チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「コロナも彼岸まで」とは、まったくもって甘かった

2020-03-17 21:42:54 | つぶやき
3月17日(火)

 ひと月ほど前の頃は、「暑さ寒さも彼岸まで」のことばにあやかって、「コロナ騒ぎも一緒に退散しちゃえ」と期待していましたが、とんでもありませんでした。

 なんともしたたかなウイルス。感染は全世界にという様相を呈していて、EU諸国も予断を許さない状況になっています。

 実は、アムステルダムにいるKAZU君のお父さん、ゴールデンウイークに一時帰国する予定になっているのですが、はたして、日本の地を踏めるのかどうか。なにしろ、学校へ行けなくてうずうずしているKAZU君、お父さんと関西旅行を約束しているのを、今いちばんの楽しみにしているのに、それもなくなったらと思うとことばがありません。

 ところで、感染は世界的な広がりと言いましたが、実は、まだアフリカでの様子があまり伝わって来ていません。おそらく医療体制の整っていない国が多くて、状況がつかめないのだと思いますが、今後、そういう地域の状況が明らかになって行けば、ますます事態の深刻さが浮き彫りになることは間違いないでしょう。

 まったく、野球好きが甲子園大会の中止やプロ野球の開幕の延期を残念がっている場合ではありませんね。もう、オリンピックだって、それどころではないという声が現実味をおびている状況になってきているのですから。

 とんだ2020年になりました。

 我ら老いぼれはともかく、子どもたち、若者、働き盛りの子育て世代、商店主をはじめとする中小事業主、そしてスポーツマンやミュージシャンと、人それぞれ、苦渋の度合いはいろいろでしょが、どうしようもないのかもしれません。
 人間の存在なんて所詮不条理なのですから、こんな時に、不運や不幸の度合いを競ってみても虚しいばかり。じっと耐え忍んで溜め息をつくしかありません。

 どんなに医療技術が進歩しても、それを上回るウイルスが存在してしまう現実。国家を預かる政治家が「あーだこうだ」と手を打っても、後手後手に終わってしまう現実。そんな中、人間が仮に今回のウイルスに打ち勝っても、そのうちまた新種のウイルスが登場してくるのだろうと考えると、なにか人為を超えた得体の知れない脅威を覚えてしまいます。

 私なんぞには、「人為を超えた」と言うと、「自然の摂理」ということばが浮かんで来たりします。
 よくわかりませんが、以前、どこかで「ウイルスのおかげで生物が進化してきた面もある」という話を耳にしたことがあります。
 「ウイルス」は人間にとって悪さばかりしているように見えますが、もしかしたら、「自然の摂理」に則って発生しているのかもしれません。そんなふうに考えると、今回は人間社会への警鐘?「いいかげんにせんかい」と言わんばかりに登場したのではないかと思ったりもします。

 世界的には、今もなお爆発的な人口増加が進んでいて、まもなく80億になるとか。私の生まれた頃には25億だったのに、なんと70年間で三倍以上です。もしかしたら、すでに地球の許容量を越えちゃっているのかもしれません。
 そして、その人間の経済活動による自然破壊、これはもう語るに及びません。
 温暖化、放射線廃棄物の蓄積、海洋汚染等々、もはや、私たちの営みは地球環境の限界を超えつつあるのではないでしょうか。悲鳴を上げているのは、人間ではなく地球全体の自然環境なのかもしれません。

 戦争は人間どうしの勝手な殺し合いなので論外として、もう一つ大きな犠牲者が出てしまうのが震災。これは災いが不意に襲ってくるのですから、犠牲者に何の罪もないのはもちろんなのですが、実際には、その多くの人が経済活動を営みながら自然と対峙している存在であるのも事実です。
 同様に、疫病やウイルスも、知らないうちに感染して生命を落としたりするのですから、犠牲者はまさに不可抗力なのですが、どうも、私には、こういうウイルスの類、人間の営みと自然環境の調和が崩れた時に自然の摂理として登場して来るような気がしてならないのです。

 でもですよ、そうだったら、被害は環境問題に消極的な、中国やアメリカをはじめインドや日本、そういう所に重点的にと思いますが、そこが不条理な世界の本領で、ウイルスにとってそんなことは関係ありません。 
 とはいえ、やりきれませんね。ここでもやはり、戦争や震災と同様に、無神経無責任にその状況に加担している人より、何の罪もない弱者のほうが犠牲になることが多いのですから。


    温暖化進みし春の寒けかな  弁人


 とにもかくにも、今は、人間の全叡智を結集して、一刻も早くコロナウイルスを克服しなければならない状況ですが、もし収束の時期がやって来たあかつきには、「あーよかった」で済ませるのでなく、人間社会全体が、地球上に存在するものとして反省すべきことはないのかどうか、根本から考え直す機会にならなければと願わないではいられません。


コメント
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