チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

緩んだまわしはしっかり締め直す

2010-07-08 18:10:26 | つぶやき
7月8日(木)

 相撲界が揺れています。暴行、八百長疑惑、麻薬、暴力団、賭博・・・

 どうやって立ち直るのか、はたまた崩壊してしまうのか、その辺のことは当事者と専門家にお任せするとして、私は、これだけ問題が噴出しているのに本場所の興行に突入するという事態がどうしても理解できません。

 イヤなら見なければいい? とてもとても、そういう問題ではありません。日本相撲協会は文部科学省所管の財団法人で、公益法人として税制面で優遇され、その上、国民が納めたNHK受信料から多額の放映権料を手にしている組織なのですから。
 どう考えても、健全化の方向へ進んで世論からの支持を回復するまでは活動を停止するべきです。
 と、いくら声高に叫ぶ人がいても、相撲をこよなく愛する人がたくさんいる日本の社会、「さすがに本場所中止までは」という声も多く、どうも「暖簾に腕押し」のようです。

 識者らしき人のご意見
○ 不祥事に関わっていない力士、とりわけ薄給にもめげず、懸命に稽古に励んでいる若者の努力を無にするのはかわいそう。生活がかかっているのだから。
○ この興行で商売をしている人も多く、影響は計り知れない。
○ 大相撲を楽しみにしているお年寄りがたくさんいることも忘れてはならない。
 後の二つは論外としても、それにしてもなんともまあ情緒的でお人好しなご意見、事態の本質からずれていること甚だしい限り。

 人生というのは偶然と不公平との交錯の中で営まれています。
 たまたま戦争の時代に生まれたために・・・  たまたま大地震が起きた土地で暮らしていたために・・・  たまたま社会人になる時が不況で就職難の時期だったために・・・ というように。
 悪いことばかりではありません。たまたま富豪の家に生まれたので・・・  たまたま転勤した土地で購入したものが・・・  たまたま叔父が裁判官だったので・・・
 かけがえのない人との出会いや最愛の伴侶との出会いも、そのきっかけをひもとくと、それは偶然の絡み合いの中から生まれてきたということがわかります。私が今、明石という地で孫と一緒に遊び、そこに時々妻君がやって来て楽しい時間が持てるのもすべて同様です。
 
 まったく、人生というものは偶然の織りなす産物で次の展開がなかなか読めません。そして時には、たまたまある状況に身を置いていたために思わぬ展開に巻き込まれたりすることもあります。
 かつて、4年に一度のオリンピックのモスクワ大会に日本が不参加になって、たまたま日本の代表選手だったために泣いた選手がいました。また、大学紛争のあおりを受け、たまたまその時に4年生だったために卒業が半年遅れた東大生もいました。
 つまり、自分の所属している組織がおかしくなって実力を発揮する場が失われ、ちょうどその時期がもっとも充実している時だったとしても、その現実を受け入れざるを得ないということもあるです。いちばん充実している時に、突然病魔に襲われたり災禍に襲われたりすることもあるのですから。
 もちろん、社会全体が人為的な不公平を是正し、個人の不条理な事態を回避する努力をするのは大切なことです。しかし、一方で不条理を受け入れざるを得ない状況もあるということも自覚しておかなければなりません。そして、人生にはそういう状況を受け入れる強さも必要なのです。

 ところで、「楽あれば苦あり」という諺があります。楽をして手を抜いているとまず間違いなくしっぺ返しを味わいます。勝負事では負けるより勝つほうが難しい。負けるのは簡単です。ちょっと気を緩めればいいのです。トップクラスの成績を取るのと赤点に甘んじて成績不振者の仲間入りをするのとはどちらが簡単か、後者に決まっています。これも努力を怠っていればいいのですから。
 逆に「苦は楽の種」ということばもあります。たしかに努力をしなければ良い結果は生まれません。しかし、努力は必ず報われるのかというとそうではないのです。「働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり じっと手を見る」と歌った石川啄木。そう、何も悪いことはしていないのに、一生懸命に生きていたのに、不幸の中で人生を終えて行った人はたくさんいるのです。
 当たり前のことかもしれませんが、人生というのは、そういう現実を踏まえて、なお努力を怠らないという姿勢が大切なのです。

 若い力士、たしかに生活がかかっているかもしれない。番付を上げるチャンスの時かもしれない。でも、組織全体が社会的な責任を負わなければならない状況を、その組織の一員としてきちんと認識するのも社会人として当然の責務です。

 戦争はなぜいけないのか。直接的には責任がなくてもかわいそうでも、国民である以上巻き添えにされるしかないからです。
 組織の中枢人物の不祥事がなぜまずいのか。組織の中の人を、不祥事に関わっていなくても巻き添えにするからです。

 そういう現実も含めて、協会幹部はもちろん組織全体できちんと責任を取り、大相撲ファンも国民も納得できる形で再出発すべきです。緩んだまわしがまだしっかりと締め直されていない状況では相撲は取れません。とても本場所どころではないはずなのです。

 多少まわしが緩んでいても、組織の維持?のために興行を続けたいということなら、即刻公益法人の殻を脱ぎ捨てるべきです。いや、文科省のほうから認可を取り消すべきです。自由な団体になって、世間から非難されようが、悪役も大事にして「好きな人が見てくれればよい」と開き直っていればいいじゃないですか。入門する若者は激減するでしょうが。


コメント
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