レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

「心なき身」

2008-01-08 05:35:23 | 
 辻邦生『西行花伝』を読んだ。波乱の時代なので、歴史上の有名人も多々登場する。「十九帖」で西行は鎌倉へ行っている。頼朝に実際に会うまえに、西行が幻で、頼朝が、鴫が夕暮れの中を飛び立っていく様に涙を流すという光景を見る。この物語において、頼朝は「現世の理法(ことわり)」によって動き治める人として解釈されている。現世の権力者であり、「もののあはれ」とは別の人種、しかし、幻で見た頼朝の態度もまた真実であり、「心なき身」であることを自覚し、それを恥じる気持ちを持ち合わせている人間として西行は評価している。
(政治家と芸術家、こんな感じの描き方はウェルギリウスとアウグストゥスにも応用できそうだな)
 ここからかの「三夕の歌」の一つ「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」が出来たとこの小説では設定されている。

 この歌については私怨があるのだ。歌じたいに対してではないが。
 この歌は、中学の教科書にも載っていた。「心なき身」とは「出家した身」だというのが普通の説明だった。しかし、「心」とは意味が広い。教科書で習うよりも前に親しんでいた本などで、「あはれを解さない」という答のほうが一般的だった。だいたい、出家した身ならば現世の美など煩悩とされるのが普通であり、そういう前提から「出家した身」を指すという説明になる。
 当時通っていた塾のテストでこれが問題になったとき、期待される答が「出家した身」だろうとわかってはいた。しかし私はなんとなくそれをしたくなくて、「もののあはれを解さない身」と書いたーーそして×をくらった。そもそも、こんな深い意味のある言葉をたったの数センチ平方の欄に書かせようとすることが図々しいのだ。現代の普通の意味で「思いやりのない」なんて書いたらそりゃ×だろうが。「もののあはれ」云々を簡単に×ですませるーーアルバイト学生あたりで安直に採点をすませたんだろう。
(母は高校時代、宗教改革した人を「ルーテル」と書いて×にされたことをいまだ根にもっている。)

 それはともかく、『西行花伝』はいい作品だった。たぶん架空の弟子を視点の中心に、様々な人間たちを介し、仕えた鳥羽院、その妃待賢門院、崇徳院、リリカルに静かに描き出している。
 この作家のほかの歴史小説も読んでみたい。(『背教者ユリアヌス』は既読)
コメント
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