ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

切れ目

2018年09月13日 | ノンジャンル
金の切れ目は縁の切れ目というように、この世の
人の関りは、とかく利害に絡んでいる。

利となる関り、害となる関り。

無論それは物質的なものに限らず、精神的な面に
おいても同じである。

毒にも薬にもならない、空気のような関りは、
互いに対等でいて、しかもそれぞれ大切な存在で
あるという点で理想ではあるが、稀有な関りで
あるといえる。

お金の切れ目は無利となり、お酒の切れ目は、
無害となる。

利もなく、害もなくというのは、人の関りに
おいては、その関係を強化するものではない。

ただ、一個の自立した人として、その人の
生き方が、関りを変えていくことは明らかだ。

利に近づき、害から離れるのは至極自然な
生き方だが、他を害さず、他を利する
生き方もある。

自身が無利無害、あるいは無利有害となった時に
変わらず空気のようにそばに寄り添う人が
多くいるのは、後者のような気がする。

要するに、財産も失い、健康も失い、命さえ
失わんという時に、誰がそばにいたかという事だ。

飲酒によって、離れていったものは多い。
断酒によっても、離れていったものは多い。

だが、そばにいたその人は、間違いなく、
今なお笑顔でそばにいるのである。
そして、昔も今も、その人は一個の人間として、
屹立しているのである。