あれはもう一年半も前だったか、いつも拝見している
アルコール依存症のご主人を持つ家族のブログで、
ふと目にしたコメントが気になった。
どうやらまだ若い女性のようだが、この病気の匂いが
プンプンする。
私の断酒も4年を過ぎ、落着いていた頃だったので、
余計に気になったのかもしれない。
彼女もブログを書いていて、そこでの記事を読むと、
かなり危険な状態だということが私には明らかだった。
あまり時間的な猶予もなさそうだったので、彼女が当時
住んでいた県の専門病院をリストアップして、
コメントを入れたのが最初であった。
彼女は一人であった。 幼い頃に、私など想像もできない
深い傷を心に負っていた。
経済的には自立していたが、心の自立には程遠かった。
入退院を繰り返し、ようやく地元の大阪に戻り、専門医にも
通院するようになるまでに、相談にも乗り、励ましもし、
時に突き放すこともしてきた。
私の態度は一貫させてきた。
飲んでいる時は話をしない。
飲まずに苦しい時なら、泣き言であろうと愚痴であろうと
黙って聞く。
この病気になる人には、病気に至るそれぞれの背景がある。
何とか断酒を継続させていけば、肉体的な回復は目に見えて
進むが、実はその背景の問題を解決していくのに、時間も
かかれば、堪えられないほどの苦しみも必要なのである。
断酒の継続は、一人では不可能とされるのはそういう
ことなのである。
人に傷つけられた心は、やはり人によってしか癒されない。
本人次第であるということは繰り返し述べてきた。
だからこそ、本人があきらめなければ、周りもあきらめない。
専門医療の心構えは、このあきらめないにある。
彼女は、多分今まで経験したことのない、
人の愛情の中にいる。
その中で、自分の心の傷と向き合い、少しずつそれを
その愛情によって癒している。
そうした穏やかな、普通の日々の暮らしが、
彼女の断酒継続に力を与えると信ずる。
一度として会ったこともない人ではあるが、
こういう関わり合いもあるのかと思えば、
不思議な気さえする。
私自身、その関わりの中で多くの経験をさせてもらったし、
この病気の実例を自身の体験にプラスして学ばせてもらった。
感謝すべきことであろうと思う。
思えば、亡くなった院長先生も、こうした人の新生を
現場で数えきれないほどご覧になってきたからこそ、
あれほどの精力的な行動が可能であったのだと思われる。
雪の降る厳しい寒さの週末に、心が熱くなる回想となった。
お酒を飲むことよりも遥かに大切なこと、いや、お酒など
もう必要のない、新しい暮らしを始めた彼女に、心から
良かったと目頭が熱くなる想いでいる。
嫁ぐ娘を見送る父親の心境とはこういうものであろうか。
実の娘が嫁ぐ日のことに思いを馳せれば、かくしゃくと
していられるか、はなはだ心もとない。
情けないものであるが、苦労はしても、幸せであって
欲しいと願う気持ちには変わりがないのである。
アルコール依存症のご主人を持つ家族のブログで、
ふと目にしたコメントが気になった。
どうやらまだ若い女性のようだが、この病気の匂いが
プンプンする。
私の断酒も4年を過ぎ、落着いていた頃だったので、
余計に気になったのかもしれない。
彼女もブログを書いていて、そこでの記事を読むと、
かなり危険な状態だということが私には明らかだった。
あまり時間的な猶予もなさそうだったので、彼女が当時
住んでいた県の専門病院をリストアップして、
コメントを入れたのが最初であった。
彼女は一人であった。 幼い頃に、私など想像もできない
深い傷を心に負っていた。
経済的には自立していたが、心の自立には程遠かった。
入退院を繰り返し、ようやく地元の大阪に戻り、専門医にも
通院するようになるまでに、相談にも乗り、励ましもし、
時に突き放すこともしてきた。
私の態度は一貫させてきた。
飲んでいる時は話をしない。
飲まずに苦しい時なら、泣き言であろうと愚痴であろうと
黙って聞く。
この病気になる人には、病気に至るそれぞれの背景がある。
何とか断酒を継続させていけば、肉体的な回復は目に見えて
進むが、実はその背景の問題を解決していくのに、時間も
かかれば、堪えられないほどの苦しみも必要なのである。
断酒の継続は、一人では不可能とされるのはそういう
ことなのである。
人に傷つけられた心は、やはり人によってしか癒されない。
本人次第であるということは繰り返し述べてきた。
だからこそ、本人があきらめなければ、周りもあきらめない。
専門医療の心構えは、このあきらめないにある。
彼女は、多分今まで経験したことのない、
人の愛情の中にいる。
その中で、自分の心の傷と向き合い、少しずつそれを
その愛情によって癒している。
そうした穏やかな、普通の日々の暮らしが、
彼女の断酒継続に力を与えると信ずる。
一度として会ったこともない人ではあるが、
こういう関わり合いもあるのかと思えば、
不思議な気さえする。
私自身、その関わりの中で多くの経験をさせてもらったし、
この病気の実例を自身の体験にプラスして学ばせてもらった。
感謝すべきことであろうと思う。
思えば、亡くなった院長先生も、こうした人の新生を
現場で数えきれないほどご覧になってきたからこそ、
あれほどの精力的な行動が可能であったのだと思われる。
雪の降る厳しい寒さの週末に、心が熱くなる回想となった。
お酒を飲むことよりも遥かに大切なこと、いや、お酒など
もう必要のない、新しい暮らしを始めた彼女に、心から
良かったと目頭が熱くなる想いでいる。
嫁ぐ娘を見送る父親の心境とはこういうものであろうか。
実の娘が嫁ぐ日のことに思いを馳せれば、かくしゃくと
していられるか、はなはだ心もとない。
情けないものであるが、苦労はしても、幸せであって
欲しいと願う気持ちには変わりがないのである。