チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

明石に戻って、プラネタリュウムの講座へ

2012-12-16 14:42:49 | 明石風物
12月16日(日)

 今年も、明石の天文科学館で行われている「シルバー天文大学」の講座に通っています。
 昨年は、うっかり忘れたり、日にちを間違えたりして、2度も欠席してしまい、皆勤賞をいただけませんでしたので、今年はそういうことがないように、しっかりとカレンダーに書き込んでいます。
 でも、11月の末から10日間ほど逗子の家でのんびりしていたので、また、ついうっかりという感じでしたが、12月の講座の日が迫っているのに気づき、少々あわてて総選挙の期日前投票を済ませて明石へ戻って来ました。

 昨日と今日の土日は急に暖かくなっていますが、それにしても、今年は冬の訪れの早いこと。12月も半ばに入ったばかりなのに、

 明石へ戻る新幹線。
  米原の手前はこの雪景色でした
  

 前後しますが、この日は冬型の気圧配置で、
  関東ではこの光景
  
 富士の雪が消えるのは梅雨入り前くらいで、その頃にはもう半袖なのでしょうか。トシを取ったせいか、こんなにきれいな富士山を眺めながら、つい、早くあと数ヶ月経ってしまわないかなと思ってしまいます。


 さて、今日の本題は、明石天文科学館のプラネタリュウムの話です。

 明石に戻った翌日、さっそく天文大学の講座を受けに科学館へ出向きました。

  つい三ヶ月前は、まだ暑さが残っていたのに
  

  師走ですね。サンタクロースがお出迎えです
  

  会場はもちろんプラネタリュウムのホールです
  
   

 鉄アレイを大きくしたような、なんか黒いアリのお化けのような、これぞ「元祖プラネタリュウム」という形状だとは思いませんか。和語に直すと「天象儀」と言うそうですが、実はこの投影機、50年以上も前に作られた旧東ドイツの「カールツァイス社」製の機械なのです。


   降りそそぐ冬の星座に流れ星   弁人


 ところで、現在、日本には400台ほどのプラネタリュウムが設置されているそうで、これはアメリカに次いで世界で二番目の数なんだそうですが、今は、国産の、それもコンピューター制御の小型の投影機もあるそうです。
 いずれにしても、量産する機械ではなく、発注を受けなければ作らないシロモノですから、伝統のありそうなドイツ製と聞くと、なかなかの重みが感じられます。

 プラネタリュウムと言えば、私は東京で生まれ育ったので、小学生の頃、よく上野から地下鉄銀座線に乗って、渋谷の五島プラネタリュウムへ行った思い出があります。その渋谷のプラネタリュウムの投影機も、同じドイツの「カールツァイス社」製の姉妹機だったそうで、それで、この形に親しみを感じたのかもしれません。

 さて、その五島プラネタリュウムですが、私が8才の年から44年間稼働した後、2001年3月に閉館してしまいました。同じ「カールツァイス社」製のものでは、名古屋市立博物館で48年間稼働していたものが2年前に終了。過去にいちばん長く使用されたのは、20年以上前に国産機に切り替えた大阪市の電気科学館の52年間という記録だったそうです。

 その大阪の科学館の52年と79日という投影期間の記録を、今年の8月末に、明石の投影機が超えて、今は日本最長記録を更新中なのです。

  まさに「長寿日本一」になりました
  

 間単に「長寿日本一」と言いますが、実は、ここまで来るには、さまざまな困難な出来事をくぐり抜けて来たわけで、そこには保守点検の苦労はもちろん、幸運や偶然も絡まった歴史があったのです。

 耐用年数は30年くらいと言われる中で、一日でも長く使い続けたいという整備担当者の熱意が端的に現れたのが、阪神淡路大震災の時でした。
 どんな時でも、その日の最終投影後は、万が一の時に備えて最も安定した状態に固定するという、当たり前のことを怠らなかったために、科学館の建物や望遠鏡などには多大な損傷があったものの、地震の発生が早朝の閉館時だったことも幸いして、この機械自体は震災を無事にくぐり抜けることができたのです。

 もう一つ、なぜ地方の小都市の科学館がこんな高額な機器を購入できたかといういきさつです。
 1960年開館の明石天文科学館。東経135度の日本標準時子午線上に作られるということで、ぜひとも日本で4番目のプラネタリュウムをという計画だったのですが、当時1台1億円という価格では、さすがに手が出ないという状況だったのです。ところが、その前年の1959年に伊勢湾台風が襲来、「カールツァイス社」に発注していた名古屋市が災害復旧に追われて購入計画が頓挫してしまったのです。
 いつでも納入できる状態で宙に浮いてしまった高額な精密機械。いったい誰がどういう交渉したのかは定かではありませんが、ほぼ半額で購入できることになって、明石市が飛びついたということです。
 名古屋市にはなんとも気の毒な話なのですが、さすが大都市の名古屋、二年後には復旧の目途も立ったのか、ちゃんとカールツァイス社から投影機を購入していますので、まあ良しとしておきましょう。

 こんな歴史を背負って長寿日本一となった明石のプラネタリュウム。このすさまじい技術革新の時代の中で、使い捨ての風潮に負けずに、いつまでも生き残ってもらいたいと願ってやみません。

 長寿といっても、考えてみれば、私より11歳年下なのですが、この機械が投影する星空を眺めながらシルバー大学に参加していると、なんとなく、明石にいてよかったという幸せな気分に浸れるのです。

 ところで、この日の講座の内容ですが、長寿の星と言われている、りゅうこつ座の「カノープス」という星の解説でした。
 この星、おおいぬ座の「シリウス」の40倍、太陽の1000倍の明るさを持ちながらも、地球から310光年という長い距離と、日本からは南の地平線上にしか現れないため、見える時間が短く、大気の層に阻まれるので、夕陽と同じように赤みがかって見えるのです。
 そんな特徴が言い伝えとなって、中国には、七福神の一人、「寿老人」のもとになった長寿の神様が酒を飲んで酔った時にしか現れないという昔話が残っているということでした。


   鍋の箸暫し休めて星見酒   弁人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする