チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

初夏のうららの東京散歩~その2~

2013-05-19 20:38:53 | お出かけ・散策
5月19日(日)

 風薫る青葉の季節。雨さえ降らなければ、一年でいちばん過ごしやすい時かもしれません。秋のように、陽の短さに急かされることもなくて。

 明石へ戻る二日前。降り立ったのは、
  地下鉄東西線の神楽坂駅
  

 駅のそばの路地の角に、
  セッションハウスという建物があります
  

 先週、12日の日曜日の早朝、NHKEテレの「こころの時代」で、韓国の写真家の鄭周河(チョン・ジュハ)氏の「奪われた野にも春は来るか」という写真展が紹介され、その会場が神楽坂ということで出向きました。

 写真の数はそう多くはありません。その全ては福島原発事故の影響で人間を寄せつけなくなった南相馬市の風景を撮ったもので、人物はほとんど写っていません。

 予備知識がないと、何のための写真なのか、俄かには理解しづらい風景写真です。

 鄭周河氏は、かつて、韓国の原子力発電所の近くに暮らしている人々の姿をカメラに納め、一見、明るく屈託なく生きている被写体の中に潜む、なんとも言い難い不安の兆しを世に伝えてきた写真家です。

 目に見えない放射能汚染によって、人の姿が消えてしまった土地。しかし、そこには、つい二年前まで人々の日常の暮らしとともに息づいていた美しい自然が、確実にそのままの姿で佇んでいるのです。
 人の匂いのしない風景。どこか不気味で背筋が寒くなります。

 「人の力ではどうにもできない地震。そして突然荒れ狂い襲ってきた津波。その果ての風景。これははたして自然の災害なのだろうか。私にはどうしても海の過ちとは思えない。欲望にとらわれた人間の過ちではないのか」

 彼はテレビの中で、こんなことを言っていましたが、韓国で、原子力発電所のある風景を撮ってきた写真家の目には、震災前のこの地で、人の暮らしとともにあった同じ風景を撮っても、おそらくその中には言いようのない不安の兆候が見えたに違いありません。


   夏立ちて人はおびえて春を待ち   弁人


 「人を寄せつけない」のではない、「人がいなくなっただけ」なのです。そんな人けのない荒涼とした風景の写真。そこにある自然がいかに美しくても、見る者には情けなく寂しい気分が襲ってきます。

 誰だって、真っ直ぐ帰る気にはなりません。外には初夏の眩しい日射しが。

 そこで、東西線を飯田橋で降りて、小石川の後楽園へ向かいました。

 ここには、
  花や緑を愛でる人が訪れているはず
  

  ビルが見え、池があって
  

  青葉が青空に映えている
  

 数日前の浜離宮で、6月の花菖蒲の案内があって、浜離宮の他に、小石川の後楽園と植物園が出ていたのを思い出したこともありました。

 ここは、水戸徳川家の大名庭園で、言ってみれば、都会の中に作った人工公園です。自然そのものの美しさではありませんが、江戸時代からの時間が流れているので、鬱蒼とした木立もあって癒されます。

 アヤメかなと思って近づくと、
  まだカキツバタが残っていました
  

 もうすぐ梅雨が来て、
  紫陽花の季節になるんですね
  


   薫る風浴びる足下に梅雨気配   弁人


 ここは植物園ではないので仕方ないのですが、浅学な者にとっては、緑を愛でるのに、やはり樹木や花の名前の表示がないのが物足りなくなりました。


コメント
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