラリアでは12歳から26歳までの女性全員に無料で接種を始めたということです。ドイツ、フランス、イタリアでも同様の接種プログラムを実施しています。費用などの負担に比較して大きな予防効果が見込まれることから、日本でも速やかに承認され、全員接種に近い形で接種率の向上が図られるものと予想されます。

 HPVにはタイプの違いがあり、そのすべてにワクチンが有効なわけではありませんし、ワクチンの有効率は100%ではありません。またHPV以外にも子宮頚部の遺伝子を改変して発癌に繋げる要因は否定できません。しかし多くの子宮頚癌がこれで予防されると期待され、多くの女性を苦しめてきた癌のひとつがほぼ根絶されるわけですから、大きな朗報と言えます。
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「巨悪vs言論」

2007年10月18日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 最近の「通勤の友」になっている立花隆「巨悪vs言論」です。800ページ近い厚さで、しかもハードカバーなので携帯には向きませんから、ブックオフで見つけて以来、しばらく積んであったのですが、やっぱり読み始めると面白い!

 前代未聞の「首相の犯罪」であるロッキード事件が知られるようになってから、より一層の権力掌握を目指し、なりふり構わず司法干渉と言論操作に打って出た田中角栄が、民主主義の最後の牙城だけは崩すことができず、最後は時間切れで健康を害して政治力を失う。この一連の貴重な記録を、ドキュメンタリーとしてもサスペンスドラマとしても非常に興味深く読んでいます。あの時点で司法の独立性や言論の自由が侵されていれば、民主主義日本は実質的に瓦解し、すべてが闇の中で決まるマフィア国家に堕ちていたのでしょう。立花さんの田中角栄に関する一連の著作は、今なお価値を失わない立派な古典です。
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第3回トイレ川柳

2007年10月17日 | 極楽日記(Hall of Fame)
 TOTO主催の「トイレ川柳」、今年は第3回だそうです。押し寄せる老眼の進行と戦いながら、日々顕微鏡を覗いている「疲れ目公務員」こと極楽親父が、トイレでほっとする実感を込めた一句が、選者の目に留まったのか優秀賞に選ばれました。
「小宇宙 利休は茶室 俺トイレ」(疲れ目公務員)
16,000句を越える作品の中から選んで頂いた仲畑貴志さん、ありがとうございました。

 賞品はノリタケのティーセット2客と、トイレットペーパー形の作品集だそうです。一応は本の扱いなので、「トイレの日」11月10日に書店ルートで発売するらしいです。せっかくだから記念に買っておこうかな。
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昼寝から覚めて

2007年10月16日 | 極楽日記

 しまじろうとお昼寝中です。よく寝てくれることもあり、寝そうで寝ないこともあり、なかなか予定が立ちません。

 お昼寝の後で、細くて柔らかい髪がくしゃくしゃになっています。お兄ちゃんよりは机に向かっているのが好きなように見えます。

 油断していたらパンをこんなにしてしまいました。食べ物に関しては、ほとんど家の中で動物か害虫を飼っているような感じがします。
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南山小学校の一貫教育とは(新しいワインは新しい皮袋に)

2007年10月15日 | たまには意見表明



 名古屋の子育て世代に話題となっている南山小学校の建設現場です。夢のあるデザインで完成が楽しみですが、大事なのは建物よりもちろん中身です。

 安倍政権のひとつの目玉とされた教育再生会議は福田政権にも受け継がれたようですが、官製会議の一典型として、現場を知らない有名人(ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏)を座長に祭り上げ、実は官庁主導で規定の結論にこじつけようという、よくあるダミー会議のようです。

 野依座長がいかに教育の現場を知らないかは、「塾は禁止すべきだ」という彼の無責任な発言から一目瞭然です。教育再生会議は17人のメンバーのうち教育関係者がたった2人という素人の寄り合い所帯で、「素人が思いつきを言い合っているだけ」という千葉大教育学部の藤川助教授の批判には説得力があります。

