2月15日(月)
生ぬるい南風。カープの選手たちの明るい表情。球場に響く元気のいい掛け声。「沖縄だなぁ」という感慨に浸っていると、メインスタンド一塁側の後方から轟音が響いてきます。
沖縄市営球場のあるコザ運動公園は沖縄自動車道のすぐそばにありますが、高速道路の向こう側には嘉手納飛行場のある米軍施設が広がっているのです。
次々と上空をかすめる米軍機
春の雲かき分け消ゆる軍用機 弁人
嘉手納基地の南にドラゴンズがキャンプを張る北谷がありますが、ここも米軍のキャンプレスターとキャンプフォスターが広がっています。
その南が普天間基地のある宜野湾市。メイン国道の58号線を走っていると、だいたいが米軍施設の脇を走っている感じです。那覇市と宜野湾市の間にある浦添市も58号線沿いは西側にずっとキャンプキンザーが続いています。
日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中しているのですから、当たり前と言えば当たり前ですが、こうして車やバスで行き来していると、さすがに、その不自然さと異様さにあきれてしまいます。
私が長年住んでいる神奈川は全国で二番目に米軍基地の多いところなので、米兵らしき人とすれ違ったり、横文字の看板やネオンを見ることには比較的慣れているのかもしれません。それでも、やっぱりここは異常です。まさに「オキナワ」の匂い。
辺野古の海を見に行ったのは沖縄に到着した日の午後でした。
名護市辺野古は宜野座インターから車で30分程行った所にありました。
実は今から8年前に宜野座の手前の金武(キン)という町を歩いたことがあります。有名な泡盛の酒造があって、敷地内にある通年にわたって気温が一定の鍾乳洞に一升瓶2本分を預けたのです。金武はジュゴンのいる海が広がるのどかな町と思いきや、ここもキャンプハンセンという施設が大半を占めていて横文字の看板がたくさん目に入ってきました。海辺にも訓練施設がありました。タコライスの店があるとか聞いていたのですが、「Tako-rice」の表示に躊躇して、万座毛のホテルへ向かってしまったのを覚えています。
金武に眠っている泡盛の1本は12年契約なので飲めるのは4年後です。ということで、今回は金武は素通りして辺野古へ向かいました。
普天間の代替地候補の場所は、米軍のキャンプシュワーブの海岸なので近くには行けません。辺野古の町の先は、国道が米軍の鉄条網に挟まれるように走っていました。
鉄条網の向こうに海岸が見える所が
辺野古の北は大浦湾です。大浦湾は大きいので、向こう側まで車を走らせるとキャンプシュワーブからかなり離れてしまいます。
北から眺めると
帰りに、もう少し近くの南側から望めるところを探して
候補地の海岸は岬のようになっていて、その先の海上に「長島」「平島」が横に延びているように見えました。いかにも沖縄の海らしいたたずまい。天気がよかったらすばらしい眺めだと思います。
水ぬくしのんびり眠るジュゴンかな 弁人
でも、やっぱり「オキナワの海なのか」と現実に戻される光景に出合ってしまいます。
反対派のデモ看板
そして辺野古の町には移設容認派の建物も
長年にわたって米軍が駐留してきたことによる影響は計り知れません。米軍の基地や施設に依存して暮らしている人たちも多いのでしょう。したがって、反対運動が起これば、一方で必ず賛成派も起ち上がってくるという、なんともやりきれない構図になるのが現実です。
たしかに難しい問題ですが、やはり基本は、辺野古の海を「オキナワの海」にしないこと、そして「オキナワ」を「沖縄」に戻す努力を怠らないことだと思います。そのためには、米軍に関わって生計を立てている人たちの生活も十分に保障しなければならないのはもちろんですが。
こんなことを言うと、「自然を守る」と言うのは聞こえはいいが、非現実的で感傷的、その前に「人間の生活を守る」ことが先決ではないかという声が聞こえてきそうです。でも、本当にそうなのでしょうか。もう一度、改めて、日本に米軍が必要なのかどうか、米軍に守られて私たちの生存が成り立っているのかどうかということを考えてみることが肝要だと思います。
そういう点で、私にはどうも理解できないのですが、たとえ仮に、日本には米軍が必要だということになったとしても、安易にオキナワ県内での移設を考えるのはやはりおかしい。米軍施設を抱えていない府県は30以上もあり、全国には使用率の低い滑走路がたくさんあるのです。移設先を国内でと言うのなら、もっと大きな視点に立って受け容れを考えるのは当たり前のことだと思います。
ところで、今年のインターハイは沖縄で開催されます。若きスポーツマンが全国からやって来ます。若い人たちには、まず沖縄の自然の美しさを実感してほしいと思いますが、それだけではなく、ぜひとも米軍施設の光景にも目を向けて、オキナワの現実にもっと関心を持ってほしいと痛感します。他人事だと思うような感受性の乏しい若者はごく少数であると信じて。
生ぬるい南風。カープの選手たちの明るい表情。球場に響く元気のいい掛け声。「沖縄だなぁ」という感慨に浸っていると、メインスタンド一塁側の後方から轟音が響いてきます。
沖縄市営球場のあるコザ運動公園は沖縄自動車道のすぐそばにありますが、高速道路の向こう側には嘉手納飛行場のある米軍施設が広がっているのです。
次々と上空をかすめる米軍機
春の雲かき分け消ゆる軍用機 弁人
