チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

雨上がりの西相模路で心身の洗濯

2012-12-07 10:09:29 | 旅行
12月7日(金)

 膝を抱えて前後に体をかがめて、じっとしているだけの明石の部屋の小さなお風呂。秋が深まって来た頃から、ゆっくり温泉に浸かりたいと思いつつ、一人で旅館に泊まるのも億劫で、果たせぬまま逗子に戻って来ましたが、さっそく妻君に「近場でいいかな」と誘って、湯河原の宿を予約しました。

 4年前、明石へ行くまでは、この辺りは日帰りで出かけることが多かったので、湯河原での宿泊は久しぶりです。
 出かけることになった4日は、朝方雨が残り、湯に浸かって泊まるだけなら午後出かければ十分とも思いましたが、間もなく雨も上がりそうな気配、それではと、朝食後すぐに電車に乗りました。

 まだ紅葉が残っているとはいっても、湯河原はどこも行き尽くしている感じで、いったいどこで時間を潰そうかなと思っていると、小田原の手前で車窓に大雄山線の電車が見えました。
 「あの電車乗ってみようか。乗ったことある?」
 「どうかなぁ、ないかもしれない」
 「最乗寺は?」
 「一緒に行ったことがなければ、ないんじゃない」
 「車で近くを通ったことは何回かあるけど、最乗寺はまだ行ってないな」
というやりとりをして、小田原から大雄山線に乗ることにしました。

 電車に揺られて20分。終点の大雄山駅から「道了尊」行きのバスに乗り換えて10分ほど山へ入って行くと、大雄山最乗寺の三門近くの終点に着きました。

 雨に濡れた滑りやすい道を
  2、3分歩くと、三門です
  

 ところで、「大雄山最乗寺」なのに、なぜ「道了尊」と言うのか、今まであまり気にも留めなかったのですが、寺の案内を読んでわかりました。

 最乗寺は今から約600年前に創建された曹洞宗の名刹で、開山したのは了庵禅師という方なのですが、開山にあたって修験道の行者であった道了という僧が空を飛んで了庵禅師の許に馳せ参じ、五百人力を以って土木作業に専念し、わずかの間に創建の大事業を成し遂げ、その後、天狗となって山中に身を隠し、観音菩薩の化身として信仰を集めるに至ったということなのです。
 そんな言い伝えがあって、最乗寺の御本尊は釈迦牟尼仏なのですが、道了尊に対する信仰の厚いお寺になっているのです。

  三門から大木の中の参道を進みます
  

  突然、木漏れ陽が差し込んで来ました
  


   時雨去り御仏開眼のけはひなり  弁人


  真紅のもみじも最乗寺の初冬の彩り
  

 この後、本堂をお参りして、さらに階段を上って行くと、奥の院まで、開山堂、鐘楼、不動堂、大黒殿、御真殿等々、奥の院まで様々な建物が続きます。

  その中の一つ、風情ある多宝塔
  

 さて、ひと通り最乗寺を歩いた後、再び小田原へ戻り、湯河原温泉へ向かいました。

  まだ陽の明るいうちに部屋に落ち着き
  

  露天風呂、久しぶりです
  


   せせらぎの音も温もるもみぢの湯  弁人



 そして、旅寝の朝も上天気。とりあえずバスで駅に下りて東海道線に乗りました。

 向かったのは、
  大磯城山公園の郷土資料館
  

  公園内の紅葉はまだまだ見頃で
  

  展望台に上がれば、この絶景
  
 でも、雄姿の上に、お天気が下り坂になるという笠雲が乗っかっているのが気になりました。


   こゆるぎの磯の香吸ふか富士の雪  弁人


 それにしても、心洗われる西相模路の散策でしたが、案の定、このあと急に雲が多くなってきて、前日の朝まで時雨模様だったのに、その日の夜半から6日の朝にかけて、またしっかりと雨が降ったのでした。


コメント
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