チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「母の見舞いの東京通い」を懐かしんで

2012-09-04 14:15:46 | お出かけ・散策
9月4日(火)

 母が体調を崩してから旅立つまでの4カ月間、逗子から、いったい何回横須賀線に乗ったことでしょう。
 妻君は、私が明石に戻ったりするので、一時定期券を購入して東京との往復をしていましたが、私は、一~三日おきくらいだったので、回数券を利用したりしていました。
 家を出ると一日がかりになりますが、小康状態の時は15時からの面会時間を守っていたので、だいたいは、昼前に出て、13時過ぎに上野駅の老舗のお蕎麦屋さんか、14時頃に病院の近くのお寿司屋さんでお昼を食べてから母に会うというパターンでした。

 ただ、せっかく時間をかけて東京まで出るのだからと、このブログにも載せてきたとおり、浅草や向島、堀切の菖蒲園に足を運んでみたり、秋葉原から「つくばエキスプレス」にとか、日暮里から「舎人ライナー」に乗ってみたりと、寄り道や回り道を楽しんだこともしばしばで、子どもの頃行ったのかどうか記憶も曖昧な入谷の朝顔市も楽しむことができました。

 そんな中、梅雨が明けて暑くなってきた頃、妻君に「今度二人で行く時に、西新井大師に連れて行ってあげよう」と言ったことがあったのですが、母が亡くなってそのままになっていました。
 もう一つ、病院のそばのお寿司屋さん。入った時がいつもランチタイムということもあってか、リーズナブルな値段で、その上ネタも新鮮でおいしいのです。一度、刺し身でも頼んでゆっくり飲みたいと思いながら、とうとう喉を潤すという機会がありませんでした。

 先日、残暑の厳しい中で納骨を終えましたが、9月に入って雨も降るようになって、さすがに、ほんのちょっぴりですが、涼しくなったような気分の中で、ふと、北千住から先の東武電車が懐かしくなって、妻君を誘って西新井へ向かいました。お寿司屋さんでは荒川にいる姉も合流することになって、母の思い出話もできそうです。


 西新井大師へは北千住辺りからバスがありそうですが、やはり東武電車の西新井駅から一駅、いわゆる「盲腸線」の大師線に乗って行くのが明解でしょう。

  西新井駅。伊勢崎線の向こうに大師線のホームが
  
 最近、東武伊勢崎線は「スカイツリーライン」と案内されるようになっています。

  大師前駅構内から、いくつもの甍が目に入ってきます
  

  参道はそんなに長くありませんが、門前らしくお店が並んでいます
  
 例えば、柴又の帝釈天は草団子屋と川魚料理店、川崎大師は飴屋とくず餅屋が有名ですが、西新井大師はお煎餅屋と柴又同様に草団子屋が並んでいます。さっそく、醤油味の濃い手焼き煎餅を賞味して、山門をくぐると、

  立派な本堂が広い境内の真ん前にそびえています
  

  家族と二人の孫の健康を祈願して
  

 地図を広げたり、舎人ライナーから眺めたりするとそんなに広い所とは思えないのですが、けっこう緑豊かなお庭があったりして、都会の真っ只中にあることを、ふと忘れてしまいます。

  本堂の左奥に、見事な滝がありました
  

  弘法大師の像とひまわりの花
  
   


   向日葵の弘法大師と対峙せり   弁人


  戻って、山門の脇の鐘楼の前も庭になっています
  


   梵鐘を撞く人もなく百日紅   弁人


 西新井大師をあとにして、次は、再び「盲腸線」に乗って、西新井から病院のあった竹の塚へ向かいました。

  わずか一駅、もちろん単線の東武大師線
  
 「盲腸線」と言えば、山陽線の神戸兵庫駅と和田岬駅間がJRの路線として有名で、一度乗りたいと思いつつ、まだ果たしていないので、いずれ機会があったら話題にしたいと思います。

 さて、竹の塚の駅前から、暑くなければ歩いちゃうのですが、バス停で三つ目、国道4号線との交差点の角に、目的のお寿司屋さんがあります。国道を渡った所には「銚子丸」という、なかなか威勢のよい回転寿司屋もありますが、

  この日、ゆっくり味わいたかったのは「赤兵衛」というお店
  

 病院へ行く用もなくなったのに、その近くで食事会というのは、なんとも張り合いがなく、少しばかり複雑な気分になりました。


   行く夏や母も喜びし握り寿司   弁人

コメント
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