ひろせ明子の市議日記

無所属・無会派。
市議として日常で見たこと・感じたことを綴っています。

ウソじゃないよ本当だよ その9

2009年03月20日 | うそじゃないよ、本当だよ!

19日、市の控訴案件についての反対討論を行いました。
以下は、その時の原稿です。

議案1号専決処分を求めることについて 反対討論を行います。

3月5日開かれた教育民生常任員会を傍聴して感じたことは、どの委員さんもこの事件には大変心を痛めている、できれば、早い決着を望んでいるということが良く分かりました。しかし、市側の言い分にも耳を傾けなければとの思いで、委員会での採決は、4名賛成2名反対というものでした。
この事件は、当時の子供さんが当事者となっているわけで、1日も早い決着を望まれることには異論はないはずです。

ご存知のように5年の長きにわたる裁判が続いているので、昨年12月24日の判決で、やっと決着をみると私も内心ホッとしたものでした。
しかし、1月5日に市が控訴、続けて15日には県も控訴という事態になってしまいました。
もし、市の控訴がなかったとしても、市議の中からはそのことを問題視する声は上がらなかったでしょう。それ位、この事件の早期決着を望んでいたと、先日の委員会審査の発言では思いました。

では、浦安市の控訴理由はなんだったのでしょうか?
控訴理由を明らかにすることにより、如何に理由がない控訴であったかを、わたくしはこの議場で訴えていきたいと思っています。

24ある原告の訴えのうち、3つだけ裁判で認められたが、その3つの理由に納得できないというのが市側の言い分です。
しかし、市議の皆さんも当然判決全文を取りよせ読まれていると思いますが、常識的に考えてなぜ、市が控訴したのか、理解に苦しむところではないでしょうか。

市側の控訴理由その1は
プール授業後に原告の頭を叩いたことに不服のようですが、これは、原告の妹さん/当時同じ小学校に通っていました。が目撃していたのです。これは今回判決で認定されています。
また、知的障害者の証言に対しては日本の裁判所は証拠能力で差別的扱いをしていますが、妹さんは健常者でしたので、裁判所は容易に認めているのです。
裁判所で証人もいるとまで言われて認められたことを、なぜ控訴するのでしょうか?

控訴理由その2
原告の手が被告の眼鏡に当たったので、拳骨で頭を叩いたことを裁判所は認定していますが、市はそれも不服として控訴しました。
しかし、この拳骨で原告を叩いたことは、被告は刑事裁判の時から一貫して認めています。強制わいせつ事件に関して、被告は当初警察での取り調べ時には全てを認めていました。しかし、その後一転し否認に変わりました。そんな中でも、この拳骨で原告の頭を叩いたことは認めていいます。刑事事件の捜査段階でも公判廷においても認めています。
本人が認めているからこそ、この判決でもその点での責任ありとされたのです。
市の控訴理由は、この拳骨で叩いた行為は、「やや感情的になったとは言え、民法上の不法行為になるような暴行行為とは言えない」という主張をしていますが、これは暴力をふるった、いじめた側の論理を教育者が振りかざしていること以外の何物でもありません。
私は、何回か原告少女にこの間お会いしていますが、事件当時はまだ小学校6年生でした。
体力的にも、また、男性と女性との関係からしても、さらに教師と児童と言う半ば服従を強いられる関係からしても、被告は圧倒的に優位な関係にありました。
被告の言い分は「反射的であり、やや感情的だった」のかもしれませんが、暴力の問題、いじめの問題はされた側、被害を受けた側にたって考えるのではないでしょうか。叩かれた当時の原告の心の痛み、体の痛みを教育者たちはそして、市長は感じることが出来ないのでしょか?
やられた側にたって、暴力を振るわれた側に立って、この問題をなぜ考えなのでしょうか?
教育者たちは良く言います。「いじめは良くない」と。「いじめられた側の身になって考えましょう、弱い人の立場で考えましょう」と。
この事件は別ですか?なぜ日頃言っていることをこの事件で実践しないのでしょうか?
この少女は、自分が受けた暴力の不正を裁判に訴えてまで明かにしようとしているのです。
「不法行為になるような暴行ではない」とは、何と傲慢な言葉でしょうか。
学校と言う密室の中で、教師対生徒というある意味では服従を強いられる環境の中で、この少女は、どんなにか恐怖におののき、苦悩の学校生活を送っていたか、想像をしたことがありますか。
暴力の問題は、絶対に暴力をふるった側が判断することではありません。ましてや、教育者たちや市長が、被害を受けた少女の心の痛みを全く顧みることもなく、暴力をふるった教師を擁護するとは、一体どういうことなのでしょうか?
もし、この民事判決を謙虚に素直に認めることをしないのであれば、それはイコール、学校で起きているいじめの問題など解決できるはずはありません。いじめの問題の解決の第一歩は、常にいじめられた側に寄り添うことから始まるのですから。この問題で言えば、原告の側に立つことです。
「不法行為になるような暴行ではない」との控訴理由は、議会も絶対に認めてはいけないことです。子供の人権、障害者の問題を議会で取り上げている市議の方なら、簡単にご理解いただけると思います。

