ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

プライド

2011年02月25日 | ノンジャンル
プライドについて考えていた。

他人よりも自分が上であるとする優越感。
これだけは他人に負けないとする自負。
自身の尊厳を守る鎧。

様々な解釈がその人によってあるだろうが、
本来プライドとは、他人との関わりという、
相対的なものではない。

己の信ずるところに揺るぎないものがあって、
そのままに生きる、つまり行動することが、
その人においてのプライドなのである。

他人に傷つけられるものでもなければ、弁解、反論し、
守るべきものでもない。
そんな必要はないのである。

自らの信念のままに行動していく。
その信念こそが、様々な困難を克服してきた中で
確立されたものなら、己のプライドであり、
絶対的なものなのである。

無論、それは己にとってのみであり、他人に押し付ける
必要もなければ、他人に評価される必要もない。

自らの人生を、どう生きるかということであり、
主体は自分自身である。

ただ、それが人を傷つけることになってはいけない。
それはプライドではなく、単なるエゴというものである。

自分自身も、ずいぶんと永い間プライドの意味を
はき違えて生きてきたものだと思う。
他人の自分自身に対する評価という檻の中で、
一生懸命身繕いをしてきたようにも思える。

そういう鍍金が傷つけられたり、剥がされたりすることを
数えきれないほど繰り返す中で、果たして己の中に
真金とも呼べるものがあるのかどうかさえ見えずにいた。

人間、裸で生まれてきた時のように、すべてを剥がせば
残るのは己の生き方である。

そこにプライドがあるかないかの問題となるのである。

断酒を決断し、それを敢行していることにプライドなど
ありえない。

その極限の時に、生きることを選び、人として生きて
いこうとした己の底にあるもの。

それを私は自身のプライドとしているのである。