チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

つぶやきNo.6「普天間問題で思うこと」

2009-12-17 15:24:28 | つぶやき
12月17日(木)

 9年前、初めて沖縄へ行った時、石垣島から乗った飛行機が30分ほどで那覇空港の上空に来たのに、嘉手納の管制の指示で着陸できず、さらに30分ほど上空を旋回していたことがありました。那覇空港はいわゆる「軍民共用空港」で、自衛隊との共同使用ですが、その離着陸は全て嘉手納の管制の指示下にあるということを知り、沖縄と米軍基地の問題を再認識させられました。

 最近、あまり沖縄へ足を運んでいません。前回は5年前の春でした。嘉手納基地と那覇空港のあいだにある普天間飛行場、その脇にある佐喜眞美術館を訪れたのはその時です。丸木位里・丸木俊夫妻の「沖縄戦の図」を見るのが目的で、それを果たしたあと、普天間飛行場が一望できる美術館の屋上に上りました。
 たまたまその日は飛行機やヘリの離発着がなく静かな飛行場でしたが、非常に奇異な感じで、宜野湾市民の生活圏が楕円形のドーナッツ状になっているのがよく見渡せました。

 美術館の南方にある沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落したのは、その数ヶ月後のことです。


 この飛行場の返還が日米で確認されたのは十数年前。その後まもなくその代替施設として辺野古の名前が上がったものの、反対運動はもちろん、知事の交代などもあり、現在に至るまでほとんど進展していません。
 ところで、最近の報道では、さかんに米側から合意の実行を迫られているということですが、アメリカの都合として考えられることは、滑走路の老朽化に対する不満、それに日本の意を酌んだ形になっているグァム移転に関する予算編成上の問題というところでしょうか。
 しかし、よく考えると、アメリカとしては普天間を今のまま使いながら海兵隊を順次グァムに移せばよいのですから、このまま移設が進まなくても痛くもかゆくもないはずなのです。
 つまり、前政権が約束をした日米合意をどう扱うかという外交問題を抱えてはいるものの、基本的には日本国内の問題なのです。

 政権が交代しました。その新しい政権が宜野湾市民の生活の安全を期して普天間の返還を実現し、辺野古の自然を守るために新たに代替地を考えるという姿勢はそんなにおかしいことなのでしょうか。問題は一度約束したことを変更することで、この交渉にはそれなりの軋轢が生じることは当然でしょう。しかし、体制が180度転換して、一方的に「出て行け」と言っているのではないのですから、多少の困難があっても、ここはきちんと外交交渉をしてほしいものです。

 ところが、最近のメディアの姿勢、マスコミの論調を見ると、「そんなことをしていたらアメリカが」という、日本の大事なところは全てアメリカの掌中に収められているかのような報道が多く、いたづらに国民の不安をあおっているような気がしてなりません。
 きちんと納得できる着地点を模索してほしいのに、なぜそんなにアメリカに対して臆病にならなくてはいけないのでしょうか。

○ アメリカが日本を守っているから
 日米安保条約で日本人の安全が守られている? たしかに米軍が日本にいることが抑止力になっているのかもしれません。しかし、米軍が日本にいるのは、あくまで極東地域での戦略の一環であって、日本を守るというのは二義的・三義的なものでしかないのです。海兵隊のグァム移転も日本の要求を酌んだものではなく、あくまでも極東の兵力の削減計画によるものなのです。

○ 北朝鮮の核ミサイルが
 万が一そういうことが起こるとすれば、それはまさに北朝鮮が断末魔の状態に陥った時で、常識的には、国際社会を敵に回して無謀な行動に出ることは考えられないのです。もちろん、考えられないことをするのが北朝鮮という脅威論もありますが、その時に本当に米軍が迎撃できるのでしょうか。どのように防ぐのかというのは機密事項の領域なので真相はわかりませんが、アメリカが太鼓判を押して阻止してくれるのだという話は聞いたことがありません。