嘉手納基地の南にドラゴンズがキャンプを張る北谷がありますが、ここも米軍のキャンプレスターとキャンプフォスターが広がっています。
その南が普天間基地のある宜野湾市。メイン国道の58号線を走っていると、だいたいが米軍施設の脇を走っている感じです。那覇市と宜野湾市の間にある浦添市も58号線沿いは西側にずっとキャンプキンザーが続いています。
日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中しているのですから、当たり前と言えば当たり前ですが、こうして車やバスで行き来していると、さすがに、その不自然さと異様さにあきれてしまいます。
私が長年住んでいる神奈川は全国で二番目に米軍基地の多いところなので、米兵らしき人とすれ違ったり、横文字の看板やネオンを見ることには比較的慣れているのかもしれません。それでも、やっぱりここは異常です。まさに「オキナワ」の匂い。
辺野古の海を見に行ったのは沖縄に到着した日の午後でした。
名護市辺野古は宜野座インターから車で30分程行った所にありました。
実は今から8年前に宜野座の手前の金武(キン)という町を歩いたことがあります。有名な泡盛の酒造があって、敷地内にある通年にわたって気温が一定の鍾乳洞に一升瓶2本分を預けたのです。金武はジュゴンのいる海が広がるのどかな町と思いきや、ここもキャンプハンセンという施設が大半を占めていて横文字の看板がたくさん目に入ってきました。海辺にも訓練施設がありました。タコライスの店があるとか聞いていたのですが、「Tako-rice」の表示に躊躇して、万座毛のホテルへ向かってしまったのを覚えています。
金武に眠っている泡盛の1本は12年契約なので飲めるのは4年後です。ということで、今回は金武は素通りして辺野古へ向かいました。
普天間の代替地候補の場所は、米軍のキャンプシュワーブの海岸なので近くには行けません。辺野古の町の先は、国道が米軍の鉄条網に挟まれるように走っていました。
鉄条網の向こうに海岸が見える所が
辺野古の北は大浦湾です。大浦湾は大きいので、向こう側まで車を走らせるとキャンプシュワーブからかなり離れてしまいます。
北から眺めると
帰りに、もう少し近くの南側から望めるところを探して
候補地の海岸は岬のようになっていて、その先の海上に「長島」「平島」が横に延びているように見えました。いかにも沖縄の海らしいたたずまい。天気がよかったらすばらしい眺めだと思います。
水ぬくしのんびり眠るジュゴンかな 弁人
でも、やっぱり「オキナワの海なのか」と現実に戻される光景に出合ってしまいます。
反対派のデモ看板
そして辺野古の町には移設容認派の建物も
長年にわたって米軍が駐留してきたことによる影響は計り知れません。米軍の基地や施設に依存して暮らしている人たちも多いのでしょう。したがって、反対運動が起これば、一方で必ず賛成派も起ち上がってくるという、なんともやりきれない構図になるのが現実です。
たしかに難しい問題ですが、やはり基本は、辺野古の海を「オキナワの海」にしないこと、そして「オキナワ」を「沖縄」に戻す努力を怠らないことだと思います。そのためには、米軍に関わって生計を立てている人たちの生活も十分に保障しなければならないのはもちろんですが。
こんなことを言うと、「自然を守る」と言うのは聞こえはいいが、非現実的で感傷的、その前に「人間の生活を守る」ことが先決ではないかという声が聞こえてきそうです。でも、本当にそうなのでしょうか。もう一度、改めて、日本に米軍が必要なのかどうか、米軍に守られて私たちの生存が成り立っているのかどうかということを考えてみることが肝要だと思います。
そういう点で、私にはどうも理解できないのですが、たとえ仮に、日本には米軍が必要だということになったとしても、安易にオキナワ県内での移設を考えるのはやはりおかしい。米軍施設を抱えていない府県は30以上もあり、全国には使用率の低い滑走路がたくさんあるのです。移設先を国内でと言うのなら、もっと大きな視点に立って受け容れを考えるのは当たり前のことだと思います。
ところで、今年のインターハイは沖縄で開催されます。若きスポーツマンが全国からやって来ます。若い人たちには、まず沖縄の自然の美しさを実感してほしいと思いますが、それだけではなく、ぜひとも米軍施設の光景にも目を向けて、オキナワの現実にもっと関心を持ってほしいと痛感します。他人事だと思うような感受性の乏しい若者はごく少数であると信じて。
話は変わりますが、私は退職後炭焼きの職人になろうと思います。例の山小屋の周辺で立派な炭を焼いて生計を立てていこうと、つい2週間前に考え始めました。まだまだ頭の中だけですが、構想はどんどん大きくなり、夢が広がっていきます。今度横須賀に帰った時はまた小屋までお越しください。
「胸焼けのするツアー」ですか。ある意味、実に的を射たネーミングですね。たしかに、オキナワへはそういう視察的旅行も大切なんですね。ところで普天間問題ですが、「AERA」最新号(3月8日号)に「辺野古陸上案ワースト」という記事が載っています。県外となると5月には決まらず、現政権は空中分解するとか。結局ワーストな選択をするのでしょうか。心配です。世の中、一庶民の思う通りになんか行きませんし。
楽しみは長島氏の焼き上げた「炭」でバーベキューに舌鼓ですね。でも、それまで元気でいられるかなぁ。とりあえず、その前に予行練習といきますか。