チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

違うんじゃないですか、「大人の責任の取り方」

2018-06-17 11:58:48 | つぶやき
6月17日(日)

 財務省の官僚による「公文書の改竄」。全くもって言語道断。民主主義国家の主権者たる国民を愚弄する前代未聞の不祥事です。

 政治家への忖度だったのか、はたまた関与があったのか、その真相を明らかにすることも大切ですが、公務員たる官僚が国会で偽りの答弁を繰り返し、その整合性を保つために決済文書を書き換えたのは厳然たる事実で、そんな国民に対する背信行為を見過ごしてきた監督官庁のトップ、つまり財務大臣も、その大臣を任命しただけでなく、事の発端に関わっている人、つまり内閣総理大臣も、ここはきちんと責任を取らなければなりません。

 そんな中で、財務大臣の弁。
「今後二度とこのようなことが起きないよう、引き続き職務を全うすることで責任を果たして行きたい」
 そして、総理大臣の弁。
「所管省庁の職務に誤りのないよう努めるのが所轄大臣の職責、今後もその職務を全うすることで責任を果たしていただきたい」
 この方は、森友問題のみならず加計問題での自身の答弁でも、財務大臣の弁のお手本となるような言い方を繰り返していて、いわば「同じ穴の狢」です。

 つまり、「辞めないでがんばる」ということですが、過ちを犯した人間、それが言い過ぎなら百歩譲って、不祥事から信頼を失ってしまった人間として、これがほんとうに「責任を果たす」言動だと言えるのでしょうか。ただただ今の地位にしがみついて駄々をこねているとしか言いようがありません。

 ということで、烏滸の沙汰かもしれませんが、今回の「つぶやき」は、
 〈大人と若者との「責任の取り方」の違い〉についてです。

 かつて、教師として若者と関わっておりましたが、人間、誰でも、間違いを起こします。若者ならなお一層で、よく不祥事も発覚します。

 そんな時に大事なのは、まず、本人が誤った行動を起こした事実を十分に認識し反省すること。そして、今後の生活にその反省を生かし、間違いのない毎日を過ごして行くこと。それこそが過った行動の「責任を果たす」ことになるということです。
 言うまでもありませんが、将来のある若者の、若気の至りから来る、よくありそうなつまづき。そんなことで人生を変えてしまうことはありません。

 少々手こずる若者であっても、そういう姿勢で心を割って話し合って反省の域に達すると、それなりに神妙になります。
 そこで、
「それじゃ、どういうふうに反省の意を表し、どういうふうに今回の責任を取ったらいいだろうか」と投げかけるのですが、
 時として、
「親から『高校生なんかやめちまえ』と怒鳴られるし、友だちからは『おまえ、やばいんじゃない、退学かもな』って言われたし、もともと勉強なんか向いていないんだから、学校やめて働こうかな」などということばが返ってきたりします。
 まあ、現状逃避の逃げ口上とも、ある意味では本音とも言えるのですが。

 そんな時は、
 大切なのは、今から百パーセント品行方正な優等生になれとは言わないが、反省ができた以上、一刻も早く他の生徒と同じように授業を受け、友だちと交わり、普通の高校生としての日常に戻ること。もしや、再び道からはずれそうになる時があっても、今回の反省を生かして踏み止まり、友だちや親や先生方など、周囲の人間をヤキモキさせることなく卒業の日を迎えること。
 それが「今回の責任」を果たすことになるのだと言い聞かせてきました。

 人間だから、眠くて授業中にうとうとしてしまうこともあるかもしれない。そんな時、「ほらみろ、全然反省してないじゃないか、だからお前はダメなんだ。高校生の資格なんかない」とか叱責されてムシャクシャしたら、また相談においでと付け加えた上で、

 もうひと言、
「この責任の取り方は高校生だからであって、大人になったら、そうはいかない。大事な時に居眠りをして人生を棒に振ることもあるんだから」と。
 実はここが肝要で、ここを言い含めておかないと「教育」になりません。

 だいたいにおいて、人生の勉強をしている若者と、社会的な責任を背負って生きている大人では、「責任の取り方」が異なるのは当然なのですから。

 子どもの頃、縁側で祖母がいくつか教訓を授けてくれました。その中に、
「人間は、いくら頑張っていても七人の敵がいる」とか、「男は潔く身を処さなければいけない」ということばがありました。昔気質のおばあちゃんですから、切腹を美化しているのかと思ったりするのが精一杯で、小学生なんぞには全く意味不明のことばでしたが、なぜか耳の隅に残っていて、大人になってから「なるほど」と納得させられることとなりました。

 いくら自分を正当化しようが、自分自身に後ろめたさはないと思おうが、現実に、世の中の大半の人から疑われ信を失っている状況になったら、どこかに落ち度があったと自覚し、「潔く身を引く」しかありません。自立した社会人はそのくらいのものを背負って生きて行かなければなりません。

 これが「大人の責任の取り方」の基本です。

 そして、そのような「大人としての責任の取り方」をわきまえていないガキのような人間は、情けないことに、政治家だけではありませんでした。
 パワハラと認定されたレスリングの指導者、協会強化本部長は解任されるようですが、大学の監督には復帰するとのこと。
 アメフト不祥事の元監督も、大学幹部職員の地位はそのままで、現状を顧みず素知らぬ顔で居直るトップのお膝元に居すわったままとか。

 落ち度があってもしらを切り続ける大人たち、まさに「厚顔無恥」。いったい、大人は若者にどのツラ下げていればいいのでしょうか。

 「こっちが恥ずかしい。早くいなくなって!」

コメント
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