ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

積み重ね

2018年09月16日 | ノンジャンル
このブログは、一応、断酒に関するものなのだが、
雑感ということもあり、記事は多岐にわたる。

たまには、本来の断酒に関する記事を。

様々な酒害の経験を経て、断酒に至った人にとって、
最大の問題は、その継続にある。

初期において、再飲酒の危険性が高いのは、いわゆる
積み重ねが浅いからである。

こればかりは一足飛びにというわけにいかない。
一日断酒を、コツコツと積み重ねていくしかない。

初期においては理屈はいらない。ともかくも一年を、
死に物狂いで断酒する。断酒が目的であっても一向に
差し支えない。

事実は、一年継続できるのが20%、2年継続できるのが
さらにその20%である。

つまり、断酒を決意したところで、2年以上
継続できるのはわずか4%ということになる。

ドライドランクであろうと、なんであろうと、
兎にも角にも2年をお酒なしで過ごしたなら、
石の上にも3年といわれる寛解期を迎えることは
容易であろう。

さて、積み重ねというのは、これからである。

寛解というのは完治ではない。
当然ながら再発の可能性を有している。

我々にとっていざという時というのは、
何も酒席に出るとかといった特別なことではない。

深い悲しみや激しい怒り、あるいは大きな喜びも
あわせて、止むに止まれない飲酒欲求に翻弄されて
しまう時というのが必ずある。

そのどうしようもない時こそが、いざという時
なのである。

初期にスリップ、つまり再飲酒してしまうのは、
このいざという時の備えができていないからである。

つまり、練習が浅い中で、試合の本番を迎える
ようなものだ。勝てるわけがない。

要するに、どんな時でも、飲む暇があるなら、
できることを具体的にしていくという積み重ねを
どれだけしてきたかに尽きる。

石にかじりついてでもの断酒を3年。
目的でもなく、手段でもなく、飲む暇があれば、
1ミリでも前へ進むべく動く生き方の積み重ねが、
いつ訪れるともしれない、いざという時を
乗り越えさせてくれるのである。

つまり、積み重ねられた生き方としての
一日断酒は、決して自身を裏切らない
ということなのである。