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初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

JR「○○市駅」追加編-西脇市「旧鍛冶屋線跡」

2012-11-16 21:02:43 | 鉄道
11月16日(金)

 前回の記事で、JRの「○○市駅」という駅を3つ挙げて話題にしましたが、実はもう一つ、兵庫県にもあるのです。

 10月初めに、東経135度北緯35度にある西脇市の「日本へそ公園」に行き、10月5日の記事に載せました。その時に、今は廃線となった、西脇市駅から彼岸花のきれいな多可町を結んでいた「鍛冶屋線」の跡も車で回ってみたのです。そのスタートがこの駅です。

  JR加古川線の「西脇市駅」
  

 加古川線は、山陽本線の加古川駅と福知山線の谷川駅を結んでいるローカル線ですが、直通の電車はほとんどなく、この西脇市駅が中継の駅となっています。

  ホームには二つの電車が並んでいました
  
 左の電車が加古川行き、右の電車が谷川行きです。西脇市から加古川方面は、それでも1時間に1本ほど走っていますが、谷川方面は運行本数が少なくて一日9本。写真の10時12分発の電車の次は、13時41分発まで約3時間半も間隔が空いてしまいます。

 その谷川方面の次の駅は「新西脇」という駅名になっているのに、なぜこの駅の名称が「西脇駅」でないのかを、駅前で煙草をふかしていたタクシーの運転手さんに聞いてみたところ、かつてこの駅は「野村駅」という名称で、今は廃線となった旧鍛冶屋線に「西脇駅」という駅があったからではないかということでした。

 その旧鍛冶屋線、廃線となったのが1992年ということですが、かつてはこの駅(当時の野村駅)から加古川の支流の杉原川に沿って北上し、さらに、その支流の思い出川沿いを上って、多可町の鍛冶屋駅までを結んでいたということです。

 その旧鍛冶屋線。始発の「野村駅」の次の駅に「西脇駅」という駅があったとかで、地図を見ると、その場所は、たしかに今の市街地に近い所なのですが、廃線にともなって、市の中心部にあった「西脇駅」が消える運命になり、今度は、加古川線の「野村駅」という名称を、一見して西脇とわかる駅名に変えることになったようです。どうもその時に、廃止される駅との混乱のないように「市」を入れて「西脇市駅」としたようでした。

 ということで、この日は、この町の駅名に「市」が付いているわけに納得ができた気分。少しすっきりした中、せっかくなので、杉原川沿いに車を走らせ、終点の鍛冶屋駅跡に向かってみました。

 途中の道路沿いに、
  ラッピングされた青い電車がありました
  
 旧西脇駅の一つ先の「市原駅」跡です。彼岸花の咲く土手とのあいだに道路を挟んで、昔のホームが残っていて、そこに浦島太郎の絵が描かれている電車が残っていました。

  すぐ脇に駅舎も残って、記念館になっています
  

  思い出の品が展示されていました
  

  さらに10キロほど北上すると
  
 終点の旧鍛冶屋駅の駅舎です。田園地帯の中とはいえ、駅の周辺は、昔ながらの古めかしい家も並び、往時はそれなりに人の往来の多い土地だったような風情も残っていました。

  駅舎を抜けると、プラットホームに出ます
  

  「キハ」のブルーの車体が秋空に輝いていました
  


   往にし日の面影追ひて秋澄みぬ   弁人



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