ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

落とし穴

2011年02月13日 | ノンジャンル
えてして、物事がうまくいっているときに慢心が起こり、
それが油断を呼ぶ。

そしてその油断によって、思わぬ落とし穴に落ちるのも
常である。

「勝って兜の緒を締めよ。」

「勝つと思うな、思えば負けよ。」

「攻撃のまさにその中に隙ができる。」

いずれも、慢心と油断とを戒めた言葉である。

喜びの真っ只中にいる時をさして有頂天という。
言い換えれば、そこからは簡単に転落してしまう
ということである。

喜びに至るまでの地道な努力と苦労を途絶えさせてしまえば、
それは次なる転落の遠因となる。

断酒を継続する中で、苦しみもあれば喜びもある。
それは、人として生きる上で、至極普通のことである。

飲めば苦しみも喜びもない。 あるのは絶望だけである。
このことをゆめゆめ忘れてはならない。

必ず回復のできる病気ではある。
しかし、この慢心と油断で、一杯のお酒に手をつけ、
再飲酒と断酒を繰り返す人が圧倒的に多いのが現実である。

その一杯に手をつけない、一日断酒の覚悟を日々
新たにすることが肝要である。

断酒をようやく継続できるようになっても、傷めつけた
身体が限界を超えていて死を迎える人もいる。

断酒、再飲酒を繰り返し、50代で死ぬ人は数知れない。
現実に自身の身の回りでも、多くの人が亡くなった。
そういう病気なのである。

人はいつかは死ぬ。 だが、その人それぞれの本来の寿命を
全うさせない病気である。
自殺、事故、静脈瘤破裂。 この病気に罹患し、断酒継続に
至らなかった人たちの死因で多くを占めるものである。

自分で体験し、経験した事実に対し、いかほどの年月が
経とうとも、謙虚であり続けなければならない。

何年か断酒を継続した人が嵌まるトラップが、
「もう大丈夫なんじゃないか」という慢心なのである。
そして、「一杯くらいなら」という油断なのである。

世間から見れば、大仰なことを言うと
思われるかもしれないが、それはまったく現実の話である。

覚せい剤など、麻薬で考えれば瞭然である。
何年もやめたから、この注射一本くらいと思うのと
なんら変わりない。

麻薬で、繰り返し逮捕される芸能人のニュースを見れば、
同じ過ちを何度も繰り返すことを疑問視されるが、
われわれの業界では、日常茶飯事である、

薬物中毒としてくくれば、ごく身近に日々起こっている
ことなのである。

慢心と油断という落とし穴が、いつでも身近にあることを
忘れないための抗酒剤、通院、自助グループなのである。