○ 日本の安全って?
 政治家がよく、「国民の生命と財産を守る」と言います。そのために「思いやり予算」を正当化したり「防衛費の増額」を図ったりしますが、それで本当に私たちの生命と財産が守られているのでしょうか。
 昔の話と言えばそれまでですが、太平洋戦争を振り返れば、ヒロシマ・ナガサキの原爆、各地を襲った大空襲、オキナワの地上戦、みな庶民が犠牲になっています。それに対して、戦争犯罪で裁かれた人や権力闘争で抹殺された人を除けば、国家の中心にいた人はほとんど犠牲にはなっていません。
 ベトナムもカンボジアもアフガンもイラクも、辛酸を舐め犠牲になるのは、そのほとんどが一般市民なのです。今の日本は戦下ではありませんが、不況による自殺者の増加、失業、収入の低下、税金の無駄遣い、国債発行による借金。とても「国民の生命と財産」が守られているとは思えません。もしかすると、国家が守る「国民の生命と財産」というのは違う意味があるのかもしれません。

○ アメリカの本音
 中国や韓国に対しても同様でしょうが、戦争を放棄している日本が、防衛のためとはいえ、軍備を強化して核を保有しようとする方向に進むのはとても困ることなのです。大事なのは、日本人に日本はアメリカの傘の中にいるという安心感を持たせることなのです。だから「日本が言うことを聞かないのなら云々」というのは外交上の圧力にはなっても、もう面倒は見ない、引き上げる、見捨てるということにはならないでしょう。


 昨日のニュースによると、鳩山首相は辺野古以外に代替地を模索すると報じ、私はほっとしましたが、ニュースではどのチャンネルも、そのあとに、米側の反発が必至とか、怒りを通り越してあきれられるだろうという懸念を訴えていました。ちょっと卑屈すぎませんかね。
 そんな風潮の中で、鳩山首相に対しては、優柔不断ではっきりしない、頼りないという評が専らですが、ここは彼の焦らずに信念を貫くという頑固さに期待したいと思っています。


 聞くところによると、国会で沖縄選出の下地議員が、例えばの話で、関空の名を出して県外への移設を主張したところ、元官房長官の町村議員が「関西の人に失礼だ」「持ってこられた県がかわいそうだ」と野次を飛ばしたということです。この人は沖縄なら失礼でなくかわいそうではないとでも思っているのでしょうか、信じられません。

 ところで、関西では、伊丹・関空・神戸の三空港問題がよく取り上げられます。大阪の橋下知事は上の前官房長官とは対照的に「関西でという話があれば話し合うのはやぶさかでない」と発言し、「沖縄県民の負担軽減は全国民レベルで考えなければいけない」という姿勢を表明しました。さらに神戸空港なんかもという話も出て、神戸市長が抗議する状況もありました。ふだんから橋下知事は目立った発言が多くてよく物議を醸しますが、この件では視野の大きさという点で知事に分がありそうです。

 実は、関西には米軍基地がないのですが、こういう話は関西に限らないのです。JALの問題でも浮き彫りになりましたが、日本は空港を作り過ぎたきらいがあって、使用率の低い滑走路がたくさんあるのです。

 普天間飛行場の滑走路は2700mです。しかし当初の移設案では、普天間はヘリコプターの利用が主で、代替地の辺野古には滑走可能な1300mのヘリポートを建設するという話だったのです。ところが、それがいつのまにか1800m2本ということになっています。米側の要求と日本のゼネコンの利権がかみ合ったのでしょうか。もしかすると、辺野古の工事が中止になっていちばん困るのは大手ゼネコンとその利権に絡んでいる業者なのかもしれません。

 そろそろ話をまとめましょう。冒頭の那覇空港の例と同じように、日本にはいわゆる軍民共用空港がいくつも存在しています。そのほとんどは自衛隊と民間機との共用ですが、福岡空港や長崎空港などは米軍が利用しています。また、自衛隊単独の飛行場も存在しています。宮崎県には2700mの滑走路を持つ自衛隊基地もあります。
 つまり、全国の飛行場を自衛隊基地を含め、共用も視野に入れて整理して行けば、新施設を作らずとも、普天間に代わる場所は作り出せるはずなのです。それに極東の米軍配置は縮小の方向に向かっているのです。共用と言っても半永久的にということにはならないでしょう。そういうことを踏まえて、今、大切な自然を破壊してまで新滑走路を作る必要があるのかと考えると、答えは簡単だと思うのですが。

 アメリカは大国です。日本の一軍用施設の移設が遅れているということで、本当にけんか腰になるのでしょうか。アメリカでは、普天間問題は新聞の記事にもならないほどの話題であり、一部の政府関係者・軍事関係者を除けば、ほとんど関心を持っていないというのが現実なのです。


コメント
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