控訴理由3
15年7月4日、学級内で「乳房を触った」云々の話ですが、
市側は具体性に欠けるとの理由で承服しがたいようです。確かに判決でも、具体的な時間帯の特定は行われていません。「授業中ではなく休憩等の時間帯である公算が大きいものの特定はできない」と言っています。また、この胸をつかむ行為は、「何秒も要しないから、近くにいる教師や児童が少ない時を見計らい行うことは可能である」と言っています。

この点をもって、事実を認定することなく、可能性の問題として原告の主張が認められていると市はその控訴理由で述べています。
しかし、性虐待を受けた子供の心理をご存知ですか。
性的虐待順応症候群です。
これは性的虐待を受けた子供たちの自然な心理状態を意味する言葉です。性的虐待を受けた被害者のノーマルな心理反応です。5つの特徴があります。
① 性的虐待の事実を秘密にしようとする
② 自分は無力で状況を変えることはできないと思っている
③ 加害者をも含め、周囲の大人に合わせようとする
④ 暴行を受けたことを認めたがらない。または事実関係が矛盾したことをいう
⑤ 暴行されたと認めた後で、その事実を取り消す。

この「4、事実関係が矛盾したことをいう」,「5、事実を取り消す」、にまさに該当する事例ではないでしょうか。
裁判所の判断は、性的虐待を受けた子供の心理に沿った判決です。
どう見ても、市の控訴理由には正当性が感じられません。この事件に関しては、最初から市長は元教師に弁護士を紹介するという、市長の立場では決してしてはいけないことをして来ました。
最初から、元教師を援護する立場でいたわけで、その延長線上の控訴であるとしか思えません。市も議会も冷静になり、子供の立場、被害者の立場で控訴を取り下げをすべきだと訴えます。

最後に、
私はこの事件に関連して、日本で最も著名な方、児童虐待の問題の第一人者である森田ゆりさんと直接お話をしました。森田ゆりさんと言えば、日本にCAPを取り入れた方でもあり、子供の性的虐待に関する著書も多数ある方です。各種教育機関に従事する専門家の方々、カウンセラーの方々への教育を行っている方でもあります。
CAPについては、浦安市議会でも何人かの方々が、前向きに取り上げ、市長はじめ教育長まで、大変CAPを評価している答弁を本議場で行っています。
その森田さんから本事件に関してお話を聞いてきました。当然本日議会で公表することを前提に私は森田さんにお伺いしました。

以下、森田さんとお話をした要約です。

子供に耳を傾けなければ、虐待は根絶できません。特に性的虐待は子供たちの言うことを信じてもらえないことが多いのです。
浦安の事件は刑事事件で信用性が争点となりました。
刑事事件では事件があったことは疑いをさしはさむ余地はないと言っていながら、証明できないということで無罪となりました。

今回の控訴は、子供たちに「恐ろしいこと、こわいことがあったら大人に言いなさい」と言っていながら、このことを認めなていないことになります。
それを許すことはできません。
社会全体が子供の声に耳を傾け、「もっと言っていいんだよ、信じていいんだよ」とメッセージを子供に発っしなければいけないのです。
このままでいけば、この事件は、浦安市内の一人の子供だけではなく、沢山の子供たちに「ダメ」と言うメッセージを送ることになってしまいます。そういうことでは取り下げをして欲しいのです。

台湾、韓国、オーストラリアでは、裁判で子供が安心して証言できる仕組みシステムができてあがっています。
安心してカウンセラーの前で証言し、ビデオに撮り、それを証言としています。子供をこの裁判のように証言台にひきずりだすことはしていません。
諸外国と余りにも日本の裁判制度は異なっています。遅れています。

この事件で、不適切な判断を下すことは、日本の今後の流れを作って行ってしまいます。5年、10年取り組みが遅れてしまいます。国際的にも物凄く遅れているのが日本です。
CAPプログラムが要請して、この運動をサポートして行くことが、泣きねいりしている子供にも、ゆうきを与えると思い応援しています。
市側が控訴しないという判断を下せば、それは歴史に残るものとなるでしょう。
今回の浦安市の動向は、大変重要です。
ここで子供の声に耳を傾け控訴を取り下げること、日本の閉鎖的な裁判制度に風穴をあけることになります。
つまり、これまで日本の司法は、子供・障害者の声に耳を傾けてこなかった、やっとわずかですが、昨年12月24日千葉地方裁判所が子供・障害者の声に耳を傾け、「被害女児の言っていたことは嘘じゃないよ、本当だったね」と一部ですが認定したのです。これを支持する、つまり控訴を取り下げることは、裁判史上でも画期的なことであります。
頑なまでに、子供・障害者の証言を取り入れてこなかった日本の司法制度で、一部ですが、子供・障害者の声を取り入れたのです。
この判決を支持することは裁判の流れも変える力になります。

この森田ゆりさんのお話しにも是非、耳を傾け、議員の方々には再考をお願いしたいと思います。




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