 野依座長はご自身の経験から理想の教育を考えておられるのでしょうが、あまりに経験主義的で一般性がありません。ノーベル賞受賞者さえ出れば後はどうでもいい、というのは国家が必要とする教育ではないのです。野依さんみたいに「学校に行って、部活もやって、休憩してご飯も食べて勉強した」というのでは今の東京の進学競争では著しく不利でしょう。大学で才能が花開くまでに多くが振り落とされてしまうのが現状です。野依方式で東大に入れるのは、それこそ自宅学習だけで100点が取れるような天才に違いありません。でも他の多くの学生に対しても国には教育の責任があります。多数の教育水準を高めなければこの国は生き残れないからです。

 どんな優秀な教師であっても、意欲も能力も多様なクラス40人を最適に指導できるものではありません。日本の児童、学生が何とか学習能力を維持しているのは、学校外の学習塾など民間教育産業の貢献が大きいのです。これを「商業主義」と批判するのはおよそ21世紀の責任ある人間とは思えません。少数の児童や学生だけ引き上げればいいのなら、お金のことはあまり考えなくていいでしょう。しかし、児童や学生を巨大なマスとして見るならば、教育の少なくとも一部を商業資本の手に委ねるのが遥かに効率的だからです。

 教育で利潤が得られるから企業が参入し、競争が生まれる。そして効率的な指導法や優秀な指導者が生まれる。企業は利潤を得て、児童は学力を身に付ける。これのどこが悪いのでしょう?利潤を求めて真剣に経済活動に励むことが、結果として社会の利益に繋がる。これは別に昨今の規制緩和絡みで言い出されたことではありません。私の乏しい社会学の知識でも、前世紀の初めにマックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でこのような主張をしているぐらいは思い出せます。野依座長の感覚はもっと古いので、20世紀どころか19世紀のものかも知れません。こんな視野狭窄の専門馬鹿を座長にして、幅広い教育問題を論じようというのが笑止です。

 こんな無教養かつ無責任な放言だけ遺して形骸化した感のある教育再生会議のことを、なぜ今頃思い出したかと言うと、ひとつは南山小学校の幹部が説明会で野依座長と同じようなことを言っていたからです。放課後も学習時間を設け、塾に通わないでいいようにする、と。今にして思えばこれも19世紀的な発想で、そう言えば南山学園の母体である南山教会はカトリックでした。カトリック関係者はウェーバーなど読まないのかも知れませんし、南山小学校の幹部は経済活動というものを頭から信用していないのかも知れません。

 察するに、どうも南山大学の経済学部や経営学部関係者は小学校運営に関与していないようです。南山小学校新設(戦前に接収された小学校を考慮すれば再設)の意義として、「小学校から大学までの一貫した教育」が高らかに謳われていたのですが、これまで公表された資料を分析した限りでは、小学校の運営には南山教会関係者の意向ばかりが強く反映しており、小学校から大学への一貫性には疑問ありです。

 これが南山教会です。付近は南山学園の建物が立ち並び、「南山学園村」のような雰囲気になっています。街路樹や保存された木々、クラシックな建物と坂のある街が調和して、散歩にはいい所です。残念ながら車が多くて少し騒々しいですがね。

 ともかく、全国の大学で研究や教育の一線に立っている世代も、もはや学習塾や予備校の世話になった人が多くを占めているので、懐古趣味の野依案がまともに受け取られる可能性はほとんどありません。学習塾はよく批判の材料として使われるような「実力は付かないけど点を取るテクニックだけ教えてくれる」場ではありません。反証は単純明快。存在意義不明のレベルの低い大学ならともかく、まともな大学がテクニックだけで入れてくれるものですか!もし学習塾が受験テクニックだけを教えていると言うのなら、そんなテクニックだけで解けるような入試問題を出している大学が悪いのです。

 教育再生会議を思い出した理由の2つ目は、今頃になって中日新聞に松原隆一郎東大教授が同様の批判を寄稿していたからです。なぜ今になって、とかなり奇異な印象を受けましたし、松原さんも教育の専門家ではありませんが、内容は野依案を批判したものです。私も2月に同じような批判を「日経ネットPLUS」に投稿した覚えがあります。

 教育においても「官から民」への流れは続いていますし、生き残りを掛けた「官」の反撃も見られます。都立高校の改革は「官対民」の好例です。「官から民」は東京に見られるような私立学校志向だけではなく、塾や予備校に任せられる部分は任せた方が効果が大きい、ということでもあります。競争を勝ち抜いてきた民間教育産業の活力や能力、経験は相当なものであり、学習指導の点では多くの学校を圧倒するからです。

