ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

死闘

2018年09月22日 | ノンジャンル
台風以来、機能マヒとなっていた関西空港が
連絡道路を除いてほぼ全面復旧となった。

飛行機は人だけではなく、物流の要でもある。
特に緊急品の輸送が多く、それが遅れることは
致命的な事態となることも少なくない。

到着貨物の遅れ、輸送の問題、取引先の来日予定の
スケジュール変更と慌ただしい中、休日も返上し、
夜を徹してという事も多く、文字通り、
忙殺されてきた。

特に今週は、来客と出張とが重なり、来客の送迎や
会議、接待で深夜になったにも関わらず、再び会社に
戻って、夜明けまで仕事となった。

翌日の出張は余裕があったのだが、前日の会議で
持ち上がった案件の準備で、ぎりぎりまで会社で対応。
そのまま、出張と、まさしく分刻みの行動である。

出張先でも、一日の日程を終え、ホテルに戻れば、
第2ラウンドとなり、深夜まで続く。

今日になってやっと帰阪し、休息を少し
取れそうだが、連休とはできず、また休日出勤となる。

いつもこんな具合だと身体がもたないが、こういう
峠的な時期は年に何度かある。
大げさな話ではなく、この身にとってはまさしく
死闘なのである。

年齢でもなく、体力でもなく、ともかくもこの死闘に
身を投じる覚悟が持てるかどうかが、自身の
「生きる」のバロメーターでもあろう。

そして、その死闘において自分を褒めるのではなく、
俯瞰したときに、「よくやっている」と思えたなら、
それが満足というものなのである。

そういった満足を積み重ねていくことが、自ら決めた
自分なりの「生きる」なのである。