9月11日(火)
天寿を全うした母の件も、おおかたは一段落した感もあって、先週、明石に戻ってきました。
3月から約半年の間、通院の関係もあって、ひと月に一度くらいの感じで明石に戻って、部屋の空気を入れ換えたりしながら何回かKAZU君の保育園にも行きましたが、大半の日々は明石を留守にしてきたわけですから、それはつまり、手のかからないお兄ちゃんになったKAZU君は、もう私がそばにいなくても大丈夫だということにもなります。
二人目の孫のKANA君は東京にいて、二年間奈良で隠棲していた妻君も逗子に戻っています。そんなことを考えると、ちょうど丸四年になる明石暮らしについても、正直のところ、その区切りを含めていろいろ考え込んでしまった逗子での日々でした。
でも、やっぱり明石海峡の空と風、それに関西の香りがなつかしい。いや、もう、そういうものがすっかり自分の身にしみ込んで捨てがたくなっているということにも気付かされました。
「明石に戻りたい」、「いつでもKAZU君に会える所にいたい」、とりあえずはそれだけでいいじゃないかと、自分が明石にいる必要性なんぞは放り捨てて新幹線に乗りました。「今度はゆっくりするぞ」という気分で。
部屋に戻って窓を開けると、さっそく「明石の景色やぁ」
翌日、新聞を買いに駅に出る時、山を削ってできた新しい住宅地を通るルートを歩いて行くと、
眺めの良い公園ができ上がっていました
でも、まだ暑い。下の大蔵海岸のベンチと同様、日陰のないのが難点で、海を見下ろして新聞を広げる気にはなりませんでした。
さて、久しぶりの保育園のお迎え。でも、その前に夕飯の買物をと、明石駅の西に車を走らせ、スーパーの近くの海岸に出てみました。あまりすっきりとした天気ではありませんでしたが、少し秋めいて来ているのか、この日は見通しが良かったからです。
明石の海も、少し西へ行くと、小豆島が見えます
ということで、買物を済ませてから保育園に行くと、さっそくKAZU君のご登場。
「おじいちゃん、これがこうで、これはこうなんやで」
久しぶりなので、しゃべりたいことがたくさんあるのか、説明が大変です。
「おじいちゃん、なんで逗子のおうち、行っとったん?」
6月頃の会話を思い出します。
「おじいちゃん、なんで保育園にこんかったんや。カーくん待っとったんに、お父ちゃんばっかりやったで」
「ごめんな、カーくん。あのな、カーくんにお父ちゃんとお母さんがおるやろ。お父ちゃんとお母さんにもお父さんとお母さんがおってな、カーくんのお母さんのお父さんがおじいちゃんなんやで。熊本のおばあちゃんはお父さんのお母さんなんや」
「?、?、?・・・」
「そいでな、おじいちゃんにもお母さんがおってな、今病気なんや」
「お母さん、帰って来る? 寝とる? お薬飲んどる?」
「カーくんのお母さんやないで、おじいちゃんのお母さんや」
「?、?、?・・・」
わからないことでも、子どもは何回か話しているうちにわかって行くはず。今回は、「おじいちゃんのお母さんが死んじゃったんや」と言ったら、首をかしげていたので、「いなくなっちゃったんや」と言い直したところ、「さがしに行かなあ、いけんな」ということばが返ってきました。
夜の秋わからぬことがまたひとつ 孫弁人
そして、家に帰ると、積み木で駅を作って電車遊びに夢中
「大阪駅5番乗り場に特急スーパーはくとがまいります。ご注意ください。危ないですから黄色い線の内側に下がってお待ちください。まもなく、特急北近畿と連結いたします」
などと、駅の構内放送をどこでどう覚えたのか、もう一人大人がいれば、思わず吹き出してしまうに違いない可愛さで、いっぱしに口ずさんでいます。
次は、「都電荒川線」名物「都電もなか」の箱を並べて
実は、荒川区に住んでいる私の姉が、KAZU君にと「都電もなか」を持たせてくれたのですが、「おじいちゃんのお姉さんがな、・・・」と言っても、やっぱり理解できません。「お母さんの伯母さん・・・」などと言ったらよけいにわからなくなることは請け合いです。
結局、「おじいちゃん、ありがとうな、もなか、おいしかったで」と言われて、私のお土産ということになってしまいました。
そのもなかの箱をテーブルの上に並べて、「ここが荒川車庫やで」と説明したあと、「パソコンで都電見ような」と言い出して、YouTubeで運転席からの映像の画面を開いているのです。
やおら包装紙の地図を広げて、三ノ輪橋から早稲田までの全部の駅を一つずつ指さして、その駅名を何べんも私に言わせます。そのうちに全部言えるようになっちゃうのかもと思うとおそろしい限りです。
こんな具合で、多少両親の帰りが遅くても、時間はあっという間に経って行きます。
「おじいちゃんは、本当はカープの野球をテレビで見たいのに」と思いつつ、カーくんと別れて自分の部屋に帰ってくると、もう試合は終盤にさしかかっていたりします。
そして、土曜日。前日には「曇のち雨」の予報でしたが、朝から雲間に青空ものぞいていました。
「おじいちゃん、明日は電車乗りに行こうな」と言っていたKAZU君ですが、あいにく耳掃除がうまく行かなくて、昼前に耳鼻科に行くことになり、お昼を一緒に食べた後、海岸の公園で遊びました。
ツルツルの急勾配で、5月頃は登れなかったのですが
すっかり、自分の遊び道具になりました
知らぬ間に壁乗り越えて秋の海 弁人