 学習指導以外に幅広い使命を受け持つ学校が、(たとえ私立学校だとしても)その一点に特化した学習塾と張り合うのは大変なエネルギーを必要とします。一般に学校への家庭の要求は多様化しており、学力向上に対する動機や責任はぼけやすくなります。学校での長時間の補修や補講は、学力充実を最優先とした進学校以外では無駄が多いと言えましょう。それより早く児童を解放して、塾に通う子は通わせればいいのです。

 南山小学校は特に進学校を目指さないと言及しています。それなのに敢えて学習塾と時間を取り合うという無駄をやろうとしているのでしょうか。もしその通りなら、私は南山小学校の中身について期待しません。新しい校舎も、時代に抗った学校経営のシンボルとして記憶され、東京からいずれこの地方にも波及するであろう「官から民」あるいは「官対民」の厳しい競争から取り残されるだけです。

 南山小学校は、建物以外に、21世紀を生きる児童にふさわしい入れ物を用意しているでしょうか?例えば、将来的に南山大学の経済学部や経営学部の発展に貢献できるような人材を輩出できるでしょうか?私の見たところ、関係者があまりに古い思想で小学校運営を始めようとしているのではないか、と危惧されるのです。「新しいワインは新しい皮袋に」とは聖書の言葉だったはずです。
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期待されない「ダビング10」

2007年10月12日 | たまには意見表明
 日本のホームシアター愛好者の代表格である麻倉玲士さんが、コピーワンスの緩和策である通称「ダビング10」を批判しています。ご自身がエンドユーザーとして映像を享受している人だけあって、発言の内容は一般ユーザーにも納得できるものです。コピーガードの十分な緩和が実行されない限り、素晴らしい画質を提供するブルーレイディスク(BD)も本格的に普及することなく終わるでしょう。

 名古屋に住む私の周りにも、「ダビング10で便利になったからデジタル放送を見ることにした」という人はいません。近所の家のUHFアンテナは、相変わらずアナログ送信タワーのある八事方面を向いており、デジタル送信用に新設された瀬戸タワーを向いている物は見たことがありません。

 麻倉さんのようなハイエンドユーザーが満足しない仕様では、それを追いかけるヘビーユーザー層も本格的に機材に投資しないでしょうし、一般ユーザーもそれに続きません。コピーワンスやダビング10を強引に導入した人たちは、このようなユーザーの階層構造を理解していなかったとしか考えられません。消費者代表を自称する高橋伸子が同意したって?だからどうなんだ。あんな人、経済界のサポーターであってエンドユーザー代表じゃないでしょうが!

 資金に大きな制約のある一般ユーザーは、ヘビーユーザーがいろいろ試行してくれた結果、「今度のはいいよ!楽しいよ!」と言ってくれるのを待っているのです。クルマだって、カメラだって、テレビだって、新しいものはいつでもそうだったじゃないですか。地上デジタルにはまだヘビーユーザーの「ゴーサイン」が出ていないのです。

 目下の地上デジタル普及キャンペーンは、要求の多いハイエンドユーザーやヘビーユーザーがテレビ離れしても、一般ユーザーさえ取り込めば視聴者が確保できると思ってのことでしょうが、とんだ考え違いです。「高価で、不便で、先行き不透明」という評価が定着してしまった地上デジタルに、商品知識の乏しい一般ユーザーが簡単に乗り換えるという予測は楽観的に過ぎます。少なくとも、麻倉さんが満足しないような機器を私は高値で買おうと思いません。2011年7月24日以後も延々とサイマル放送を続けたくなければ、「アナログでできることはデジタルでもできる」とユーザーに確約するしかないと思います。
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図書館処分品から「てのひらの闇」

2007年10月11日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 長久手図書館の本は少しずつ入れ替えているらしく、頻繁に通っていると不要になった本の処分に行き当たることがあります。公有財産の処分ですから特定の業者に払い下げることが不適当だと思われているのでしょうか、無料で利用者に譲渡してくれます。つまり早い者勝ちですね。

