ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

空港閉鎖

2018年09月11日 | ノンジャンル
台風による、まさに想定外の事故と冠水で、
関西空港がほぼ機能していない。

連絡橋は、鉄道は不通、道路は片側のみ通行可能で、
対面通行としているが、もちろん一般車は乗り入れ
できない。公共のバスなどのみである。

2番ターミナルが復旧されたものの、ごく限られた
便数のみで、機能としては地方空港と変わらない。

想像を絶する台風の威力ではあったが、大阪の
表玄関ともいえる国際空港が長期的にマヒするなど、
予想だにしなかった。

帰国したのは、台風のわずか2日前。現地での状況に
よっては帰国日がずれていたかもしれなかった。

これまで数えきれないほどの渡航を繰り返しているが、
不思議と欠航という憂き目にあったことがない。
遅延はよくあるが、欠航で翌日便となるような
ことはなかった。

預けた荷物も、載っていなかったという事は
あったが、行先不明という事は一度もない。

息子が生まれる直前だったから、もう24年も前に
なるが、名古屋からマレーシアに渡航するのに、
前日に名古屋空港で墜落事故が起きた。

当然、空港は閉鎖となり、その後、航空会社と
連絡を取って、博多から渡航することになった。
電話がなかなかつながらず、結局、徹夜で
博多出発の段取りを組んだ。

それでも、予定当日に現地入りできたことになる。

今では、新しいセントレア空港となっており、
これからの渡航については、しばらくは
名古屋からとなるだろう。

台風接近の当日のフライトを予定していて、
欠航を前提に、最悪でも翌日のフライトで渡航する
段取りにしていた部下が、結果的に最悪を越える
空港閉鎖という憂き目に遭い、空港難民となって、
台風翌日の深夜、ようやく帰還することができた。

空港に置き去りにされた多くの人達のうちの一人と
なったわけだが、リスク管理という点では
減俸処分ものである。

空港での大変さはわかるが、翌日のフライトを
見越すなら、欠航になった時点で、せめて連絡橋は
わたって空港を出るべきだった。

我々の業務の特質上、なんの裏打ちもない
「なんとかなるだろう」は厳に廃さねばならない。

天祐を期待するのは、人事を尽くしてこそ
なのである。