ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

器 (うつわ)

2011年02月03日 | ノンジャンル
毎年この頃に風邪をひくことが多いのだが、
昨年はその暇もなく、腰痛に悩まされながらも
5月の終わりまでを駆け抜けた後で、一気に疲れが出た。

今年は割と落ち着いたスタートを切ることができて、
その分隙ができたのかもしれない。
なんとなくスッキリしない風邪頭で2月を迎えた。

床についてボウッとした頭にふとよぎったのは、
今年で結婚20年になるということだった。

想えば、こんなに永い間、良くついてこれたものだと
感心してしまう。

幾度となく破局の危機もあった。
離婚届など、何度書いたか覚えていない。
未記入の用紙は、今でも持っている。

お互いに、もう限界というギリギリのところで、
その都度、それを食い止める何かがあったような気がする。

そんなことを繰り返しながら、20年を共にしてきた。
仮に、互いに相容れない水と油であったとしても、
ひとつの器に入れば、いやでも時間とともに
馴染まざるを得ない。

もちろん、静かに器の中に納まっているわけではなく、
時に沸騰したり、かき回されたり、様々な艱難辛苦という
波があればこそなのかもしれない。

二人の収まっている器というものは、別の言い方をすれば
愛情といえるだろう。
器が割れてしまえば、もう互いに別々に流れるしかない。

夫婦というものは、人それぞれ、夫婦という愛情の器を
作っていくものなのかもしれない。

その形は、様々で、どれが良い悪いでもなくて、
その夫婦なりの形でいいのではないか。

素焼きのぬくもりと純朴さが好みに合っていて、
私は備前焼が好きである。
使えば使うほど味が出るのもこの焼き物の特徴である。

自分達も、形は多少いびつでも、この温かく純朴な器を
作ってきたのであろうし、できるならこれからもこの器を
大きくしていきたいものである。

20年の記念は、陶器婚というらしい。
4月までに、記念とまでいかなくとも、なにか感謝を
表せることだか、ものだか、なんだかを考えてみようと
思うのである。