手元の小さい辞書で「個人的」を引くと、「個人を主とするようす。個人としてするようす。(←→社会的)」と書いてある。ま、ふつう対になるのは「公的」「社会的」だろう。
「私的」を引くと「個人に関係があるようす。おおやけでないようす。プライベート。(←→公的)」である。
先日読んだ翻訳小説に、孤独死した老人の葬儀について地域の管理人が、なるべく「個人的な」ものにしたいと言っていた。ドイツ語のテキストでも誕生日のプレゼントに「(花みたいな万人向けの無難なものではなくて)もっと個人的なものを贈りたい」というセリフがあった。ここでの原語はpersoenlich(ペルゼーンリヒ)、英語でのパーソナルにあたる形容詞。これらの場合、そのひとの個性が反映されているという意味合いで使っているのだろう。
私が抵抗を感じる「個人的」もある。
某匿名掲示板で、ジャンルによっては女だと居心地が悪いので「私は」でなく「僕」「俺」で書くことだってあるという発言に対して、「個人的には」とかでいいだろうという返答があった。そもそも私は「~的」の乱用が嫌いだ、「~」であるのかないのかあいまいでうさんくささを感じるから。「私個人は」ですむところに「的」を使うのは目さわりに思う。(上述の場合の解決策にはなっていないが)
「個人的」が、「立ち入った」の意味になることもある。ドイツ語会話のマナーとして、「ペルゼーンリヒなことはきいちゃいけない」というけど、これを「個人的」とストレートにとるとたいへん不自然だ。たとえば、休暇にどこへ行くかなんてことは好まれる話題とされているが、これはどう見たって「公的」「社会的」なことではあるまい。それに、なにが「立ち入ったこと」なのかは文化・習慣で違う。結婚する人たちに、日本だと、あれこれきいてあげるのが礼儀という感じだけど、ドイツ人の場合きいていい範囲がずっと狭いらしい。「どこで知り合ったか」はOK、「どこに惹かれたの?」はダメだそうだ。
(どっちみち私はそーゆー話題キライだ)
年齢をきくのがダメで誕生日はいいというのもヘンな話だ。
「私的」を引くと「個人に関係があるようす。おおやけでないようす。プライベート。(←→公的)」である。
先日読んだ翻訳小説に、孤独死した老人の葬儀について地域の管理人が、なるべく「個人的な」ものにしたいと言っていた。ドイツ語のテキストでも誕生日のプレゼントに「(花みたいな万人向けの無難なものではなくて)もっと個人的なものを贈りたい」というセリフがあった。ここでの原語はpersoenlich(ペルゼーンリヒ)、英語でのパーソナルにあたる形容詞。これらの場合、そのひとの個性が反映されているという意味合いで使っているのだろう。
私が抵抗を感じる「個人的」もある。
某匿名掲示板で、ジャンルによっては女だと居心地が悪いので「私は」でなく「僕」「俺」で書くことだってあるという発言に対して、「個人的には」とかでいいだろうという返答があった。そもそも私は「~的」の乱用が嫌いだ、「~」であるのかないのかあいまいでうさんくささを感じるから。「私個人は」ですむところに「的」を使うのは目さわりに思う。(上述の場合の解決策にはなっていないが)
「個人的」が、「立ち入った」の意味になることもある。ドイツ語会話のマナーとして、「ペルゼーンリヒなことはきいちゃいけない」というけど、これを「個人的」とストレートにとるとたいへん不自然だ。たとえば、休暇にどこへ行くかなんてことは好まれる話題とされているが、これはどう見たって「公的」「社会的」なことではあるまい。それに、なにが「立ち入ったこと」なのかは文化・習慣で違う。結婚する人たちに、日本だと、あれこれきいてあげるのが礼儀という感じだけど、ドイツ人の場合きいていい範囲がずっと狭いらしい。「どこで知り合ったか」はOK、「どこに惹かれたの?」はダメだそうだ。
(どっちみち私はそーゆー話題キライだ)
年齢をきくのがダメで誕生日はいいというのもヘンな話だ。
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