ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

変わるもの

2011年02月07日 | ノンジャンル
ことある毎にお酒を飲んできた者は、暑くても飲むし、
寒くても飲むし、いいお天気だろうが雨だろうが飲む。

悲しいと言っては飲み、嬉しいと言っては飲み、
腹が立つと言っては飲み、辛いと言っては飲む。

苦しいから飲むのかと思えば、楽しい時も飲む。
つまり、ずっと飲んでいるのである。

その経緯は人それぞれであろうし、依存症という病気に
なる場合もあれば、ならない場合もある。

ともかくも、なってしまったのなら仕方がない。
車のブレーキが壊れて、修理不能となったのであるから、
その車には乗らないということでしか対処ができない。
乗れば、確実に事故を起こし、死に至る。

さて、何かにつけて飲んでいた者が、お酒を断つというのは
並大抵のことではない。
たかが飲まないだけというのは、まともなブレーキを
持つ者の言うことである。

一年という、短いようで永い期間に、
どれほどのことがあるか。
天候ひとつにしろ、四季折々の行事にしろ、
まして、一日一日の暮らし、出来事、そしてそれに伴う
喜怒哀楽を思えば、計り知れないほどの変化の中で
私たちは生きている。

普通の人であれば、一日、一週間、一ヶ月という単位の
節目にあるかないかのお酒が、我々においては刻一刻の変化と
一体のようにあったのである。

飲まないだけでは駄目だの、飲んでいないだけで
何も変わらないだのというのは、周りの目であり、
致し方ないことではあるが、飲まない以上、本人にとっては
刻一刻と変わっていくものが意識せずともあるのである。

それは、本人にとっても、周りにとっても、変わったと
感じるに至るまでには、永い時間がかかる。
2年や3年でどうなった、こうなったと言えるものでも
わかるものでもない。

抗酒剤でもいい、自助グループでもいい、通院でもいい。
ともかくも、飲まない暮らしを一日ずつ重ねていく中に、
変わりゆくものは確実にある。

朝、家族に無理矢理飲まされていた抗酒剤が、自ら覚悟して
飲む抗酒剤になり、それが普通の日課となり、飲まないと
なんだか気持ちが悪いとなっていくのは、
本人が変わったのである。
抗酒剤そのものが変わったわけではない。

新生とは、自身が決めた時より始まるが、突然生まれ変わって、
新しい自分に変身するわけではない。
新生とは変化であり、日々の積み重ねの、
正にその中にこそあるのだ。

目に見えない変わりゆくものがいつか目に見えるように
なったとき、ああ、あの時から新生が始まっていたのかと
自身も周りも初めてわかるのである。

飲んで暮らしていた自分が、飲まずに暮らしていく。
この困難さの中に、新生の胎動ともいうべきものがあるのだ。