ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

あきらめない

2011年02月12日 | ノンジャンル
あれはもう一年半も前だったか、いつも拝見している
アルコール依存症のご主人を持つ家族のブログで、
ふと目にしたコメントが気になった。

どうやらまだ若い女性のようだが、この病気の匂いが
プンプンする。
私の断酒も4年を過ぎ、落着いていた頃だったので、
余計に気になったのかもしれない。

彼女もブログを書いていて、そこでの記事を読むと、
かなり危険な状態だということが私には明らかだった。

あまり時間的な猶予もなさそうだったので、彼女が当時
住んでいた県の専門病院をリストアップして、
コメントを入れたのが最初であった。

彼女は一人であった。 幼い頃に、私など想像もできない
深い傷を心に負っていた。
経済的には自立していたが、心の自立には程遠かった。

入退院を繰り返し、ようやく地元の大阪に戻り、専門医にも
通院するようになるまでに、相談にも乗り、励ましもし、
時に突き放すこともしてきた。

私の態度は一貫させてきた。 
飲んでいる時は話をしない。
飲まずに苦しい時なら、泣き言であろうと愚痴であろうと
黙って聞く。

この病気になる人には、病気に至るそれぞれの背景がある。
何とか断酒を継続させていけば、肉体的な回復は目に見えて
進むが、実はその背景の問題を解決していくのに、時間も
かかれば、堪えられないほどの苦しみも必要なのである。

断酒の継続は、一人では不可能とされるのはそういう
ことなのである。
人に傷つけられた心は、やはり人によってしか癒されない。

本人次第であるということは繰り返し述べてきた。
だからこそ、本人があきらめなければ、周りもあきらめない。
専門医療の心構えは、このあきらめないにある。

彼女は、多分今まで経験したことのない、
人の愛情の中にいる。

その中で、自分の心の傷と向き合い、少しずつそれを
その愛情によって癒している。
そうした穏やかな、普通の日々の暮らしが、
彼女の断酒継続に力を与えると信ずる。

一度として会ったこともない人ではあるが、
こういう関わり合いもあるのかと思えば、
不思議な気さえする。

私自身、その関わりの中で多くの経験をさせてもらったし、
この病気の実例を自身の体験にプラスして学ばせてもらった。
感謝すべきことであろうと思う。

思えば、亡くなった院長先生も、こうした人の新生を
現場で数えきれないほどご覧になってきたからこそ、
あれほどの精力的な行動が可能であったのだと思われる。

雪の降る厳しい寒さの週末に、心が熱くなる回想となった。
お酒を飲むことよりも遥かに大切なこと、いや、お酒など
もう必要のない、新しい暮らしを始めた彼女に、心から
良かったと目頭が熱くなる想いでいる。

嫁ぐ娘を見送る父親の心境とはこういうものであろうか。

実の娘が嫁ぐ日のことに思いを馳せれば、かくしゃくと
していられるか、はなはだ心もとない。

情けないものであるが、苦労はしても、幸せであって
欲しいと願う気持ちには変わりがないのである。




ご家族へ

2011年02月12日 | ノンジャンル
こちらをご覧になってくださっているご家族の方々も
いらっしゃいます。

僭越ですが、ある仲間のご家族に向けて、今回の記事を
書こうと思います。

この病気の知識を得ることは可能です。むしろ必要です。
しかし、本人のお酒をやめ続ける苦しさ、辛さを本当の意味で
理解することはできません。

ただ飲まないだけが、死ぬほど苦しいときもあります。
理解することはできなくとも、理解しようとされるなら、
この病気に罹患した人にとっては、一杯のお酒、いや、
一滴のお酒が命取りになるということをご理解頂きたい。

子供の時期というのは、家庭で打算のない無償の愛情を受けて
育つ中で、人に対する自身の愛情も育みます。
この時期に愛情に恵まれず、心に深い傷を負ってしまうと、
大人になってもその傷は残ったままです。

その傷が疼く辛さと苦しさを紛らわせる手段として、お酒を
飲むというパターンは数え切れないほどの例があります。

酔っているときは紛れるものの、醒めればまたその傷が
余計に疼く。 それでまた飲んで酔うという、
悪循環となります。

こうして、お酒に肉体的にも精神的にも依存し、内科的に
身体を痛めつけ、精神的にお酒に支配されていきます。
それは、若年、壮年を問わず、確実に寿命を縮め、
やがては死へと繋がります。

病気の回復は断酒、つまり、一滴たりともアルコールを
身体に入れない日々を重ねることでしかあり得ません。
一定期間の禁酒で済む病気ではないのです。

内科的には目覚しく回復の兆候が見えます。
しかし、永年にわたる心の傷と精神的な疾患については、
その回復にも同様に永い年月が必要です。

今、本人にとって必要なのは、普通の家族の中での生活です。
つまり、子供の頃にできなかったことをやり直すことです。
入院によって、一応、アルコールを身体から抜くことができ、
白紙の状態で、断酒を継続しながら、心の傷に向き合い、
さらけ出すことを始める事ができたところです。

しっかりした人でも、一人だとなかなか頼りないものですが、
逆に頼りない人でも、しっかりと見守る人がいれば、
強くなれるものです。

何も特別なことが必要なのではありません。
普通の家族の、普通の生活が、一日、一日、本人の回復へと
繋がります。
食卓を囲んで、話をしたり、笑ったり、時にはけんかも
したりという、普通の家族の生活が、本人の心の傷を
少しずつ癒していきます。

そこに家族の愛情があるということを、本人自体が徐々に
実感していく中で、傷は癒されていきます。
お酒よりも、その生活の方が遥かに大切であることを
自覚していく中で、飲みたい苦しさも楽になっていきます。

そして、その経験が、将来の自分自身の家庭を、
愛情深いものにしていけるものと思います。

どうか、今のその場が、本人にとって最も大切な場所であり、
回復に必要な場所であることをご理解頂きたいと思います。

本人にとっても、皆様にとっても、これからより一層、
笑顔の多い、温かく楽しい場にならんことを、心より
お祈り申し上げます。

誠に僭越な記事でありますが、どうぞご無礼を
お許しください。