チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

世の中、「一喜一憂」し過ぎかもしれません

2018-05-01 15:46:47 | つぶやき
5月1日(火)

 これだけ一気に春がやって来て、これだけ一気に初夏の陽気になってしまうと、ふと「何かがおかしいんじゃないか」と心配になってきたりします。

 こちら三浦半島では、毎年、連休の後半ごろになると、ミズキの葉の上に白い花が咲き始め、「いよいよ若葉の季節の到来」と、初夏の訪れを実感させてくれる風情なのですが、

 この花も、今年は連休前に
  咲き始めていました
  
  


   香も白し池子の森に咲く水木   弁人


 三月中に散ってしまった桜、それを追うように咲き始めたハナミズキ、そして、連休前に満開になった藤、たしかに、今年は花の移り変わりもせっかちに見えますが、まあ考えてみれば、例年より一週間から十日ほど早いということになっていて、もしかしたら、それくらいのことで一喜一憂していたら、激動の?二十一世紀は生きていけないのかもしれません。

 ついこのあいだまで高値が続いていた野菜が、暖かさのおかげですっかり安くなっていますが、もしかすると、今度は出荷超過のあおりとかで、また値が急上昇ということになったりするかもしれません。その度に一喜一憂させられている庶民の姿がテレビに映ったりすると、少々馬鹿馬鹿しくなってきたりします。

 まあ、「なるようにしかならない」と言えばそれまでですが、

 思えば、昨年の今頃、日本国中に米朝戦争がいつ勃発してもおかしくないという情報があふれ、実際、早朝にJアラートが鳴ったり、各地でミサイルからの避難訓練が行われたり、結局、単に煽られただけなのか、はたまた国家の危機管理が行き届き過ぎていただけなのか、それはともかく、大人から子どもまである種の不安の中に置かれていたのはたしかです。

 ところが、先日の南北首脳会談。なんとも友好的な満面の笑顔、握手と抱擁。たしかに微笑ましい影像でした。でも、それが表面的なものなのか実効を伴うものなのかは、これから検証されるというのに、まるでメディアまでが国民を煽っているかのような感じで、「今年のノーベル平和賞はほぼ決まり」と言わんばかりのはしゃぎよう。

 まさに、過剰な「一喜一憂」。

 思わず「ふざけんない、あんだけ言いたい放題吠えて危機状態を作っておいて、やっぱり仲良くするからって言っただけなのに、何が平和賞だ」と、こっちだって吠えたくなりますが、よーく考えてみると、

 どんなデタラメな言動を発しようが、一国を率いる人間たる者、自国を破滅に陥れる行動に出るわけはなく、今の地球上で「こういう兵器を使えばこうなる」ということぐらいの自覚はあるはずなのです。
 ということは、状況に応じて南北の首脳や米朝の首脳が握手をすることだって、当然あり得ることだと思えば、はたして「一喜」に値するほどのことなのかどうかは言うまでもありません。

 今、日本では、アメリカへ向けた北朝鮮のICBMが廃棄されても、短距離のミサイルがある限り我が国への脅威は残ったままという不安を表明する向きもありますが、これも「一憂」になってしまうのでしょうか。もし、北朝鮮が実際にミサイル攻撃を日本に仕掛けたとしたら、それこそ破滅の道へまっしぐらというのも自明です。
 一方で、北朝鮮は日本からの経済援助を喉から手が出るほど必要としているのですから、今までの方針どおりに交渉の窓口を閉ざしている限り、変な「一憂」を払拭できないどころか、拉致問題の解決も、とてもとても望むべくもありません。

 ということで、「一喜一憂」はカープのゲームを観る時だけぐらいにしておくこととして、

 気がつけば五月でした。世の中はすでに初夏の様相を呈していますが、あと四日後のこどもの日が「立夏」ですから、文字通り新緑の季節、ここもひとつ「早く暑くなり過ぎ」などと一喜一憂せずに、初夏の彩りを味わうことにしましょうか。

 連休の後半に、孫たちと「くりはま花のくに」で遊ぶことになっているので、その下見に行きました。

 新緑の下、「鯉のぼり」と
 「ポピィ」と「ネモフィラ」
  
   
   


   春逝くも花野の薫りひとり占め   弁人

コメント
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