チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「船景色」を求めて

2017-02-01 23:19:15 | 船景色
2月1日(水)

 先日、妙に暖かくなった日が一日ありましたが、今年の1月は、かなり強烈な寒波が居すわったりして、寒い日が多かったように感じます。
 冬型の気圧配置になると、こちら南関東では明石と違ってよく晴れわたってくれるので、この冬は富士山の雄姿を眺める機会も多かったということになります。

 そんなわけで、快晴の日に自転車で買い物に出ると、つい海岸まで足を伸ばしたくなりします。

 大海原の向こうに富士と箱根連山。天城山の左に伊豆半島が伸びていて、その沖合に伊豆大島。足元に打ち寄せる波もそうですが、瀬戸内海の入り口の明石海峡の海岸とはかなり趣が異なります。
 ヨットの帆、ウインドサーフィンの影、それはまったく長閑で湘南らしい素晴らしい光景なのですが、その動きからたしかに風は見えているものの、明石の海で目のあたりにした潮の流れは視界に入ってきません。
 時折、釣り舟が魚影を探しているのでしょうか、エンジンをふかして走ったりしますが、波やうねり以外の水の動きが見えてこないのは、やっぱり船影が少ないからなのでしょうか。

 明石海峡の光景を懐かしく思い出しながら、たまには船を眺めたいなと思う日々。
 ところが、年頭の記事で触れたとおり、東京湾側には海を眺めるスポットがなかなかありません。船を見るならやっぱり浦賀水道、観音崎に行けばいいのは承知の上で、どこかにプラっと行ける船の見える所はないかという気分を拭いきれずにいました。

 やっと見つけたのは、
  こんな感じの場所
  

 大きな円形状の芝生の先に東京湾が広がっています。工場地帯なので、ガスか石油かのタンクの跡地ではないでしょうか。海に向かって階段は数段ですが、展望スペースもあります。
 10月から11月頃、何回か八景シーパラダイスのそばにある大きなゴルフ練習場に出向いていました。正月明けに一度行った帰りに、練習場の北へ向かい、福浦・幸浦辺りの工業団地の海岸線を車でうろちょろして見つけました。

 豪華客船。
  横浜を出港したのでしょうか
  

 左端に自動車運搬船。
  望遠使わないとだめですね
  

 対岸の房総の工業地帯はよく見えますが、如何せん船は遠くて小さい。浦賀水道から内海に入ると水域が広がり、千葉とか横浜とかに航路が分かれているのかもしれません。

 南に見える猿島の手前に
  自衛艦が入ってきました
  

 真冬の午後、季節風が吹きっさらしでとにかく寒い。でも春になったら気持ち良く海を眺めていられそうで、時間潰しにもってこいの所かもしれません。


   空っ風船にも獲物か鳶行く   弁人


 そしてもう一ヶ所。
 先日、買い物で横須賀平成町のショッピングモールに入ったところ、なんと階上の駐車場の隅に「展望フロア」なるものがありました。

 こんな感じ。目の前が猿島で、
  その向こうに船が通ります
  
  

 室内というのが格別。この時期に暖かいということは空調完備でしょうから冬と夏は絶好です。観音崎もすぐ先に見えていて、船の姿もそんなに小さくはありません。

 コンテナ満載の船を見ていたら、
  猿島の陰からも大きな船が
  

 その大きな船、明石でもよく見ました。「○○ハイウエイ」という名の自動車運搬船です。

 次の船、小さくてよく見えませんが、
  お馴染みの船でした
  

 上が白で下が緑。「ワレニウス・ウィルヘルムセン」、北欧の海運会社の自動車運搬船です。

 これも懐かしい。白球4つの
  LNGタンカー
  

 左はタンカー。右から来るのは
  メンブレン型LNGタンカーか?
  


   春を待つ猿島の先に船景色   弁人


 遠くばかり眺めていましたが、気がつけば、左(北側)足下は横須賀の港だったのです。

 貨物船が
  入港して来ました
  

 目を上げると、右上の空には、羽田に着陸する飛行機が次々と現れます。カメラに収めようと思いましたが、東京湾入り口付近で右に旋回してしまいます。たぶん、米軍横須賀基地を避けて房総半島上空から降下するのでしょう。
 私も何回か羽田発着の便に乗り窓下を見ていましたが、あの忌まわしいニューヨークのテロ事件以来、旅客機は米軍基地のある三浦半島上空を飛ばなくなっているようようです。

 ところで、羽田発伊丹行きの日航機が御巣鷹山に墜落したのは、もう30年以上も前のことですが、あの当時は羽田離発着の旅客機が次々と東京湾の上空を飛んでいました。
 当時、職場が横須賀だったのですが、ある夏の夕方、その光景を眺めながら、友人に「あんなにたくさん飛行機が飛んでいるのを見ると・・・・・、大丈夫なのかな」と話しかけてしまったのです。あの事故はその数日後のことで背筋が寒くなり、今でも忌まわしい思い出になっています。



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