天寿を全うした母の件も、おおかたは一段落した感もあって、先週、明石に戻ってきました。
3月から約半年の間、通院の関係もあって、ひと月に一度くらいの感じで明石に戻って、部屋の空気を入れ換えたりしながら何回かKAZU君の保育園にも行きましたが、大半の日々は明石を留守にしてきたわけですから、それはつまり、手のかからないお兄ちゃんになったKAZU君は、もう私がそばにいなくても大丈夫だということにもなります。
二人目の孫のKANA君は東京にいて、二年間奈良で隠棲していた妻君も逗子に戻っています。そんなことを考えると、ちょうど丸四年になる明石暮らしについても、正直のところ、その区切りを含めていろいろ考え込んでしまった逗子での日々でした。
でも、やっぱり明石海峡の空と風、それに関西の香りがなつかしい。いや、もう、そういうものがすっかり自分の身にしみ込んで捨てがたくなっているということにも気付かされました。
「明石に戻りたい」、「いつでもKAZU君に会える所にいたい」、とりあえずはそれだけでいいじゃないかと、自分が明石にいる必要性なんぞは放り捨てて新幹線に乗りました。「今度はゆっくりするぞ」という気分で。
部屋に戻って窓を開けると、さっそく「明石の景色やぁ」
翌日、新聞を買いに駅に出る時、山を削ってできた新しい住宅地を通るルートを歩いて行くと、
眺めの良い公園ができ上がっていました
でも、まだ暑い。下の大蔵海岸のベンチと同様、日陰のないのが難点で、海を見下ろして新聞を広げる気にはなりませんでした。
さて、久しぶりの保育園のお迎え。でも、その前に夕飯の買物をと、明石駅の西に車を走らせ、スーパーの近くの海岸に出てみました。あまりすっきりとした天気ではありませんでしたが、少し秋めいて来ているのか、この日は見通しが良かったからです。
明石の海も、少し西へ行くと、小豆島が見えます
ということで、買物を済ませてから保育園に行くと、さっそくKAZU君のご登場。
「おじいちゃん、これがこうで、これはこうなんやで」
久しぶりなので、しゃべりたいことがたくさんあるのか、説明が大変です。
「おじいちゃん、なんで逗子のおうち、行っとったん?」
6月頃の会話を思い出します。
「おじいちゃん、なんで保育園にこんかったんや。カーくん待っとったんに、お父ちゃんばっかりやったで」
「ごめんな、カーくん。あのな、カーくんにお父ちゃんとお母さんがおるやろ。お父ちゃんとお母さんにもお父さんとお母さんがおってな、カーくんのお母さんのお父さんがおじいちゃんなんやで。熊本のおばあちゃんはお父さんのお母さんなんや」
「?、?、?・・・」
「そいでな、おじいちゃんにもお母さんがおってな、今病気なんや」
「お母さん、帰って来る? 寝とる? お薬飲んどる?」
「カーくんのお母さんやないで、おじいちゃんのお母さんや」
「?、?、?・・・」
わからないことでも、子どもは何回か話しているうちにわかって行くはず。今回は、「おじいちゃんのお母さんが死んじゃったんや」と言ったら、首をかしげていたので、「いなくなっちゃったんや」と言い直したところ、「さがしに行かなあ、いけんな」ということばが返ってきました。
夜の秋わからぬことがまたひとつ 孫弁人
そして、家に帰ると、積み木で駅を作って電車遊びに夢中
「大阪駅5番乗り場に特急スーパーはくとがまいります。ご注意ください。危ないですから黄色い線の内側に下がってお待ちください。まもなく、特急北近畿と連結いたします」
などと、駅の構内放送をどこでどう覚えたのか、もう一人大人がいれば、思わず吹き出してしまうに違いない可愛さで、いっぱしに口ずさんでいます。
次は、「都電荒川線」名物「都電もなか」の箱を並べて
実は、荒川区に住んでいる私の姉が、KAZU君にと「都電もなか」を持たせてくれたのですが、「おじいちゃんのお姉さんがな、・・・」と言っても、やっぱり理解できません。「お母さんの伯母さん・・・」などと言ったらよけいにわからなくなることは請け合いです。
結局、「おじいちゃん、ありがとうな、もなか、おいしかったで」と言われて、私のお土産ということになってしまいました。
そのもなかの箱をテーブルの上に並べて、「ここが荒川車庫やで」と説明したあと、「パソコンで都電見ような」と言い出して、YouTubeで運転席からの映像の画面を開いているのです。
やおら包装紙の地図を広げて、三ノ輪橋から早稲田までの全部の駅を一つずつ指さして、その駅名を何べんも私に言わせます。そのうちに全部言えるようになっちゃうのかもと思うとおそろしい限りです。
こんな具合で、多少両親の帰りが遅くても、時間はあっという間に経って行きます。
「おじいちゃんは、本当はカープの野球をテレビで見たいのに」と思いつつ、カーくんと別れて自分の部屋に帰ってくると、もう試合は終盤にさしかかっていたりします。
そして、土曜日。前日には「曇のち雨」の予報でしたが、朝から雲間に青空ものぞいていました。
「おじいちゃん、明日は電車乗りに行こうな」と言っていたKAZU君ですが、あいにく耳掃除がうまく行かなくて、昼前に耳鼻科に行くことになり、お昼を一緒に食べた後、海岸の公園で遊びました。
ツルツルの急勾配で、5月頃は登れなかったのですが
すっかり、自分の遊び道具になりました
知らぬ間に壁乗り越えて秋の海 弁人