 古くなったと言っても内容が悪いわけではなく、十分に読む価値のある本でほとんど読んだ形跡のないものが手に入ることもあります。極楽妻がもらって来た本の中から文庫本を通勤時間などに読んでいるのですが、藤原伊織「てのひらの闇」は大いに楽しめました。

 作者が電通の社員と小説家の二足のわらじを履いた人で、その幅広い実務経験を生かした企業小説というジャンルになるのでしょうが、まるでよくできた剣豪小説や股旅物を読んでいるような達成感を得ました。主人公の堀江が剣の達人であることもその理由でしょうが、登場人物がしっかり描かれていて読むのが楽しい小説です。

 広告会社のサラリーマンである堀江は左手の甲にある火傷跡で闇の世界と繋がっている男だが、それと縁を切ったはずのコマーシャル撮影の現場で、一見闇と何の関係もない女優の加賀美からちょっとした親切として糸クズを取ってもらい、それを火傷と反対側の「てのひら」で受け取った。まさかこのことが巡り巡って再び闇の世界への扉を開こうとは思いもせずに。

 恩人であった会長は謎の自殺を遂げ、それが加賀美を守ろうとした高潔な行為であったと知った時、堀江はサムライとなって闇の世界に切り込んで行く。いいですねえ。義理と人情、というのはやはり日本人の琴線に触れるものがあります。

 ただ、敵陣に乗り込む堀江が、塩田組の名前を出せば立ち回りなどしなくても解決しただろうな、という見方は醒めすぎでしょうかね。ともかく娯楽小説としては完成度が高く、通勤の暇つぶし以上の収穫でした。こうした読んだことのない作家に当たるのは処分本の楽しみです。

 この巧みな筋立てと人物描写、特に現代のサムライと言うべき堀江の描き方に優れていることから見て、きっと藤原さんは時代小説を書いても成功したことと想像しますが、残念ながら小説家として脂の乗り切った今年、59歳という若さで亡くなられたことは惜しまれます。堀江と同じく酒豪として知られたそうで、多い時は一晩にウィスキー3本という無茶が食道癌を引き起こした原因でしょう。

 こちらも長久手図書館から頂いた「仮面の火祭り」。勝目梓さんは元々純文学をやりたかった人らしいですが、その方面で評価されないことで見切りを付けて娯楽小説に転じたそうです。

 話が凄く複雑で、どうまとめるつもりかと思ったら最終回で無理やり一件落着、というテレビドラマみたいなストーリーの小説で、設定にかなり無理をしています。スポーツ店の奥さんが不倫を隠蔽するために、生んだばかりの我が子のみならず不倫相手の彼女まで冷徹に殺害してほとんど証拠を掴ませない、という筋立てはあんまりじゃないでしょうか。それを冷静に観察してぼろを出すまで待つ主人も相当に不自然な人物です。

 リアリティのある人物は主人公と同僚ぐらいで、他の登場人物はエキストラみたいに存在感がありません。勝目さんは極めて多作の人ですが、この程度のものを量産しているだけならたいして魅力はありませんね。サラリーマンの娯楽小説って、こんなものだと思っているんでしょうか。

 これは小説じゃなくて題の通り放浪記。モザンビーク共和国がポルトガルから独立した年(1975年)に旅で意気投合したアメリカ人男性と共にアフリカ東部を放浪した竹谷マリさんの本です。モザンビークの首都、ロレンソ・マルケス(現在の名称はマプト)に滞在し、現地の白人と交流し、南アフリカの人種差別政策にはね返され、と何とも行き当たりばったりで無謀な旅の記録。類似の本がなく貴重な旅行記ですが、この調子ではどこで死んでいても不思議じゃないです。

 最後はあっけなくて、世間でよく言われる「金の切れ目が縁の切れ目」という結末みたいです。30年以上も前にこれだけ無茶な日本人女性がいたことが驚異ですが、今でも政情不安定な中東を「自分探し」などと放浪する若い人がいるのを聞くと、どうも止めようがないもののようです。その後の竹谷さんは著作を出していないので何をされているのか不明ですが、少なくともアフリカとの持続的な交流事業などには関わっておられないようです。検索してみたら、今年の二科展写真の部に同姓同名の入賞者がありましたが、同一人物かどうかはわかりません。
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