ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

伊達直人

2011年01月12日 | ノンジャンル
今、全国で児童養護施設にランドセルなどの寄付が
「伊達直人」という名前で送られているという。

無論、実名ではなく、昔のアニメ、タイガーマスクの
主人公の名前である。

孤児院で育った彼は、覆面レスラー、タイガーマスクとして
リングで活躍する一方、キザ兄ちゃんと子供達に呼ばれる
軽薄なキャラで、孤児院に寄付を繰り返す。

私も大好きなアニメであった。
テレビにかじりつくようにして観ていた記憶がある。

多分、寄付をしている当人たちは、私と同じ世代の
人たちではないだろうか。

「伊達直人」の名で、実名を出さずにというのは、
なかなか粋である。

その粋さが本当の意味で分かるのも我々の世代であろう。
売名行為でもなく、営利的なものでもない。

子供の頃にタイガーマスクを見て育ったものが、
この未曽有の不況の中、それぞれの生活自体も
大変であろうに、未来を担う子供達に少しでも
明るい希望をという誠心が垣間見えるからこそ、
それを本当に粋だと感じるのである。

漫画やドラマも、単に面白いだけでなく、
永い目で見たときに、その影響がこういう形で
表れてくるようなものも確かにあるのである。

それでも、それを観た人がどう感じるのかは、
その人次第である。

同じ世代としては、何とも懐かしく、
嬉しいニュースなのである。






地動説

2011年01月09日 | ノンジャンル
日は昇り、日は沈む。 月も出て、やがて入る。
星は天に弧を描くように移ろって行く。

かつて人が、天が動いていると考えたのも無理はない。
この磐石な大地が動いているとは、夢にも思わなかったし、
ありえないことであった。

今でこそ地動説が常識となってはいるが、当時は天地が
ひっくり返るほどの大きな発想の転換であった。

さて、常識となっている地動説だが、それはすなわち、
自身もその動きの中にいるということを自覚することはない。

だが、大地が動いている以上、そこに立っているだけでも
実は自分自身も動いていることになる。

地球の自転速度は、時速約1700Km。
公転速度は、時速約10万Km。

つまり、時速1700Kmで回転しながら、時速10万Kmで
太陽の周りを周回する旅をし続けていることになる。

無論、寝ていようが、起きていようが、この旅には休止も
終わりもない。
生きている限り、この運動の中に自分も確かにいるのである。

実に壮大さ、悠久さを感ぜずにはいられない。

天の動きを、車窓からの眺めのように意識できたなら、
何かがその人の中で変わるような気がするのである。

それが、人の心の中の大転換となるのかもしれない。






不倫と浮気

2011年01月08日 | ノンジャンル
珍しいタイトルであると自分でも思う。

不倫、浮気、離婚、愛人、ツバメ。
かつては世に憚られる事であったが今ではそうでもない。

だが、その遷り変わりはそのまま人の美意識の変遷でもある。

人を好きになるのは恋である。
その相手が既婚者であれば、その悩みも苦しみも一際
大きくなる辛い恋なのである。

不倫は既婚者のする恋ではない。

今の家庭を捨て、生活を捨て、その重い十字架を背負い、
相手と添い遂げようという覚悟、つまり離婚をしないで、
自分の身を安全地帯においておきながらの恋を求めるなら、
それは浮気である。

昔はそれを不貞と一喝した。 
今でも死刑をもって、不貞を処断する国さえある。

不倫という比較的新しい便利な言葉でいくら糊塗しようと、
それは浮気であり、不貞であり、断じて恋ではない。

無論、既婚者であろうと恋に落ちることはある。
だがそこで迫られる選択は、自ら築いた家庭を取るか、
その恋を取るかである。

家庭を取るなら、その恋はかなわぬ恋として心にとどめ、
恋を取るなら、家庭を捨てる己の罪と、周りの非難と、
人の不幸の上に自身の幸せを求める現実を覚悟せねば
ならない。

その覚悟もなく、家庭も恋も取るというなら、それはもはや
恋ではなく、不倫という名の浮気であり、不貞である。

W不倫など、お互いに覚悟のないもの同士の浮気、
不貞であり、笑止である。

恋はしてしまうものであるからそれは仕方がない。
自分の意志や理性でどうにかできることではない。
だからこそ、既婚者であれば、上に述べた選択の覚悟が
必要なのである。

私にもあったし、カミサンにもその経験はあったはずである。
二人とも、その時に同じ選択をしたからこそ、今現在、
変わらず共に暮らしている。

最近、若い世代は結婚願望が希薄になっているという。
特に男性にその傾向が顕著なのだそうだ。

少子化の問題を、子育て支援という面で解決していこうと
する視点は、どうも的を射ていないようである。

不倫、バツイチなどという浮薄な言葉で、ことの重大さが
どんどん軽く一般的になってきたのと同じように、
若い世代の結婚願望も希薄になってきたような気さえする。

むしろ問題の本質はそこにあるのではないかと思うのだ。




称賛と批難

2011年01月06日 | ノンジャンル
称賛と批難ということについては、このブログ内でも多くの
記事で取り上げてきたかと思うが、私の基本的な考え方は
一貫して変わっていない。

誰しも批難されるよりは称賛された方が良いに
決まっているのだが、なかなか他人を称賛するのは
批難するのに比べて難しいようでもある。

結論から言えば、自身が他者より称賛されようと、
批難されようと、それをどう受け止め、どう活かして
いくのかはその人次第の問題である。

逆に、他者をいくら称賛し、批難したところで、
自分自身は何も変わらない。

人を見下し、バカにし、軽蔑したところで、自分が偉く
なるわけではない。
人を見上げ、尊敬し、憧憬したところで、同じである。

ありのままの自分でいるということは、称賛、批難に
惑わされることなく、かつそれらを自身の成長の糧と
していくことを言うのである。

称賛に慢心すれば成長は止まる。批難に単に反発している
だけでも成長は止まる。

自身に向けられる称賛と批難は謙虚に受け止め、
他者に対しては自分のできる励ましを与える。
難しいことではあるが、それが最も自身の為となる。

断酒の継続は、称賛の対象ではない。
スリップも批難の対象ではない。
肝心なことは、自身も含めて、その人が諦めずに
前へと進もうとしているかどうかなのである。

前へ進もうとする人たちの間には、称賛も批難も超えた、
励まし合いということがあるのみなのである。




カエラ

2011年01月05日 | ノンジャンル
この人の曲はなかなか異色なものが多くて面白いのだが、
昨年からCMで流れている歌詞が気になっている。

A WINTER FAIRY IS MELTING A SNOWMAN.
IT’S YOUR MELTING SNOWMAN.

直訳すれば、

「冬の妖精が雪ダルマを溶かしている。」
「それは、あなたの溶けている雪だるま。」

となるのだが、なんだか意味合いがはっきりしない。

「いたずら好きな冬の妖精が、
      あなたの雪ダルマを溶かしている」

と解釈するべきなのか、

「あなたの雪ダルマが冬の妖精に(恋して)溶けている」のか。

A WINTER FAIRY IS A MELTING SNOWMAN.

これだと、冬の妖精は溶けている雪ダルマだということになる。
つまり、その溶けているあなたの雪ダルマが、冬の妖精だと
いうことになるのだが、これもスッキリしない。

後の歌詞が、
IT’S MELTING YOUR SNOWMAN だと
一番スッキリするのだが・・・

新年早々、くだらないことが気になっている自分が可笑しいが、
どうやらじっくりと腰を据えて一年を始められそうな、
仕事始めの今日となっている。